けたたましいサイレンに起こされた。南側のカーテンを開ける。満月がとっぷりと浮かぶ宵の下、幾つも赤い光が回転している。「またかよ。これで四回目だぞ。勘弁してくれよな」

 村に越してきて二週間、毎度深夜に起こる交通事故。その度にこうタタキ起こされていては堪ったものではない。菰田こもだ矢太郎やたろうは舌打ちを漏らしてカーテンを引いた。弱冠十八歳の彼は二○一三年のこの春高校を出たばかり。就職を機に単身でやって来た。身長一七八センチの精悍な筋骨型、丸顔の少し大人びた容姿を持つ。工業高校の自動車科を卒業後に三級自動車整備士の資格を取得。推薦切符で村の民間車検工場『沼田モータース』に職を得た。今はまだ連日仕事の勉強ばかりで、慣れない環境と生活に疲労困憊している。彼は高校時代に柔道部部長を務め、県大会で優勝する等の生粋の体育会系だ。日常は勉強より部活、休日は友人と遊び回って過ごしてきた。そんな彼にも心労は大敵だ。布団に戻るとすぐに深い眠りに落ちた。


 ――翌日の夕刊に、昨夜の事故の記事があった。

『またか!?魔の交差点で衝突事故  二十四日午後十一時半ごろ、三重県四日市市風死見村の第四交差点で名古屋市**区大字、自営業の鳴瀬隆俊さん(四七)の普通乗用車と、**町二丁目一五、トラック運転手の中村勇二郎さん(五五)の四トントラックが出会い頭に衝突、鳴瀬さんは全身を強く打ち間もなく死亡した。事故直後、現場に中村さんの姿はなく、その後二十五日午前十時四十分頃、事故現場から西へ七百メートル離れた畑に倒れているところを農作業に来た付近住民が発見、警察に通報した。県警は、中村さんの遺体を司法解剖し死因の特定を急ぐとともに、なぜ遺体が現場から七百メートルも離れた場所にあったのか、第三者の関連もあると見て捜査を進めている。調べによると、事故直後に騒ぎに気付いた付近住民が消防に通報、約二十分後に救急車が現場に駆け付けたが、そのとき既に中村さんの行方が分からなくなっていたという。』 

 またおかしな事故(事件?)だ。仮に中村氏が救助を求めて自力で歩いていったとしよう。負傷した身体で七百メートルという距離を歩けるかも疑問だが、発見場所までの道程は急勾配の坂道。何らかの理由で携帯電話が使えず、否応なしに歩いて助けを求めたとしても――まず普通の心理ならこれ以上身体に負担を掛けぬよう平坦な道を選ぶ筈だ。更に不思議なのが中村氏は恐らく村から出る為にこの道を南へ向かって走っていた事。村から外へ出る為には第四交差点を通る以外に道は無い。それを深夜にトラックで四日市のある南へ向かっていたとなれば、コンビニかスーパーに商品を卸した帰り道だ。それならば病院や商店、団地のある北へ引き返そうとするだろう。または付近に点在する民家に駆け込むという手も一顧に値する。それが成されなかったという事は――

 柔軟な頭をフル回転させた。元々推理するのは好きなタチだ。推理小説好きが高じて一時は本気で刑事を志した時期もあったが、不規則な勤務、定時に帰れなさそうな仕事量と泥臭い業務内容などを知って辟易し、安定を求めて畠違いの整備士となったのは成長というよりむしろ老化か――

          

「すごい形しとるやろ。山頂が盆地みたいになってるんやで、この山」

 背後からの声に振り向く。金属製のタンクを背負い、丸眼鏡をかけた背の低い初老の男。

「この風死見村ってのは、千二百人位の小規模村落だわ。まぁ、こういった立地にありがちな高齢化社会には陥っちゃおらんけどもさ、八割は外から来た人間でさな」

 高校生の頃、初めて村を訪れた際に出会った白菜農家との会話。この山は山頂に村があり、そこへ行くまでに分かれ道がある。一方は村へ、一方は滋賀県へと注ぐ秘境じみた山道になっているが、走り屋や肝試しのカップル、腕利きのトラッカーくらいしか通らない事で悪名高い。

「まぁ背景にはここの歴史が絡んどる。元々ここは半世紀前に、農業振興を掲げて山を削って造られたんでさ、第一次産業が盛んだって一時いっときは四千人暮らす町だったんよ。高台にあるから交通の便は良くないけど、生活に困るという事はなかったな。特産品はキャベツや白菜とか葉野菜の他に、茶を作っている人や、杣人やら養鶏さんもおる」

