12

「あ、来た来た」未来が身を潜めた病室の前を、三人の女性スタッフが通過していく。

「待って!ハァ、ハァ、これって救助袋じゃない?」

 息を切らし、一人がへなへなと立ち止まった。肥えた女性局員の指差す先には、火災などの際に使用する救助袋を収納した四角いコンテナが佇んでいる。

「あらほんと!コレ使って逃げよっか!」

 中年のメイク係が歓声を上げ、別の女性局員がペンライトで表示板を睨んでいる。

 ――アタックチャンス到来だ!未来は病室の扉を勢い良く開けると、振り向いた三人にノズルを向け、力一杯ハンドルを握った。中身が勢い良く噴き出し、強い反動を感じる。

 命の灯を鎮火!かなり劣化してはいたが、厨房にあった消火器は使用出来た。石油系火災から電気系火災まで幅広く使用出来る多用途粉末ABC消火器。これで三人の動きを封じ込めると同時に逃走経路を遮蔽し、視界が晴れた時を見計らって隠し持った牛刀で三人の喉を一突きする。径路妨害、行動抑制、戦意喪失。人質を捉える際の基本事項を全て満たしており、そこに攻撃要素が混じった極上のプラン。

「やったやった!さいこ~う!いぇいいぇい」

 小走りで二階まで飛んでいき、闇を疾走する。最初の角を右に曲がると録画ランプが点灯したカメラや明かりが点いたままの照明器具が投げ出されていた。それらをヒラリと跳び越し、一階に通じる東階段に向かう。左に曲がった途端、何かとぶつかった。尻餅をついた彼女がLEDで照らすと、茶髪の若い男性だった。白いパーカーは蜘蛛の巣や埃で汚れ、ズボンも破けた痛々しい姿をしている。

「あらあら、どうしたのかしら?こんなところで」「うっ……わぁぁ」

 男は眩しそうに目を伏せた。よく見ると股間辺りの色が濃くなっている。失禁の痕……彼がよほどの陰嚢ふぐりしか尿失禁の持ち主でない限り、寺島が気絶させた一人だろう。

「あはっ」未来は昔好きだったゲームを思い出した。誰もが知るあの赤と緑のヒゲの兄弟が活躍するゲームで、ある日、弟に豪邸が当選したという手紙が届く。喜び勇んで地図に示された場所へ赴くと、不気味な洋館に辿り着く。おそるおそる中に入るとそこには大量の『オバケ』が居た。驚いていると背中に掃除機を背負った老人が現れ、オバケを全て吸い込んでしまう。色々あって物好きなこの博士の手伝いをする事になる。そうして冒険しているとなんと絵にされた自分の兄を発見し、弟は兄を助けに向かう……。

 この男も、そのゲームの主人公と同じ気持ちかもしれない。恐怖の館にたった一人。

 オバケはいないけど、それよりももっと怖い私と会えたよね。

「ここはどこですか?」スタンガンで記憶まで飛ぶかな?と思いつつ柔和に微笑む。

「ここ?ここはねぇ、地獄よ」と綺麗な歯並びを見せる。

「ジゴクって……それじゃあ僕は死んだんですか」

「う~ん、正式にはまだ死んではいないけども、でももうすぐ死んじゃうよアナタ」

「何ですかそれ……あなただれ?顔が見えないんで……」

「あ~、ごめんなさい。ほら、これでどう?」

 下から自分の顔をライトアップすると、男は目を細めて首を前に突き出した。近眼か。

「あれ?女子高せガグッ」喉に牛刀。「ごめんなさい、時間が無いの」

 アヒル口で媚びる表情を浮かべ、もう一突き食らわせると軽やかに立ち去った。


〈集合場所の四階へ向かうまでに取材班全員を仕留めろ〉

 これが全員に課せられたノルマ。当初の計画ではそろそろ残り人数が五人以下になると想定していたが、完全な計算ミスである事がここにきて露呈する。

「ちょっと焦る必要でてきたな」未来は三階に舞い戻り、病室を一つ一つチェックして回った。助けが来るまで下手に動き回らず身を隠そうとする小賢しい輩が潜んでいる――という睨みだ。

 オモチャ鉄砲のサバイバルゲームでは、潜伏は立派な戦術かもしれない。ところがこれは本物のDead or Alive,こちらからしたら相当なカモ。ましてやここは戦場ではないので飛び道具を考慮する必要が無い分、動き回った方がリスクを抑えられる。むしろ隠れて見つかり近接戦闘、白兵戦になった方がハイリスクと言える。仕事に来て、いきなり身命を賭して闘えと言われ大立ち回りを繰り広げられる有能な人間は現代日本に存在しない。

