第2話 魔力測定
再試験が行われているという演習場まで、俺は彼女に手を引かれるまま走っていた。
五十年、山で歩く以外の運動をしていなかった身からすれば、なかなか刺激的だ。
肺が焼けるように熱い。
だが悪くない。
人の営みというのは、こうも騒がしいのか。
「ほら、こっちだよ!」
彼女に押されるように、俺はある建物の中に入る。
視界の先、室内空間には数十人の生徒がいた。
半分は沈んだ顔をしてうなだれ、もう半分は安堵の息を漏らしている。
緊張と敗北の空気。
おそらく俺と同じく再試験を受ける、もしくは受けた者たちだろう。
「九十九穂高(つくもほだか)!」
低く響く怒声に、場の空気が一瞬で張り詰めた。
「お前だけだぞ! まだ試験を終えていないのは! どこをほっつき歩いていた!?」
怒鳴っているのは中年の男。
額に青筋を立て、眉を吊り上げていた。
背筋を伸ばして俺を睨むその姿は、山でよく見た熊のようだ。
「遅れて申し訳ない。少し、迷っていたもので」
嘘ではない。
俺はこの学校の地形を、全く理解できていないのだから。
「迷っていた!? 演習場は校舎のすぐ裏だろ!」
「いや、建物がたくさんあって分かりづらい」
「はぁ!? 何を言ってるんだお前は!」
怒りに拍車がかかる中、
「光月先生、すみません。穂高……いえ、九十九は少し事情がありまして。説明は後で私がします。責任は、私が持ちますから」
隣の女子が話に割って入る。
「……小鳥遊紗和(たかなしさわ)。Aクラスのお前が、Dクラスのソイツを庇うってことは、何かワケがあるんだな?」
「はい!」
彼女――小鳥遊紗和は迷いなく首を縦に振る。
「……いいだろう。では九十九、前に出ろ!」
言われるまま、俺は演習場の中央へと歩み出る。
すでに周囲の視線が突き刺さるようだ。
「おい、早く終わらせろよ」
「再試験受けるようなザコ、もう退学でいいんじゃね?」
「はは、賛成〜」
「黙れ! お前たち二年が使うのは、まだ15分以上先だろ。勝手な口を叩くな!」
よく見れば反対側の入口に、また別の生徒が十数人こちらを見ている。
なるほど、上級生か。
どおりでさっきの男児たちよりも、魔力の気配が濃いわけだ。
「先生、それで――再試験とは、何をすればいい?」
静かに尋ねると、教師は鼻を鳴らした。
「この前の試験と同じだ。魔力測定。まともに魔力を練り上げられず、基準値に届かなかった者の再測定だ。これでダメなら……分かってるな?」
「退学ってことだろう?」
「よく分かってるじゃないか。なら早くしろ」
魔力測定。
再試験。
ダメなら退学。
そんな崖っぷちの事情を理解したところで、俺の頭の中の霧が晴れはじめた。
そしてこの器の記憶が流れ込んでくる。
九十九穂高、十六歳。
冒険者学校の一年生。
火・水・雷・風・土、どの属性の適性も乏しく、魔力操作も不得手。
それが原因で、日常的に同級生からのいじめを受けていた。
この時代、冒険者は常に人手不足。
ダンジョンの発生件数は、およそ五十年前の二倍以上にも及ぶ。
それもあってか、教育機関の入学条件はかなり緩いようだ。
しかしそれでも、冒険者として最低限の基準というものは存在する。
つまり――今、その瀬戸際に立っているのが、九十九穂高という男なのだ。
そして俺が闇の中で聞いた、声の持ち主。
あの弱さに満ちた苦しむ声。
そうか、君は色んなものを抱えているのだな。
俺は小さく息を吐き、測定台に歩み寄った。
そこには俺の身長よりも高い、透明な水晶のような装置がある。
そして中に数字が刻まれていた。
――350.309。
小数点まであるのか。
なかなか細かい。
「これは一年に求められる最低出力量だ」
光月の説明が続く。
「まともな者ならば、誰でも到達できる。これが出せなければ、ダンジョンで動くことすらままならない。つまり冒険者失格というわけだ」
「なるほど。わかった」
九十九の記憶――この間の試験では、この数値の半分も出せなかったようだ。
「……よほど緊張していたんだな」
俺は静かに両の掌を合わせ、呼吸を整えた。
