第五十六話 屋上の罠——撮影者が仕掛けた“未来の条件”

屋上の罠——撮影者が仕掛けた“未来の条件”を読み解く**


 夕方の空気には、妙な湿り気があった。

 俺と雨宮は、未来視が示した場所——大学の旧校舎屋上に立っていた。


 鉄柵の向こう。

 曇天の下に広がる街。

 そして、そこに“あるはず”の影。


「ここ……だよな。未来視の映像は」


「ええ。間違いありません。

 ですが、おかしい。何も……いません」


 雨宮が周囲を慎重に見回す。

 俺も柵際に近づき、未来視の“決定的瞬間”を思い返した。


 俺が振り返る。

 赤い光。

 カメラのシャッター。

 そして——“撮られる”。


 胸がざわつく。


「……あれ?」


 足元に、違和感。

 小さな反射光。


 俺はしゃがみ込み、角度を変える。

 鉄扉の影に、黒く薄い物体。


「カメラ……?」


「木村さん、触らないで!」


 雨宮が急いで駆け寄る。

 その声の切迫に、思わず手を引っ込めた。


 雨宮は慎重にその物体を観察する。


「これは囮です。

 本物……別にあります」


 言われて、背筋が凍る。


「じゃあ未来視で見た“赤い光”って……」


「あなたを誘導するための“本命のカメラ”でしょう。

 こちらは、あなたが発見して安心するための偽物。

 撮影者は二段構えで罠を張っています」


 雨宮は視線を上に向ける。


「……例えば——あそこ」


 指差した先は、屋上の天井付近。

 古い配線ダクトの隙間から、極小の赤い点が瞬いていた。


 見つかった瞬間、心拍が跳ねた。


「……完全に撮られてた、ってことか」


「“あなたが罠を回避したつもりになること”も、未来視に含まれていたのでしょう。

 撮影者はあなたの行動予測に長けています」


 言い返せなかった。


 未来視があっても、「誘導」には弱い。

 この屋上に来た時点で、俺はすでに“予定通り”の動きをしていたわけだ。


 雨宮が小型端末を取り出し、赤外線を照射してカメラを無力化する。


「……これで、屋上の罠は解除しました。

 ですが——」


「まだ終わってない?」


「はい。

 撮影者は、この罠を踏んだあなたの反応まで計算している可能性があります」


 嫌な汗がにじむ。


「じゃあ……どうすれば……」


「帰宅してください」

 雨宮は即答した。


「今ここで“予想外の動き”をするより、

 あなたが帰宅するほうが、撮影者の次のアクションが読みやすいんです」


「……わかった」


 俺は雨宮と別れ、夕暮れの道を歩き出した。

 胸の中には不安と悔しさが渦巻いていた。


(撮られた……本当に)


 未来視を持ちながら、罠に気付けなかった。

 相手の方が一枚上手なのかもしれない。


 その考えが離れないまま、家に着き、玄関の鍵を開けた——


 ——その瞬間。


「こんばんは、木村くん」


 家の中に、声があった。


 反射的に振り向く。


 そこには——


ピンクのロング髪。

 笑うように細められた紫の瞳。

 制服でも私服でもない、配信者風のラフな衣装。


 画面でしか見たことのない顔。


《P!nkRoom / ぴんくる》——人気急上昇の新人配信者。


 だが、彼女は笑っていた。


「初めまして。

 ——私が“撮影者”だよ、未来予知くん」


 背筋が凍りついた。


 家の中で、逃げ場はなかった。

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