 言われてみれば、見渡す限り牧歌的な風景だ。切手にしても申し分ないのでは。

 ネット情報も齧った。村と外部を繋ぐ道は唯一本、村の通用口にあたる第四交差点と深鏡トンネルが関所のように構える。村東部の公会堂には【団欒灯籠】なる物が存在する。高さ三mもある巨大な石灯籠を六つの小さな灯籠が囲む珍奇な物体だ。その風貌から灯籠達がオサを囲んで団欒しているように見えたのが謂れで、勝手にスペアチェンジを捧げる者も多い(田舎人より都会人の方が、観光名所などに小銭を投げる傾向が高い)。また有名なミステリ作家の榊原さかきばら共鳴ともなが物語の舞台にした事もある。御大は田舎の芋臭い学生が天才的な推理力を発揮し村人達の悪事を暴いていくという作品を上梓したが、プロとしてのセンスは如何か。統計学者のデヴィット・バンクスが論文の中で、天才が同じ場所で同時多発的に現れる条件として『多種多様な人間が交流する場所』『教育と学習の両面にて革新的な進歩をした環境』『失敗を恐れず挑戦する事を推奨する社会』の三か条を提唱した。おかしい。ここには一つもない!

「ところがな~。歴史がそう物語っとるように、長くは続かなかったんだわなぁ」

 農夫は急に未練がましくなり、長靴を履いた足で赤土をしこしこと踏み固めた。

「都会に人が集まりだすとさ、生活様式も変わるやろ?そりゃようけの人が山を下りたさ。強弩きょうど末魯すえろこうあたわず、とでも言うべきかなぁ。住む人が居なきゃ村も活きられん。みんなが見切りつける中で、それでもこの村を慈しんで残った人も居る。人口は潮が引くみたいに減ったけど、安く広い土地が持てるってんで、都会の人間が流れてきて一応は平和できたけど」

 菰田は黙って相槌を打ちながら真摯に聞き入った。だが顔には出さずとも、サイトで見たある言葉が脳裏で踊っている。

 ――呪われた村――

 農夫は彼の邪推を察したかのように、不意に目を三角に尖らせてきた。

「ただ、あの〝おきて〟の存在を除いては、やけどなぁ」

 そうして煙草に火を点ける。菰田は気づかれない程度に顔を顰めた。曰く、紆余曲折を乗り越えて村の経済はどうにか落ち着き、暫くの間安逸を貪った。しかしつい三年ほど前に晴天の霹靂が出来。事の発端は三年前の五月一二日深夜に遡る。それまで事故とは無縁だった村の第四交差点にて、最初の謎が生まれた。

 乗用車と軽自動車による、不可解な衝突事故。町から乖離した山中にあるこの村にアクセスするには、車で二十分ほどを要する。風死見村は非常備消防である。つまり、消防署がない。ここは消防団は置かれているが消防署は無いという日本でも珍しい形態をとっている。救急業務は四日市市に委託してあり、救急車は町から峠を登らねばならないので時間を食う。

「突如発生した謎の事故、それが引き金だった訳。次に起きた事故じゃ二台のうち片方には三人が乗ってたんだけど、運転手以外の二人は行方不明になって一週間してから近くの田んぼに頭を突っ込んで死んでるのが発見された。どうこれ、一丁前にミステリーだと思わない?」

 砂埃を散らしていたトラクターから息子と思しき男性も下りて来て、話に加わる。

「こんな事もあったけ。スイミングスクールの送迎バスが自損事故を起こしたけど、事故現場からオイルの跡を残して溜池に沈んでたってやつ。運転手は全裸でバスと一緒に沈んでいて、服やその他の所持品は未だに発見されない、ってやつ。あと車同士の事故で運転手は遺体で見つかったのに、車だけが消えるってのもあったかな」

「あぁ、多田村さんが復旧工事手伝わされとったやつか」「そうそう」

 農家の親子は、まるで他人事のようにそれらの話を聞かせてくれた。このような奇妙な事が立て続けに起きるようになって、村は次第に知名度を取り戻していった――今度は『英名』ではなく『悪名』が全国ネットを駆け巡ったのだ。


          *


「呪い意外に何が考えられるって言うんさ。この村自体が呪われてんだよっ」

「そうねぇ。昔から、ここはそういう噂が絶えないわよねぇ」

 翌朝、沼田モータースに軒を連ねる【多田村ただむら電器店】の店先で店主の多田村ただむら耕一こういちが客の中年女性に毒を吐いていた。陰気な店主のためか客足はまばらだが、出張修理や不要家電引き取りなどのサービスで商いの糸筋を繋いでいる。