魔力を練る。
それは五十年間、俺が山奥でひたすらに追求し続けた動作だ。
俺は手を測定器にかざした。
掌に意識を集中させると、魔力は静かに流れ出した。
長い修行の中で染みついた自然の呼吸のように、澄んだ魔力が器を満たしていく。
魔力測定器の水晶が淡く光を帯びた。
周囲が息を呑む気配。
だが俺は特に気にせず、提示された量――350.309を正確になぞるよう、魔力を整えた。
測定器の数字が動き出す。
デジタル表示された数値が一気に跳ね上がり、ピタリと止まる。
――350.309。
「…………は?」
教師の口が半開きで固まった。
「おい、小数点までピッタリじゃねえか……」
「いやいやいや、え? 何これ……計算ミス? まさかわざと合わせたわけじゃないよね?」
「どんな奇跡なんだよ」
生徒たちの声がざわつきに変わる。
穂高の幼馴染、小鳥遊紗和は俺の傍まで駆けつけ、を、俺と測定器を何度も見比べていた。
「穂高……これって、たまたまだよね……?」
俺は首を傾げた。
「指定された量を出しただけだが、何か問題が?」
「……っ!!」
紗和は息を呑み、目を丸くする。
周囲も同じような顔をしていた。
俺は指定された数値をただその通りに練っただけ。
五十年間、同じことしかしてこなかったのだから、これほど単純な作業はない。
「寸分の狂いもないとは……奇跡だな。いや、奇跡以上か……」
光月は深く息を吐く。
「合格だ、九十九穂高。偶然とはいえ、よくやった」
その一言で場のざわめきがピークに達する。
「いや、偶然ではないのだが……」
「穂高……っ! 合格だって!!!!」
紗和は両手を俺に突き出す。
手を合わせろ。
そういうことなんだろうが、女性と触れ合ったことのない俺としては少しハードルが高い。
なのでとりあえず合掌し、頭を下げておいた。
「再試験はこれにて終了! 一年はすぐさま教室へ戻るように!」
光月の声で場が動き出し、俺と紗和、そして他の一年たちは演習場を後にした。
* * *
紗和と別れ、教室に戻った。
一気に空気が静まり返る。
俺が席に腰を下ろすと、周囲の生徒たちがひそひそと囁き合い、視線だけをこちらに向けていた。
「おい、アイツ再試験受かったらしいぞ」
「うわ、本当だ。九十九のくせにありえねえだろ」
「あんな無能がDクラスにいるとか、俺たちまでザコだって思われちまうよ」
そんな声が遠くで聞こえる。
どうやら学園のポータルサイトに、すでに今回の結果が載っているようだ。
まぁ気にしない。
どれだけ陰口を叩かれようとも、所詮は子供の戯れ言にすぎない。
俺は俺で、自分のすべきことを行うのみ。
しかし俺のすべきことか。
今まで瞑想で魔力を鍛えることしかしなかった俺が、どういうわけかこの九十九穂高という肉体へ憑依を遂げた。
果たしてこの現象を起こしたのは神か仏か、それとも五十年瞑想を極めた果ての境地か。
何にせよ、今の俺が九十九穂高であるという事実は変わりない。
彼にもやり残したことはあるようだし、まずはそれを一つずつ解消していくのもいいかもしれないな。
そんな考え事の最中――
机にコツン、と影が落ちる。
「よぉ、九十九」
低い声。
聞き覚えのある声。
視線を上げると、そこには先ほど校舎裏で炎を放ってきた仁という男が立っていた。
その横には、同じ取り巻きが並んでいる。
「奇跡起こせてよかったなァ? 再試験ギリ合格、おめでとさん」
その声音は笑っていたが、目は笑っていなかった。
「ちょっと話がある。屋上まで来いよ」
その言葉には、隠す気のない悪意がにじんでいた。
周囲の生徒たちが息を呑む。
だが俺は椅子を静かに引き、腰を上げた。
入学以来、穂高をいじめていた中心人物。
黒田仁(くろだじん)。
「……この肉体に積もっている因縁の相手、か」
「は? なんだ?」
「いや、気にするな。行こう」
俺は仁たちの後に続いた。
屋上へ向かう階段が、静かにきしみ音を立てる。
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