04.境界の公園②
「汐見さん、そろそろ行く?」
飲みかけのペットボトルを傾けながら、朔が尋ねた。
「行く。準備してて」
散歩と称した夜のコンビニ徘徊も、最近できたふたりのルーティンだ。汐見は薄手のパーカーを羽織り、ポケットに財布と部屋の鍵をまとめて押し込む。
玄関に向かうと上がり
靴下に手こずっている。かかとがひっくり返って、指がうまく入らない。
「……」
「汐見さん」
「はいはい。貸してみ」
置いていかれるのは嫌です、とわかりやすく顔に書いて、朔が見上げてくる。しゃがんで、丸まった靴下の口を広げ、かかとと縫い目をまっすぐに直す。
朔の足首を片手で支え、爪先の部分だけを履かせて合わせる。
皮膚の温度が足首から骨へ落ちる感じが、指先に移る。冷たい。
「あとは自分でやれ」
「ありがと」
「自分でできるようになれ」
「努力します」
口調は真面目なのに、表情はふにゃりとしている。
言われた通りに努力するかは別問題だ。けれど、手伝うこと自体は嫌じゃない。手が覚える仕事は、心を静かにする。
ドアロックを外し、外に続く扉を開けた。むわっとした空気が部屋の中に流れ込んで、夜の湿り気が皮膚にまとわりつく。
玄関ポーチを降りると、雨上がりの路面がまだ濡れていた。
ようやく準備を終えた朔が、ぺたぺたと足音を立てて姿を見せた。足もとをサンダルにするならわざわざ靴下を履かなくてもいいだろうに、と汐見は思う。けれど、それもきっと朔なりのルールのひとつなのだろう。
「今日はどこ行くの? またセブン?」
並んで陸橋を渡りながら、朔が尋ねる。
「ファミマかな。バリカタプリンの新作が食べたい」
橋を渡り終えて突き当たりを左に曲がり、次の四つ角を右に行けばファミリーマート。左に行けばセブンイレブン。そのまま進めば、まいばすけっと。
コンビニの種類にこだわりはないけれど、地元ではこんなに至近距離での三択は存在しなかった。これをやるたびに、周縁部とはいえ一応東京で生きているんだという、ささやかな実感がある。
「バリカタ?」
「プリンも固いのが流行ってんの」
「へぇ」
下の道路に車は少ない。標識の黄色灯だけが路面に滲んで、塔の下へ細い光の帯を吸い込んでゆく。
ファミマの冷蔵スイーツ棚で、目当ての新作は売り切れていた。「新商品」のポップだけが残されている。
もはや別のプリンを選ぶ気にはなれず、代わりにヨーグルト味のチューブアイスをひとつ、かごに入れる。それから、朔はコーラをもう一本。汐見は発泡酒と乾き物のつまみと、冷蔵庫のストック用に二リットルのお茶を一本。
「お箸つけますか?」
「いりません」
支払いを済ませて外に出る。
フラットな白い光の箱から夜の湿りに戻ると、肌にすぐ重さが戻ってくる。
帰り道、少しだけ遠回りをして、小さな公園に立ち寄った。
公園を区切るように小山のような坂がある。その上が、ぽつんと開けた小さな広場になっている。
入り組んだ地形のこのあたりは、昔は海の底だったらしい。広場の一角には、雨の跡に文字をわずかに膨らませながら、貝塚の小さな案内板が立っていた。
六千年前の人間も、この貝はうまい、こっちの魚はヤバい、なんて俺たちと同じことを言っていたんだろうか。
海と陸のあいだ、という言葉が、足の裏の感触に落ちる。
崖線の際にある古いベンチにふたりで座る。
日中でも薄暗く、人の足があまり届かないのだが、夜は視界が開けて眺めがいい。
温かく揺れる街の灯。流れるヘッドライト。
厚い雲に覆われた空を見上げても、星のひとつも見えない。
頭上を照らすレトロな丸い街灯だけが、優しい光を落としてくれる。
誰からも忘れ去られたこの公園くらいが、今の俺たちにはちょうどいい居場所だ。
◇◇◇
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