3章 見えない答え
六月二日(月)
「六月二日だけど?」
颯太が不思議そうに答える。
「ああ、そうだった」
颯太が首をかしげる。
「えっと…何の話してたっけ?」
「俺のサークルの話だろ。ほんと大丈夫?」
私の顔をまじまじと見つめてくる。…怪しまれないようにしなければ。
「あ、ああ。空手サークルは入らないことにしたんだよね」
「え? 何でわかったの? 今そう言おうとしてたとこなんだけど」
「え、ええっ?」
まずい。どんどん墓穴を掘っている!
「わ、私も見に行ったからさ! 颯太にはノリが合わなそうだなって思ったんだよね」
「え? あの中高六年間帰宅部の遥香が? どういう風の吹き回し?」
見つめられると緊張して、さらに変なことを言ってしまう気がする。
「ええっと、私も大学では何かサークルやってみようと思ってて、颯太が行ってる空手部を試しに見に行ってみただけだよ」
「ああ、そういうこと」
「うん」
颯太が体を戻す。
私も肩の力が抜ける。
机の上に置いてあるパンに目を落とす。そう言えば私が出したのか。
「どっか優しい人たちだけのサークルないのかなあ」
ため息をつきながら言う。
「あるよ」
「え? どっかいいとこあった?」
「えっ」
反射的に言ってしまった。彼や私が、この時点ではまだ神社仏閣サークルのことを知らなかったことを思い出す。
颯太が前のめりになってくる。
「…っと、大学にはたくさんサークルがあるんだから、きっとどこかに優しい人だけのサークルがあるってこと」
何とかごまかす。
「ん…そうだな」
一安心するが、気は抜けない。私のためにも、過去に戻ってきた存在であることを悟られないよう、細心の注意を払わなければならない。
「もし私が見たサークルで良さそうなのがあったら、颯太も誘うよ」
笑顔で言うよう努める。
「ほんと? 助かる」
「うん」
颯太の顔も少しほころんだ。
私はそこでスマホを取り出す。
画面を見つめてタップするふりをする。実際はただホーム画面を見ているだけだ。
「ごめん。同じ授業受けてる子に呼ばれたから、いいかな?」
申し訳なさそうに額に皺を寄せてみる。
「ん?」
颯太がおにぎりを飲み込みながらこちらを見る。
「おま、友達いたのかよ」
「授業で少し話したくらいの人だよ。…でも、これから友達になれるかも?」
にやっと笑ってみせる。
「そうか…じゃあまたな」
颯太が軽く手を上げる。少し寂しそうな顔をしている気がする。
「また」
私はその場を後にし、ラウンジから出た。
私は大教室の隅の席に座る。
お昼休みの残った時間、これからどうするべきか、あれこれ考えていた。
まずはこの授業で立花くんと知り合い、神社仏閣サークルに入って彼との距離を縮める。その上で立花くんから聞き出したり、周りの人間に気を配ったりして、怪しい人物がいないかを探ることにした。
「…織田信長は尾張国に生まれ、天下を統一しようとした武将であることは、みなさんも知っているかと思いますが…」
授業を聞き流しつつ、立花くんが来るのを待つ。
だが、なかなかやってこない。
教授に怪しまれないよう気をつけながら、何度も後ろの扉を確認する。
焦燥感が募って来る。まさか、やはりもう…。
そのとき、ガチャっと小さな音とともに扉が開いた。
白Tにアップバングの男子が入って来る。
彼を見つめる目が、自然と熱くなってくる。
立花くんと目が合い、慌てて顔をそらす。顔が火照ってくる。
一瞬隣に座ってこないかと思ったが、横目に近づいてくる姿を捉え安堵する。
「すみません。隣いいですか?」
「いいですよ」
生きてる。立花くんが、生きている。本当に。
すぐにでも話しかけたい衝動に駆られたが、一度深呼吸する。
すぅー。はぁー。
傍観者との約束を思い出す。立花くんにも、バレてはいけない。
~
「…じゃあ今日の授業はここまで。出席はウェブ上で出しておいてください」
どっと教室内が騒がしくなる。
彼はレジュメを二つ折りにしている。
「あの!」
「ん?」
立花くんと目が合う。
「日本史学専攻ですか?」
「はい」
「私もです」
