第五十四話:振り返る影——未来視が示した“決定的瞬間”とズレる現実

未来視が、まるで脳を掴むようにして強制的に再生される。


 暗い屋上。

 風に揺れる非常灯。

 フェンスのそばで――影が振り返る。


 ひどくゆっくりと、

 こちらに顔を向ける瞬間。


(……見られる)

(こっちに気付かれる!)


 心臓が跳ねた瞬間――視界が途切れた。


 未来視はそこで、ぷつりと強制終了した。


「木村さん?」

 すぐ横から、雨宮の囁く声。


「……いま、見えた。

 撮影者が振り返るところ……」


「その“瞬間”、時間は?」


「わからない。

 でも、すぐそこだった。

 たぶん――あと数秒で……」


 俺がそう言ったときだった。


 屋上の奥――

 未来視で見た“影”が、まだ振り返っていなかった。


 フェンス際で、じっと前方を向いたまま動かない。


(……あれ?

 見えた未来と違う?)


 脳裏が冷えていく。


 未来ならこうなっているはずなのに、

 現実は、まだ追いついていない。


 いや――ズレている。


■1. 雨宮の違和感


 雨宮が短く息を吐き、俺の袖をそっと引く。


「木村さん、未来視の“直前”と“現実”が合わないんですね?」


「ああ……動かないんだ。

 本来ならもう振り返ってるはずなのに……」


「それはつまり――」


 雨宮は一拍置いてから、低く囁いた。


「撮影者が、あなたの行動を“観察してから動こうとしている”可能性があります。

 あなたの未来視のタイミングを、読もうとしている」


 喉が乾いた。


 そんなこと……

 できるのか?


「未来視って……俺しか知らないはずなのに……」


「撮影者は、“見ている”んです。

 あなたの発信を。

 初配信も、二度目の配信も。

 そしてあなたが動く時刻を、毎回」


 雨宮の声は震えていない。

 ただ、静かに事実だけを告げた。


「あなたの未来視が“揺れる瞬間”がいつ起きるか、

 統計的に推測しているのかもしれない」


(……そんな……)


 俺は思わず未来視を再発動しようとする。


 だが。


■2. 発動“しない”


(頼む……見せてくれ……!)


 未来視を使おうと集中するが――

 映像は出ない。


 さっき勝手に発動したくせに、今は沈黙している。


(なんで……!?)


「木村さん、ダメです」


 雨宮がそっと俺の腕を押さえた。


「未来視は“不自然なほど沈黙している”んじゃありませんか?」


「……わかるの?」


「あなたが力を発動しようとしている時、

 いつも呼吸が変わるんです。

 さっきから乱れた気配がないので……」


 まるで本当に“見えている”かのような正確さ。

 だがそれ以上に、雨宮は別の推測を続けた。


「未来視が動かないのは……

 撮影者が“まだ動いていない”からです」


「つまり……?」


「あなたの未来視は、“行動の意思”が生じた瞬間じゃなく、

 “変化が確定する直前”に発動する。

 撮影者がまだ動きを決めていない今、

 未来が“確定しない”んです」


(未来が……確定しない?)


 そんなことがあるのか?


 未来視は未来を見せる能力。

 その未来が“生まれていない”なんて。


■3. 影が、動く


 そのとき――。


 屋上の奥の影が、

 ようやく動いた。


 ゆっくりと、反対方向へ視線を向ける。


 未来視で見た“振り返り”とは、違う角度。


(……違う。

 俺の見た動きじゃない)


 未来視は、嘘を見せたわけじゃない。

 ただ――


“まだ来ていない別の動き”

 を映しただけだ。


(じゃあ、あの“振り返り”は……いつ?)


 息が詰まりそうになった瞬間。


「木村さん」


 雨宮がきっぱりと言った。


「“ズレ”は、あなたのせいじゃありません。

 撮影者が“あなたに未来視を発動させないために”動き方を調整しているんです」


「そんな……人の未来視を避けるなんて……」


「できます。

 あなたの公開した情報と行動を見ていれば」


(未来視を……封じてきている……?)


 寒気が背骨を駆け上がる。


■4. 視線がこちらへ


 影が、ふと――

 こちらの方向へ顔を向けかけた。


 正確には、振り返る“前”の動き。


 さっき未来視で見た角度とほぼ同じ。

 ただ、微妙に早い。


(来る……!

 このあと振り返る……!)


 俺は息を呑んだまま、凍りつく。


 未来視が再発動しようと、

 脳の奥がざわつく。


 だが――


 雨宮が、

 俺の手首を掴んだ。


「伏せて!!」


 二人同時に、通用口の影へ飛び込む。


 直後――


 風切り音ではない。

 **誰かの“動く気配”**が、

 屋上を走り抜けた。


(振り返った!?)


 しかし俺たちは見ていない。

 影になって隠れたから。


 未来視とは違う。

 現実の、今この瞬間の動き。


 未来視と差がある。

 ズレている。

 撮影者は未来を“ずらしている”。


■5. 雨宮の静かな確信


「木村さん……今のは危なかったですね」


「っ……未来視と……違った……」


「ええ。

 でもそれが大事なんです」


 雨宮は落ち着いた声で続ける。


「未来視が“ズレている”という事実こそ、

 撮影者の目的に近づいている証拠です」


「どういう……?」


「撮影者は、あなたの未来視を“試している”。

 どこまで見えるのか、どうすればズレるのか、

 それを確認している動きです」


 雨宮は静かに屋上の奥を見つめる。


「つまり……撮影者はあなたを“実験している”。

 未来視を、あなたという存在を」


 喉が硬直した。


(……俺を?

 実験……?)


「この“振り返り”は、まだ終わりじゃありません。

 未来視が見せた“本物の瞬間”は、これから来ます」


 雨宮は確信していた。

 怖いくらいに。


「だから木村さん。

 絶対に――次の未来視を逃さないでください。

 それが、撮影者の“核心”ですから」


 心臓の音だけが、暗い屋上に響いた。

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