21
「ぷっはぁっ!!」
未来は渦巻く水面から顔を出すと、額に張り付いた髪を掻き分けて背後を顧みた。
爆発が起き、盛んに波が立っている。これでようやく終いのようだ。
「はぁ、あぁ、ヤバイな~、きったね~。うへえ」
水中に飛び込んだのは正解だった。すぐ隣にパトカーが浮いていたので、ボンネットの上に上がる。水面にガソリンの油膜が広がっていく。冷たいボンネットに仰向けに寝そべった。
――竜司らが出発してすぐ、美幸は死亡した。手の施しようがなかった。修は未来に皆の後を追うよう指示した。このままでは竜司達の身に何かあっては誰も助けてやれないからと。
「未来ちゃん。君が竜司の元へ行ってやってくれ。もしもの事があれば、アイツの骨を拾ってやるのは君だ」
「えっ……?」
「君のさ、夢を叶えてもらったんだろ?竜司に楽しい時間を貰ったんだろ?幸せにしてもらったんだろ?アイツの事が、好きなんだろ?」
彼の表情には、得体の知れない狂気が脈々と滲み広がっていく。
「でも、美幸が……私、そんな薄情な事できない……」
寄る辺なく逡巡する未来を、梟より大きな目が射抜いた。
「君が最後まで戦わなくてどうすんの!アイツの事が好きなら、愛しているんなら、アイツの生き方を尊重して一緒に乗り越えるのが、彼女としての最高の姿じゃないのか!?」
途中で唇を噛み切って出血しても構わずだった。口端からは一筋の涎が垂れている。
「愛してる……?」
好きとは?
愛するとは?
女としての最高の姿とは?
「見ろ、美幸は死んじまった。俺は、決断する。俺は俺に幸せをくれた自分の女と、運命を共にしたい。未来ちゃんも――この
目の焦点は散り々りになっていながらも、彼の情熱は、そしてその恰好をした怨念は、虫眼鏡の光を集積したように、どこまでも貫くように思い切り引き絞られて尖っていた。
「分かった――私、行ってくる!」
回収して保管してあったテレビ局のバスに乗り込んだ。アクセルペダルとブレーキペダルの区別もつかず、PやDが何を意味するのか分からぬシフト操作、倉庫の中で派手に暴れたが、なんとか車を外に出した。その後はあちこちにぶつかりながら道に出て走り回っていたが、田んぼの方から銃声が聞こえ、炎も見えた為こちらに向かってきた。近くに車を隠して野次馬に混じって様子を見ていると警察の男と竜司が話しているのが分かった。固唾を飲んで見守るうち、口論の末に竜司は撃たれてしまった。その瞬間、未来の中で何かが弾けた。脊髄が勝手に命令を下し最期の特攻を仕掛けた。感情が燃え盛っていたので、これが正しかったかどうかは、今は分からない。
炎が水面を覆ったガソリンに燃え移り、火の海から立ち昇る赤い靄が覆う。
蝋燭のように踊り舞う炎の中、澄み切った夜空を仰いだ。
静かに、重々しく、走馬燈が回り始めた。
――そうだった――誰にも言えなかったけど、私ってずっと、人生にシコリを持って生きてきた。生まれながらにしてルックス、身体能力、学習能力は人並み以上に恵まれていた。
でも私はそれを鼻に掛けて自慢しようとは思わなければ人を見下そうとも思わない。
友達と付き合う時には見た目や上辺の評価じゃなく、中身で選ぶようにしている。これは私にとっては個性の一環でしかなく、自分が特別だなんて微塵も思った事はないかな。人の本当に大切な部分って、中身だもん。いくら見てくれがカッコ良くても、スポーツが出来ても、良い成績を採っていても、意地悪だったら全部、台無しじゃないかな。
それだったら不器用でドン臭くても、精一杯に私を愛し、大切にしてくれる人がいい。
でも、周囲は私が思う程綺麗な心を持っていなかったんだ。
みんなの心は、汚れていたんだ。
小学校高学年辺りから、発言権の強い数人が私の事を煙たがり、避けるようになった。
それはハッキリと目に見えるモノではなく、心でなんとなく感じるものだった。
ただひたすら、周囲の目は私を――私の中の本当の私を炙り出そうと歪んでいた。
それは幼い私にとって、紛れもない、骨身に沁みる恐怖でしかなかった。
