記憶なき器は、冷たい漆黒を抱く
金糸雀
第1話 不思議な夢と、狩猟祭
薄暗い空の下、私は霧が立ち込める中を立っている。 そこは、陸では無く湖のようだ。
いや……湖と呼ぶには.余りにも広い。
私は、この光景を見てある話を思い出した。
“海と呼ばれる水の大平原は、湖よりも広く、山が全て浸かる程にとても深い”っと。
私は、そんな話に当てはまるこの水の平原に、沈むことなく立っている。
この不可解な状況で、私は察する。
そう……これは夢だ。 話を聞いた私が、海と言う存在を想像だけで作り出した夢なのだと。
だが、理解した所で私は、なぜか動けない。
まるで、他人の視界を覗いているかの様だ。
私は、動かすことの出来る首を使って周囲を見渡すが、やはり何も無い。
――なんて、寂しい世界。
私がそう思ったと同時に、離れた場所の水面が盛り上がり、水しぶきを上げながら何かが現れる。
「!?」
水面から現れ巨大なソレは、薄暗さと黒い霧によりハッキリとは分からない。
微かに見えるシルエットの中、赤い光が2つ輝いており、本能がそれは眼だと訴える。
私とソレは、お互いに動く事なく見つめ合っており、私は赤い眼から視線を逸らそうとした。
「!」
次の瞬間、身体が海に沈む感覚に襲われる。
呼吸が出来ず、苦しい中で身体も動かない。 その様な状況の中、私の意識は徐々に遠のいて行く。
意識が薄れていく中、ソレが私に近づいている様な気がした。
♢
目を覚ました私は、上体を起こす。 朝日が窓から差し込み、本来なら気持ちの良い朝なのに、夢のせいでそんな気分にはならなかった。
「何よ、あの夢」
そう呟きながらベッドから降りる。
背中まで伸びた、薄い金髪が朝日に照らされ、彼女の透き通った青い瞳が前髪から覗かせる。 エルフと分かる、長く尖った耳をしている。
「……さぁ、着替えましょうか」
濃いグレーのシャツに腕を通し、木製のスタンドに掛けられた、フード付きのくすんだオリーブ色のコートを羽織る。
コートと同色のズボンに、足にフィットした黒いブーツを履く。
着替え終わると、部屋を出た。
私は窓に目をやると、窓枠に置かれた観葉植物に、水をあげている人文が目に入った。
私に気がついた、熟年なエルフの女性は話しかけてくる。
「おや、おはよう。 アリス」
「おはよう。 キキばぁ」
私は、挨拶をすると席に着く。
今、植物に水をあげていた女性はキキと言い、この村の巫女である。 私の呼び名ほど、見た目は老いては居ないが、年齢が年齢だから勝手にそう呼んでいる。
そして、私に物心がつく前に狩猟中の事故で死んでしまった両親の代わりに引き取ったのが、キキばぁことキキ・ユニヴェールである。
「テーブルに朝食が用意してあるから、顔を洗ってきたら食べなさい」
「わかったわ」
テーブルを見ると、パンに木の実や肉料理が置かれている。
肉は、昨日狩った兎の肉。 柔らかくて、猪より脂肪分が少ないから、朝食べるのには良い肉だ。
♢
私は、顔を洗う。 朝の冷たい水で、眠気が吹き飛ぶ。
その後、私はキキばぁが座っているテーブルに行き席に着くと、料理を前にして手を合わせる。
「「いただきます」」
私達は自然の恵みに、感謝の言葉を言い終わると、朝食を口に運んでいく。
木の実の甘酸っぱさが口に広がる。 私は、この甘酸っぱさが好きで、子供の頃は何人かで山に獲っては食べてたのを思い出す。
当然、子供だけで山に入ったら、大人達にこっ酷く叱られたけど。
「今日は大事な日だから、沢山食べて英気を養うんだよ」
「えぇ、そうね。 でも、心配は要らないわ」
今日は、100年に1度の狩猟祭と呼ばれるこの村で執り行われる祭の日で、この祭りで動物を狩猟する。
この祭りで狩猟した動物を、森から採ってきた素材と合わせて、山に供えて還す。
その後、獲った動物と素材は料理されて村全体に振る舞う。 この時も、全て料理する訳ではなく、保存の効く材料は加工する。
そして、祭りで大物を狩った者には、山と水の神から祝福されると言われており、エルフにとっては大変名誉な事だ。
「幼少からの訓練や鍛錬を見ていたけど、アリスには才能があるんだ。 私は心配しとらんよ」
「本当かしら?」
今まで、辛い訓練や鍛錬を積んで技術を磨いてきたのだから、良い結果にはなって欲しい。
「まぁ、周りより大物を狩ってやるわ」
「その意気だ。 だが、気をつけるんだよ」
「え? 気をつける?」
慢心するなって事かしら? 確かに、自信を持つのは良いけど、慢心は良く無いわね。
「最近、森の奥から不穏な風が流れているからね」
慢心とは、関係無いみたいね。 そう感じながら、キキばぁの放った言葉を、私は口に出す。
「不穏な風? 何それ?」
村の巫女であるキキばぁは、森が安定しているか肌で感じると言っていた。
今は巫女として活動してるけど、150年以上前は狩人も兼任していた。
「ああ、森が騒ついているんだよ。 以前、御三家で話し合ったんだけどね、歴史ある祭りと言うこともあって、そのまま執り行う結果になったんだよ。 それに、参加者も素人じゃないし、臨機応変に動くだろうとも言っていたけど……私は、余り賛成出来ないよ」
「ちょっと、今そんな話を聞いたら不安になるじゃない」
確かに、私達は素人では無い。 凶暴な大型獣が来ても、上手く立ち回れるだろう。
それより、今から参加する私に不安な気持ちにさせる発言の方が、個人的には良く無い気がする。
例えるなら、怪我の確認をしてもらったら、理由も無く“……あっ”と言われる様な物だ。
そんな、私の反応を見たキキばぁは笑っている。 もしかしたら、私の反応を楽しんでいるのかしら?
