第二十九話 見えすぎた未来の先で

夕方。

 研究棟の談話スペースの隅で、俺はひとり、

 スマホの画面とにらみ合っていた。


 額には冷や汗。

 指先は震え、呼吸は浅い。


(……あと一回……あと一回だけ)


 今日だけで、未来予知を何度使ったか分からない。

 財布は軽くなり、頭痛は濃くなり、

 視界の端が何度もチカチカと霞んだ。


(それでも……見なきゃいけない)


 あの“救急車の予兆”が誰に関係するのか。

 雨宮の母なのか。

 他の誰かなのか。


 雨宮に不用意に伝えて――

 もしそれが誤りなら、取り返しがつかない。


 そして、何度も予知を繰り返すうちに、

 少しずつ“違和感”が積もっていった。


■断片に含まれない“違い”


 また一度、未来予知を使う。

 走馬灯のように短い映像が脳裏に流れる。


 白い廊下

 緊迫した声

 救急車のサイレン

 誰かの名前


(……ここだ)


 病院の廊下。

 その床。

 壁の材質。

 掲示物。

 照明。

 匂い。


(雨宮の母がいる病院と……違う)


 気づいた瞬間、震えた。


 見てきた病院は――

 もっと古く、地方の中規模病院だ。

 雨宮の母が入院している大学病院とは明らかに別の場所。


(じゃあ……雨宮の母じゃない……!)


 緊張が抜けた瞬間、背中から何かが落ちたみたいに息が漏れた。


「……よかった……のか?」


 じゃあ誰なんだ、という不安は残る。

 だが、少なくとも雨宮に無用な絶望を渡す危険は避けられた。


 未来予知の回数はもう数えられない。

 頭はガンガンに痛む。

 財布の千円札は全部、小銭に変わってしまった。


(……しばらく、未来を見るのはやめよう)


 そう思ってスマホを伏せた、その瞬間。


■雨宮からの連絡


 スマホが震えた。


 画面には、

 “雨宮透子”の名前。


(……今? このタイミングで……)


 心臓が跳ねる。


 恐怖か。

 安心か。

 分からないまま指が震える。


メッセージ:

『今日、少しお話したいことがあります。

 時間……ありますか?』


 まるで、俺が答えを見終えるのを待っていたかのようなタイミングで。

 まるで、未来が背中を押すみたいに。


(……何を話す気なんだ?)


 噂のことか。

 母親の容態のことか。

 それとも――俺の“仮面の予言者”の正体に触れるのか。


 こんな状態で会っていいのか、とも思う。


 でも。


(雨宮は……俺が避けちゃいけない相手だ)


 そう痛いほど分かっていた。


 震える指で返信する。


『大丈夫。……放課後、会おう』


 送信した瞬間、

 胸の奥に押しつぶされそうな重さが戻る。


(未来を……どこまで話すべきだ?)


 雨宮の母じゃないと分かった。

 その安堵と同時に、新たな責任が生まれた。


 ――「じゃあ、誰の未来なんだ?」


 結局、解けていない。


 そして。

 ネットの世界では相変わらず地獄のような声が飛んでいた。


【次の配信をお願いします】

【本当に人を救えるなら黙らないで】

【また未来を教えてください】

【あなたの言葉を待ってる人がいます】


(……こんなの、背負えるわけないだろ)


 声にならない声が漏れた。


 それでも――

 雨宮は俺の答えを待っている。


 だから、逃げられない。

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