第2話 クロエと、魔獣
各々が散開した後、私は森の中を進んで行く。 森の中は、曇りでも無いのに薄暗い。
微かに湿った土を踏みしめていく。 この時、僅かながら土の臭いがする。
木々の隙間からは鳥が飛び立ち、甲高い鳴き声を響かせる。
そんな森の中、何かが動き私は弓を構える。
「……」
草木から現れたのは、1匹の鹿だった。 ツノも生えていないのを見るに、牝鹿だろう。
灰褐色の毛並みには、白い斑点がまばらに散らばっている。
「なんだ……ただの鹿か。 アナタは、眼中に無いのよね」
私は、弓を下ろす。 鹿は確かに大きい方だが、更に大型の獣でないと、この祭りで周りに勝つのは無理だろう。
鹿の方も、私に気付いたのか、動くのを止めてこちらを見つめる。
どうやら、鹿は私に警戒をしているみたいで、視線を逸らさない。
「……別に、何もしないわよ」
私は、鹿を無視して更に奥地に進む。 鹿の方も、私の動きを合図に、森の奥に消えていく。
枝の折れる音が、私から遠ざかって行く。
◇
「懐かしい場所ね」
大小様々な岩が、沢山転がっている場所に出る。
この場所は、子供の頃にクロエとの遊び場だった場所。
この岩に、飛び移ったりして遊んだが、今思えば無意識にバランス感覚を養っていたと感じる。
「当時のアイツは、今より素直な奴だった気がするわ」
中でも、ひときわ大きい岩に、私と彼女の名が彫られている。
特に意味はないけど、せっかくだからとお互いの名を掘ったのを思い出す。
今見れば、水滴が流れた様な下手くそな文字だけど、当時はそんな事は考えないで笑い合っていた。
あの時は、本当に純粋に楽しんでいたわね。
「……関係は、時間と共に変わっていくのね」
私がそう呟いた瞬間、雄叫びが森に響く。
「!? この雄叫びは?」
それは、大気を震わせ、森の鳥たちが一斉に飛び立つ。
最初は、熊かと思ったが深い地面から響くような咆哮で、微妙に違う。
「……嫌な、予感がするわね」
私は、雄叫びの方に走り出す。
草木を掻き分け、森の湿った土を蹴りながら向かう途中、参加者と思われる傷だらけの3人のエルフと鉢合わせになる。
私が駆け寄ると、3人は私に気づいたのか、少し安心した表情を浮かべる。
私は3人を見る。 一人は、コレットと言う短髪の少女。 他は、アルベールとニコラと言う少年達だ。
3人の中では、比較的に傷が浅い長身のアルベールが話しかけてきた。 彼は、村長の孫に当たる。
「アリスか。 まさか、こんな所で会うなんて」
「向こうに、何かとんでもない奴がいるんでしょ?」
アルベールは頷く。 その表情は、暗く疲れたような感じだ。
「あれは、ただの獣じゃない」
「獣じゃない?」
私の言葉に、アルベールの隣にいるニコラが小さく呟く。
「ああ。 信じられないが、あれは……魔獣だ」
「え? 魔獣って、マナの影響で変異した獣の事よね?」
「そうだ。 オークやトロールですら捕食する化け物だ」
マナとは、空気中や私達の体内にある存在だ。 そして魔獣は、獣時代に濃いマナが漂う場所に居続けたり、私達の様にマナを持つ生物を捕食し続けた結果の姿だ。
そんな生き物を相手に、3人は生きている。 これは、不幸中の幸いだろう。
「……そうなのね。 でも、あなた達はよく魔獣から逃げれたわね。 怪我した獲物とか、魔獣なら逃がさないと思うけど」
魔獣は、強い魔物と争う程の強さだ。 そんな相手に、怪我で済むなんて運が良いと感じる。
「それは、クロエが私達を逃がす為に残ったからよ」
「え? クロエが?」
コレットの言葉に私は聞き返すと、アルベールが頷く。
「そう。 魔獣に、やられそうになった所を彼女に助けてもらったんだ」
アルベールの言葉に、ニコラは苦笑いする。
「あそこに居ても、オレ達じゃ足手まといにしかならないからな。 悔しいが……俺達が出来るのは、村に報告をして大人達を向かわせる事しかできない」
アルベールの言葉を聞いた2人は、顔を下に向ける。
そして、ニコラが私の方に向く。
「アリスは、どうするんだ?」
「私? 私は、クロエの方に向かうわ」
「本気か?」
ニコラが、私に聞いてくる。 私は、頷く。
「ええ。 本気よ?」
私の、言葉を聞いた3人は驚きながらも、小さく頷く。
「アリスとクロエが共闘をすれば、討伐出来るかもしれないな」
アルベールはそう言うと、私の肩に手を置く。
「自分が言うのもアレだけど、彼女と2人で生きて戻ってほしい」
「ええ、分かったわ」
私の、言葉を聞いたアルベールは頷く。
「危険と思ったら、迷わず逃げてくれよ?」
ニコラがそう言うと、3人は村の方へと走り出す。 途中、コレットが振り向き私に声を上げる。