私が目を細めると、キキばぁは軽く咳をする。
「私も年齢で慎重になりすぎてるのかも知れないけど、何かあったら狩人達に任せるんだよ」
「ええ、分かったわ。 まぁ、その不安は杞憂に終わる位の、結果を出してみせるわ」
私は、食事を済ますと、ドアに向かう。
「アリス」
「……何かしら?」
「祭りが上手くいく様に、山に祈っておきな」
「山に? 祈らなくても、上手く行くと思うけど?」
キキばぁが、無言で私を見てくる。 これは、祈った方が良さそうね。
ここで、逆らっても良いことは無い。
「……分かったわよ」
私は、外に出ると山に向かって2回手を叩き、手を合わせる。
自然を崇拝する山岳信仰は、キキばぁや他の大人達は熱心だ。 私達も信仰しているが、大人達程ではない。
幼少には、《山には先祖の魂が住み、死んだ我々の魂も山に還り、エルフを見守る》ってキキばぁから寝る前に聞かされてたわね。
私は、手を合わせながら、そんな事を考える。
「……それじゃあ、先に行くわね」
私は、村の出入り付近に向けて歩き出す。
◇
村の出入り口でもある場所に人集りが出来ていて、私もその中に加わる。
私と同じ若いエルフ以外にも大人達も大勢おり、各々が今回は誰が祝福されるかや、自分が祝福されると意気込んでいる者もいる。
私も口には出さないけど、自分が祝福されると思っている。 まぁ、始まる前から自分は無理だと思ってる奴は居ないんだけど。
「あら? 貴女も出るの?」
そう言いながら、大型ナイフと小型ナイフが納められたレザーシースと、鍵縄を腰に下げている。
他にも、ツインにした明るく透き通った茶髪が縦にロールしており、そんな彼女が、私に話しかけて来る。
いきなり、面倒な奴が来たものね。
「えぇ、そうよ。 悪いかしら?」
「悪くないですわ。 ただ……」
「ただ?」
私は、彼女の言葉を聞き返す。 どうせ、ろくでもない事を言うんだろうけど。
「貴女……この祭りに出られる年齢でしたのね。 お子様だと思っていましたのに、これは驚きですわ!」
クロエは、驚いた表情をしながら、口に手を当てる。
彼女は、私の年齢を把握しており、これはただ絡まれていると分かった。
「クロエは、190才よね? その若さで既にもうろくするなんて、ご愁傷様ね。 獣を狩るより、記憶に効く薬草を刈った方が良いわよ?」
「な、何ですって!」
自分から来といて、本当に面倒くさいわね。
私は、小さなため息を吐く。
「まぁ、良いですわ。 それより、今から棄権した方が良いんじゃないですの?」
「……棄権? 私が? 何故?」
「この祭りで、私との差を垣間見る……それは、とても辛い事だからですわ。 まぁ、貴女の手に余る程の大物が現れたら、この私が助けてあげますわよ?」
クロエはそう言いながら、私に指差す。
クロエの家は村の御三家の1つであり、先祖代々狩人長の役に就いている名家である。
現在、クロエの父親が次期狩人長になる為の訓練や教育を受けているとも聞く。
それもあってか、彼女は自分の腕に自信を持っていて、周りに……ていうか、私だけに何かと絡んでくる。
彼女のプライドの高さは、子供の頃から変わらずで、森で木の実の数で勝負したり、釣った川魚の大きさでも勝負もしたわ。 現在、私が勝ち越してるけど。
それ以外にも、色々勝負をしたわね。
「私が狩れないヤツを、何でアンタが狩れるのよ? 自分を過信していると、いつか死ぬわよ? まぁその時は、墓を建ててやるから安心して逝きなさい。 墓石には"愚者、ここに眠る"ってね」
「ふふふ。 自分の墓石の話を私に聞かせるなんて、貴女にしては面白いジョークですわねぇ」
私とクロエが話していると、村の鐘が3回鳴る。
これは、祭を始める前の合図だ。
壇上に村長が登壇すると、参加者である私達に祭りの意味や祝福される名誉などを説明し、最後に全力を尽くす様に語る。
その後、話が終わるとキキばぁが森に向かって祈りを捧げる。
それが終わり、私達は森の入り口に立つと鐘が鳴り響く。
これは祭りの始まりの合図であり、同時に参加者達は森の中へと走り出す。
「それじゃ、行くわよ」
私は、服のフードを深く被る。 そして、優しい風で微かな詩を奏でる森の中に、私は一歩足を踏み入れる。
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