一瞬目線をそらしてから、またすぐに彼を見る。
「…今日の授業で出てきた延暦寺って、すごく綺麗ですよね」
と、彼の目が瞬いた。
「え、そ、そうだよね! 俺もそう思う!」
「はい」
「もしかして、お寺とか神社に興味あったりする?」
「はい!」
強く頷く。
「俺、『神社仏閣サークル』ってとこのサークル長なんだけど、いろんな神社やお寺について知れるから来てみない?」
「行きたいです!」
「お、おお」
私の積極さに立花くんの方がたじろぐ。
「じゃ、じゃあ、今日の五限の時間に、別棟の五〇五で活動やってるから見に来て」
「はい」
意識して声のトーンを少し下げる。気持ちが昂ってしまっていたことを自覚する。
「あ、俺は立花蓮。あなたは?」
チクリと胸に痛みがした。
「あ…」
立花くんは私のことを覚えていない。いや、そもそも知らないのだ。
当然のことのはずなのに、心の寒さが引かない。
「名前は…?」
困った顔で覗き込んできた。
「あ、夏樹遥香です…」
立花くんの表情が明るくなる。
「夏樹さんか。じゃあ今日待ってるね!」
「はい…」
彼は言い終わると、荷物をまとめて去ってしまった。
私だけが取り残される。
立花くんは立花くんだ。彼が優しいのは変わらない。それはわかってる。
しかし、私の中に彼との思い出がよぎる。
私の思いを汲んでくれた。私のことを気遣ってくれた。私の過去を聴いてくれた。私を悲しませないと言ってくれた。
あの立花くんはそんなこと知らない。そんなことしてない。あの立花くんは、立花くんじゃない。
そんな考えが頭の中をグルグル回る。無意識にポケットに手を突っ込む。
と、手に何か硬いものが触れた。
出してみると小さなお守りだった。『必勝祈願』と書いてある。
私はしばらく唖然とした後、それを強く握った。
これをくれた彼は殺された。もう未来には、いないのだ。
だから私が立花くんを助けにきた。私の悩みなど、彼を救ってから、またゆっくりと話せばいい。彼なら必ず受け入れてくれる。そして、もう私を一人にしないと、まぶしい笑顔で言ってくれる。
すぅー。はぁー。
お守りポケットに戻し、もう一度こぶしに力を込める。
腕時計を見ると、四限開始まであと二分しかないことがわかる。
リュックを背負って、駆け出す。
五〇五教室の前に立つ。ドアノブを回す。
「こんにちは」
「おお!」
部屋に入ると、三人が迎えてくれた。
「私、花園結衣です! 結衣って呼んでね!」
「山上聖司です」
「じゃあ、このサークルの活動内容を紹介するね」
そうして前と同じような流れになった。
私は本の紹介を受けながらも、二人に目を配った。考えたくはないが、山上くんや結衣が関与している可能性だってある。
しかし、結局何も怪しい動きを目にすることなく、その日の活動は終わってしまった。
六月九日(月)
私は再びみんなと明正八幡宮を訪れていた。もちろん、来るのは初めてということにしている。
「大きいな」
「そうだろ」
荘厳な本殿に呆気に取られている颯太の横で、立花くんが頷く。約束した通り、颯太もまた、ここに誘ってあげたのだ。
「立花くんもここに来るの初めて?」
「うん。初だね」
私は立花くんの隣を歩く。と、彼を挟んだ反対側から、小柄な影がスッと前へ出る。
「私が案内してあげるから安心して」
結衣が自信ありげに言う。
「おお、ありがとうな」
立花くんも笑顔で答える。
~
石段を登り、お賽銭箱の前に五人で横並びになる。
お賽銭を投げ入れる。立花くんが鈴を鳴らす。彼が教えてくれた通りに二礼二拍手する。
そして、祈る。
立花くんを助けられますように。
そして、願う。
立花くんが助かりますように。
目を開き、もう一度礼をして神前から下がる。
石段を下る間は言葉を発さなかった。
「よし。やることはやったな」
~
私は授与所で一人お守りを見ている立花くんに近づき声をかける。
「それ、いいよね」
彼の持っている『必勝祈願』のお守りを見ながら言う。
「ああ。受験の時はお世話になったよ」
「私も」
顔に浮かべた笑みを崩さないよう意識しながら、ポケットに入れた手に力を込める。
