第28話 少しだけ本気を出す。クワ一振りで天候を変えてしまった

「グオオオオオオオオオオッ!!」


暴食の巨神(グラトニー・タイタン)が吠えた。

俺、クロムにスコップ一本で拳を受け止められた屈辱と、底知れぬ恐怖。それらが混ざり合い、奴の本能的な防衛機能を暴走させたのだ。


ズゴゴゴゴゴ……!


巨神の背中にある火山のような突起から、紅蓮の炎が噴き上がった。

周囲の気温が一気に跳ね上がる。

コテージの周りの草木が、熱波だけで茶色く枯れ始めていく。


「ああっ! 私の肌が乾燥しちゃう!」

ミナが悲鳴を上げ、アイリスが必死に氷の結界を展開して全員を守る。


「熱いわ……! このままじゃ島全体が焦土と化すわよ!」

セリスが叫ぶ。


俺は舌打ちをした。

俺自身は熱さなどどうでもいい。ドラゴンが棲む火山の火口で入浴したこともある。

だが、問題はそこじゃない。


「おい、やめろ」


俺は低い声で告げた。


「今はサトウキビの収穫時期だ。こんな高温に晒されたら、糖度が落ちて味がスカスカになっちまうだろうが」


農作物にとって、急激な気温変化は大敵だ。

特に、この熱波はただの熱じゃない。魔力を帯びた汚染熱だ。土壌のバクテリアを死滅させ、この島を不毛の大地に変えてしまう。

それは、俺の「スローライフ(美味しいもの生活)」に対する明確な宣戦布告だった。


「これ以上、俺の農場(シマ)の環境を破壊するなら、容赦はしない」


俺は手に持っていたスコップを、異空間収納(アイテムボックス)へと放り込んだ。

そして、代わりに一本の道具を取り出した。


それは、使い込まれた一本の「クワ」だった。

柄は樫の木、刃は黒鉄。

どこの村にでもある、ありふれた農具だ。

だが、俺がそれを握った瞬間、クワは所有者の怒りに呼応し、妖しいまでの輝きを放ち始めた。


「グォッ!?」


巨神が後ずさった。

本能が警鐘を鳴らしているのだ。あの小さな棒切れが、自分を殺し得る凶器だと。


「先手必勝!」


巨神が口を大きく開けた。

喉の奥で圧縮されたマグマと魔力が渦を巻く。

『焦熱光線(ヒート・ブラスト)』。

島一つを消滅させる、神話級のブレス攻撃だ。


ドオオオオオオオオッ!!


極太の熱線が、俺に向かって一直線に放たれた。

空間が歪み、海面が沸騰する。

セリスたちが絶望の声を上げる暇もなかった。


だが。


「『畝(うね)作り』」


俺は無造作にクワを横に振った。

ただ、それだけだ。


ヒュンッ。


風切り音と共に、目に見えない断層が走った。

迫りくる極太の熱線が、まるで豆腐を切るように、俺の目の前で真っ二つに裂かれた。

左右に分かれた熱線は、俺を避けるように背後の海へと着弾し、巨大な水蒸気爆発を引き起こした。


「ガ、ア……?」


巨神の思考が停止した。

最強の攻撃が、農作業のような動作一つで無効化されたのだ。


「雑草(おまえ)の根っこは深いようだな。なら、根こそぎいくぞ」


俺は一歩、空を踏んだ。

空中歩行(エア・ウォーク)。

足場のない空中に、見えない土があるかのように踏みしめ、俺は巨神の目の高さまで跳躍した。


「教育的指導だ。……歯を食いしばれ」


俺はクワを大きく振りかぶった。

狙うは、巨神の巨体でも、急所でもない。

奴を取り巻く「環境」そのものだ。


この島を覆う淀んだ魔力雲。

巨神の熱波によって乱された大気。

それら全てを「耕す」ことで正常化する。


「『天候耕作(スカイ・ティリング)』」


俺はクワを振り下ろした。

物理的な接触はない。

だが、クワの軌跡が生み出した圧倒的な風圧と、俺の魔力が融合し、超高密度の衝撃波となって世界を駆け抜けた。


ドォォォォォォォォォォォォォォォォン!!!!!


天地がひっくり返ったような轟音。

衝撃波は巨神を飲み込み、そのまま天へと突き抜けた。


巨神の巨体が、木の葉のように吹き飛ばされる。

そして、その余波は上空を覆っていた分厚い暗雲へと到達した。


ズパァァァァァァァッ!!