 ズブの真人間がそこまで考えるかは疑問で、答えは限りなくNO寄りと見積もられる。

「呪いの隠れんぼし~ましょ~♪」

 気分転換に透き通った歌声を響かせた。

「見つかったなら指切って~、タッチされたら腹切って~、十数えたら首を切れ~♪」

 四号室では女が胸に千枚通しを刺されて絶命していた。

 二つ隣の六号室では首の無い男の死体が転がり、傍らで動く人影がある。

死神が、仕事中のようだ。

「殺ってるかい?腕が鳴るよね。久し振りだよ、こんなに動いたの」

 小振りな斧を提げた柿崎だ。ティッシュペーパーで顔に付着した返り血を拭いている。

 居合わせた二人は、オフィスで出会った同僚に対するのと変わらなかった。

「お疲れさま。柿ピー、あと何人ぐらい居そう?」

未来はベッドに腰掛け、同じ高校生殺人鬼に尋ねた。彼は暫し天井を仰ぐ。

「わっかんない。でも俺が見ただけでも七人ぐらいしか死んでなかったし、まだまだだと思うよ。全部で十七、八人ぐらいだったから手に余って仕方ないよね」

 柿ピーもとい柿崎は、次の試験範囲を訊かれた時のように平然とした調子で答えた。

「ふ~ん。分かった。ねえ、そろそろ四階に行かない?」

「あー、待って。まだメインメンバーが一人も死んでないらしいんだ」

「え!あの四人?」

「そう。みんなにメールで聞いたけどまだ誰もやってないって。計画、丸潰れだよ」

「どうするの?もしかしてもう四階に行っちゃってるとか?」

「それも有り得るよね。だけど四階に行けたとして建物の外には出られないと思うから、どこかに隠れてるんだと思う。こりゃ見つけて生け捕り必須だね」

 二人は六号室を後にした。


          *


 飛び出した鼬を捉え、咄嗟の急ハンドルでなんとか衝突を免れた。

「ふうー。もう少しで轢くとこだった」

 こんな山道ではよくある話。ましてこの道は半世紀も前に切り開いて以来、ずっと放置されて自然に飲み込まれつつあるので尚更だ。強いローリングで目覚めた相棒が間抜けな声を出す。

「あ。どうしました?」

「え?あ、いやいや何でもない。悪い夢やわ――そんでこういう時な、決まって良くない事が起こるねん。親父が死んでから妙に鋭い勘がついてな。あるねん何回か、ホンマ」

「それ、親父さんのご加護ですよ。守られているんですよ絶対」

「おぉ、そうか。たぶんそうやな。今回もずっとアンテナ立てっ放しやで、少し疲れたって事だわな。もう正直しんどいわ」後頭部をしきりに掻きむしる。

 基本的に心から休日を楽しむ事が出来ない職種ゆえ、余計に疲労が鬱積してくる。

「まだ寝ていていいですよ」「ん~、じゃあ寝る」

 ネクタイを緩めて腕を組み直す松井の隣で、左右へ忙しなくハンドルを捌く中谷。

 ここ夜龍峠は蛇のように激しく蛇行する難所である。運転には並々ならぬ集中力と体力を要した。カーブの切り替えしがきつく見通しも悪い故、道に刻まれたブラックマークの物語る通り過去に何台もの車が落ちている危険なポイントだ。現実に、死者も出ている。途中、細い脇道があって奥の方に風化した一軒の古民家が見える。どうやら誰も住んでいないようだが、誰かがそこからこちらを見ているような、そんな錯覚を覚えた。

 峠道も終わりに差し掛かり、些か勾配が優しくなる。直線で速度を上げようとアクセルにトウを載せた矢先、前方から踊る赤光が向かって来ている事に気付いた。そしてそれに付随して耳を劈くサイレンが鳴っていた。ほんの一時間ほど前まで一緒にいた白黒の警邏用パトカー。中谷達のレガシィが近づくと、パッシングして猛スピードで行き過ぎていく。

「なんや?」

「パトが……」

「あれ、斉藤の一〇七やないか」凄まじい勢いで坂を駆け上がっていく後姿がミラーに映っている。「何か進展があったのかも。引き返しますか?」

 中谷はゆだねるように訊いた。「そうするしかないやろ」

 中谷は脇の草地に車を突っ込むと素早く切り返し、たった今下ってきた道に再臨する。

「ほら、やっぱり儂の勘が当たったでこれ」

 松井は緩めたばかりのネクタイを締め直し、姿勢を正すとマイクを掴んだ。

📣 儂らも援護につく。奮って取っかかってくれ 📣

 車載スピーカーで部下に呼び掛けると、クラクションで返事が返ってきた。

「いざ臨場や。再臨場。赤灯出すか」松井の音頭で赤色灯とサイレンが機動する。二台は鶏冠を立てた雄鳥のように猛然と九十九折を駆け抜けていく。


          *


「早く、急いで!」竜水は四階に踏み入り、一度大きく深呼吸をした。背後を顧みると、アイドル二人が踊り場でバテている。もう限界も近い。「はぁ、はぁ……ちょっと、少し休もうよぅ」

