畳の香ばしさ漂う武道場へ詰め掛けた、エリートたち。

その輪の中心では、ヘリコプターの風切り音に負けぬよう翼が雄弁を奮っている。

「昨日聞いた話じゃがな、来週の土曜にテレビの取材が来るらしい。心霊番組のロケ?とかなんとかで」彼はひどく興奮気味だ。雑誌記者の父親から盗んだ話だろう。

「またテレビ?先月も来てたぞ。おいおい呆れるぜ」

「お祖父ちゃんが言ってたけど、村長が断れないらしいよ。何かね、そこまでしないと、もう村の財政がおかしくて経費じゃとても回って行かないんだってさ」

 美幸は達也にもらったハイチューを口に含みながら、恋人の愚痴に蝋を塗る。

「経費って」と、後ろから小さく嘲笑が起きた。「そりゃそうだろうな。で、ロケ地どこよ?」

「御神山総合病院ってあるじゃろ。あそこに連中が来るそうじゃから、景気づけにちょっくら狩ってやろうと思ってな。ま~もちろん願ったり叶ったりする訳じゃ、なあ?」

 首領ドンに目配せを。「~という事でよろしく。もちろんお前らの協力が無いと成り立たないから、よろしく頼む。寺島とか柿崎、他にも俺やりたいってのがあったら好きな所に名前な。あ、女子も大歓迎」と低い声で言って、仕事の内訳を書いた紙とボールペンを畳の上に置いた。するとたちまち、甘い物に蟻が集るようになった。

 竜司は微かな笑みを噛み殺して立ち上がると、ある生徒を呼びつけた。「辻方、ちょっといいか」修の背に圧し掛かって紙を覗き込んでいた丸顔坊主の大男が、のしのしと集合する。柳眉の下に光る双眸は虎のように鋭く、恰幅の良さは格闘家を彷彿とさせる。「うい。どしたェ」

 辻方つじかたじゅんはずんぐりと太い肩をひょいと持ち上げた。柔道部所属の暴君で、暴走族やその類とも関わりを持ち〝恫刃どうじん〟なる用の源氏名まで背負っている。猖獗極める地元暴走族【沙羅慢堕サラマンダー】の副総長だ。

「今回も運転を頼みたい。車動かせるのはあんたと達也しかいないんだ。副長ともなればいろいろ忙しいと思うけど、どうしてもあんたの協力を仰ぎたい」

 流石の竜司とて、ヤクザの組長が若返ったような男に雍容と頼む事は躊躇われる。味方に付ければ頼もしいが、飼い慣らすのはシクリッドの繁殖より難有りだ。

「へえへえ。トラクターで行きゃええかや?」

 辻方は薄らと生えた口髭を擦りながら竜司を上から下へ、目で舐め回した。

「いや、基地に集合して、達也と一緒にあの小さいトラックでランデブー」

「へっへ、何じゃいそらぁ。オェが行く意味は何じゃえ」

 注文を付けると機嫌を損ねて胸を膨らませる。慌てず、暴虎を鎮めるべく慎重に語句を拾う。

「待て、初めは慎重にやりたいんだよ。この下拵えがないと全部駄目になるから、妥協もしたくない。ともかく達也をサポートして欲しい。その後でちゃんとビックな仕事もしてもらうから。お膳立てという事で」「ほう」

 三白眼を更に上目遣いしていたが、ビックな仕事、という言葉に眉を弾ませた。どうやらお気に召したらしい。獰猛な無頼漢とあって彼の参入に抵抗を感じる者もいたが、猛獣と同じで手懐ければそれだけ立派な戦力になる。――一度この男の箱庭にお邪魔できたら柵の高さと同じだけの兄弟愛を享受出来る。この美味い汁を吸わない手は無い――使えるものはなんでも使え。目的達成の為に手段を選ぶな。竜司は最近【君主論】の著者として知られる政治思想家ニッコロ・マキャベリのズルさを活かした戦略思考法【マキャベリズム】を取り巻きに薦める事を始めた。「……うし。任せとけェ」「流石だな。ありがとう」