「ねえ、立花くんはさ…」
「ん?」
私が言い淀んだのを感じて、彼がお守りから視線を上げる。
「誰かに恨まれるようなことをした経験、ある?」
「え…」
急な質問に立花くんがたじろいだのを横目で見る。
「ど、どうして、いきなりそんなこと…」
慌てて彼の方を見て、口角を上げる。
「べっ、別に大した話じゃないよ。立花くんってすごく優しいから、そんな人でも誰かを傷つけることがあるのかなって、単純に疑問に思っただけだよ」
言い訳として少し不自然な気がしつつもまくし立てる。あまり重い雰囲気になってしまうのはよくない。場合によっては立花くんに警戒されてしまうかもしれない。
「…そっか」
声色は変わっていないものの、再びお守りに目を落とした彼の顔に、影が差したような気がする。
「ないよね…立花くんに限って」
畳みかけて何かを聞き出したい思いと、本当に立花くんはいい人なんだと信じたい気持ちが交錯する。
周りを歩く人の砂利を踏みしめる音が、嫌に大きく響く。七分丈から覗く肌を、気まずさがちくりと刺す。
「…人を傷つけたことがない人なんて、いないよ」
彼がぼそりと、私たちの間に張った沈黙を破る。
「誰だって一度くらい、人を傷つけたことがあるんじゃないかな」
お守りを見つめたまま、まるで自分に問いかけるかのようにつぶやく。
「…確かに、そうだね」
改めて立花くんを見つめるが、視線は返ってこなかった。
「大事なのは、傷つけてしまった人に、自分がそれから何をしてあげられるかってことだよ」
彼はそう言うと私に背を向け、山上くんの方へ歩いて行ってしまった。
立花くんが言っていることは多分正論で、不自然な内容ではなかった。しかし私は胸の中で、なにか引っかかるものを感じていた。
六月十六日(月)
椅子に座ってうなだれる颯太を見た瞬間、私は悟った。
「立花が、死んだ」
「そう…」
互いに俯く。
また救えなかった。それどころか、立花くんを殺す犯人のヒントすら、結局何も掴めなかった。
「くっ…」
サークルや同じ授業のときに、立花くんへ敵意を向けている人はいなかった。上手く隠しているのか…。
いや、学校外に犯人がいる可能性も十分にある。そもそも私は、彼の家の場所や、彼がバイトをしているかどうかすらも知らない。
「ああ!」
机を叩く。
自分の考えの浅はかさに腹が立つ。私は何をやっていたんだ! こんな調子では何度やっても立花くんを救えない!
「遥香…?」
「…ん?」
颯太に呼ばれ顔を上げる。
「遥香、怒ってる?」
「うん。自分の情けなさにね」
「え?」
颯太が怪訝そうな顔をする。まずい。失言だった。それに立花くんが死んだというのに、涙一つ流さないのはおかしかったか。
「立花くんの友達なのに、助けてあげられなかったから」
ここはあえて捻った返答をせず、あくまで自然に言う。
「…友達、か」
颯太はそう言って、また俯いた。
出会って日の浅い彼を、私が友達扱いしていることに疑問を感じたのだろうか。
私が口を開くより先に、彼がつぶやいた。
「遥香は、俺の友達か?」
「え?」
唐突な質問にまごつく。颯太が見つめてくる。
「ん…友達じゃない」
颯太の目が見開かれる。
「親友でしょ」
彼が目を閉じ、ふーっと息を吐く。
「…そうだな」
互いに沈黙する。彼の表情は暗いままだ。
…もしかしたら、颯太はこれ以上友人が減ることを恐れているのかも知れない。
「…私は、いなくならないよ」
彼が三度顔を上げる。
「だから安心して。颯太を一人にはしない」
颯太の頬を、水滴が伝った。
「あっ、クソッ、なんで…」
手で涙を拭いながら席を立つ。
「颯太、」
泣いてもいいんだよ、そう言いたかった。知り会ったばかりとはいえ、人の死を身近に感じたのだ。辛くて当然だ。
しかし彼は何も言わず向こうへ行ってしまった。
私は椅子に座り直す。
「颯太らしい…」
小さくつぶやく。
そして、これまでも颯太が涙を見せることはほとんどなかったのを思い出す。
颯太の両親は、彼がもうすぐ小学校卒業という時期に離婚した。颯太は母親とともに、私の住んでいた町に引っ越して来た。