 喘ぎ喘ぎ、吉野がその場にしゃがみ込んでしまう。小柄なマネージャー――木村という――が駆け寄り、背を向けて膝を突いた。「さぁ乗って」「あ、ありがとございます……」

 汗濡れの細い身体がしだれ掛かる。竜水も気力を振り絞って段棟田を背負うと、やっとこさ階段を上りきった。目の前には暗黒色の殺風景な廊下が渺獏と広がる。

「それで、どうしますか?」木村は吉野を降ろしつつ現実に向き合う。

「下手に動き回ると、それはそれで危ないですね。ここにいれば何かあったら下にもすぐに行ける。僕としてはとりあえずここに留まりたいところです」「賢明ですな」

「あ、あの。僕、出口が無いか見てきますよ」頼んでもいないのに、右腕の出血が激しい男性局員が名乗りを上げる。シャツの袖を千切って止血帯にしているがそれで充分ではなく、どくどくと血が滴り落ちている。「大山さんだけ行かせる訳にはいきません。僕も協力します」

 髪型と服装の乱れた黒沢も勇を鼓した。竜水は止めず、こくと頷く。

「十分に注意して。相手は複数いるからね。多勢に無勢、ですよ」

「はい。竜水先生、木村さん、アイドルの二人を頼みますね」

 そう言い残し、黒沢と大山というスタッフは禍々しい廊下に溶け込んでいく。竜水はこの後どうすべきか自問する。信じるに値するは己の勘と勇気、そしていつかは尽きる生存本能。


「何かに使われてたのかな。やけに綺麗じゃないか」

「地元の宗教団体か、子供達が秘密基地として管理していたかもしれないですね」

 廊下を進み、まず向かい側の窓を調べてみた。救助に使う器具が有る筈だが――。

「あっ」的中。数m先の窓から縄ばしごが垂れ下がっている!

 大山が藁にも縋る思いで覗き込むと、縄は途中で切れて涼やかに風に舞っていた。

「クソッタレがっ!」思わずサッシを殴る。そこを直進すると、業務用のエレベーターが現れた。ボタンを押しても、動く事はない。

「西田さんは電話に出ないし。いったい、どうなっているんですかね」

 黒沢がスマホの液晶に向かって細く呻く。突然、血色の悪い顔をこちらに向けた。

「……まさか西田さんも殺されたんじゃ……」

「この状況だ、無いとは言い切れんでしょうな」

「もう残っているのは僕らだけかも……なんて」

「何言ってるんですか。不吉な事を言うのはよして下さい。なんとしてもここから出るんですよ。今はそれ以外の事を考える必要性が無いでしょう」

「……すみません」

 少し気の凪いだ黒沢は、頭を垂れた。 

「……あれ」廊下の突き当たりに硝子張りの待合室のような部屋がある事に気付いた。

「あ?ちょっと黒沢さん?」

 駆け寄って覗き込んで見ると、窓が開け放たれている。

「ここほら窓が、窓が開いてる!」「うそだ、まさかここから!?」

 二人は転がるように部屋へ押し入り、下界を覗き込む。

「暗くてよく見えないな」

 色めきたった大山がペンライトを取り出した。

       

 ――まんまと掛かった二匹の阿呆。獲物が網に掛かった瞬間の蜘蛛って、こんな気持ちなんだろーな。ウキウキ、ハピハピ。何も知らずに必死になっているところがもう可笑しすぎて、笑いを堪えるの大変。顔面がマッチョになりそう。

 希望を前にして、背後に気を使う余裕なんてあると思う?NOだよね~(笑)

 うへ、いただきま~す――!

          

 鈍い音と共に大山が倒れ掛かってきた。「うわ、なななな何?何!?えーっ!?」

 そのままサンドバックのように無雑作に頽れる。次の瞬間、視界の端を影が横切る。

 おそるおそる目線を移すと傍らに、すぐ隣に、ぼんやりと何かが映る。いや。何かがそこに〝居る〟。少なくとも物ではない。ライトで照らすと、女が花柄の花瓶を振り上げて佇んでいた。まともに視線がかち合う。

「ふひゅ、ふへへへへへ、へへぇ」

 女は口元を釣り上げ、不敵に笑う。楽しくて嬉しくて堪らない!とでも言いた気な喜色満面の哄笑が、水晶体を割って網膜を焼き焦がせる。

「う…………………………うっわああああああああああああああああああああああ」

           

 黒沢リポーターはありったけの声を張り上げた。日頃から発声練習をしているだけあって、声量は抜群だ。が、美幸の振り下ろす花瓶で頭を割られ、それが遺言となった。残念な事に彼のキャリアで最も面白いであろうシーンは放送されず恒久のお蔵入りとなってしまった。

「はぁ、はぁ……あぁ気持ちイイ……最高」

 ――グロいのはちょっとイヤだけど、人を壊すのは好き。殺すのじゃなくて壊す方ね。なんか、人間って精密じゃん?繊細じゃん?そんな神秘的な人間を壊しちゃうのって、がんばって咲いた桜の花が散っちゃうように、美しかったモノが散りゆく刹那の切なさ――

「ごっちそっさま~。きゃはっ」

 彼女は乱れた髪を直すと、官能的な雌の香りを残して立ち去った。

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