 Good job. 暴虎は熟慮の末、遂に腹を見せた。竜司は満足気に辻方の肩を叩き、武道場を後にした。予鈴と共に掃除が始まる。整備委員の美幸はゴミ処理場で他の委員やペアの修、生徒指導の教員らと共にペットボトルの分別に従事する。

「おい須藤、シャツをズボンに入れろ。何回言われたら気ィつけるねん、このアホ」

 千種という若い教員がげんこつを落とす。

 ――私の修に何してくれてんの――

 目線を戻すと、持っていたペットボトルを握り潰していた。美幸は細身でショートカットの似合うアイドル然とした少女だ。風采は爽やかで活発な印象だが、その実は負けん気が強く、独特の世界観を持つ。それは個性の壁を越え、しばしば外界へ顔を出した。

 皆で団欒していて、その話題に入れない。皆が誰かを的にして冗談を言っても、それに同調して笑えない。そんな事から彼女自身、寂寞とした疎外感を感じる事があった。心の螺子が閉まらぬ日々。そんな中での修、そして竜司達との出会いは彼女にとって人生観のみならず人生そのものをも変える、千載一遇の大事変だった。

 本校は校則が厳しい事で名高い。私立でも工業高校でもないのに、授業中は上履きを脱がない、教室以外での飲食禁止、授業中に寝たら反省文など一般的なものに始まり、教師に会ったら頭を四十五度下げて挨拶(新学期初頭に挨拶指導があり、腰に分度器を当てられる)、オートバイ・原付免許取得禁止、恋愛禁止、テスト期間は外出禁止など、理解不能且つ摩訶不思議な校則が跳梁跋扈する。さらに各学期初頭には「自転車点検」「頭髪服装検査」から抜き打ちの「所持品検査」まで開催、これがまた節度を弁えぬ厳しさの為、他校からは少年院だの軍隊学校だのと揶揄される始末。こんなだから校則(拘束)を苦に退学する者も年に四人くらい出てくる。御神山高校では校則が学校の七不思議の一つとして扱われる。それには然るべき理屈が用意され、教育委員会からの指示で校則をわざと厳しくし、生徒達がどれだけそれに耐えられるかを実験している……のだとか。

「一体どこの惚けが言ったのかな。自虐的ネタとしてOB連中の酒の肴になってる。いやー、僕も苦労したなぁ。友達に高い金渡して無修正のエロ本を買い付けてもらったのに、あとちょっとの所で生指セイシに取り上げられてさぁ。……あれ、ヤッちゃんはあんまりそういうの興味無いか?すまんな~、エロおやじで。ふにゅははは」缶コーヒー片手に豪語するチーフの横で、菰田は冷たい作り笑いを浮かべた。

(つまんね)

          

 夕方、居間でニュースを見ていた母親が「ちょっと、この人ってアンタの学校の?」と頓狂な声を上げた。「あぁ、そう。昨日の朝に頭が見つかっとる。今更?」

「あら、そうなん。全然気が付かんかったわ。昨日は新聞を読んでないし。それにしても怖いわねぇ、バラバラなんて。いったいどうなってんのかねぇ、このご時世は」

 母親の律子はリズム良く野菜を刻みながら肩を竦めた。彼女は以前から引っ越しを所望している。しかしここに持ち家がある以上、そう簡単にいかない。

「ここも昔はええ所やったのに。可愛そうな話やな。村自体は何も悪くないのに」

 下はトランクス、上は肌着のタンクトップという出で立ちの博之が現れた。頑丈な息子とは対照的な容姿を持ち、痩せ形で髪も薄い。液晶には第四交差点の鳥瞰映像が流れている。昼間にヘリコプターが群れをなしていたが、成程この為だったのか。

📣 亡くなった藤原さんは先月三十一日午前九時二十分ごろ、事故発生現場からおよそ五キロメートル離れた村民センターにある焼却炉の中から―― 📣

 画面一杯に見慣れた顔写真が映し出される。脂っぽいシーラカンスみたいだ。あのキモイ面、やかましい濁声、そして加齢臭ともオサラバ。至って涼しい顔で液晶を眺めるのみだ。そして淡々と、沸々と感じている。自分はとんでもない方向へ舵を切ってしまった――と。