そんな大変な事情を抱えながらも、彼は私に寄り添ってくれた。立花くんのように気の利いたことはしてくれなかったが、吹奏楽部を抜けて無気力に日々を過ごしていた私にとっては、側に居てくれるだけでありがたかった。
何があったかを具体的に話したわけじゃない。でも、あいつらが側を通るたびに怯える私を見て、察してくれたのだろう。深くは訊かれなった。
私はあいつらから距離を取るため、地元の子の多くが通う高校ではなく、少し遠くの進学校を目指すことにした。私は毎日放課後に教室で勉強することにした。しかし、元々目立たない陰キャの私、周りはそれほど受験勉強をしっかりやる雰囲気ではなかったため、ちょっかいを掛けられることもあった。
そんな時、颯太はいつも助けてくれた。空手部で真面目に鍛えていた彼は強く、いつのまにか私の勉強を邪魔するやつはいなくなった。そして、颯太も私の隣で勉強するようになった。
合格発表の日、張り出された番号の中に二人のものを見つけ、一緒に泣いて喜んだ。後で、『遥香の前で泣いたなんて恥ずかしい』と言っていたのを覚えている。思えば、颯太の涙を見たのはその時ぶりかもしれない。
その後、あいつらに町で出会うことを怖がっていた私のために、一緒に東京の大学を目指してくれた。その時初めて、颯太はとても頭がいいことに気づいた。私がわからないところを、彼は丁寧に教えてくれた。
そして今、ここにいる。
私は颯太が去っていた方向を見る。彼はまだ戻って来ない。
ポケットからお守りを取り出す。強く握る。
「颯太にも、もう悲しみを味わって欲しくないから」
だから、願う。
もう一度!
まぶしさにまぶたを強く閉じる。
光が落ち着いてきてから、目を開ける。
白い世界が広がっていた。
手を開くと、その上にお守りが乗っている。
「犯人はわかったか?」
白色の、ずっと深いところから声がした。
「…いや…全然…」
お守りから顔を上げる。相変わらず一面、白い世界だ。
「何か犯人のヒントになることは?」
「…」
「何もないのか? よく考えてみろ」
再び視線を落とす。
神社での彼の言葉を思い出す。誰だって一度くらい人を傷つけたことがある。それはつまり、彼も誰かを傷つけたということだ。
「…もしかしたら、立花くん自身にも心当たりがあるのかも知れません」
やはり誰かの恨みを買った可能性が大きいのだろうか。
「なるほど」
「でも、それを会ったばかりの私に話してくれるかどうか…」
「それが立花蓮を救うためなら、聞き出すしかないだろう」
「ん…」
白い世界をぼんやりと見つめる。
「その他には?」
「えっと…」
思い起こす。他に何か怪しいことはあっただろうか。
「やり直すごとの差異だけでなく、共通点に注目することも肝要だ」
声がやけにはっきりと聞こえてきた。
周りを見渡すも、白い空間が広がっているだけだ。
二回分の共通点、か。
「明正八幡宮に行くこと?」
「そうだな」
ただ、そこに犯人に繋がる情報を見出すのは、難しいかも知れない。
「あとは…うーん」
腕を組んで考える。頭のいい颯太ならすぐに何かに気づけるのだろうか。誰にも相談できないことを憎む。
授業で立花くんに出会う。
私一人でサークルに行く。
颯太を連れてサークルに行く。
明正八幡宮に行く。
八幡宮のまとめをする。
立花くんが死ぬ。
二回ともこの順番だった。
「あ、」
気づいたことがある。
「立花くんは、二回とも六月十五日の、日曜の夜に殺されている?」
「そうだな」
「そうか。なら私は、土日に立花くんが何をしているのかを把握しなきゃいけない」
「そうなるな」
「んん…」
まだ私が知らないこと、知らなければいけないことが山ほどある。そう思った。
「…私、そろそろ行きます」
「そうか」
手を閉じる。
「それ、手放すなよ」
「え? はい」
お守りを強く握る。
「お願いします!」
「武運を祈る」
目をつぶる。まぶしさが強くなる。
六月二日(月)
はっとして体を起こす。
「どうした?」
颯太が心配そうな顔でこちらを見つめている。
「いや、なんでもない。大丈夫」
彼が私の顔を覗き込んでくる。