「こりゃ今度ぁ、俺の番かもしんねえ。怖ぇ怖ぇったくも……お母さん、アンタも絶対にあの〝おきて〟を破らんよう、よぉーく気ィ付けないかんで」

菰田は思い切り眉を寄せた。せっかくの静謐せいひつな朝の空気が穢されてしまって堪らない。

「当ったり前やないの!アタシなんか、この村に嫁に来て二十六年やけど一回も〝おきて〟を破った事は無いに……あらヤダ、こんな話しとって大丈夫やろか」

 テレビのリモコンを修理してもらった客の主婦はそう言い、出目金のようなぎょろり目で周囲を見回す。

「まぁここにおる時点で大丈夫ではないわなぁ」

「嫌ねぇ。出ようにもアンタ、家のローンがあるから身動きもとれへんなんて、ウンザリ。結婚は女のゴールだなんて言う人も居れば結婚は墓場だなんて言う人も居るじゃない?」

「墓場やろ」

 お前と結婚した妻にとっては便所だろう、と心の声が。

「家の保証人になんてなったアタシからすれば、結婚は地獄よ。もう」

「へっへへ、そらぁお母さんの運命さだめってやつさね」

 類は友を呼ぶ。首を鳴らした菰田の後ろを、制服姿の男子高校生が通り過ぎて行く。少年は背筋をしゃんと伸ばした良い姿勢の持ち主で、森閑とした田園地帯を抜け、村で唯一の高校・県立御神山高等学校の正門を潜った。学校のランクは中位で、全校生徒約三百十人。その生徒のうち、村の子供は八十人ほどだ。

 二年C組の教室に入ると、級友らの喧噪で一気に目が醒める。

「今年ウチの工場こうばに入社して来た人、若いクセに超無愛想でね~、なんか暗い人だったよぉ」 

 ある男子生徒が四、五人を相手に話している。少年はそれを横目に、ある生徒の元へまっすぐ向かう。目が合うと何か示し合せたようにニヤリとした。「おっす!どんな感じだった、今回も当たりかな?」と椅子の背凭せもたれを抱き込んで座り、後席の女子と話していた須藤すどうおさむが身を乗り出す。決して格好良い男ではなく、風采からするとむしろ没個性で大人しい印象を受ける。一方で「みんな影響されてる。この調子で、どんどん続けていきゃいい」とポケットに両手を突っ込んだまま机に腰掛け、柴浦しばうら竜司りゅうじは微笑んでみせる。般若を現代のイケメン漫画風に描き直したような顔にできる深い笑窪が特徴的だ。

「この前のはマジですごかったよね~。ねぇ、次はどんな風にするの?」

 修と向かい会って話していた女子、下田しもだ美幸みゆきが笑顔を修に向けたまま、しかし口調は竜司に向けて尋ねる。しかし「次の事を考えるよりか、反省が先だな」と竜司は鞄をおろしながら、溜息と共に応えた。「反省って?」

「例えば、美幸が計画通りに仕事をしなかったから全体の段取りが一気に遅れただろ?あれについて改善策を練る必要があるし、全体の動きも遅いからそこも油を差したい」

「それだけ?」

「……いや、あのな、あの時もう少し遅かったら見つかってたぞ……わかる?」

 竜司はやんわりと、しかし真剣に緊張感の無さを指摘する。

「そうだなぁ。確かにあの時、準備が」と修が尻馬に乗りかけた矢先、女子の酷い掠れ声が妨害した。級友らで創ったガールズバンド〝フェアリー・ファースト・クライ〟が路上ライブをやるから見に来ないかと。「またするの?」「桃子、喉だいじょーぶ?」「お前らもしぶといよな」

このようにクラスの反応は必ずしも芳しくなかった。

「やるに決まってるでしょ、大イベント!どうせみんな暇でしょ?ちゃんと来てね」

 ヴォーカルの杉田すぎた桃子ももこが特製のジンジャエール片手にドラ声を放つ。数ヶ月に一度、田舎の町内会と同じく発作的に開催するこのライブは学校の中庭を会場とするごく小規模のものだ。見物人はそれなりに集まるものの、毎度事前に人数を数えて文房具を抽選する券を配っても野暮用扱いを受けてすっぽかされるという事が多発している。まあ演奏云々より、女子高生特有の承認欲求を極限まで美化するとこうなる。しかしまた今回も何人かの男子が手を挙げるのだ。そこに修もちゃっかり(?)紛れ込んでいる。「ちょっと、修ぅ!何考えてんの」