後になって、彼女らは私に嫉妬していたと知る。ショックだ。どうして?友達でしょ、内心ではそんな風に私を見ていたの。いつでも分かり合える、それが――私は独りで泣いた。それからの私は自分に自信が欲しくて、自分を磨きたくて、生徒会の活動に参加したり学級委員をやったり、精力的に活動した。出来る事を精一杯やる事で現実から逃げようとした。心の咬傷を、癒えない隙間を埋めようと。追って来る何かを振り払うために。安全な場所へ行く為に。だけど、やっぱり周囲はそれが気に入らなかった訳で、奴らが目を付けた所は皮肉にも私の長所だった。「人よりも可愛いからって」「ちょっと勉強がデキるからって」こうしてレッテルを貼り、ちょっと目立つと「ナルシスト」「自分に酔っている」と声を揃える。手の込んだものよ。そうする事で、長所を短所と錯覚させようとする残酷な策略。人は誰だって長短合い持つもの。私だって自己嫌悪に陥るし、悩み事だってある。
人って、怖い。
中学に入ると同時に私への顰蹙はエスカレートし、嫉妬がどす黒い塊として目に見えるようになった。中学生は、見た目や体格、能力で人間を完全に分け隔てる、都合よく理不尽な格差社会のはじまり。「 なるほどね 」
大人に、なっていくんだな。私がノンキに友達だと思っていた子は、心の中では私を不快に思っていた、そんな獣を私が勝手に友達と錯覚していただけだった。
そんなある日、それでも唯一の親友だと信じていた子に悩みを打ち明けた。
「私はみんなと仲良くしたい。私は特別じゃないのに。一生懸命頑張っているのに。どうして……どうしてみんなは私を嫌いになったのかな……何がいけないのかな」
そして返ってきた彼女の言葉を、私は一生忘れない。
「だって未来さ、ずるいんだもん。私達よりちょっと可愛いからってチヤホヤされてさ。男子にもモテるし。そりゃちょっとぐらい嫌われても仕方ないよ。それは自然な事だよ」
……え、そんなこと、言う?
彼女は徐に顔を上げ、私の目を見据えた。今思えば、凄く変な目だった気がする。
そして、その次の言葉が私を変えた。
「未来さ、何一つ不自由ないじゃん。何が気に入らないの?そんなに私達がイヤなら……私達の前から居なくなった方がいいよ」
彼女は立ち止まり、今度は私をしかと見詰め、言い放った。まるで、要らなくなった人形を川へ投げ捨てるように。あの瞬間、私の中のナニモカモが砂煙を上げて崩れ去っていった。
私には
味方なんて
居なかったんだ――最初から。
「なるほどね」
最後に残った、たった一人の味方だと思ったのに。結局、こいつもハズレだったか。
逆に、最後の最後まで本音を隠し続けた事が憎くてたまらない。火が点いた。
「――許せない。坂田優香――」
その夜は月が出なかったっけ。
中学二年の始業式。新しい教室で、あの人と出会う。
その日に意気投合した私達は、色々な所がよく似ていた。考え方や境遇、悩みまで。
「未来。俺とお前は、二人で一つなんだ。ようやく見つけた。俺のマスターピース」
初めて本当の味方を得た私は、革命的な進化を遂げ、見違えるくらい強くなった。
もともと武器は揃っていたのだから、私はただ強くなるだけでよかったんだ。
「竜司。私を、新しい世界に連れて行って。こんな汚い世間から、一緒に逃げちゃお」
彼と出会って、それまでの自分なら絶対に考えないような大きな目標も出来たし、今まで恐くて手を出せなかった事にも挑戦するようになった。たった一人の異性の存在で、人生が劇的に変わる事を思い知った。
「いいよ。新しい世界に連れて行ってやる。だけど、わざわざ逃げなくても、ここを俺達の望む世界に出来るんだぜ。一から作り上げる完璧な世界。桃源郷。シャングリラ」
ある時、彼は自分の『信念』を話してくれた。それは私と出会って芽生えたものだと言っていた。それを聞いてもちろん驚いたけど、あの人の為なら私は迷わない。この人と一緒なら、世界中を敵に回しても恐くない。……私の中の、神様。私は人を好きになったことなんて、ない。竜司は、好きなんじゃない。ただ……尊敬しているだけ。
「分かった。私ついていく。竜司の後についていくよ。一緒に、行こうね」
どうせ帰るところも、待っている人もいない訳だし。
こうして私と竜司は、互いの人生を賭けた壮大な作戦を始動した。
高校進学を機に取り巻きの仲間を得た。同じ考えを持つ人は、みんな仲間。
私たち二人は、彼らを快く迎え入れた。
「俺達の可能性、持ち腐れちゃあ先祖に示しがつかない」