「で、サークルはどうするの?」
さっさと話し始める。
「あ、ああ。空手サークルには入らないことにしたんだよ…」
颯太が体を戻し、気まずそうに俯く。
「そう」
沈黙が流れる。
「ん…何で?」
「いや、やっぱりノリが合わなくて。高校の頃ほど真面目な感じじゃない」
「そう」
パンの袋を開け口に運ぶ。颯太はおにぎりを一口。
「…織田信長は尾張国に生まれ、天下を統一しようとした武将であることは、みなさんも知っているかと思いますが…」
私は今回のやり直しで何をするかを考え、ノートにまとめていた。
まずは立花くんの身辺調査をする必要がある。バイトはしているのか、家はどこか、休日は何をしているのか…。
しかし、初対面でこんな質問をしても怪しまれてしまう。できる限り早く、立花くんとの距離を縮めなければならない。
「すみません。隣いいですか?」
突然声を掛けられる。横を向くと立花くんがいた。
「あ、どうぞ」
かなり考えに耽ってしまっていたらしい。周囲の怪しげな動きにも、しっかりと目を配る必要があるのに。
扉を開ける。
「こんにちは!」
「おお!」
部屋に入ると、三人が迎えてくれた。
「私、花園結衣です! 結衣って呼んでね!」
「山上聖司です」
「じゃあ、このサークルの活動内容を紹介するね」
お馴染みの流れが始まる。
「こっちに神社とかお寺の本がたくさんあるから、気になるものを見てみて」
そう言うと、立花くんが結衣の方へ足を向けた。
「立花くん!」
「ん?」
彼が振り返る。
「見てもあまりわからないので、本の紹介をしてもらえませんか?」
「ああ。花園に、」
「立花くんに教えてもらいです」
「え」
立花くんが困ったように笑う。
自分でも何を言っているんだ、と思い目をそらす。
「いいんじゃない? 私飲み物買ってきたいし」
助けてくれたのは結衣だった。
「えっ」
立花くんが結衣の方を見る。
「サークル長なんだから、課題やってないで紹介してあげなよー」
結衣がニヤニヤしながら扉を開ける。
「おい花ぞ、」
バタン、と音を立てて扉が閉まった。
「たく…」
立花くんが一瞬残念そうな顔をする。
「ごめん。忙しかったですか?」
申し訳なさそうな顔で彼に近づく。
「いや、いいよ。こんなことも花園に任せようなんて、サークル長失格だよな」
彼は苦笑いして、紹介する本を選び始めた。
「ありがとう。私のために時間を割いてくれて」
立花くんが振り返る。
「感謝しないといけないのはこっちだよ。来てくれてありがとう」
「…どうも」
感謝の言葉と同時の、不意の笑顔にドキリとする。
彼は一冊の本を手に取った。
「よし、じゃあまずはこの本から始めようか」
「はい!」
それから何冊か紹介を受けた。私は少しオーバーにリアクションをするようにした。そのおかげか、立花くんは終始楽しそうに説明してくれた。
「はぁ…」
五冊目の紹介が終わったとろで、私はあえてため息をつく。
立花くんの表情がわずかに曇った。
「…ちょっと長かったかな?」
「すみません…少し疲れちゃいました」
愛想笑いを浮かべる。
「少し休憩しようか。てか、椅子に座りながらやればよかったね」
そう言って、私の後ろの席を私の方へ向け直した。
「座っていいよ。別の話でもしよ」
立花くんも私の隣に座る。
「ここ以外にどこかサークル入ってるの?」
私がどう訊こうか決める前に、向こうから話しかけてきた。
「入ってないです」
「そうなのか」
「でもサークル入らないと毎日暇で…」
「そうだよな」
彼がこちらを見る。
「…バイトもまだなのでほんとに時間が余っちゃって」
「お、バイトまだ勢か」
「立花くんは何かやってますか?」
私も彼の方を見る。
「いやー、俺もまだ」
「そうなんですか…」
「でもバイトしないとお金ないからなぁ」
立花くんはバイトをやっていない…。なら、バイトコミュニティでのいざこざの線はないか…。
と、ガチャっと扉の開く音がした。
「ただいまー」
「お、お帰り」
結衣が戻ってきた。
「あれ? 本の紹介してなくない?」
「花園がいない間に五冊紹介し終わって休憩中」
