深酒
甲賀雲丹
深酒
悲しい事があった。どんな内容かは話せない。あまりにも個人的な事だ。
人は悲しくなったら行動する生物だ。暴食を働くか、ヘビメタを聴き続けるか、椅子に座って何もせずにいるか、深酒をするかだ。深酒をするのは女を抱く時か人を殺す時かのどっちかだ、という話を実話モノの映画で聞いたことがある。私には、慰めをくれる女性も殺意を向ける相手もいない。虚無だけだ。虚無に向かい深酒をする。
その知らせを聞いたのは仕事が終わった直後。心身ともに疲労困憊で早く家に帰って飯も食べずに寝たいとまで思っていた矢先、その知らせを見聞きした。この手の知らせを聞いた時は、心臓が奈落の底に落っこちていく感覚がある。確かにそこにあった存在が、いつのまにか空っぽになってたから感覚を探してたら、どこか遠くまで落っこちていく感覚しかない。どうして人間という生物は、たった一つの知らせでこんなにも人生のどん底に突き落とされる感覚を味わえるようにプログラミングされているのか理解できない。ほんのちょっとでもいいから、この痛みを軽減させてほしいものだが神様は「そんなの自分で探せ」と言わんばかりに娯楽を与えた。その娯楽の中には、依存性が高いものがあり酒もその一つだ。
うちの親族は酒に呪われた。生まれる前のこと、うちの親族の長にあたる人々は晩から朝まで酒を飲む人間で形成されていた。一口飲み、二口飲み、一瓶空けば次から次へと酒を浴び続けたという話を聞いた。そしてその最期もムゴかったとも。どんな最期かは聞いた事がない。しかし、共通してるのは皆のたうち回って苦しい、苦しい、と呻きながら苦しんで死んでいった事だ。母親から聞いた話なのでどこまで誇張されているか分からないが、どうやらうちは酒に呪われてるようだ。というのも、一家の新たな長として期待されている俺は下戸であるからだ。
子供の頃に誤って酒を飲んだ時も、成人式にはワインをほんのちょびっと-ほんの小指一滴分-飲んだだけでも、バタンとぶっ倒れてしまうタチなのだ。どうやら、苦しんで死んでいった親族達はこれから先生まれてくる孫達に酒を飲めなくする呪いをかけたようで20代も後半に差し迫った現在において、俺は酒を飲めずにいた。なんなら、病院とかでやってもらうアルコール消毒ですら俺の皮膚は真っ赤になってしまうくらいには、俺の体は酒に呪われていた。親族が酒を飲みすぎて呪われた結果、血縁関係のある俺の体は酒を受け付けない体として生を受けている。だから俺も含め、親族は全員酒に呪われているのだ。ちなみに母親も最初は飲めていたが、年齢を重ねていく事に飲めなくなっていき今では一滴も飲まずにいる。
そんな俺が酒を買おうとするなんて自殺行為に近いだろう。今日こそは酒を買い、深酒をして悲しき気持ちを吹き飛ばしてやろうじゃないか。訳のわからない気持ちを胸に仕事帰りかつ、膨れ上がった足を無理矢理コンビニへと向かわせた。ドアを開け、安心感のある真っ白なLEDライトの下で酒の置いてあるコーナーまで進む。韓国の有名なお酒から、日本酒にウィスキー、そしてワインがズラッと並んでいる。この中に、今日の薬がある。しかし、毎度の事ながらあの感覚に襲われる。