間もなく、私達はクラスを牛耳るカースト上位者に登り詰めた。
「過去を捨てて、自分を変える覚悟を持った奴だけが新しい自分に出会える。覚悟しろ」
しかしただ一人、坂田優香だけは決して賛同せず、喧しく説教をした。自分から突き放したクセに、何で私に構うのかが理解できなかった。それに何だ、ちょっと見ない間に随分と陰気臭くなりやがって。三文芝居のつもりか。そんな分際で、こんな事を吠えてきた。
「あの時の事、勘違いしないで!私は未来が嫌いになった訳じゃない。未来にわざと厳しくすれば、ここから去って別の場所で幸せになれると思っただけで……未来はこんな所にいたら勿体ないの。私には分かる。未来の為を思って友達を捨てる覚悟で必死に叫んだんだよ!私は未来の幸せを心から望んでる!だからこの際、元の未来に戻って!」
殊勝に泣き縋りやがって。分かるわぁ、涙付きで話せば許してもらえそうだもんね。
「同情乞いは気持ち悪いからごめんだわ」
あの女を見ていると昔の自分を思い出すからダメ。どこかソレと重なる。
あの女の存在は目障りで、もう既に私にとって蚊や花粉のようなものでしかない。
「そんな……未来、目を覚まして!ダメだよ!」
「私はもう戻らない!綺麗事を言うのはやめろ」
過去の自分とは決別済み。あの時なんて、無い。消した。だからあの女を消したい。坂田優香が憎い。お前のせいで――竜司に訴えた「あの女を消して欲しい」。そして付け加えた。ただ普通に消すのじゃ物足りない、みんなで協力して裏から蒸し上げ、存分に恐がらせてから消そう。何をやっても自分一人で抱え込んで四苦八苦するのがよく見える。
「そうか。ある種の懲罰だな。こういう事も必要かもしれないな」
計画は成功。これで私はやっと、生まれ変われる。完全なる【新しい私】になれるんだ。
――そう思ったのに。
――自由になれると思ったのに。
――ようやく終わったと思ったのに。
――やっと、本当に始まったと思ったのに。
――ごめんね竜司、あなたとの約束、信念を貫けなかった。悔しい。
――あなたと過ごした日々、ほんのひとときの勝者の気持ちを決して忘れません。
――愉しい時間を、ありがとう。あなたと出会えて本当の自分になれて、私、幸せだったよ。
「竜司…………………………………………………………………………愛してる」
こんな気持ち、初めて。
――ハァイ、ウジウジすんのは終わり!!そんなワケで今回も、大・成・功!!
「よっしゃああああああああああああああああああああああああ」
一筋の涙を零し、黒煙で黒く濁った空に向かって思い切り拳を突き上げる。
貯水池は再度、大きな爆風を突き上げた。旋風が稲の海を薙ぎ倒す。
赤く蜷局を巻いた炎が未来と松井を火葬し、いつまでも燃え盛っていた。
* * *
「本件のホシは高校生。それも九人から成る立派な組織犯罪ときた。おい何だこれ。我々警察が、十代の若者の手玉に取られたっていう事になる。今回の事は流石に冗談が過ぎる」
「いやしかし、あの松井まで殉職だから、相手の力量を認めざるを得ないでしょう」
「確認したい。加害者の少年らが精神疾患者だったというのは本当かね?」
「どうやら事実のようです。お手元のプリントをご覧頂けますか」
「えーっと、これか。横文字は苦手だが、モ、モノマニー?」
「はい。モノマニー。医学界で広く衝動抑制障害と呼ばれています。精神面に於ける部分的狂気の事で、ある一つの事項や興味の対象にのみ異常な行動をとるという疾患です」
「別の学者の見解では、これと同時に自己同一性に於ける成長段階で起きたとみられる一種の精神奇形を併発している……とあります」
「症例その一・人より抜きん出る事で自己の存在価値を確かめる――よく見てみ。どうしょうもなくバカバカしいじゃないか。こんなもん、役に立たんやろ」
「若人のよく言う、中二病の悪化したようなモノですな」
「チュウニビョウって何だい?ワタシには、ちと分からん」
「思春期の馬鹿げた思い過ごしの事です。腕立て伏せが30回できただけで自分は熊を倒せるんじゃないかとか思い込んだりするんですよ、子供っていうのは」
「なににせよ掴んだところで我々の手に余るさ。そんな連中、すぐ被監置に流れていく」