「そう。お疲れ様」
プシュッと結衣がコーラを開けた音がする。
「…ぷは、うんめぇー」
「ふふっ」
思わず笑ってしまう。
「何?」
結衣がこちらを見る。
「いや、結衣みたいな人がそんな風にコーラ飲むの、なんか意外で」
「え」
きょとんとした顔になる。
「あー、夏樹さん。こいつ、今でこそ清楚ぶってるけど昔は、」
「だめだめー‼」
結衣が私たちの間に腕を入れてくる。
「蓮⁉ それは大学の人には言わないでっていったでしょ⁉」
結衣が頬を紅潮させながら突っかかる。
「ご、ごめんて!」
立花くんが慌てて手を合わせている。
「なんだなんだ?」
山上くんが本から顔を上げてこちらを見ている。
「山上は本読んでて!」
「はいはい」
結衣に怒鳴られ、再び本に目を戻す。
「悪かったよ。もう言わない」
「気をつけてねっ?」
私は呆気に取られながらそれを眺めていた。
「花園はもうバイトしてるのか?」
あまり気にしていない様子で立花くんが口を開いた。
「え? してるよ。ファミレス」
「へー。偉いな」
「小遣い稼ぎだよ」
結衣も座る。
「てか、一人暮らしの蓮の方が、バイトしないとヤバいんじゃない?」
「うっ、そうなんだよなぁ」
立花くんが結衣から目線をそらす。
「今は親からの仕送りでなんとかなってるんだけどね」
「蓮は誰かと遊んだりもあんましないもんねー」
ニヤっとしながら言う。
「そうだな」
立花くんが苦笑する。
「あの、立花くんも一人暮らしなんですか?」
私は咄嗟に聞き直す、
「ん、そうだよ」
二人がこちらに目を向ける。
「私も布平(ぬのだいら)に一人暮らししてます」
「マジ? 俺、西布平なんだけど!」
「え、近い!」
気持ちが盛り上がる。まさかこんな近くに住んでいたとは。
「えー。いいなー」
結衣さんがムッとした表情で見てくる。
「私、宮沼(みやぬま)住みだよ?」
「え? 遠くない?」
驚く。宮沼はここからだと一時間半はかかる。
「うーん、親が一人暮らを許してくれなくてね」
「そう…」
「かわいそうに」
立花くんが茶化すように言う。
「もー」
結衣がムッとする。
立花くんと結衣は同じ高校のはずだ。立花くんは独り立ちをして大学の近くに越してこれたが、結衣は親に止められたということか。
わからないこともない。私も東京の大学に行くため独り立ちすると言ったときは、親からとても心配された。
「なあ花園、人と関わらないで済むバイトってなんかあるか?」
いつの間にか話題が戻っている。
「んー、探せばあるんじゃない? でも、絶対人と関わるバイトの方がいいと思うよ? 社会人になったときに役立つし」
「そうだよな…」
「…蓮、そろそろ頑張りな?」
「うん…」
二人の会話を横目で見ながら考える。
立花くんと結衣。私と颯太ほどではないものの、二人には長い付き合いがある。結衣なら、何か手がかりになることを知っているかもしれない…。
六月九日(月)
何度目かの明正八幡宮だ。…もう来ないことを祈りたい。
社務所に向かうタイミングで、私はあえて結衣の背に続く。
「ん? 遥香もおみくじ引く?」
「あ、うん」
どうやら結衣はおみくじを引きに行くようだ。
「俺も行く」
颯太もついて来る。
「え、颯太は立花くんたちと話してきなよ」
「えー。おみくじの方が楽しそうだろ?」
颯太が小声で囁く。
正直、結衣と二人だけの方が色々訊きやすかったが、仕方ない。
「こっち」
結衣に先導され歩いていく。
社務所の端におみくじスペースがあり、二つの六角形の木箱が並ぶ。それぞれ、『おみくじ』、『恋みくじ』と書いてある。
結衣が『恋みくじ』の方を手に取る。
少し迷ったが訊いてみる。
「…結衣、好きな人いるの?」
「んー」
私の問いに答えず箱を振り、逆さにして棒を一本取り出す。
「十二番です」
巫女さんが棒の代わりに用紙を渡す。
「折角ならみんなで一緒に見よ?」
結衣が目で促す。
「あっ…と…」
「遥香はどっちにする?」
颯太に訊かれる。
「ん…」
『恋みくじ』の方に一瞬目が行く。木箱を手に取る。
「普通のやつか」
『おみくじ』と書かれた箱を振る。
