第25話 魔王の正体。そしてタクミに託された「世界の設計図」

「貴様は違う。この世界の理(ルール)の外側にいる存在……『イレギュラー』だ」


半壊した玉座の間。

瓦礫の山となった床の上で、魔王ゼノスは静かにそう告げた。

彼の背後には、ひび割れた壁から極寒の吹雪が吹き込んでいる。だが、魔王の周囲だけは奇妙な静寂に包まれていた。


俺、相沢匠(タクミ)は、警戒を解かずに彼を見据えた。

隣ではフィオが弓を引き絞り、いつでも矢を放てる体勢をとっている。


「イレギュラー、か。言い得て妙だな」

俺は肩をすくめた。

「確かに俺はこの世界の住人じゃない。過労死して転生してきた元・建築士だ」


「建築士……。物を造り、直す者か。破壊と再生の権能を持つ者よ」

ゼノスは薄く笑い、玉座からゆっくりと歩み降りてきた。

その一歩ごとに、足元の空間がピシピシと音を立てて歪む。

俺の『構造解析』が、警告音(アラート)を鳴り響かせる。


【警告:対象の存在密度が不安定です】

【警告:対象の内部に膨大な『エラーデータ』を検知】


「……なんだ、その体は?」

俺は眉をひそめた。

遠目には整った容姿の青年魔族に見える。

だが、解析の目を通すと、彼の体はまるでノイズの塊だ。

肉体という器の中に、この世界で発生した矛盾、歪み、汚泥のような魔力が無理やり詰め込まれている。

今にも破裂しそうな風船。あるいは、限界を超えて廃棄物を詰め込まれたゴミ処理炉。


「気づいたか」

ゼノスは自らの胸に手を当てた。

「これこそが魔王の正体だ。余は個であり、全である。この不完全な世界が生み出した『歪み』を一身に引き受け、管理するための生体端末(デバイス)。それが魔王だ」


「歪みを引き受ける……?」


「そうだ。貴様も見たであろう。この世界は基礎が腐っている。放っておけば、世界中の物理法則が崩壊し、大陸は海に沈む。だが、創造主たる女神はそれを根本から直そうとはしなかった」

ゼノスの瞳に、深い哀しみと諦観が宿る。


「代わりに、女神は『ゴミ箱』を作った。世界中に発生するバグや矛盾を、魔素という形で一箇所に集め、定期的に焼却処分するシステム。……余がそのゴミ箱であり、勇者が焼却炉の点火スイッチだ」


衝撃的な事実だった。

魔王が世界を滅ぼそうとする悪ではなく、むしろ世界を維持するための人柱だったとは。

勇者が魔王を倒すのは正義の執行ではなく、溜まりすぎたゴミ(エラー)をリセットするための定期メンテナンス(儀式)に過ぎない。


「なんてふざけた設計だ……」

俺はギリリと奥歯を噛んだ。

「欠陥住宅をごまかすために、住人の一人を犠牲にして支えさせてるってのか? そんなの、建築以前の人道問題だぞ」


「クク……女神に人道を説くか。やはり貴様は面白い」

ゼノスが足を止めた。俺との距離、わずか五メートル。


「だが、限界だ。今回のサイクルで蓄積された歪みは、過去の比ではない。余という器では抱えきれなくなっている。それが溢れ出し、魔物たちが暴走し、世界を侵食し始めた」


ゼノスが右手を掲げる。

その手には、漆黒の球体が浮かんでいた。

重力すら歪めるほどの、高密度の闇。


「建築士よ。貴様が本当にこの世界を『修理』できるというのなら、試してみせろ。この世界の絶望そのものを、貴様の技術で解体できるか?」


ドォォォン!!


