そして迎えた二十九日、二人は放課後の学校に忍び込み、教諭の車に細工をした。

 物陰に潜むこと約二十分。何も知らない藤原教諭が現れた。小春が工具を取り落としてしまい、危うく気付かれそうになるというハプニングもあったが、無事に切り抜けた。車が出発後、二人は学校を抜けて廃業した三島薬局に停めた小春のホンダ・ジョーカーに彼女が運転手ドライバー、翼が攻撃手アタッカーとして乗り込み車を追う。一方の修は学校から三百メートル地点にある中村書店にて、クラスメイト二人とバイクで乗り付け教諭を待つ。車がT字路を右折し、第四交差点に向かうのを確認したら尻に付け、ひたすら煽るという段取り。

「いいか。この時に絶対に吹かし過ぎるな。あくまで静かに」

 ――とは、プロデューサーの御託宣である。修は頭ごなしに楽勝だと意気込んでいたのだが、思いの他手間取った。さすが強情な頑固オヤジ、二輪で尻を叩くぐらいでは動じなかったのだ。

 翼と小春が応援に加わる。そこで恐怖に駆られた教諭は、アクセル全開で遁走――これこそが竜司の狙いであり、そして全くその通りに事は運んだ。秘密兵器であるベルトを路上に投げる。農業用の鍬の先端やチェーンソーの刃を側溝の蓋に上向きに溶接したな代物で、学校近くの廃倉庫から材料を失敬し、達也が電気溶接して作った。これにロープを結び、車が踏んだらさっと引く仕掛け。裏面には木の板を固定し、アスファルトに痕跡を残さない。海外の一部では、逃走車両の進路を先読みしスパイクベルトなる棘の付いたベルトを設置し車を走行不能にする手段がある。それが元ネタだ。

「タイヤさえ潰せば、車は翼を捥がれた鳥だから。他愛無くなっちゃうんだよ」

 まんまと作戦に引っ掛かった車を転がす為には物理的に車体のバランスを崩し、何かにぶつける衝撃で以て脳筋手法でやるしかない。当初は縁石に導くため車の前に誰かを飛び出させる筋書きだったが、操蛇の利かない鉄塊は文字通り走る凶器、よってボツ。路上に何か置く事も考えたが、車をひっくり返す程の物は思いつく限り人力では運べないのでボツ。ここで一番悩んだ。何せ、ここでしくじれば教諭は無傷で助かってしまう上、村には破天荒で凶暴な暴走族がいると報道され一番味気ないエンディングを迎えてしまう。

「それなら生贄を差し出せばイイよ!」快活な声は、皆の注目を覿面に集めた。

「「「いけにえ?」」」達也は何食わぬ、というよりむしろ嬉々として恐ろしい事を口走る。

「そーそー。何か欲しいモノがあるなら、それを手に入れる為に相応の代償は覚悟しておかなきゃね。そのリスクが怖いならもうスパンッ!と諦めちゃおうよ。これが本当のリスク・マネジメントじゃないかなってボク思う」

「御尤もじゃろ。いい加減血も流せんクセに薔薇の花が欲しいなんて、図々しいにも程があるってもんじゃからな。虎穴に入らずんば虎児を得ず、ってな」

 翼が腕を組んで、そこに太い血管を一筋浮かせながら首肯する。

「えっへへへへ。例えがまた翼君らしいよねぇ」

「そ、それぁ根性論ってやつね……で、生贄って?人はダメだぞ、念の為に言うけど」

 修はやけに及び腰で食い下がる。達也は無邪気な笑い声を洩らした。

「そんな怖がらなくてもいいよ。大丈夫。いってもらうのはボクのもう一つの身体」

「「「もう一つの身体?」」」

 ――丸目四灯の古いトラック。

 去年の八月三日、四回目の作戦で狩った二台の車。その片方が、一九八五年式二代目日野・レンジャー、汎用の中型トラックだ。事故でフロントは大破したが自走出来たので鹵獲、保管している。修繕は達也が引き受けたが、車庫を探す必要があった。いくら村人に見つかる前に回収したとはいえ、この姿だ。秘匿必須。なんの事はない。廃屋だらけのこの村で使える場所は余り有る。級友に大規模な白菜農家の息子がおり、今は使われていない農具倉庫を内緒で使わせてくれる運びとなった。こんな旨い話はない!そこを根城とし、トラックを引きずり出して身投げさせる。「ボクにとって車っていうのはもう一つの身体なんだよね。だからボクは身を挺して作戦に協力する事になる。神風だね。えっへへぇ、カッコイイでしょ。これが成功したらボクは英雄だよぉ」竜司はひとこと「採用」。

