第二十五話 さざ波の噂

翌日。

 大学に着くと、空気に妙なざわつきがあった。


 教室に入る前から、

 廊下のあちこちで小声の会話が聞こえる。


「なんか、急に病院で助かった人がいるらしいよ」

「それ、誰かが予知したって話」

「嘘だろ? 占いとかじゃなくて?」

「いや、“的中率100%の学生がいる”って……」


(……おいおい)


 胸の奥が嫌な汗で湿っていく。


 顔をそむけつつ席に向かうと、

 透子が先に来ていて、心配そうな目で俺を見た。


「……聞いた? 噂、広がってる」


「うん。もうあちこちで話されてる」


 透子は声を潜めた。


「雨宮さんのお母さん……容態が少し安定したって、

 病院の知り合いから知ってる学生がいるらしい。

 それをきっかけに、誰かが“予知したんじゃないか”って」


(そんな……一晩でここまで広がるのか)


 雨宮が医師と相談し、

 病院側が緊急体制を整えた。

 それが功を奏して、雨宮の母は夜の微小な変動を

 すぐに対処してもらえたらしい。


 結果――

 容態は“危険な足場のまま、少しだけ改善した”。


 それはもちろん嬉しいことだった。

 だが。


(これは……俺のせいなのか?)


 胸の奥に、別種の重さが生まれる。


「実際に予知したのは、あなたでしょう?」

 透子が小声で言った。


「いや……でも、なんで噂になるんだよ。

 雨宮とは人のいない場所で話したし、

 俺が言ったことなんて……」


「“急変を予測して事前に動いた”って点が、

 どうしても不自然に見えるんじゃない?」


 確かに。

 突然の急変を、前日に医師と相談していた事実。

 それだけで“予知”と言いたくなる気持ちは分かる。


 だが――噂とは怖いものだ。


■噂は形を変える


 教室のすみで、別の会話が聞こえた。


「未来が見える学生ってさ、誰なんだろう?」

「工学部の誰かって聞いたぞ」

「いや、文学部って話もある」

「名前はまだ分かってない。でも……大学内にいるんだって」


(……曖昧なまま広がってる)


 ただの与太話。

 でも、広まり方が速い。


 俺は過去の“予知”を思い返す。


 テスト問題。

 教授の発表。

 時刻表のずれ。

 サークル棟の停電。


(……あれも“積み重なってた”のか?)


 誰かが気づいていたのかもしれない。

 それが雨宮の件で、一気に線がつながった。


(……まずい。これは、まずい)


 予知の力を隠すのは難しくなる。

 そして――

 他人の人生に“関わる”覚悟も問われる。


■雨宮からの連絡


 そのとき、スマホが震えた。


 雨宮からのメッセージ。


『母の容態、昨日より落ち着いています。

 本当にありがとうございます。

 ……それと、少し話したいことがあります。

 今日の放課後、時間ありますか?』


(……噂の話か?)


 雨宮自身は噂を知らない可能性もある。

 だが、今日会えば――

 間違いなく彼女の行動が話題の中心であることを

 伝えなければならない。


 噂は本人を追い詰める。

 その前に動かないと。


『大丈夫。放課後、話そう』


 メッセージを返した瞬間、

 未来のあの映像が脳裏をよぎった。


(……また予知が来るかもしれない)


 雨宮の母の未来はまだ揺れている。

 噂で騒がれる大学も、俺自身の未来も――

 不透明のまま。


 静かな教室のざわめきが、

 まるであちこちに“危険の種”が落ちているように聞こえた。

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