第14話

 風呂から上がり、紗月は部屋でひと息ついていた。

 そう言えば、当麻様に助けてもらったのにお礼を言ってない。本当にどうしようもないなあ。紗月はそのまま畳に寝転がり、体を胎児のように丸めた。


「奥様。お飲み物をお持ちいたしました」


 慌てて起き上がり、居を正す。


「どうぞ」


 お盆に縦長の水色瓶とコップが乗っている。綺麗な瓶。なんの飲み物だろう。八重は座ると、ビンの蓋を開ける。ポンッと軽い音がして、紗月の肩が少し跳ねた。


「あの、それは」

「ご存じありませんか? サイダーです」

「すみません」


 また謝ってしまった。彼女を見られなくて、いつもみたいに畳の目を数える。


「どうぞ」

「ありがとうございます」


 コップの中でシュワシュワと音を立てて、泡が立っている。爽やかで少し甘い香りがする。

 これ、本当に飲めるのかな? しばらくサイダーと睨めっこした後、紗月は思いきって口を付けた。


「!」


 口の中で液体が弾け、飲み込むと喉の奥がカッと熱くなる感じがした。

 美味しいけど、ちょっと苦手かもしれない。まだコップの中にも瓶にも残っている。やっぱり全部、飲まないと駄目よね。でも一度苦手だと思ったものをまた口に含むのは、なかなか勇気がいる。紗月は八重の視線を感じながら悩んでいた。


「奥様、サイダーは初めて飲まれましたか?」

「はい。美味しいです」

「嘘でございますね」

「え?」


 八重に視線を向けると「はあ」と溜息をされ、紗月に心臓がキュッと少し縮む。


「見ていればわかります。お口に合わないのであれば、そうハッキリとおっしゃってください」

「すみません」

「奥様」


 また謝ってしまった。怒られると、体が強張る。


「私はサイダーが苦手です。どちらかと言えば、嫌いです」


 顔を上げると、八重と目が合った。

「あの」

「嫌な物は嫌、だとハッキリと言ってもいいのです。奥様がどのような環境で清原の

 家で過ごされていたのか、どんな扱いを受けていたのかはそれなりに存じております」


 八重も知っているのだ。人を殺してしまったこと……紗月は目を反らし、泡立っているサイダーを見つめる。


「奥様」


 どうやら八重はそれを許してはくれないらしい。


「はい」

「奥様は今、この青龍様を従える九条当麻様の妻なのです。例えお飾りであろうと九条の名前を背負っているのです。だから堂々としていても誰も文句は言いません。もし奥様を蔑ろにするような者がいれば、私が罰します」

「え?」


 相変わらず無表情だけど、少し表情が柔らかく見える。


「あと、何かありましたら私に相談をされても大丈夫ですから」


 ずっと八重は、自分のことをよく思ってない、嫌々仕えてくれているのだと思っていた。でもどうやら八重は加地が言うように、怖いどころかただ表現をするのが苦手なのかもしれない。

 彼女が自分を嫌っているわけではないことは、なんとなく伝わってきた。でもどんな理由であれ、人を殺してしまっている。もしかしてそのことを知らないから、今みたいなことを言ってくれている可能性もある。


「あの、八重さん」

「はい」


 後から知られるより、知ってもらっていたほうがいい。だって自分が期待をしてしまう。優しくされてもいい人間なんだと。喉の奥が張り付いたみたいに声が出ない。

 でも言わないと……紗月は力を振り絞って声を出した。


「あの、八重さん」

「奥様。奥様が清原の人間を誤って殺してしまったことは存じております」

「え?」

「八重は初めてお会いした日から、当麻様の妻に仕えること、そのことは変わってはおりません」


 胸元に熱が集まると、目元まで駆け上がってくる。


「あ、ありがとう……ございます」


 涙をこぼす紗月を、八重は眉を下げて見つめている。その不器用な優しさが胸に沁みて、紗月はこの人が自分の傍にいてくれてよかったと、心の底から思った。


「大丈夫ですか?」


 一通り泣いたところで、控え目に八重から声がかかる。


「はい。すみ、あ」


 口元に手を当て、八重を見た。八重さん、もしかして笑ってる? 少しだけ口元の口角が上がって目尻が下がっている気がする。


「少しずつで構いませんよ」


 声が少し柔らかい。人とあまり関わりたくないって思っていたのに、今は八重さんと少し近づけて嬉しいと思っている自分がいる。

 差し伸べられた手を、握り返すようなことをしてもいいんだろうか。近づけた分、幻滅されしまった時にこの温もりを手放さなければいけない。


「奥様、くだらないことをお考えのようですね」

「そんことは」

「まあいいでしょう。ですが、奥様が奥様である限り、私は味方であることは覚えておいてくださいませ」


 本当にいい人だ。紗月は「はい」と返した。

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