「俺もそれにしよ」
逆さにすると棒がコツンと落ちた。
私たちも紙をもらい、結衣のかけ声で開く。
「せーのっ」
ピラ…っとすぐに結衣が背を向ける。
「小吉かあ。微妙だな」
颯太が声を上げる。
「遥香はどうだった」
そう言いながら覗いてくる。
「…吉」
努力すれば報われる、なんてことが書いてある。
「受験生じゃあるまいし」
小さく不満を漏らす。
「いいじゃん。うらやま」
結衣の方に目を向ける。相変わらず私たちに背を向けたままだ。
「…結衣? 大丈夫?」
「だ、大丈夫。あんまよくなかっただけ」
振り返った笑顔がぎこちない。
「おみくじはおみくじだから、あんま気にすることないよ」
「そうですよ」
颯太と二人で優しい言葉をかける。
「そ、そうだよね。ありがと」
少し元気を取り戻したようだ。
「にしても遥香、吉ってすごいじゃん」
「いや、おみくじはおみくじだし」
「そこは喜んじゃっていいんだよ」
肩にポンと手を当ててくる。すっかりいつもの結衣だ。切り替えの早さに少し驚く。
結衣の足が来た道を戻ろうとする。
「あの、」
私は慌てて肩を叩く。
「ん? なに?」
振り返った結衣の目を見つめる。
「結衣って立花くんと付き合い長いんだよね?」
「別に付き合いってわけじゃないけど…」
結衣が指で髪に触れる。
「なら、その…昔の立花くんって、どんな感じだったのかな」
「えー、昔の蓮か」
境内の方をぽーっと見つめながら言う。
「…優しかったなぁ。私の側にいてくれてさ…もちろん、今の蓮も優しいけどね」
長い髪を指先でくるくると弄りながら言う。
颯太みたいだ。なんとなくそう思って彼の方を見る。少し首をかしげて見つめ返してきた。
「んと、言いづらかったら申し訳ないんだけど、立花くんって昔結構ヤンチャだったりした?」
結衣がパッとこちらを向く。
「なわけないじゃん! ヤンチャだったのはむしろ私のほう」
「そうなの?」
結衣が気まずそうに視線をそらす。
「…私の話はいいでしょ」
「あ、ごめん」
いつの間にか結衣の話になりかけていた。
「とりあえず、優しくて穏やかな性格だよ、蓮は。ずっと」
「そう…」
言いながら私も目をそらす。
やっぱり立花くんは、昔から私の知っている立花くんだ。そんな彼が恨みを買うわけ…。
と、颯太が横で眉をひそめているのに気づく。
「あ、ごめん。颯太のこと完全に置いてきぼりにしてたね…」
私は慌てて明るい声を出す。
「…いいよ。二人が楽しそうでなにより」
そう言ってそっぽを向いて歩き始める。拗ねてしまったようだ。
「ごめんねって」
颯太に歩調を合わせる。相変わらずムスッとしている。
「女子二人の会話に入れないだけでしょ」
結衣の一言に颯太が苦々しげな表情を浮かべる。
「ああ、そっか、ごめんね」
今度は語尾に星をつけるイメージで言う。
「…遥香」
颯太がぶっきらぼうに言う。
「ふふっ」
自然と笑みがこぼれる。
「おみくじ、どうだった?」
はっとして前を向くと、立花くんがいた。隣には重たそうにバッグを抱えた山上くんがいる。
「大吉だったよ!」
結衣が嬉しそうに言った。
六月一二日(木)
今日は月曜に行った明正八幡宮についてのまとめを行った。
まとめと言っても真面目にやったのは山上くんぐらいで、私たちは課題や雑談をして過ごした。
「じゃあそろそろ終わりにしようか」
立花くんの一声でみんなが片付けを始める。
私は、ちょうど机を置いたところの彼に近づく。
「立花くん、ちょっといい?」
「ん? どうした?」
「ちょっと」
そう言って手招きしながら教室を出る。
「扉閉めて」
「ああ」
バタンと扉が閉められる。一気に静かになった。
「なに?」
「あのさ、ちょっと相談って言うか…」
目を合わさず言う。
「どうした?」
「こんなこと言っても信じてもらえないかもしれないんだけど…」
「うん」
「さっき食堂でお昼食べてるときに、立花くんを…襲おうって話してる人がいたの」
「え?」
顔を上げる。彼の表情が曇る。
「日曜の夜に立花くんを襲おうって言ってた。だからさ、日曜日は一日中家にいてくれないかな」