「それと、魔法が魔獣に効いてなかったわ。 他に何があるか分からないから、気を付けて」
「ええ。 分かったわ。 ありがとう」
コレットは、この場を離れて行く。
「……とりあえず。 クロエの所まで行きましょうか。 私が到着するまで、死ぬんじゃないわよ」
♢
私は、雄叫びの主と思われる魔獣が視認できる場所に到着する。
魔獣の体格は大きく、前足が私達と同じ様に5本指をしており、赤黒い体毛が揺れている。
本来の獣なら、あんな形の前脚はありえない。
「魔獣になった時、手も変化したのかしら? それよりも……」
魔獣の見る先には、クロエが立っている。
彼女に近付くにつれて、クロエの状態が分かってくる。 どうやら苦戦している様で、服に血が滲んでいる。
「クロエの奴、ボロボロじゃない」
彼女は、決して弱くない。 逆に、私と同等か状況によっては、私が不利になるだろう。
だが、劣勢になっているのを見るに、それだけ魔獣が強大だということだ。
魔獣が、彼女に飛びかかり腕を振り下ろす。
クロエは、攻撃を避けるが着地場所に小石があったのか、足を滑らせてバランスを崩す。
魔獣は、その隙を見逃す筈もなく、追撃をする為に大きく振りかぶる。
「……もう、見てられないわ」
本来の彼女なら、足を滑らすなんてミスは犯さない。
今の、体力の減ったクロエの状態は、とても危険だ。
私は、走りながら弓矢を構えると、魔獣に矢を向ける。
腕を振り上げている魔獣に矢を放つと、矢は胸部に刺さる。
魔獣は、突然の事に雄叫びを上げると後退し、その隙に彼女の隣りまで駆け寄る。
「!? だ、誰ですの!?」
クロエが、私に顔を向ける。 彼女の、血と汗や土で汚れた顔が、魔獣との激しい戦いを物語っている。
「あ……アリス!?」
「……何やら、手こずってるみたいね。 手を貸すわよ?」
私は、そう言いながら構えた弓から矢を走らせる。
魔獣は、矢を手で弾くと、後方に飛んで距離を取る。 そして、低く唸り声をあげている。
どうやら、新たに現れた私を警戒し、観察している様だ。
「見た感じ、結構やられたみたいね。 腕が、鈍ったんじゃないの?」
「う、うるさいですわね! それより、アリス。 なぜ、ここに来ましたの? 早く、逃げなさい!」
「は? 逃げる?」
私は、僅かに顔を彼女に向ける。 彼女は、歯を食いしばり魔獣を睨んでいる。 あの顔は、幼少時に喧嘩した時以来だ。
「ええ。 奴はただの獣ではないですのよ。 アレは、魔獣ですのよ。 魔法も、殆ど効きませんわ」
「ええ。 途中で会った3人に聞いたわ」
私は、説明しながら魔獣を見る。 横のクロエの表情が、容易に想像できた。
「! それを、聞いたのに来ましたの?」
「ええ、そうね」
「……なぜ? 死ぬかもしれませんのよ?」
私は、クロエの前に立つと、矢を構える。
「理由なんてないわ。 ただ、魔獣の強さに興味があるだけよ」
「……そう……ですのね」
実際は、魔獣の強さなんて興味なんてない。 クロエを助ける、それだけの理由だ。
私は、彼女と魔獣の間に立ち、矢を構える。
「後、1人でカッコつけてるとこ悪いけど、アンタも一緒に村へ帰るのよ?」
「……え?」
「私は、アンタが死んだら墓を建ててやろうと思ってたんだけど。 コレット達が、必死にアンタを無事に連れ戻せって頼んできたのよね。 だから、一緒に帰るわよ? 返事は、ハイしか受け付けないから」
「……」
クロエは、私に逃げる意思が無いと分かったのか、小さく溜息を吐く。
そして、呆れとも取れる表情をする。
「……貴女は、これ以上言っても聞かないでしょうし、後で逃げれば良かったと泣き言は無しですわよ?」
「私を、誰だと思っているのよ? それより、まだ戦えるかしら? 辛かったら、私が気を逸らしてあげるから、先に帰っても良いわよ?」
私は、彼女に軽口を叩く。 私の知る彼女なら、ここで逃げる奴では無いと分かっての言葉だ。
「私を、舐めないでほしいですわ」
その言葉を聞いて、私の口角が上がる。
幼少時、岩から岩に飛ぶ時に躊躇していた彼女に、軽口を言った時を思い出す。
あの時も、同じ事を言っていたわね。
「それなら、良いわ」
私達の会話を見ていた魔獣は観察を終えたのか、はたまた痺れを切らしたのか咆哮を上げると、その大きな身体で突っ込んでくる。
「! アリス! 来ましたわよ!」
「私が前に出るわ! 援護して!」
私達は、各々で武器を構える。 倒すは、目の前の魔獣だ。
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