空が、割れた。

何十キロにもわたって渦巻いていた積乱雲が、俺の一振りによって物理的に消滅させられたのだ。

雲散霧消という言葉があるが、これは「雲散」の規模が違う。

大気そのものが洗浄され、強制的に「快晴」へと書き換えられた。


数秒後。

そこには、嘘のように澄み渡った青空と、満天の星々が戻ってきていた。

月明かりが、静まり返った海を優しく照らす。


「……え?」


浜辺でへたり込んでいたミナが、ポカンと口を開けて空を見上げた。


「あんなに凄かった嵐が……一瞬で?」

「雲が……消し飛んだ……?」

アイリスも眼鏡がずれたまま硬直している。


「気象操作魔法……? いいえ、違うわ」

ルルが震える声で分析結果を呟く。

「ただの『風圧』です。クワを振った衝撃だけで、台風規模の低気圧を吹き飛ばしました……。物理法則の崩壊です」


セリスだけは、静かに笑っていた。

「やっぱり……貴方の『本気』は、次元が違うわね」


俺はゆっくりと地上に降り立った。

手の中のクワを確認する。

ヒビ一つ入っていない。俺の魔力コーティングのおかげだ。


「ふぅ。これで風通しが良くなったな」


俺は額の汗を拭った。

湿気が飛び、爽やかな夜風が吹いている。これなら野菜たちも快適に育つだろう。


さて、害獣の方はどうなったか。


俺は視線を、浜辺の端に向けた。

そこには、吹き飛ばされて砂に埋もれた巨神の姿があった。

だが、そのサイズがおかしい。

さっきまで50メートルあった巨体が、今は大型犬くらいのサイズに縮んでしまっていた。


「キュ~……」


巨神――いや、ミニ巨神は、目を回してピクピクと痙攣していた。

俺の一撃で体内の暴走魔力が霧散し、核となる本体だけが残ったようだ。

見た目は、赤い岩肌をした子犬のようなゴーレムに見えなくもない。


「……随分と可愛くなったな」


俺は近づき、ミニ巨神の首根っこを掴んで持ち上げた。


「キュッ!?」


巨神がビクッと震え、俺を見て怯えたように手足をバタつかせた。

もう戦意はないようだ。

というか、俺に対する絶対的な服従(トラウマ)が植え付けられている。


「命までは取らん。だが、畑を荒らした罪は償ってもらうぞ」


俺はニヤリと笑った。


「お前のその体、溶岩のような熱を発してるな? ちょうどいい。俺の畑の『温室栽培用ヒーター』として働いてもらおう」


「キュッ! キュイッ!(はい! やります!)」


ミニ巨神が高速で頷いた。

言葉は通じないが、意思疎通はできたようだ。


「クロムくーん!」


ミナたちが駆け寄ってきた。


「大丈夫!? 怪我はない!?」

ミナが俺の体をペタペタと触って確認する。


「ああ、平気だ。ちょっと準備運動になったくらいだよ」

「準備運動で天候を変えないでください……」

アイリスが深いため息をつく。


「でも、助かったわ。あのまま戦っていたら、島ごと沈んでいたかもしれないもの」

セリスが安堵の表情を浮かべる。


「それで、その子は?」

ルルが俺の手の中のミニ巨神を指差した。


「こいつか? 新しい園芸部のペット兼、暖房器具だ。名前は……『ポチ』でいいか」


「「「ポチ……」」」

神話級の怪物の名前にしてはあんまりだが、こいつにはお似合いだ。

ポチも気に入ったのか、「ワフッ!」と鳴いた。


「さあ、邪魔者は片付いた。コテージに戻って寝ようぜ。明日は朝から畑の手入れだ」


俺が歩き出すと、みんなも苦笑しながらついてきた。

頭上の星空は、今まで見たどの夜空よりも美しく輝いていた。


こうして、ルルディナ島を襲った未曾有の危機は、俺のクワ一振りによって「快晴」へと変えられた。

俺たちの合宿は、あと一日残っている。

明日はきっと、最高の収穫日和になるだろう。


……と、俺は思っていたのだが。

翌朝、ポチが俺の布団の中に潜り込んでいて、それを見たミナとセリスが「抜け駆けよ!」と騒ぎ出すところから一日が始まるなんて、この時の俺は知る由もなかった。

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