第4話 浅層ボスとの遭遇──迫る岩鉄の巨影

 階段を降り切ると、そこは第1階層とは完全に別の世界だった。


 空気の温度が違う。

 ひんやりしているのに重くて、胸の奥にじわっと溜まっていく感じがある。


 壁を走る魔力導線の光も、さっきより濃い。

 ゆるやかに明滅しながら、どくん、どくんと――迷宮全体が脈を打っているように見えた。


 いや、“見えている”のは、たぶん俺だけだ。


(流れの密度が一段上がってるな。……この階層、たぶん浅層の“心臓”に近い)


「……これが、第2階層……」


 ミナが小さく息を呑む。

 その声も、さっきまでより少しだけ震えていた。


 天井は低いが、通路幅は広い。

 床は砕いた石がびっしりと敷き詰められていて、場所によっては金属片も混じっている。


(この金属……ゴーレムの残骸だな。関節部のパーツと、核石の破片)


 ユートが前を歩きながら、足跡を確かめるように視線を走らせた。


「妙だな……人の足跡がない。探索されてない層みたいだ……ここ、初心者用迷宮のはずだよな」


「おお、それって未踏破ゾーンの発見ってことじゃねえか!?」

 ガイアスのテンションが一気に跳ね上がる。危険度とか考えないタイプだ。


「同時に、危険度も高いってことだよ……?」

 ミナの声は、さっきよりもはっきり震えていた。


「だ、大丈夫っ! レオンくんがいればなんとかなるっ!」

 リィナが、根拠の薄い励ましを飛ばしてくる。


「なんとかなるのは、お前のテンションだけだ」

 ユートが即座に刺していく。


「ひどい! でも否定できないのが悔しい!!」


 そんな軽口を叩きながら、俺たちは進んでいく。


 だが、通路を進むほどに、壁を走る魔力流路の太さが少しずつ増していった。

 線が太く、光が重く、流れが速い。


 そして――その脈動に、微妙な“ズレ”が混じっているのが見えた。


(……今の、なんだ?)


 表層の流れとは別に、奥底で半拍遅れてトン、と鳴る細い脈。

 迷宮の“下”から、小さなノイズが上がってきているような違和感。


(この先……何かいる。しかも、ただの中型じゃない)


 嫌な予感というより、確信に近い感覚が、じわりと首筋を撫でる。


 それでも、足は止まらない。



 少し進んだところで、通路はゆるく曲がりながら細くなり、その先でふっと開けた。


 小さな広間。

 腰ほどの高さの岩がいくつか転がっていて、天井からは細い鉱石の“つらら”が下がっている。


 そして――足下の砕石が、妙に均一な間隔で並んでいた。


(……この並び方。さっきのミニロックの罠と似てるな)


「レオン?」

 ユートが小さく呼ぶ。


「たぶん、ここも出る。さっきより数が多いかもしれない」


「了解。……全員、構えとけ」


 ユートが弓を構え、ガイアスが斧を前に出す。

 リィナは珍しくちゃんと足場を確認しながら杖を握り、ミナは一歩下がって回復の準備をする。


 俺は一歩だけ前へ出て、魔力の流れを凝視した。


 床下を走る細い線が、中央付近で集まり――


「来る」


 そう呟いた瞬間。


 ガキンッ!


 地面の砕石が跳ねるように立ち上がり、石の腕を持った小型ゴーレムが三体、姿を現した。


《ミニロック》×3。


「三体!? ちょっと多くない!?」

 リィナが悲鳴を上げる。


「いや、三体なら上等だろ!」

 ガイアスは逆に嬉しそうだ。


(前なら確実にパニックになってたな)


「ガイアス、一番手前を押さえろ! 真正面じゃなくて、右側に斜めから!」

「おう!」


 ガイアスが一歩踏み込み、斧を斜めに構える。

 正面から殴りかかってきたミニロックの腕を、斜め上にいなして受け流した。


「おお、今のいい感じじゃねぇか俺!」


「調子に乗るな。……リィナ、左の個体、足だけ狙え!」


「足だけ!? えーとえーと……《ライトスパーク》!」


 小さな光弾が弧を描き、左側のミニロックの足下で弾ける。

 ダメージはほとんどないが――一瞬、動きが止まった。


「ユート、止まったやつの核石!」

「了解」


 ユートの矢が、ほとんど迷いなく核石へ突き刺さる。

 淡い光が弾け、左のミニロックが崩れた。


「ミナ、ガイアスの足見て。砕石で滑りそうだから、支える感じで回復」

「う、うんっ……《ヒール》!」


 ミナの回復光がガイアスの足元に流れ、砕石の不安定さが少し和らぐ。

 回復量は控えめだが、そのぶん制御が細かい。


(やっぱりミナの回復、悪くないな。強くない代わりに、無駄なく“ちょうど”届いてる)