ゼノスが球体を握り潰した瞬間、玉座の間が闇に飲み込まれた。

光が消え、上下左右の感覚がなくなる。

フィオの悲鳴すら聞こえない完全な虚無。


『領域展開――虚数空間(ヴォイド・スペース)』


脳内にゼノスの声が響く。

物理法則が存在しない、エラーデータの掃き溜め。

ここでは重力も、時間も、物質の強度も意味をなさない。

普通の人間なら、存在を維持できずに精神崩壊を起こして消滅するだろう。


「……なるほど。これが『バグ空間』か」


だが、俺は消えなかった。

暗闇の中で、俺の瞳だけが青白く輝く。

『構造解析』――フル稼働。


「法則がないなら、作ればいい。構造がないなら、建てればいい」


俺は虚空に手を伸ばした。

何もない空間に、俺の魔力で「座標軸」を打ち込む。

X軸、Y軸、Z軸。

空間にグリッド線(補助線)を引く。


「ここは俺の現場だ。勝手な仕様変更は認めない」


『再構築(ビルド)』――空間定義。


パァァァッ!


俺を中心にして、幾何学的な光の格子が広がった。

混沌としていた闇が、整然とした空間へと書き換えられていく。

足場を作り、天井を定義し、空気の流れを作る。

俺の意思一つで、虚数空間が「四角い部屋」へと変わった。


「な……ッ!?」


闇が晴れると、そこには驚愕の表情を浮かべたゼノスが立っていた。

俺の隣では、フィオがへたり込みながらも無事な姿でいる。


「バカな……余の内面世界(エラー領域)を、物理的に上書きしただと? 概念干渉など、神の領域だぞ!」


「神様だって元は設計者だろ。同じ技術屋なら、俺にだって干渉できるさ」

俺はゼノスに向かって歩き出した。

「それに、お前のその攻撃……悲鳴にしか聞こえないぞ」


俺はゼノスの目の前に立ち、彼が突き出してきた闇の刃を、素手で掴んだ。

ジュウウウッ!