 遂に安全海域を越え、重い鉄格子を破った理性たちの見境の無い暴走スタンピードが始まった。

 しかしそれは、全身が震えるほどの快感を伴う。まるで自分達がこの世を動かしているような、何とも名状し難い高揚感。――順番があるんだ。痛みの後に快楽が奔る。逆を言えば、気持ちの良い体験をしたいのならそれ相応の痛みを我慢する事も必要って訳。逆説的に考えると、欲しいものは意外と手に入り易くなるんだよ――

これは、あの日の奴の言葉。ワシが作戦への参加を決意した日。

 ――その日は一年の二学期を纏める学期末テスト最終日という事で時間・精神共に余裕があり、新しい事を始めるに丁度良い日だった。しかも確か一粒万倍日だった。七月の快晴の下、汗の浸み込んだシャツの上からアクエリアスのボトルを押し当て、米穀店前のベンチでへばっていた。

「あっつい。なんじゃこれ。照り焼きになるわ」

 ここは米やちょっとした農薬を扱う店だが、駄菓子屋も兼ねているので子供がひっきりなしに訪れる。今日もランドセルを背負った子らが小銭を握り締め押し寄せている。彼のすぐ隣にある雪印の冷凍庫内は種々のアイスクリームが詰め込まれ、子供らの足を止めている。先に駄菓子に金を費やしてアイスが買えない子供は、冷凍庫の縁に付いた氷柱状の氷を削り取って食べていた。背後でガサッと何かをおろす音。「あら、あんた。こんに暑いのに何しとん。早ようち帰りいな」野良着姿で現れたのは、ここの店主の奥方だ。

「待ち合わせしとんじゃ。暑苦しいで、ほっとけ」

 複雑な折り目のついた社会科のノートを取り出し、ばっさばっさと扇ぐ。

「ふうーん。こんなとこでデートなんて、粋なんだか酔狂なんだか」

「女とちゃう。ええからほっとけ」

 威勢よく言ったはいいものの、翼は自分の彼女を想起して、あれ、と思った。なぜ自分があんな可愛らしい女の子の彼氏になんてなったのか。どう考えても不釣合いな気がしないでもない。そもそも馴れ初めは何だった?……クラスのカラオケ大会だったか。それとも球技大会の祝勝会だったか。付き合おうと言ったのはワシだったかあれだったか……ここへ来て、自分らの関係が何だかがらんどうに思えてきた。「あ。そういやあんた金魚いらんか?この前よーけ産まれてさ。置いとく所が無いで、何匹かもらってってよ」「いらん」

 丁度そこへ、小さい女の子がガリガリ君を持ってきて「これちょーだい」と五百円玉を差し出した。奥方は猫を撫でるようにレジへ向かう。「あー。早く来すぎた。くそう」日陰ながら、空から降り注ぐ太陽光と湧き上がる地熱にやられる。クラクションが二、三回鳴らされ、煙草の自販機の陰からおんぼろトラックが現れた。店を少し過ぎた所で停まり、貧相な小男が現れた。道に痰を吐いてから煙草を買い、落とした十円玉に舌打ちして車に戻ると走り去った。

「多田村さんやね」「誰やねんあの汚ねえオッサン」

 会計を済ませた奥方が渋顔で立つ。追い払うのも面倒に感じ、不承不承に相手をする。

「沼田さんの隣の電器屋さ。いつも不愛想やけど、何がそこまで気に入らんのかねえ」

 沼田とは達也の家だろうと咀嚼し、未だ村の人間関係を掴めない事をもどかしく思う。当時は達也と同じクラスではあったが交流は無く、薄気味悪い奴としてしか認識していなかった。なぜなら、同級生らがプレイボーイを読んで興奮しているなか、達也だけは無料の中古車情報誌を眺めて股間にテントを張っていたのだから。