「とどめいくぞおおお!!」

 ガイアスが正面のミニロックの腕を受けながら、力任せではなく“流れに沿って”斧を振り下ろす。


 石の関節部を割る、いい音がした。


 残り一体は――

 リィナの牽制とユートの矢で、想定よりずっと短い時間で片がついた。


 砕けた石が床に転がり、再び静寂が戻る。


「……やった……?」

 ミナがおそるおそる聞いてくる。


「ああ。処理完了」

 ユートが矢を一本、矢筒に戻しながら答えた。


「いやぁー、今の俺ら、ちょっとよくなかったか!? 連携的なやつ!?」

 ガイアスがやたら上機嫌だ。


「ガイアスのくせに、ちゃんと“受け流し”できてた!」

「おいおい“くせに”ってなんだ!?」


「リィナも、ちゃんと足だけ狙えてた」

 俺が言うと、リィナはむふーっと胸を張る。


「でしょでしょ? リィナちゃん、やればできる子だから!」


「……暴発してないお前を見るの、レアだよな」

 ユートがぼそっと呟く。


「そこは素直に褒めてよ!? ねぇ!?」


 ミナも、小さく笑いながら俺を見る。


「レオンくんのおかげだよ。どこを狙えばいいか、すぐ教えてくれるから……」


「俺は見えてるものを言ってるだけだよ。実際動いてるのはみんなだから」


 そう言いながらも、胸の奥が少しだけ熱くなる。


 ――“落ちこぼれ”って呼ばれていた四人が、

 今、確かに“パーティーとして動いている”。


 その中心で、自分の“目”が役立っている。


(……悪くない)


 素直にそう思えた。



 三体のミニロックを片付けたあとも、俺たちは慎重に通路を進んでいく。


 魔力流路の太さは、さっきよりさらに増していた。


(左の通路は……流れが薄い。たぶん素材採取用の安全帯で行き止まりだな。右は――)


 右側の通路へ続く流れは、一本太い“幹”みたいに見えた。

 そこから枝分かれした細い流れが、さっきの広間や罠へ繋がっている。


 ただ、その幹の奥――普通の迷宮流路とは別に、ごく細い“黒ずんだ線”が絡みついているのが見えた。


(……まただ。さっき感じた“裏の拍”と同じだ)


 表層の流れに混ざる、場違いなノイズ。

 今はまだ弱いけど、無視しづらい違和感。


(本命は右の先。たぶんこの階層のボス……それに、“何か”が少し混ざってる)


「この先、分岐がある。けど、行くなら右。左は行き止まりっぽい」


「了解! 右だな? 任せとけ!」

 先頭を歩くガイアスが前に出る。


「罠とかもあるから気をつけてくれ」


「レオンの言う方向、全部当たってるよね、なんで?」

 リィナが後ろからのぞき込んでくる。


「なんというか……迷宮内の魔力の流れが視えるんだ。一本の太い流れから枝分かれしてるような……その太い流れを辿ってるだけだよ」


「それすごくない!? 反則級だよっ!」


 そんなやり取りを挟みつつ、俺たちは右の通路へ入った。


 壁の魔力導線は、もう“線”というより“帯”に近い。

 明滅する光が、通路全体をうっすら照らしている。


 奥から、重い振動がかすかに伝わってきた。


 ゴ……ゴ……ゴ……ッ……。


 小さな地鳴り。

 鼓動というより、“何かが動く予備動作”のような震えだ。


 そして、その振動の合間に――

 ほんの一瞬だけ、別のリズムが紛れ込んだ。


 表層の鼓動とは違う、乾いた一拍。


(……やっぱり、おかしい)