酒を眺める時、どんな味か?どんな匂いか?そんなのを考えていると、突然胃が動き出し内容物をぐちゃぐちゃにかき混ぜるに来るのだ。まるで胃が自我を持ちやめろと叫んでいるように。腹の中がかき混ぜられ、混ぜられた匂いが口にやってくるような錯覚のせいで幻の酒の味がゲロ味へと変化を遂げていく。せっかくの現実逃避をゲロに染め上げられていく。最悪だ。最悪な状況がゲロのせいで超最悪になっていく。腹を抑え収まるように祈るが届きそうにない。如何にもこうにも俺は今酒で酔いたいのだ。とにかく今は気持ちをスッキリさせたい。いっそのことこいつを思いっきり握ってみるか?そう思いウィスキーに手を伸ばす。胃の動きはより活発になる。抗いながら手を伸ばす。あとほんの数センチ。胃はさらに活発になる。そしてあとほんの少し…
「いいから金を出せ!」という声が聞こえたのはウィスキーの瓶を握ろうとした瞬間だった。目を横にやると包丁を持ち、目出し帽を被った男が店員に怒鳴り散らしている。あの店員はよく顔を合わせる留学生の子で仕事もできる方だ。そんな彼が刃物を向けられている。罵詈雑言を撒き散らし、刃物を左右に揺らし続ける。一触即発の事態だが、腹が立って仕方がなかった。こんなのどうやったって帰れやしないじゃないか。出ようとしたらきっと刺しに来るだろうし、鈍足だから逃げようにも逃げられない。それに逃げたとしても彼はどうなる?そもそもなんでこんな目に遭わなきゃいけないんだ?俺はただ悲しみを癒すためにここに来た。ここに来るまで十分苦しんだのになんなんだアイツは?我が物顔で金を奪いに来てるのにも腹が立ってきた。なんなんだ貴様は。どこから来やがった?何してやがった?俺は仕事してたんだぞ。生まれてこの方美味い酒を飲めてこなかった。勢いに任せて飲もうとしてるのになんなんだてめえは?腹が立つ。おまけに留学生相手だから何言ってもいいと思ってるのか人種差別発言までしてやがると来た。もうダメだ。我慢ならない。クソッタレなるようになりやがれ。ウィスキーの飲み方を握り、持ち手を変える。包丁を構えてる男に歩み寄り、足跡に気づいた男が振り返る。
「んだてめえ!?」の「て」の部分に差し掛かった瞬間、俺は男の頭目掛けて上から瓶を振りかざした。ゴンッ!という音ともに瓶が割れ、内容物の茶色い液体が男の頭に降りかかっていく。男の手にあった包丁は地面に落ち、俺はすぐさま2発目を喰らわせる。金的である。足を引っ込め思いっきり蹴り飛ばすように足を前に出す。男の股間に足が命中し男は白目を剥き股間を押さえ膝をつく。三発目を入れる。顔面への膝蹴りだ。膝をついた男の頭を押さえ鼻目掛けて思い切り膝を叩きつける。男の鼻から血が噴水のように吹き出し、遂に男は横へ倒れ起き上がらなくなった。ピクピクと震える体に向かい、俺は息を荒げて叫んだ。
「邪魔なんだよ!!テメェこそ何様だ!?」
程なくして、警察が来た。パトカーも3台ほど来て俺は事情聴取を受けた。とりあえず強盗に対して行った行為に対しては「頭に血が上りカッとなってやってしまった」とまるで容疑者の動機のような事を言ってしまった。失神していた強盗は目が覚めた瞬間顔が青ざめていた。自分の人生がこんな形で更新されてしまうことに絶望しているのか、それとも先ほどされた行為が現実だった事に恐怖してるのか分からないがとりあえず青ざめた顔をしていた。そんな中でも、留学生の店員は傷ひとつないのが幸いだった。刃物を向けられただけで済んだとはいえ怖い思いをしたのは間違いないが、怪我をしてないのが救いだった。神様ありがとう。何の罪もないこの青年を助けてくださって感謝します。とにかく、事は終わった。酒は買えなかったし、大変な目に巻き込まれたので疲れも増した。酒が欲しかっただけなのにこんな事に巻き込まれるのもきっと呪いのせいだ。もう酒はごめんだ。
聴取も終わり帰宅しようとした瞬間、留学生の店員が呼び止めた。
「これ、今日のお礼に」
彼が差し出したのは…?