「あの。脱線しているようですがよろしいですか。皆さんはボーダーライン・パーソナリティってご存じでしたか。これは本来、自己破壊行動が主な症状とされます。アルコール依存、リストカット、自殺企図などが広く周知された例として挙げられます」
「だったら、一時的な自己嫌悪と絡んでいるとも考えられるんじゃ?」
「それが彼らの生前の様子を見る限り、自己嫌悪がまるで見られませんでした。この障害は本来なら自己破壊で治まる筈なのですが、今回のケースは例外です。偶然ここに何らかの圧力が加わった事で、攻撃の対象が自から他へ無理矢理すり替えられた、と考えています」
「質問です。なぜ九人は村の〝おきて〟について、これ程までに拘ったのでしょう?」
「お答え致しましょう。ここはまだハッキリと定義付ける事は出来ていないのですが――彼らをここまで堕としめた諸悪の根源――カリギュラ効果です。禁止されている事を敢えてやってしまうアレです。皆さんの中にもいらっしゃるでしょう。心当たりの有る方」
「つ、つまり」
「そう、〝おきて〟に対してこのカリギュラ効果を持つ頭の固い大人と、そこに漬け込む精神奇形の〝優秀〟な高校生たち――この〝おきて〟の存在自体が既に立派な布石なんです。これこそが実体は無いながらも彼らのフィールドそのものであり、立派な漁具なんです。予め何の苦労も無く仕掛けられた網の柄を握るだけで、勝手に魚が掛かる。その網を手繰り寄せれば獲物は全て自分の魚籠に収まる。これでいて図に乗らない訳がありません。彼らの潜在的な異常さと悪しくもそこに集った同志達に、辺鄙で珍奇極まる村の伝承、やたらと妄信的な村人、全ての塩梅が整って完璧な温床を形作ってしまったワケです」
「なんという事だ。本当に完璧に、最悪じゃないか」
「重ねてお聴き下さい。『蟹工船』という小説を御存じの方いますか。あの小説が書かれる程、なぜ蟹工船は地獄の舞台になったのかまでは御存じではないでしょう。まぁ知識としてお聞き下さればと思いますが、蟹工船とは、事実上の《工船》であって航船、つまり一般的な《航海用船舶》とはまた違った生簀の魚でした。従って、当時の航海法は適用外。となると業務を行う上での書類上の肩書きは、単純に《工場》となります。しかし蟹工船は工場法の適用からも外された無法地帯だった。とてもフィクションとしか思えないような苛烈な虐待が現実に行われたのも、こうして幾多もの悪しき偶然が重なり合って、無法地帯に仕立て上げられた為です。どうでしょう。全く同じだとは思いませんか?」
「一見すれば理不尽に殺されたように見える被害者達にもある意味で非はあった、と」
「その通り。愚か過ぎた事が罪です。冷静さが、あまりに足りないという罪です」
「いやはやぁ~驚いたぁ~……」「ひひひひひひ、うひ、うひ。お見事ですねぇひひひ」
「ひゃっ!?」「た、高橋!」「高橋刑事!」
「こら、お前は呼んでない。会議の邪魔をするな、資料室へ帰れっ」
「うっひぃ。肉体は死すとも、たぁ~ましいは生き続ける。首謀者の少年が死んだ事で安心してちゃダメダメ甘ちゃんです。納豆はおいしいですね~、この件も糸を引きますよ~ひひひひひ。ネバネバ、ネバネバネバと」「な、何を言っているのですかこの方は?」
「高橋!聞こえただろう。さっさと出て行け。早く!出ろ!ほら!」
「ひひゅうっふ、イイねぇその反応。美味しいねえ。いいか、良く聞け。物事には大小問わず連鎖反応というものが働くんだよ。関西で新幹線の窓が割れた時、東京の地下鉄の窓が割れるんだ。不幸は続く。あの村は確実に破滅する。灯天滝侍には誰も逆らえやしないんだなぁ」
「……え~、これにて本会議、お開きとさせて頂きます。本日はお集まりいただ」「ひいいいいぎひいいいいい!!あの村は滅びる!!呪いは存在する!!やがて日本経済が崩壊する氷河期が、ひひひ、ひひひっひ氷河期が訪れるぞぉ!!日本は一度、崩壊する!!」
「黙れ!いい加減にせんか高橋。おい、こいつを早く摘まみ出せ。警察にこんな人材、置いておくわけにはいかない」「ま、待て!何か言ってるぞ」
「ひっ。ひっ。ひっ。見える、聞こえる、営みの吐息。攫う、試す、次なる神々。創る、生ませる、新たな力。ひひい!」
* * *
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