「……なんか、嫌な音が聞こえない?」

 リィナが眉をひそめる。


「ボス手前の中型か、ボス本体か。いずれにしても、もう近い」

 ユートの声が低くなる。


「レオン」

「わかってる。慎重に行こう」


 俺は深呼吸して、前へ目を凝らした。



 最後の通路を抜けると、そこは円形の大広間だった。


 第1階層の空間よりも、ひと回り以上広い。

 天井は高く、天井裏に届きそうなくらい太い柱が何本も立っている。


 壁のあちこちから、液体のような魔力の光が滴り落ちていた。

 それは床に流れ込み、中心部分へ細い川を作っている。


 床の砕石は踏みしめるたび、じり、と不安定な音を立てた。

 ここを全力で走り回るのは、あまり気が進まない。


(流れが……全部、中央へ集まってる)


 広間の中心辺り。

 そこだけ、魔力の流れが渦を巻いていた。


 その渦の“先”に、何かがある。


「……いたな」


 ガイアスが低く呟く。


 広間の正面、壁に半ば埋まるようにして、それは座り込んでいた。


 岩と鉄の装甲に覆われた、背丈二倍以上の巨体。

 腕は岩塊をそのまま削り出したようなハンマー状で、胸には燃えるような橙色の核石が埋め込まれている。


 伏せられた頭部の奥で、微かな光が明滅していた。


《砕石守衛(ガード・ロック)》


 浅層ダンジョン《砕石の坑道》の中階層を守る、浅層ボスゴーレム。


 浅層ダンジョンのくせに、中ボスとしては規格外の耐久を持っていて、新人が最初にぶち当たる“壁”として有名だ。

 ギルドの基準じゃ、この砕石守衛を一つのパーティで倒せること――それが、“新米を脱した証”になる。

 つまりこいつを越えられない限り、探求者はいつまで経っても“半人前”のままってわけだ。


「うわぁ……」

 リィナの声が、完全に素だった。


「さすがにデカいな」

 ユートが短く評価する。


「俺の斧、あいつの指一本くらいの太さしかねぇぞ……」

「比べる基準そこかよ」


「ミナ、大丈夫そうか?」

 ガイアスが後ろを振り返る。


「だ、大丈夫……たぶん。……ううん、ちょっと怖いけど……でも、ここまで来たから……」

 ミナは両手をぎゅっと胸の前で握った。手が少し震えている。


 俺は一歩、前へ進み、目を細めた。


 ――視える。


 胸の核石から全身へ伸びる魔力導管。

 脚部を固定する“杭”のような魔力の柱。

 肩と首の接合部にある、わずかな流れの乱れ。


(弱点は……右肩の関節部。それから足下の“固定杭”。あれを折れば機動力が落ちる)


 そこまでは、資料で読んだ通りの構造だった。


 ただ――


(……核石の奥に、もう一層“なにか”がある)


 橙色の核のさらに内側。

 そこに、ごく薄く“別の配列”が沈んでいるのが見えた。


 今まで見たどのゴーレムにもなかった、もう一段深い輪郭。

 表に出ていない、眠っている“第二の鼓動”。


 その存在に気づいた瞬間、こめかみの奥がじくりと痛んだ。


(……気のせい、か? 浅層のボスにこんな“深さ”があるはずない)


 視線の先で、核石が一度、強く明滅した。


 それだけで、広間全体の空気が震える。

壁の魔力線が、一瞬だけ揃って明るくなった。


「……起きるぞ」


 俺の言葉と同時に、《砕石守衛》がゆっくりと立ち上がった。


 ドゥン……!


 床が揺れる。

 砕石が跳ね、足元の不安定さが一気に増す。

 ミナが小さく悲鳴を上げた。


「っ……!」


「全員、構えろ!」


 俺が叫ぶと同時に、ガイアスが斧を構える。

 ユートは深く息を吸って弓を引き絞り、リィナは杖を握りしめて一歩前へ出る。

 ミナは後ろへ下がりつつも、視線だけは前のままだ。


 ――砕石守衛の両目にあたる窪みが、ぎらりと光った。


 巨体が、こちらを捉える。


 次の瞬間、何かが――動き出す。


 俺は息を飲み、仲間たちの位置と、魔力の流れを一気に頭に叩き込んだ。


(ここを越えれば――“初攻略”だ。それと同時に、この“違和感”の正体にも、少し近づけるかもしれない)


 斧の軋む音。

 弓弦の張る音。

 杖の先に集まる魔力の気配。


 俺たち《デッドライン》の“本番”が、いま、始まろうとしていた。

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