第52話「隆の告白」
隆の話は続いた。
小学校の思い出。近所の友達と遊んだこと。母のピアノ教室で聞いた音楽。
中学での初恋。名前は真由美。話しかける勇気がなく、ただ遠くから見ているだけだった。
高校での音楽理論との出会い。なぜ音楽は美しいのか。なぜある音の組み合わせは心を揺さぶるのか。
そして大学。音響工学。柳沢正臣との運命的な出会い。
すべてが淡々と語られる。だが、その声には確かな感情があった。
喜び。悲しみ。後悔。希望。
すべてが音の波形として記録されている。
そして――73分が経過した。
タイムコードが「1999.12.4 00:43」を示している。
隆が最後の告白をした。
「そして――僕には、一つ秘密があります」
凛の心臓が止まりそうになった。
「研究室に、一人の女性がいます」
沈黙。数秒間。
「彼女の名前は――結城香織」
母の名前。旧姓の名前。
「僕は――彼女を愛しています」
凛の目から涙が溢れ出した。止められない。頬を伝い、顎から落ちる。
父が母を愛していた。
「でも――彼女には言えませんでした。なぜなら、僕は臆病だから」
隆の声が震えている。
「だから、せめてここに、記録として残します」
隆がマイクに向かって真っ直ぐ顔を向けた。
「香織」
父が母の名前を呼んだ。愛を込めて。
「愛してる」
シンプルな三文字。だが、その言葉には26年分の重みがあった。
「そして――」
隆が続けた。
「彼女は今、僕の子供をお腹に宿しています」
凛の全身が震えた。
「でも、僕はまだ何も言えていません。だから――せめてここに、記録として残します」
「香織、そして――生まれてくる子供」
隆の目に涙が浮かんでいる。
「凛と名付けたい。澄んだ、凛とした。そんな人になってほしい」
父が―― 私の―― 名前を――
「会えないかもしれない。でも――この記録が、いつか君に届くことを願っている」
凛は声を上げて泣いていた。
両手で顔を覆い、肩を震わせて。
父は知っていた。自分が戻れないことを。記録されたら、もう元には戻れないことを。
でも、それでも――娘へのメッセージを残した。
この記録に。26年後の未来に届くメッセージを。
「凛――もし、これを見ているなら――」
隆が最後に言った。
「幸せに生きてくれ。記録に囚われず、自由に生きてくれ。それが――父の願いだ」
画面が暗転した。
ムネモシュネの箱 ― 73Hzの永遠 ― 大西さん @2012apocalypsis
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