「んなもん知るかいな。というかあのオッサン、向こうに何の用事があるんじゃ」

 トラックが走って来た方向は人が住んでいない。廃墟群の広がる村の端っこだ。

 奥方は少し考えこまさってから「あたしも知らんがね」と匙を投げてきた。

それから「そうえばさ、ここによく来るおデブの栗頭」とナゾナゾまで投擲。

「あいつが、どうした」何も無くとも、誰の事だかすぐ分かる。

「あん子、高校生のくせにここで煙草買っていくから止めたりいな。あんた、ああいう柄の悪い子ぉらどうせみ~んな友達やろ?ダチの為にも不摂生は止めたり。学生時代のダチ言うたら生涯の宝やからさ。活かすも殺すもあんた次第やで」「ふあ、知るかいそんなん」

 どこぞで耳にしたレゲエの歌詞みたいだ、欠伸で返事を濁す。

「何さそれ。やる気も覇気も無い。ここに越してきたばっかの頃のあんたなんか、もっと溌剌として可愛らしかったのに。何時の間にこんな呑んだくれた牛みたいに」

「あーもううるっさいなあ、ええ加減にせえ。そろそろ水撒けよここ、暑すぎるねん」

 翼がうんざりして顔を背けた時、風鈴の音に交って軽い音が流れて来た。

「神原」呼び声に振り向くと、自転車を押した待ち人が佇んでいた。

「おおお、待っとったぞ。行こうか」

 ようやく腰を上げた彼の背中に威勢のいい声が刺さる。

「あんた、そおえば長ネギとかいらん?今朝ようけ採れて」「いらぁん」


 二人はそのままトラックが来た道を自転車で五分ほど走り、一軒の廃屋へ踏み込んだ。

 かつては団欒灯篭を拝みに来る観光客を相手にした割烹旅館だった為、厨房の道具から客室の旧式テレビからが全て残されている。因みにこの旅館、高地にあるにも関わらず魚介類を提供している事でもてはやされたが、九年前に鯛の刺身で食中毒を出してしまい、あえなく閉館となった。その頃もう既に採算がとれなくなっており、閉館の僅か三日後に経営者夫妻が倉庫で練炭自殺をしたという相当な曰くつき物件だ。そんな場所でも何の抵抗も感じない二人は、管理人室に土足で踏み入る。翼はアクエリアスをラッパ飲みし、相手は水筒をちょこちょこと傾けて嘗めるように飲んだ。埃を払い、まだ使える高級椅子に大きく股を開いて腰掛ける。

「さて。それで。お前が今日俺に話を吹っ掛けたのはどういう事だ、どうしてここへ来た?お前は俺に、?応えてみろ。翼、だったな。ほら」

 ベンチャー企業の社長が事業内容を説明するように、顔の前で手を組んだ。

「……ワシは……ワシは、お前みたいに面白い事をしたい。何の諂いも無い、本心や」

「翼。お前から見て俺がやっている事は、面白く見えるのか」

「あぁ。面白くて、遣り甲斐もあって、それに有意義で、なんというか、とんでもなく格好いい。とまあ、一応そう思っとるんじゃが」

「ふんふん……じゃあ、何で俺の作戦に面白いだとか格好いいだとかの?俺は別に、初めからあ~格好良くなろ、あ~面白そう、と思ってやった訳じゃない。そこを勘違いされちゃあ俺も泣くよ。俺はただ自分の感情が赴くまま、自分の欲求や衝迫が叫ぶままにそれを行動に移しただけ。本当の理由なんて言葉に出来ないの。だから今すぐ、この場で決めろ。そんな目先の戯言しか自分の人生に書けないくらいなら去れ。そんなぺーぺーの俄、お呼びじゃねぇ」

 吐き出すようにひとくさり言ってから、水筒の中身をくいっくいっとやる。

 翼は荒い学生ズボンの生地にしきりに掌を擦り付けながら、呼吸に困っていた。

 空気が悪いのではない。物理的ではなく、心理的に窒息しそうなのだ。

「……ワシは、甘かった。すまんかった、気安く声を掛けてしまって。青かったな」

「くっくくっ!オイお前、冗談だろ?」「え……!?」

 すっかり去勢された翼は、垂れた頭を引き上げる。

「ふふっ。適正検査で引っ掛かりやがって。初めてだよ、こんな奴。俺もまだまだオーラが無いな。あのな、気持ちは分かる。同志として仲間になりたいなら来い。入れてやるから」

