第10話
あの日母は当主の指示通りに、紗月に目の前で鞭打ちされた。鞭が母の体に当たる音、母の苦悶に満ちた声と顔――私が余計なことしたから。余計なことを言ったから。紗月は奥歯を、唇を噛みしめてた。口の中では鉄の味がしていた。
一〇回の鞭打ちが終わり、押させ付けられていた紗月も解放されて母に駆け寄る。
「許さない、あいつら、絶対に許せない。お母さんを……」
それなのに母は「あの人たちを憎んでは駄目よ。もちろん傷つけるのも駄目。その気持ちは何も生まないの。妖や怪異が発生する理由は知っているでしょ? そう。怪異は人の恨み妬みが煮詰まったものが元。妖はその心につけ込んでくるの。お母さんは大丈夫。お母さんには紗月がいるから。だから人を恨むのも傷つけるのもしては駄目。約束してちょうだい。ね?」と言われて、指切りげんまんをした。
目の前で見た母の姿が、紗月の胸に深く刻まれた。――もう二度と、余計なことはしないと、静かにあの日に心の中で誓った。
少し前の自分と同じだ。自分はたまたま運が良かっただけ。でもあの人は、そうじゃないかもしれない。紗月は自分の胸元に手を当て、息を深く吸い込んだ。
「ちょっとすみません」
「え? 紗月ちゃん?」
紗月は青龍から離れ、箒を持つ男性に近づく。思いの外背丈があって、紗月の頭一つ分は高い。
「あの」
「え?」
「大丈夫ですか?」
「あ、えっと……」
この男性は自分を知らないのかもしれない。いや、知らないのだろう。この家に来て顔を合わせた人たちはほとんどいないのだから。でも自分から当麻の妻だと言うのは図々しい気がする。
「彼女は当麻の妻の紗月だよ。九条家の奥様」
紗月の元まできた青龍が助け船を出してきた。
「え! す、すみません! みっともないところを」
慌てて深々と頭を下げる彼に、紗月も慌てる。
「いえ、顔を上げてください。こんな私に頭なんて」
「何を言うんですか。当麻様の奥様ではないですか」
顔を上げた彼は、大きな目元に鼻筋が通っていて、当麻とはまた違った綺麗な顔立ちをした男性だった。この人、女の人にモテるだろうなあ、と紗月はジッと彼の顔を観察する。
「こら紗月ちゃん。当麻以外の男をそんなに見つめちゃ駄目だよ。確か藤堂宗近くんだったね」
「はい! 名前、存じて下さっていたんですね? 青龍様」
目を輝かせながら青龍に尋ねる藤堂は、かなり嬉しそうな顔をしている。
「九条家にいる者を、全て把握しているに決まってるじゃないか。じゃあ行こうか、紗月ちゃん」
「え?」
青龍は早く彼から離れたいとばかり、紗月の手を引っ張る。
「ちょっと待ってください」
紗月は手を引っ張る青龍を引き留め、胸元から白い布を取り出した。
「藤堂さんこれ、どうぞ」
「え?」
「私がした刺繍が入ったハンカチです。ここ、汚れているので」
そういって紗月は、自分の頬を指さす。
「でも」
「どうぞもらってください。私はこれくらいのことしかできないので」
藤堂はしばらく椿の刺繍がされたハンカチを見つめたあと「ありがとうございます」と深々と頭を下げた。
「さあ、行くよ」
「は、はい」
何度か振り返ると、彼はずっと頭を下げ続けていた。
現帝、宏昌の御代、嘉文八年。帝都は電灯と外套が交差し、官用車と人力車が同じ石畳を行き交う。
自動車は官庁と四家の列に限られ庶民は依然、人力車と乗合馬車に身を任せていた。
道沿いの店は活気に満ち、洋装の人も着物姿の人も行き交い、多くの買い物客で賑わっていた。
九条の家に向かう途中、窓からしか見られなかったけど皆、楽しそう。それに人の熱気というものを始めて感じた。まるで生命力がうねっているみたい。
紗月は街を肌で感じながら圧倒されていた。
それにしても凄く視線を感じるのは、きっと彼のせいだろう。
紗月を誘導する青龍は、洋装姿で目の色と髪の色を黒に変えてはいても、元の美しさはそのまま。目立たないはずがなかった。
「紗月ちゃん、喫茶店に入ろう。パフェが美味しんだよ」
「やったー! パフェだ! 青龍様、ありがとうございます」
加地は万歳をして喜んでいる。そう言えばいつか、パフェを食べようと母と約束したことがあった。でも確か……
「あの、でも高い、ですよね?」と青龍に尋ねる。
「ん? そう?」
「奥様、九条家ですよ? 金額のことを聞くなんて野暮ってもんです」
「そう、ですか」
母がいる時でさえ、貰い物やなるべく安いものを選んでいた自分にとって、その金銭感覚にはどうも慣れそうにない。
「じゃあ、入ろうね」
青龍に手を引かれ、店の中に入った。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
あとがき
どうも作者の秋乃ねこです。
いつも読んでいただきありがとうございます。
こちらの作品はカクヨムコンテスト11ライト文芸部門に参加中です。
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