第十七話 不可避の未来
百円玉が静かに転がり、音が廊下に反響する。
俺の脳裏に浮かび上がったのは、雨宮の“母”ではなかった。
代わりに見えたのは――
雨宮しずく自身のすぐ近くに迫った、
“後戻りできない未来”だった。
(……言いたくない。
だけど、証拠が必要な以上、隠すわけにもいかない)
透子と雨宮が、不安を押し殺したような顔で待っている。
逃げ場はない。
「雨宮……率直に言う。
お前、今日――」
言葉が詰まる。
「今日の帰り道、交差点で……事故に遭う」
雨宮が凍りついた。
「……事故、って……?」
「車が赤信号を無視して突っ込んでくる。
歩道側に逃げれば助かるけど……
そのまま歩道の端に立ってると、巻き込まれる」
廊下に静寂が落ちる。
透子の表情から血の気が引いた。
雨宮は唇を震わせ、言葉が出ない。
「そ、そんな……。
私……今日、母のところに行くために、いつもその交差点を……」
彼女の声は震えていたが、否定ではなく“恐怖に近い実感”だった。
(未来予知の大半は、自分に関わる未来。
他人のそれを見たのは珍しい……
でも、“見えた”以上、避けようがない出来事なんだ)
雨宮は深呼吸し、必死に言葉を継いだ。
「……でも、それだけじゃ……まだ信じられません。
だって、未来なんて……普通、分からないし……」
当然だ。
信じたいわけじゃない。
しかし――
「あのさ、雨宮」
透子が口を開いた。
落ち着いた声だが、どこか震えが混じる。
「あなた、今日ここで“予知”の話を聞けたのも偶然でしょ。
……でも、その偶然がなかったら、
あなたはその交差点に普段通り立ってたんじゃない?」
雨宮の目が大きく揺れた。
「……!」
「つまり、
“未来予知の話を聞いたあなた”と、
“何も知らずに事故に遭うあなた”の分岐は、
今この瞬間にあるってことじゃない?」
雨宮は息を呑む。
それは透子の推測にすぎない――
だが“逃れられない未来”を突きつけられた雨宮の心を、
確実に揺さぶった。
俺は補足するように言う。
「雨宮。
お前が未来を信じる必要なんてない。
ただ、ひとつ事実がある」
視線をまっすぐに合わせる。
「このまま何も警戒せず帰ったら……
お前は事故に遭う可能性が非常に高い」
雨宮の目に涙が浮かんだ。
「……そんな……。
私は……母に会うために……
事故なんて……絶対に嫌……」
(そうだ。雨宮にとって“未来”は、母の命そのものなんだ)
震える声のまま、雨宮は言った。
「じゃあ……どうすれば……私は助かるんですか?」
その問いは、
未来予知を“信じざるをえない状況”の完成を意味していた。
逃れられない未来を目の前にして、
信じる以外の選択肢がなくなったのだ。
俺は静かに答える。
「――歩道の“内側”に寄って歩け。
それだけで、避けられる」
雨宮は何度も何度も頷いた。
その顔は恐怖で青ざめていたが、決意もあった。
「……わかりました。
私……絶対に言われた通りにします。
信じます。
信じるから……母の未来も、お願い……」
胸が締めつけられる。
雨宮は未来予知を利用する気なんてなかった。
ただ、“縋るしかなかった”だけだ。
透子が俺を見る。
「……あなた、どう答えるの?」
雨宮の、大切な願い。
だが俺には――
“見えない未来”の方が圧倒的に多い。
それをどう言葉にするかで、
この三人の関係が決まる。
俺はゆっくり口を開く。
「雨宮……
お前の母さんの未来については――」
言いかけたそのとき。
廊下の向こうで、誰かの足音が近づいてきた。
俺たち三人は、反射的に顔を上げた。
秘密が秘密でなくなる音が、確かに近づいていた。
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