「え!?な……ん?本当かい!?」素直に喜ぶべきかどうかわからなかった。

「あぁ。お前も、これだけは顔に書いてあるもんな」

「な、何がじゃ」

「思ったんだろ。このままじゃ自分の人生を生きられない、って。今の延長線上に、自分の望む未来は無いんだろ、見えたんだろ。先の自分が、少しだけでもさ」

 彼の目が光る。「あぁ、その通り、まさしくそうじゃ!」

「うん、素質はある。イイよ、ついて来い。俺がお前を磨いて光を出してやるから。孰れ分かるよ。俺が言いたい事、思っている事がさ」

「そうか。あんた、凄いんだな。思った以上じゃ」

「なに、お前もすぐにこうなれるさ。順番があるんだ。痛みの後に快楽が奔る。逆を言えば気持ちの良い体験をしたいのなら、それ相応の痛みを我慢する事も必要って訳。逆説的に考えると、欲しいものは意外と手に入り易くなるんだよ」

 彼は翼の肩を激励でもするように強めに叩き、歓迎した。


 そうして気が付くと、すっかり作戦の虜になった自分がいる。ワシらは最強かもしれん。翼は風呂に入り、湯の中で暫し回想に耽った。四月二十九日、竜司らと別れた後、まず小春を家に送り届けた。ギターの練習をすると言う彼女におやすみを告げ、彼女に借りた原付を駆る。

「寺島、柿崎!久し振りじゃな~」

「翼くん、あいかわらずいい筋肉ねえ」「おう、神原。おつかれ」

 寺島てらしま駿平しゅんぺい柿崎かきざき諒太りょうた。翼の二の腕をツン、と突いた寺島はコレと言って目立つ事は無く、いつもグループにくっついている。キャラ作りではない、真性のオネエ言葉を話す子だ。一方で柿崎は朴訥とした男だ。見てくれも違い、寺島が地味なキノコ頭な一方で柿崎は面長に分厚い唇のノッポ。竜司だけが知っている事だが、この二人はゲイでカップルが成立している。他の誰もその関係に気付かないのは、生まれ持った地味という才能が幸を奏した結果か。

 時刻は午後九時三十分を過ぎた頃。

「遅かったなー。おかしな事になってねーだろーな?」

 修が溜息に台詞を付けたように切り出す。それはなんとなく無視しておいた。

「小春ちゃん襲ってたのか?え?お?」美幸が冷やかす。翼は頬を赤らめ、

「ち、違うわ。あれライブが近いってんで、家に帰したった」と即答した。

「んだよー。みんなでやらなきゃ面白くないじゃーんっ」

 躁状態の修が森に向かってドラ声をぶつける。大きな鉄扉に凭れ掛かり、微笑を湛えて見守っていた一人がいつまでも喋っている皆にしびれを切らした。

「もしもーし、早くした方がいいよ~。さっさとしないと、死後硬直してきちゃうよ~」

「お、いけねぇ」「達也の言う通り」

 どうも絡みづらい雰囲気を称える沼田達也――不良やヤンキーとはまた違う。関わると全く痛痒の無いうちに引き込まれ血を抜かれる――そのような、を抱かせるのだ。達也はこのメンバーの中では竜司の次に沈着冷静ではある。意外と自己中心的、残酷な事を好むという強烈な欠点がありながら根はしっかりしており、なぜこのグループにいるのか不思議に思う者もいた。

