第十六話 第三の観測者

 透子に未来予知のことを告白してしまったあと、

 しばらく二人とも言葉を失っていた。


(……しまった。冷静じゃなかった)


 自分が一番恐れていた事態。

 “誰かに知られる”というラインを踏み越えてしまった。


 そのときだった。


「……あの、それ……本当に見えるんですか?」


 背後から恐る恐る声がした。


 振り返ると、自販機の横に、小柄な女子学生が立っていた。


 雨宮しずく。

 同じゼミの後輩。

 普段目立たないせいで、そこにいることにすら気づかなかった。


「雨宮……いつからそこに?」


「すみません……途中からでした。

 あの……“未来が見える”ってところから、全部……」


 透子が小さく息を呑む。


 最悪だ。

 俺が最も恐れているのは、未来予知を他人が“使おうとすること”。

 それが一番の破滅の入り口だと、直感している。


「雨宮、勘違いだ。さっきのは――」


「嘘じゃない、ですよね」


 言葉が遮られた。


 雨宮は必死にこちらを見ていた。

 ただの好奇心ではない。

 縋るような、切迫した表情。


「……お願いがあります」


 その声音は震えていたが、覚悟の強さを感じさせた。


「もし、本当に未来が見えるなら……

 証拠を見せてください。

 どうしても聞きたい未来があるんです」


(……来た)


 俺が聞き返す前に、雨宮は言葉を絞りだした。


「……母が、病気なんです。

 難病で……治療法が確立していなくて。

 “奇跡でも起きない限り助からない”って言われてて……」


 透子が目を伏せた。


 雨宮は続ける。


「未来が見えるなら……

 少しでも、治る可能性があるのか……

 研究が前に進むのか……

 教えてほしい」


 胸が痛くなるほど真剣な願いだった。


 誰も責められない。

 でも――未来予知はそんな万能なものじゃない。


(見えるのは“断片”だけだ。

 しかも俺自身に関連した未来ばかり。

 治療法なんて、見えるはずがない)


 雨宮を助けたくても、できない可能性が高い。


 その矛盾が喉に刺さる。


 


「……悪い、雨宮」


 言おうとしたとき――


「やめて。

 “望みがない”って決めるのは早いよ」


 透子が静かに言った。


 俺を見る視線は、責めているわけではない。

 ただ、“逃げるな”と言っているようだった。


(……そうだ。逃げるわけにはいかない)


 未来予知を知る人間が増えた以上、曖昧に済ませることはできない。


 俺はゆっくりポケットに手を入れた。


「……分かった。証拠を見せるよ」


 雨宮の表情は驚きと緊張で固まった。


「ただし――

 期待しすぎるな。

 俺の予知は、万能じゃない」


 百円玉を取り出す。

 金属の冷たさが、心の迷いを静かに締めつける。


(未来……俺はもう、隠さない)


 透子と雨宮が固唾を呑んで見守る。


「これを使って、未来を見る。

 雨宮、お前に関係する近い未来で……証拠になるものを見せる」


「……はい」


 雨宮の瞳は涙で濡れていたが、揺らぎはなかった。


 俺は百円玉を指先に挟み、静かに落とす。


カラン、カラン……。


 乾いた音が廊下に響く。


(来い……未来。

 “操作されていない”、ただの現実の延長線を見せてくれ)


 視界の奥がじわりと暗くなり、

 わずかに“映像”が浮かび上がろうとする。


 雨宮の、すぐ近い未来。


 だが――

 その瞬間、胸の奥に嫌な予感が走った。


(……雨宮の“母”の未来じゃない)


 見えるのは、もっと別の――

 彼女自身の、すぐそばに迫った出来事だ。


 未来が、淡々と提示してくる。


“証拠”として最も分かりやすく、

 最も避けがたい未来。


 思わず息を呑んだ。


(……こんな未来、雨宮に言うべきじゃ――)


 でも三人はすでに、俺をじっと見ている。


 逃げ場はない。


 俺は口を開き、震える声で告げた。


「……雨宮。

 お前、今日……大学の帰り道で――」


 その“未来”を告げようとする俺を、

 雨宮は固く見つめ返していた。

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