「チョコレート?」
「はい。お酒入りの」
表記を見ると、お酒が入っていますという注意書きがある。それも3%程なので軽いお酒といえよう。
「お客さんお酒好き?」
店員が聞いてきた。
「いや…逆でね。全然飲めないんだ。今日は疲れが溜まりすぎて、なんとかして発散させたかったんだ」
「それ…あんまりいい方法じゃない。お酒、怖いよ。自分の国では路上で飲んじゃいけないんだ。飲んだら捕まる。アイツみたいに」
店員が指差した先にはパトカーに乗っている強盗がいた。警察に尋問され俯きながらコクコクと頷いている。
「お酒、人を壊す。壊れた人もう戻らない。だから飲めないお兄さんラッキーだよ。けど飲んじゃダメって訳でもない。これはご褒美だよ」
彼の話を聞きながら気付いた事がある。俺は今酒を手にしてるがぐるっと来ない。不思議だった。もしかして酒として認識してないのか?確かにこれはチョコレートだ。けど酒が入っている。
「とにかくほどほどにだよお兄さん。酒は飲んでも飲まれるなって話だよ。じゃあ店長に報告しなきゃだから」
彼は店へと戻って行った。
自室でチョコレートを眺める。アルコール分3.0%。れっきとしたお酒の仲間を手にしているが胃は落ち着いてる。だが口にしたらどうだろうか。きっと倒れてしまうかもしれない。だが今日は何かが違う。仕事は大変だったし、大変な事件にも巻き込まれて疲れ切った。もし、倒れたとしてもゆっくり寝られる事になる。シャワーにも入ったしいつでも寝れるようにパジャマにも着替えた。歯を磨くのは明日起きてからにしよう。さあ、食べてみよう。一か八かだ。
箱を開けてみるとチョコレートの中にほのかな香りが漂っている。上手く表現できないがいあ香りだ。一粒手に取る。この粒の中には3.0%のアルコールが含まれている。普通のお酒では少ない量だが、自分には多すぎる量だ。匂いを深く嗅いでみる。やはりいい匂いがする。お酒の匂いをいい匂いと感じ取れる日が来るなんて思ってもいなかった。どこまでがチョコでどこまでがお酒だろうか。念のため冷蔵庫に箱を入れておく。さて、口に運んでみよう。
前歯にチョコが当たる。咥えてみる。チョコの甘さが前歯についている唾液から舌へと伝わっていく。
噛む。
感じたことのない甘みが口へと広がる。チョコの甘さと口当たりの良い液体の甘味と混ざり合い、味わったことのない美味しさが口いっぱいに広がっていく。ああ、これがお酒の味か。ちゃんとしたお酒の味を舌いっぱいに楽しむ。ゆっくりと噛み砕き、口の中で溶かしチョコとお酒を楽しむ。これが所謂ハーモニーというものか。チョコとお酒-コニャックと呼ばれてるお酒らしい-のハーモニーを楽しむ。そう、ハーモニーだ。口の中で味が混ざり合う事をハーモニーと表現するのか。
目を閉じて口の中を楽しむ。そして心地よい抱擁感が体に入り込んできた。いつのまにか意識が遠のいた。
目を覚ますと朝の6時半だった。帰宅してチョコを食べたのは9時半ごろ。それなりに長く眠っていたようだ。どうやら、俺にとってこのチョコ一粒が深酒になったようだ。けど、人生で初めてお酒を楽しめたし気持ちも軽くなった。知らせを思い返すと辛くなるが、今だとほんの少しだけ前向きになれる。あの知らせにあった選択は本人が導き出したものだ。
俺は他人だ。本人は本人だ。他人の俺が選択に口出しなんてしていい訳ない。その道へ進むなら応援するしかない。人生は個人個人のものであるのは基本的な摂理だ。それが道理だ。それが普通だ。今朝の頭の中は昨晩よりスッキリしている。出来事を認めて前に進もう。
朝日が差し込む。仕事に行けという合図ではあるが、新しい1日が始まる合図でもある。今日は仕事がない。だからゆっくりしたいが、朝一に散歩というのも悪くないだろう。そしたらもっと気が晴れる気がした。身支度を整え気が晴れる事を頭に浮かべて外へ出た。まずは散歩をしよう。そして、どこか適当なチェーン店のコーヒーでも飲んでゆっくりしたら映画を観よう。昨日より物事を楽しく考えられるようになっている。これからだ。これをあと何度か繰り返して、さよならに備えるんだ。あと3週間以上ある。ゆっくりと備えて。そして、思いっきり泣こうではないか。
了
深酒 甲賀雲丹 @igaguri4
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