 重い鉄門が開かれた。淡黄色の電灯に浮かぶ空間は初見では老朽化したただの倉庫に過ぎない。だがよく目を凝らせば、そこに並ぶ品々の放つ狂気は肉眼でも見て取れる。まず目に入るのが、酷く錆びついてフロントが拉げた青い三代目日野・レンジャー。ヘッドライトは片方しか点灯せず、荷台あおりの側面には【松尾建材店(自家用)】の屋号が入っている。その隣には右側面が大破したピックアップトラックが駐車する。日産・ダットサンの十代目D22型シングルキャブ。達也が推しているコラムシフトタイプだ。商用車らしく白地にウレタンバンパースタイル。変形した運転席   

ドアは閉まらず、荷台側面は板金が捲れて懸架装置や車輪が向き出しだ。

「おい達也」ダットサンの車体を舐めている子猫の頭を軽く叩く。「いてて」

「お前一体なにやってる」

「だって、こうしたら錆びが進行しなくなるかと思って……それに痛そうでかわいそうだなあって思ったから」「……ああ、もう好きにしてろ」

 こってりと薄暗い倉庫の隅で血の付いたブルーシートの包みと錆びた鋸、電動ヤスリが異様な存在感を放っていた。「じゃあ、始めようか」竜司は粛然と開会を告げた。達也は機転を利かせ、女性陣を強引に退場させにかかる。

「大丈夫だよ、死体なんて怖くないもん!男子だけイイとこ取りはずるい!」

 美幸が甘くない声で反駁する。何かというと変な気遣いのようなおせっかいをされる。

「だめだめだめ~。君達には作戦の綺麗な所だけを見ていて欲しいんだから。汚れ仕事はボク達がやっておくから」達也は切れ長の目を細めてニッコリと微笑んでみせる。

「汚れ仕事って、嘘つき!一番おいしい仕事じゃんか!」

 美幸の反論に達也は一瞬真顔になり、また微笑む。

「女の子は顔が汚れてもお化粧で誤魔化せるけど、心が汚れたら上塗り効かないからね」

「いやいや、半分あってて半分違う!確かにメンヘラ女子怖いけども!」

「ボクはむしろ、君らみたいな美人の方が怖いな。ボクの事をパックリ食べちゃいそう」

「美人とかウケるんですけど」

「君たちの事も舐めてあげようか?優し~く舐めてあげるから安心して」

「えぇ、なにそれ、あ、ちょっと!」「きぃ~み達の事がぁ~怖ぁ~い怖い」「ちょっ!」最後は強引に閉め出してしまった。現実的に、これからの作業は女子が召すようなカットソーやチュニックでは無理がある。「それじゃ門番さん、よろしくね~」「おっけい。なるべく早くね」

 寺島と柿崎はいつも見張り等の補佐役が板に付いている。今回も例外ではない。この二人、いまいち存在感に欠けるが、粛々と仕事をこなす二人は縁の下の力持ち的な人材だ。誰も彼もがあまり個性的過ぎても空中分解してしまう。彼らのような接着剤は太古より組織に不可欠だ。 


 とりあえず、四人掛かりで遺体を解体する事にした。しかし解体といっても、そんじょそこらのありふれたバラバラ死体にするつもりは毛頭ない。

「コレは目的じゃなくて手段だ。ニュースで聞くようにただ感情に任せてやると穢らわしい。そんな事は愉快犯のやる事で品性が無くて下品だろ。どうせするなら美しく飾り付けて差し上げる。それが最高の供養にもなるし」

 竜司はダットサンのボンネットに腰掛け、皆を焚き付けた。

「狙いは、あたかも野犬やイノシシとかの野生動物に食い荒らされたような半・バラバラ状態な。半・バラバラ、ここが肝心。無教養な模倣犯らは過去の有名な事件をそっくりそのまま二番煎じして刃物で切り分けるだろ。これは食べ物と調理器具に対する暴挙だぞ。お前らには絶対に真似してほしくない」

 雨合羽とゴム手袋、マスクを装着する。違法やみの外科手術が始まるようだ――四人は遺体の載った整理台を囲む――中世の拷問室か、宗教的な降霊術のようだ。右の足首を鋸で切り落とし、次に電動ヤスリで表面を粗削りし、何かに齧られたようなビジュアルを造る。