 美幸は不機嫌そうに頬を膨らませる。不思議はない。彼女は修の恋人だから。

「あー、悪ぃ悪ぃ。てゆーか竜司さん、もうノーマルなヤツは殆どやったしパターンも同じだし、標的も適当な奴らばっかりだしさ……なんかヌルいというか……だから次はこの村の呪いをもっと信じ込ませる為にターゲット変更といきましょーぜ」

このように、修はよく勝手に話を脱線させてくる。

「あ、お茶濁した!しかもスルーされたし」「スルーなんてしてないじゃんよ」「した!」「してな」「したよ!」「あーもう、ごめんって」

 竜司の中で、こうなる事は想定の範疇だ。クラスメイトに集合をかけ、次の作戦プロジェクトのプレゼンテーションを仕掛ける。新しいアイデアがいかに素晴らしいかも大事だが、それよりも「いかに取り巻き達にやりたいと思わせるか」それを伝えるのに頭を使う。

「も、もうやめにしようよ。こんな事してたら……本当にまずい事になっちゃう……」 

一通り話したところで、ある女子生徒が口を挟んだ。室長、坂田さかた優香ゆうか。顔を隠すような長髪に小柄な体躯、鉄縁楕円レンズの眼鏡の奥で小さな目はおどおどと心許ない。「ねぇ、だから本当にそろそろ……」竜司は優香を正面から睨め付け、目の前に立ちはだかってみせる。「空耳かな。俺達はみんなの願いを叶えようと一生懸命なんだ。それをアンタは邪魔しようってのか。別にアンタをターゲットにする事も厭わないつもりだが」

 ドスを利かせて鋭鋒する。とても静かな恫喝だった。彼女は俯いたまま閉口頓首し、覗き込んでも目を合わそうとはしない。竜司はそれをフッと鼻で笑ったかと思えば、いきなり彼女の胸を鷲掴みにした。「キャアッ!! 何するの!?」本気で驚いた声が、廊下まで響き渡る。

「なぁんだ。横柄な態度してるわりに胸はこんなに小さいのか」

 抑揚は無く、無防備な彼女を力任せに押し倒した。どっと笑い声が起こる。

それを睥睨していた一人の女子が滑るように歩み寄り、これまた静かに咆える。

「私達のやってる事が間違ってるって言うの。私達は悪?犯罪者?……正義よ」

 少し間を空けて、芝居掛けて「正義」と、確かにそう言った。「……!?」優香は目の前の人間が何を言っているか理解できず、ひたすら戦慄した。

「傲慢な上に勝手な大人なんて、こーやってふるいに掛けて少しずつ確実に消していこ。教師ってテストを使ってデキの悪い生徒を爪弾きにするでしょ?私達も同じ。奴らをテストして、それに落第したらお払い箱。これって当然の報いだよね?どう?」

「……何言ってるの……」

「ハンムラビ法典って、分かる?同害報復っていって、一の罪には一の罰、十の罪には十の罰が返されるの。目指すのは真の平等で安らぎと不退転の秩序、かな」

「また言ってる。目を覚まして未来っ!?」瞠目する優香の頬にキスをした。

前髪の奥、憑かれたような双眼が一瞬、半月型に歪む。 

「未来……どうしちゃったのよ、ほんとっ!……」

 いつの頃からか竜司に寄り添う吉川よしかわ未来みくは一六八センチの高身長に透き通る白い肌、スレンダーな肩を撫でてさらりと靡くセミロングの髪で男子を虜にして止まない美少女だ。彼女と竜司はおよそ人目を引く項目の大半を兼ね備えていた。端から見れば完璧そのものに違いないのだが、実は二人にはある共通の不満があった。他が満たされていればいるほど、最後の一ピースが欠けたパズルのように些細な欠点ほど目立つもの。それは、自分の持ちうる可能性を空費しているという欲求フラストレーションとして抽象的にあった。

「お前ら、自分がどれだけ恵まれた存在か分かってるだろ?人生に感謝、運命に感謝。じゃあその恵まれた環境を最大限活かす為にどうすればイイかって考えていくわけで。勘違いしてほしくないのは、恵まれてるっていうのは何もかも自分の思い通りになっていく事と違うからな。自分の果たすべき役割に導かれていっているとわかる奴がいれば、そいつの事を言う。言葉にならない感情――俗に言う無言の野心(サイレンスアンビション)は持ってるか?おめでとう!お前も革命家だ」

通常、人間は欲求不満や悩み等の精神的苦痛が生じるとそれに対応すべく心理面に反応が起こる。この反応の事を保健用語で『適応機制』と呼び、幾つかパターン分けされる。大きく二分すると、攻撃や八つ当たり、退行などの外的反応。そして抑圧、逃避、同一化等の内的反応がある。違いは心理エネルギーのベクトルだ。

