第三十話 言えないこと、言わなきゃいけないこと

 校門の前。

 夕暮れの橙色が沈み、街灯が光り始める頃、

 雨宮は静かに待っていた。


 制服の胸元にかけた学生証が、わずかな風で揺れる。

 その表情は、どこか覚悟を含んでいて――

 俺は余計に言葉を失った。


「……来てくれたんですね」


「ああ。その……話があるって」


「はい。私も、聞きたいことがあって」


 数秒の沈黙が落ちた。

 その間、雨宮はまっすぐこちらを見つめてくる。


 逃げ場はない。

 でも逃げちゃいけない。


■どこまで言うべきか


 校舎裏のベンチに移り、

 街灯だけが二人を照らす薄暗い空間で、

 俺は深呼吸をひとつ。


(言えないことは多い。

 言ったら混乱させることもある。

 だけど――何も言わないわけにもいかない)


 これまで予知を何度も見たせいで、

 頭が割れそうに痛む。

 でも、雨宮の表情を見るだけで

 その痛みを「仕方ない」と思ってしまう。


「……まず、安心していい。

 昨日の“あの予兆”――雨宮のお母さんとは関係ない」


 雨宮の眉が、かすかに動いた。


「本当に?」


「病院が違う。設備も、廊下の色も、掲示も。

 何度か……確認した。だから間違いない」


 本当は“何度か”どころじゃなかった。

 吐き気がするほど未来を見続けた。

 そのことは言わない。


「……よかった……。ほんとによかった……」


 雨宮の声は震えていた。

 目の端が光る。

 その瞬間だけで、俺は未来予知の負担が少し軽くなった気がした。


■言えない部分を避けつつ、必要な部分だけ


「ただ……まだ分からないこともある」


「分からないこと?」


「“誰の未来なのか”までは、まだ特定できてない。

 でも、少なくとも雨宮の母には繋がっていない。これは確か」


 雨宮は静かにうなずいた。

 信じようとする意志が見える。


「……それだけでも、すごく救われます。

 でも……あなたは大丈夫なんですか?」


「俺?」


「顔色が悪い。無理してるようにしか見えません」


 図星だった。

 けれど、否定すれば逆に心配させる。


「少し……疲れてるだけ。

 でも、必要なことだから」


「“必要”って……そんな、あなたが犠牲になる必要なんて」


「犠牲じゃない。

 俺が勝手にやってることだ。

 雨宮のために、無理をしてるわけじゃない」


 言ってから、少し嘘が混じってる気もした。

 でも雨宮はそれ以上追及しなかった。


■雨宮の本音


「……私、本当は怖いんです」


「怖い?」


「未来が分かるって、すごいことだと思う。

 でも、それって“知れば責任が生まれる”ってことですよね」


 雨宮の言葉は、胸に刺さった。


 まるで、今の俺を見透かすみたいだった。


「私は……お母さんのことだけでも精一杯で……

 それ以外の“誰かの未来”まで考えられる自信なんてない。

 でも、あなたは――考えちゃうんですよね」


 雨宮は深く息を吐き、こちらを見つめた。


「だから……言ってください。

 “あなたが苦しくない範囲で”。

 今、分かっていることだけでいい」


 雨宮は逃げなかった。

 俺が迷っている部分に、一歩だけ近づいてきてくれた。


(……ここまで言われたら、答えないわけにはいかないよな)


■言うべき最低限の情報


「……分かった。

 今の段階で言えるのは――」


 心臓が高鳴る。


「“近いうちに、別の誰かが緊急搬送される”。

 その未来は、まだ変わっていない」


 雨宮の表情が緊張で固まる。


「誰なのかは……まだ見えない。

 でも場所は特定できた。

 別の病院で起こる」


「その……助けられる可能性は?」


「ある。

 絶望じゃない。希望の余地がある未来だ」


 雨宮はほっとしたように息をついた。


■それでも足りない


 でも俺は心の中で、追加した。


(ただし“可能性”は二つある。

 助かる未来と――間に合わない未来)


 その重さを、まだ雨宮に全て背負わせたくなかった。


「……ありがとう。

 言ってくれて」


 雨宮は小さく微笑んだ。

 その微笑みが、俺の胸の奥を苦しくさせる。


■そして次へ


「また、分かったことがあれば……教えてくださいね」


「ああ。もちろん」


 約束した瞬間、スマホが震えた。


 通知の数――

 “136件の新着コメント”。


 仮面の予言者への期待がまた膨れ上がっていた。


(……どうすんだよ、これ)


 雨宮の前では言えない苦悩が、再び肩にのしかかる。


 未来は、俺一人には荷が重すぎる。

 それでも――背負うと決めてしまった。

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