第十八話 答えられない未来
足音が近づく。
三人の間に一瞬、緊張が走った。
(まずい……こんなところで騒ぎを起こしたら)
大学の廊下。それも静かな時間帯だ。
教師に見つかれば、理由を聞かれるのは当然だ。
「……誰か来る」
透子が囁く。
雨宮も不安そうに肩をすぼめた。
そして――角を曲がって姿を見せたのは、
文学部の准教授、東雲(しののめ)先生。
見覚えのある顔だ。
無精ひげにジャケットという、いつもの気怠そうな姿。
先生は俺たちを見るなり、眉をひそめた。
「君ら、こんな廊下の真ん中で何してるんだ?
講義はもう終わってるぞ」
俺と透子は瞬時に顔を見合わせる。
雨宮は背筋を固く伸ばした。
(今この場で“未来予知の話”を聞かれたら最悪だ)
東雲先生の視線は鋭い。
気まぐれだが観察眼は妙に鋭いタイプ。
挙動不審な学生は確実に質問してくる。
俺が口を開こうとした――その瞬間。
「すみません先生、ちょっと……友達が貧血ぎみで」
透子がすっと前に出た。
雨宮の肩に手を添え、支えるふりをする。
(助かった……!)
東雲先生は雨宮を見て眉を上げた。
「大丈夫か? 顔色が悪いな」
「は、はい……すみません」
雨宮はぎこちない笑顔を作ったが、
むしろそれが“本当に具合が悪い”ように見えた。
「保健室に連れていけ。倒れたら危ない」
「はい、そうします」
透子は頭を下げる。
先生はそれ以上追及せず、廊下の奥へ歩いていった。
足音が遠ざかり、完全に消える。
雨宮が深く息を吐いた。
「あ……あの、助かりました……」
「いえ。むしろあなたの方が本当に倒れそうに見えたよ」
透子の冗談に、雨宮は弱々しく笑った。
だが、すぐに真剣な表情に戻る。
――そして、俺を見た。
「……あの……。
さっきの続き……。
母の未来を、教えてください」
廊下に静寂が落ちた。
俺は答えるべきか迷った。
(雨宮の母の未来……
俺は“見ていない”。
見えるのは選ばれた断片だけだ)
だがそれをそのまま言えば、
雨宮は希望を失うかもしれない。
しかし――嘘をつくのは、もっと危険だ。
俺は言葉を慎重に選んだ。
「……雨宮。
はっきり言うけど、俺の未来予知は万能じゃない」
雨宮の瞳が揺れる。
「見えるのは、断片だけだ。
それも……俺に近い未来が中心で、
他人の人生すべてなんて分からない」
雨宮は唇を噛んだ。
だが俺は続ける。
「だけど――
“見えないから絶望”ってことじゃない」
「……どういう、意味ですか?」
「未来は確定していない。
治療法の研究だって、医療の進歩だって、
“誰にも読めない速度”で動くことがある」
雨宮は目を伏せ、震える声で言った。
「……つまり……
母の病気の未来は、見えないってこと、ですよね」
「そうだ。
でも――“見えない”未来は、
悲しい未来とも限らない」
雨宮は顔を上げる。
涙が目の端にたまっていた。
「私……奇跡なんて、信じたくなかった。
期待して、裏切られるのが怖いから……」
震える声のまま、彼女は言う。
「でも……
“未来が変わる可能性がある”って言ってもらえただけで、
……少し、救われた気がします」
その言葉が胸に刺さった。
(俺の予知はどこまで人を救える?
どこまでが無責任で、どこまでが希望なんだ?)
正解なんて分からない。
ただ――
雨宮はわずかに笑みを浮かべて、俺に頭を下げた。
「ありがとうございます。
事故のこと……絶対に気をつけます。
母のことも……少し前向きに考えてみます」
その瞬間、
透子がふっと小さく息を吐いた。
「……じゃあ、とりあえず保健室に行こうか。
雨宮、本当に顔色悪いよ?」
「は、はい……」
三人で廊下を歩き始める。
少なくとも今は、
未来に怯える必要はなくなった――
そう思った。
だが、頭の片隅で消えない疑問があった。
(あの“事故の未来”……
俺が言ったことで、本当に避けられるのか?)
未来は見えた。
だが変えられるかどうかは、まだ誰も知らない。
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