「作品だぞ。ちゃんと美しくやれよ。おまえ、それはザツい」

 雨合羽を着て正解だ。案の定、肉片や血液がそこら中に飛び散る。もうとっくに事切れている筈だが、ふとした瞬間に眠っている時のように体のどこかが動いたりする。

「べふっ。まだ死にたくないってグズってる。あーまた動いた。可愛い」

 合羽のフードの奥で、達也の目は半月型に歪む。「次は左の脹脛を抉って」竜司はヤスリ係の翼に編み込むように指示をする。削る対象を変えれば、そのまま大工や木材屋の仕事風景なのに、材料一つでここまでビジュアルが変わるとは、面白い。

「服は背中の端らへんを少し擦り減らしておくと、引きずられた感が出るよ」

「野良犬くらいなら、ベルトも食い千切るよな」

「腹とかも切った方がいい?臓物食われちゃいました的な」

「うん、下腹部を開いてちょっと掻き乱してやってよ」

 電動ヤスリはドロドロとした脂肪を前方に飛ばし、やがて きぃぃぃぃぃん という音と硬い感触がして白い粉塵が上がった。骨に到達した。歯医者が詰め物の噛み合わせを調整するように、ちょっと押し当てては離し、スイッチを入れたり切ったりして速度を調整しながらまた削る、という気取ったマネをする余裕も出始めた。「お、うまいうまい」

 四人は淡々と作業を進めていく。そこに恐怖心は全く無かった。ただ自分に与えられた役割をこなしている、不思議な自信と喜びに満たされていた。

 ――紀元前ギリシャの哲学者、アリストテレスは【国家】に於いて人間とは[zoon politikan (政治的な動物である)]と述べた。人間という動物は、単に群がって社会を形成しているという訳ではない。人間は自己の欲求が満たされる事を本意に努力しつつ、ポリス的共同体、つまり 〝善く生きる事〟を目指す人同士の集団を形成する事で完成に至るという独特の特性を持つ。つまり陳腐な表現では「人間は社会的な動物だと言え、自分の所属する組織への貢献こそが最大の意義であり喜びである」と纏められる。彼らにとって、組織への貢献=作戦へ精を出す事という形で見事に具現化されているのだ。


 遺体の解体が終わると、車にさっきまで藤原貴生だった物を積み、出立の準備をする。

 かかりの悪いエンジンは二、三回クランキングしてようやく重い腰を上げた。

「みんなお疲れ。あとは俺達がやっとく。今日のところはここでお開きな」

 竜司は助手席に乗り込み、達也と共に颯爽と走り去る。「さて、仕舞いとしますか」残された翼と修は血糊のこびり付いた道具や合羽を、ポリタンクに溜めた雨水で洗い流し、床に付着した肉片や血も濯いだ。こんな昼休みの掃除程度の隠蔽工作でルミノール検査を掻い潜れる筈はないが、ココを警察が調べるだろうという考えは微塵も無かった。扉にゴツい南京錠を引っ掛けると、待たせていた面々と夜のしじまに掻き消えた。


 ――翼は湯船の中で目覚めた。気付かぬ内に微睡んでいた。

 実体験にも関わらず、こうして思い出していくと夢語りとしか思えない。

 風呂から上がり、部屋でもう一度大まかな場面だけ思い返してみる。彼は獰猛で攻撃的な反面、自分が拘りを持つ事項に関しては極端に神経質という偏屈キャラだ。一年生のとき、国語教師から「夏目漱石の【こころ】って知ってるか?あれに出て来るKって奴にそっくり」と揶揄われた。ぶっきらぼうに見えて吝嗇家な一面もあり、自分の事は専ら自分でやりたい派。そして自分の行動には一切の無駄を生じたくない性分である。絶対に何らかの成果や意義が伴わないと気に食わない。学校の成績が悪いのも、自分には勉強は必要ないと思いレバレッジを掛けていないからだ。彼はそんな自分の性格を分析し、受け入れ『高貴なる吝嗇』という愚案に落ち着いている。SWOT分析もSPI検査も不要だとささやかな自慢だ。誰にも言わないが。

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