 坂道でサイドブレーキを解除する絶妙な加減を掴む必要があったのだが、達也はそれも見事にやってのけた。その間、未来と美幸の二人は級友に教わった通りトンネルの内壁に埋め込まれた配電盤を操作し、教諭が来たタイミングで信号を赤に変える。

 だが、これで終わりではなかった。この後、実に滑稽な酷刑が待ち受けている。


 竜司は下校途中のバス停や皆と菓子を食いながらくつろいでいる時分、よく「脳の中に四次元空間を持った方がいい」と言いだす。それも唐突に。「ドラえもんのポケットの中みたいに、なんでも覚えられるようになれって事かな?」達也がハイチューの包み紙を剥がしながら話に加わる。

「違う違う。……んー。そうだな、ドラえもんに引っ掛けて説明すると丁度いいな。ドラえもんってタイムマシン使うだろ」

「うん」

「あれ、四次元の要素の一つなんだよ。時間を自由に移動できる、って」

「え、あれも四次元絡み?」

「そう。まず次元の定理が0次元からあって、ここは点の世界。全く身動きできない、平面でも線でもない、ただの点」

 竜司は座っているベンチにハイチューを置いてコトコト動かし、説明する。

「その次が線だけの一次元。それから平面だけの二次元世界。ここは画面の中の世界。それと俺達が生きている三次元世界。面と、その高さ、要は空間を自由自在に行き来することができる世界。前後左右、海に潜ったり空を飛んだり……」

「へえ。そんな事考えたことなかったな~」竜司は珍しく、声を出して笑った。「まあ普通はあまり考えないだろうな。だけど、だからこそ大事なんだよ。四次元っていうのは面と空間と、それに加えて時間も自由に行き来できる世界の事。これを頭の中に一か所、小さくていいから作っておくんだよ。科学を超えて、脳味噌を使うんだ」

「そうすると、どうなるの?」

「人生をよりよく生きられる」

「え?」

「たとえば、肉体が歳をとっていくのは、これはもうはっきり言ってどうしようもない。だけど魂は、自分のここんとこ(胸を指さす)の意識は努力さえあればずっと青春だぜ?」

「う、うん」達也は少し戸惑った。青春、という言葉がよく理解できなかった。

「それと同時に、たとえば四十歳の自分、という所に脳の一角だけで入ってみるんだよ。そうしたら、今どうしておけば、その四十歳の自分が心から充実しているかをシミュレーションして今の行動や心の持ち方をアクション出来る。脳の中で自由自在に時間を行き来するようにすると、自分の人生をより濃く深く生きられる、俺はそう思う。想像力の一種としてな」

「すごいねぇそれ。じゃあボクも、将来名車として崇め奉られそうな車を今のうちに味わうようにするよ!」

「……あぁ。存分にな」

 なんか違うんだよな、と思いつつ、竜司は立ち上がった。


     *     


 五月一日。朝から臨時の全校集会が開かれた。

 いったい何事かと顰めつらしい他生徒を尻目に、二年C組は太平楽を保っている。

「えー。大変申し上げにくい事ですが。先日、事故で行方不明になられていた数学科の藤原貴生先生が今朝、ご遺体で発見されました」

 高橋克実似の真田さなだ英司えいじ校長が沈痛な面持ちで切り出すと、生徒間にどよめきが起こる。

「いよいよ被害が学校にまで及んでしまいました。皆さんはこの村の学校に通っていますね。自分の身は自分で守る為にも、まずはしっかり〝おきて〟を守る事を、今日ここで私と約束して下さい。ひいてはそれがご家族、お友達、自分の為になりますから」

 まさかまさか!めでたやめでた!校長までこの噂を狂信している訳ではあるまいな。修は胡座をかいている足を組み換えがてら周囲を窺った。皆、何とも渋い表情をしている。それもそうだ。この作戦に関わっているのは二年C組の三十二人だけなのだから。壁沿いに立つ教師陣にも緊張、恐怖の色が滲む。二、三人の生徒が青い顔をしてどこかに駆けて行く。だが驚いた事に、生徒の中には声を押し殺して泣き始める者もいた。嘲笑しかけたが、ハッとする。きっと泣いている生徒は被虐マゾヒ趣味ズムで、自分に罵詈しょう雑言さんと不当な体罰(愛のムチ)を惜しまなかった最愛の恩師を亡くし、嘆いているのかも。

 最後に校長の音頭で全員で黙祷を捧げた。多くの生徒が、生前は憎き存在だった筈の藤原教諭の死を悼み、冥福を祈った。しかし一部は固く瞑目したまま、人知れず口端を捩れるほど吊り上げて物言わぬ死者を嗤い続けた。


          * 

            