俺の手のひらが焼ける音がする。だが、離さない。


「『構造解析』――リンク接続」


俺の魔力が、ゼノスの中へと流れ込む。

見えた。

彼の深層心理。あるいは、コアデータ。

数千年にわたり、歴代の魔王たちが背負わされてきた世界の歪み。

人々の悪意、悲しみ、絶望。

それらがヘドロのようにこびりつき、彼の魂(コア)を侵食している。


「痛かったろうな。苦しかったろうな」

俺は静かに言った。

「こんな欠陥構造の中で、たった一人で支え続けてきたんだから」


ゼノスの瞳が揺れた。

「貴様……余を、憐れむか?」

「いや。同業者として、その過重労働(ブラック)っぷりに同情してるだけだ」


俺は掴んだ闇の刃を、握り潰した。

『解体』――対象:エラーデータ。


パリン。


ガラスが割れるような音と共に、ゼノスを覆っていたどす黒いオーラが霧散した。

彼の体が輝き出す。

ノイズ混じりだった輪郭が鮮明になり、本来の姿――穏やかな表情をした青年の姿が露わになる。


「……体が、軽い」

ゼノスが呆然と自分の手を見る。

「余の中の澱(おり)が……消えた? いや、浄化されたのか?」


「表面の汚れを落としただけだ。根本的な解決にはなってない」

俺は手を離し、一歩下がった。

「だが、これでお前はもう『世界を滅ぼす魔王』である必要はない。ただの管理者(管理人)に戻れ」


ゼノスは膝から崩れ落ちた。

戦意喪失ではない。憑き物が落ちたような、安堵の脱力だった。

彼は震える声で笑った。

「ハハ……ハハハ……。まさか、勇者の剣ではなく、建築士の手で救われるとはな」


彼は顔を上げ、俺を真っ直ぐに見た。

その瞳からは、もはや狂気は消え失せていた。


「タクミ・アイザワよ。貴様の勝ちだ。……そして、頼みがある」


ゼノスは自らの胸に手を突き入れた。

苦痛に顔を歪めながら、心臓のあたりから何かを取り出す。

それは、七色に輝く正八面体の結晶だった。

複雑な光のラインが内部を走り、まるで小さな宇宙を閉じ込めたような美しさ。


「これは……?」

「『世界の設計図(ソースコード)』の断片だ」

ゼノスはその結晶を俺に差し出した。


「女神がこの世界を管理するために作ったマスターキーの一部。余ら魔王が代々受け継ぎ、守ってきたものだ。これがあれば、世界の基幹システムにアクセスできる」


俺はゴクリと喉を鳴らした。

これがあれば、女神の干渉をハッキングし、世界のルールそのものを書き換えることができるかもしれない。


「なぜ俺に?」

「貴様なら直せるからだ。女神が見捨て、余らが呪い続けたこの欠陥世界を」

ゼノスは真剣な眼差しで俺に託した。

「持って行け。そして、女神の元へ行け。……この世界の真の最深部、『天上の管理室』へ」


俺は結晶を受け取った。

ずしりと重い。物理的な重さではなく、そこに込められた情報の質量だ。

インベントリには入らない。俺の魂に直接リンクするような感覚。


『アクセス権限を確認。レベル9:管理者代行を認証しました』


脳内にシステム音が響く。

視界の隅に、今まで見えなかった新しいメニューが追加された。

【世界構造マップ】

【女神の座標】

【システムログ】


「……サンキュー。最高の報酬だ」

俺が結晶をポケットにしまった、その時だった。


『――警告。重大なセキュリティ違反を検知』


空気が凍りついた。

今までとは桁違いのプレッシャーが、天井から降り注ぐ。

玉座の間の天井が、音もなく消滅した。

そこから覗くのは、青空ではない。

無機質な白い光と、巨大な「目」だ。


『管理個体ゼノスによる、機密情報の不正譲渡を確認。当該個体を処分し、データを回収します』


女神の声だ。

以前、地下で聞いた時よりも冷徹で、機械的な響き。

空の「目」から、一筋の光線が放たれた。

狙いはゼノス。


「チッ、見つかったか!」

俺は動こうとしたが、体が動かない。

空間圧力が固定されている。


「行け、タクミ!」


ゼノスが叫んだ。

彼は最後の力を振り絞り、立ち上がった。

「ここは余が食い止める! 貴様は早く行け! 世界を直すのだろう!?」


ゼノスの背中から、漆黒の翼が噴き出す。

彼は光線に向かって飛び立った。

自らの体を盾にして、俺たちを守るために。


「ゼノス!」

「振り返るな! フィオ嬢、彼を連れて行け!」


ゼノスが空間転移の魔法陣を俺たちの足元に展開する。

俺の作ったゲートとは違う、魔王独自の強制排出ゲートだ。


「……くそッ! 死ぬなよ、不良物件!」


俺は叫んだ。

光に包まれる視界の最後に見えたのは、女神の閃光を受け止めながら、ニヤリと笑う元・魔王の姿だった。

「安心しろ。余はしぶといぞ……!」


ドガァァァァン!!


魔王城の最上階が爆発の光に飲み込まれた。

俺とフィオは、転移の光の中に吸い込まれ、極北の地から強制的に飛ばされた。


          ◇


転移先は、サンクチュアリの自宅の庭だった。

ドサリと芝生の上に投げ出される。


「タクミさん!」

フィオが駆け寄ってくる。

俺は地面を殴りつけた。

「くそっ……!」


魔王城は落ちた。

ゼノスの魔力反応は……微弱だが、まだ消えていない。

だが、女神の追撃はこれで終わらないだろう。

世界の管理者が、本気で俺たちを排除しにかかってきたのだ。


「……やるしかないな」


俺はポケットに入れた「設計図」を握りしめた。

ゼノスが命がけで託してくれた希望。

これを使って、女神のいる「天上の管理室」へ乗り込む。

そして、このふざけた世界を基礎から作り直す。


「フィオ、準備だ。最終決戦(ラスト・リノベーション)だ」


俺は立ち上がった。

その目には、もはや迷いはない。

建築士としての矜持にかけて、神様相手の「クレーム対応」を完遂してやる。


空を見上げると、世界中の空に不気味な亀裂――エラーコードのような黒いノイズが走り始めていた。

世界の崩壊(デリート)が始まったのだ。

残された時間は少ない。


「待ってろよ、女神。お前の作った欠陥住宅、俺が完全解体してやるからな」


最強の建築士の、最後の戦いが幕を開ける。

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