「性相近く習相遠しってな。稲は実るほど謙虚になって頭を垂れるんじゃない。背負うものが増えて猫背になっていくんだよ。美徳観に騙されるのは十代の今のうちに卒業だな」

 同じ考えを持ち、可能性を感じているなら優劣関係なく仲間と見做みなす。進むべき進路が同じならそれは紛れもない同志シンパ、同時に戦友カムラッドも同然。ただし大人と、自分の信念に反する者は絶対的に受け付けない。その破天荒極まる排他的感情論は極端な所にまでいっている。なぜ大人がダメかというと「タケノコと同じだ。タケノコはまだ若くて柔らかいから食えるけど、立派な青竹になったら食えない」という事だ。

 彼らは一途に貴顕キケンを求めるが、破壊的な危険キケンが随時同居していた!

 未来は「ねぇ竜司。そろそろあの女、消してもいいんじゃないの」と訴えた。声は小さいが、どす黒い血潮が脈打っている。それが、竜司には堪らなかった。外見は美しいながら、内面に棘。美しい。「そうだな。高校生が死ぬニュースが流れれば村の悪名は上がるし。面目躍如か」

「いいでしょ? はい決まり。じゃあ、どうやってろっか」と凡そ姦計を巡らせていると思えぬ溌剌とした表情で詰め寄った。幼女のようなあどけなさを携えて。

「まあ、そう焦らなくても。ゆっくり、じっくり攻めていけばいいから」

「え~? なんで~早い方がよくないかな?」

 彼の胸に小さく円を描くように指を走らせる。

「薬は小出し、毒は一挙。少しずつ変化を愉しむのは上品な嗜み方だってば」

「ふーん。それじゃあ楽しみにしとくからね」

「ああ――ところで未来、お前は俺に対して、どう考えてるんだ?」

「ん?どう考えるか?ヒントはダイアナ元妃がチャールズから言われた言葉」

「おまえ、それ言うの三回目だぞ。〝愛にもいろいろある〟だろ」

「そう。そゆこと」

 未来は二つ返事で退き、半開きのまなこで教室につと一瞥を投げる。

「……ねぇ」「ん……?」早業だ。首を目一杯伸ばし、七センチほど高い竜司の首筋に腕を縋って自分の左足を彼の右足に絡める。彼女流のキスのおねだりだった。「……あれ。また上手くなった」

 彼女の行動力を労う。キザに頭を撫でてみたりもする。

「そお?ちょっとずつ竜司好みのオンナになってるかな?」

 頬の上の方をピンク色に染めながら上目遣いに見る仕草がまた、あどけない。

「いや、逆かな。俺がお前好みのオトコになったってことで」

「もう、二人が馴染んできたって事でいーの」

 くびれの出始めた腰に手をあてがってやると、未来は整った歯を覗かせて笑う。

「次は〝闘牛〟でもやろうかと思ってて」

「闘牛?スペインだ。またすごいのに目を付けたよね。オ・レ!って」

「トレロ・カモミロになれたらなって。情熱の国の国技だからさ、真似したいわけよ」

「そこはちょっと意味わかんない」

「なんだよ」

 それにしても彼女の言う〝愛にもいろいろある〟とは、なんなのか。竜司はそれが気になっていながら、しかし決して真意を問い質してはいけないような、それをすると、今の一切合切なにもかもが全て失われてしまうような危機感を感じた。予鈴が鳴り、担任の大野おおの日出男ひでお教諭が入室した。年間を通して坊主頭を貫くスタミナの塊のような国語科教師だ。

「おはようっ!こら。ゲームは禁止やって毎日言うとるな?そろそろ没収だなこりゃ。本当は携帯もレッドカードなのに、黙認してやってるだけ俺はお釈迦様だぞ」

 大野教諭は出席を取ると、数学の宿題を提出していない者は早急に提出する事と〝おきて〟 を遵守する事をいつも通り真剣な顔で伝え、一限目開始のチャイムと同時に去っていく。

「おい準備!いちいちダレるな。授業始めるぞ」

 大野教諭と入れ替わり、巨大な三角定規と木製のコンパスを携えた初老の教師が闖入する。ボロけた教本と出席簿を教卓にドスンと置き、教室を一瞥。これで欠席者が居たりすると必ず舌打ちをするのだ。「ホンマにあかん。ちょっとでも気を緩ますとコレや。情けないのう」

 まあすこぶる評判の悪い教員である。珈琲臭い口から吐く啖呵で授業を刻み、叩くように板書する教諭の背中に美幸が囀る。「先生、朗報。私達もうすぐお・わ・か・れ。私見ちゃったもん。先生が〝おきて〟を破ってるところ」

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