「これを……ウチで預かるってか……?」                 

 沼田モータースに大破して車種も判別出来ない車両が持ち込まれたのは昨夜の事。

「鋭いね。あたり。一旦ここで預かって、警察で詳しい調査をされた後、解体屋に運ばれるんだって。委託料が出るとはいえ……あ~嫌だねぇもう、本当に」

「ウチは警察のコインロッカーっすか――あ、そうだ。オーイ新人!」「はい!」

 車両のエンジンオイルを抜いていた菰田が呼び出され、車を降ろす作業に加勢した。天秤吊りにされた車。既に何人かが作業に任っている。宙に浮いた車体を支え、指定位置へ導く。広大な廃車置場ヤードの一角に一時的に保管する段取りだ。運転席の至る所に赤黒い血が飛び散っており、大変気分が悪い。「うっわぁ、えらい事なってるわぁ」「コレ、人が死んでるんすよね?」

 隣を見ると、一年以上は放置されていそうなスイミングスクールの送迎バスがあった。車体は猛烈に錆び腐り、車内は泥や草、ゴミで一杯だ。「冠水か、水没車か……」

 作業が終わり、工場の方へ歩み出した時、一人の少年が鈴の音色と共に工場に入っていく。

 手には目を引くオレンジ色の工具箱。社長の息子――確か、タツヤ君。前にも彼が工具箱やらブースターケーブルをこっそり(鈴の音でバレバレだが)持ち出すところを目撃し、気になっていた。直感が何か訴えるので鎌を掛けてみる。「うっすー。もう俺の名前覚えてくれた?」

 運動部の先輩のようにアッサリした態度を心掛け、出だしは蝶のように舞う。喋り出しに被って、山から銃声が轟く。猟友会の人間がしょっちゅう乱射しているようで、いつか流れ弾が飛んでくるのではと心臓が痛い。もうこんな村ストレスしかない。

「わあ、ビックリさせないで下さいよぉ菰田さん」

 猫のように背を丸め、斜めに睨み上げる。だがすぐに柔らかい微笑の銀紙を広げる。

 ――これだ――この反応――

「ちゃんと覚えてくれたんだね。もう学校終わったのか。今の学校は放課が早いよなぁ」

 この子は部活動をしていないのか。負け組だぞ、高校で帰宅部は。

 彼の目線と爪先は目的地の方を向いており、早く会話を終わらせたいという思いが丸裸。

「えへ、ボクは優等生なんです。デキる人間は残業をしないって言いますしね」

「ほー、殊しょ――俺も言ってみたいもんだ」ここで変に間を空けてしまい、腹が痛いだの時間が無いだのとこじ付けて逃走されると厄介だ。警戒され避けられるようにでもなれば本末転倒の極み!それを防ぐ為にも、この後辿るであろう逃走経路に網を張る。

「ところで達也君さ、お父さんから確認するよう頼まれたんだけど、前からよく工具箱にキャディーの工具詰めたりバッテリーケーブル持ってったりしたよね。あれは何でなの」

 蜂のように刺す。一瞬、半月型の目がアーモンド形に見開かれた。「コレですか?んっと、友達んちの車が故障しちゃったらしくて、わざわざ修理出すの面倒だろうから、いつもボクが直してあげるんですよ~。友達だから特別に」

 思わず気色を変えそうになる。ここが正念場。唾と共に嚥下し納得の旗を振れ。

「さすがだね。友達の親さんも大助かりだ」

「えぇ、まぁ。じゃあボク宿題が有るんで失礼しま~す」

 達也はニコリと微笑んで会釈をし、工具類を置くと隣接した自宅に逃げ込んでいった。

 鈴の音と華奢な背中を目で追いながら、確信する。「嘘ついてるな」


「危なかった~~~。なんだいアイツ。気持ち悪いねえ」

 達也は自分の部屋に入るとベッドにひっくり返り、天井に向かって愚図った。

左側は壁だ。勢い良く開いた腕が激突する。「ぶひゅおっ!!……痛いなぁもう」  

 一時間前。

 自転車に工具箱と応急タイヤを積み、基地へ足を運んだ。丸目のくたびれた配線を交換し、いつの間にかパンクしたピックアップに応急のテンパータイヤを履かせ、ボディをひとしきり舐めてから給油を済ませる。車の整備は彼の任務であり日課だ。そして笑顔には魔除けの効果が有るので一連の血生臭いお手入れ(達也はよくこう言った)の際には、より一層の笑顔を心掛けている。途中で耐えられなくなり、局部を露出して戯れもした。

 彼は自分の役目に自信と誇りを持っていた。それは一種の中毒性をも内包する。ベッドで転がっているところへ、メールが。胸の高鳴りと同時に、不安もきた。きつく張った弦を弾くように、下腹部に響く。「ぬふふふ……?げぺっ」

 楽しんでいる筈なのに……彼は戸惑いつつ、それでも眩しい笑みをつくる。

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