「いや、え? き、急に何?」
困惑した顔で見つめられるのも無理はない。もっと上手い嘘を考えれば良かったと内心後悔する。
「だからさ、立花くんの命を狙ってる人がいるんだって。何でかはわからないけど」
「冗談だろ?」
「冗談じゃない。ほんとのことだよ」
彼の目を見つめる。怪訝そうな色が濃い。
だが今は、とりあえず立花くんを日曜に外出させないようにできればいい。
「いやいや、そんな話、たくさん人がいる食堂でしないでしょ」
「…でも食堂だからこそ、周りの人も冗談で聞き流してくれるだろうって思って話してるのかも」
立花くんが真剣な表情になる。
「そう…」
腕を組んで押し黙る。教室の中から結衣たちの話し声が漏れ聞こえる。
「…で、終わり?」
しばらくして、立花くんが言った。
「え?」
「戻っても、いい?」
「え、あ、わかってくれた?」
あっさり了解してくれたのか? まだ切迫感が十分に伝わりきっていない気もする。
「じゃあ、日曜は絶対家から出ないでね?」
「あ、ああ」
立花くんは気まずそうに笑みを浮かべている。やはり心配だ。
「日曜に何か予定でもあるの?」
「ん…どうだろ」
曖昧な答え方に、モヤっとした気持ちが広がる。
「何か予定があるなら、私に教えてくれない?」
「え?」
「誰と何時にどこで会うのか、とか」
「いや…」
「何かあるかもしれないから…」
立花くんの口元が動きかけたが、すぐにつぐんでしまった。
沈黙の中、少しだけ冷静になる。流石に予定を把握しようとするのは、距離感を誤ってしまったか。
「突然変なこと言ってごめんね」
立花くんがこちらを見る。
「まだ知り合ったばかりの私に、そんなにプライベート明かしたくないよね…。でも、なら日曜日に家から出ないことだけは約束してほしい」
私も彼を見つめ返す。立花くんの方が目をそらす。
「…わかったよ」
一抹の不安がよぎる。
「ねえ、私の言ったこと信じてくれてる? 立花くんが危ないってこと」
「うん…」
彼の目の中が濁っているのを見逃さない。
「信じてないよね」
「え、いや信じてるって」
彼が慌ててこちらに向き直る。
「私は真面目な話をしてるんだよ? 立花くんのためを思って」
「ん…ありがとう」
目をそらす。颯太と同じで嘘が見抜きやすい。
不満が込み上げてきたが、ぐっと抑え込む。今これ以上余計なことを言えば、逆に不信感が増すだけだろう。
「…とりあえず、今週の日曜は家から出ないで。鍵もしっかりかけて。万が一があるかもしれないじゃん」
「ああ、わかったよ…」
まだ目を合わせてくれない。
「ほんとにおねが、」
と、その時教室の扉が突然開いた。
「二人で何してんの?」
真顔の結衣が、私と立花くんを交互に見つめる。
「あ…」
「……何でもないよ」
言葉に詰まった私の代わりに、立花くんが答える。
「…片付け手伝って」
そう言うと、結衣は扉を開けたまま中に戻っていった。
立花くんも部屋に戻ろうとする。咄嗟に腕を掴む。
「お願い」
目が合う。
「わかった」
私が手を離すと、そのまま教室の中に入って行く。
彼の目は濁ったままだった。
扉が私の前でバタンと閉じる。
私だけが、取り残される。
私は校舎の廊下を一人歩きながら、先ほどの立花くんの顔を思い出す。
私の言ったことを信じてくれただろうか。いや、きっと冗談だと思ったに違いない。それか…私が急におかしくなった、とでも思ったかもしれない。
立ち止まり、深呼吸する。
私は気まずさからか、あのあともう一度立花くんに話しかけることができなかった。彼は結衣と先に帰ってしまった。
側にベンチを見つけ、腰掛ける。
しかし、直接警告するだけで不十分なのは確かだ。何か他の方法を考えなければいけない。
「んん…」
腕を組んで考え込む。
ベタな方法だが、警察に相談するというのはどうだろうか。私の話を信じてくれるかは微妙だが、立花くんの家の付近の警備が強まることで、犯人を思いとどまらせることができるかもしれない。
スマホを取り出す。暗い画面の中で疲れた顔が見つめ返す。結衣の方が整った顔立ちをしている、ふとそう思う。
先ほどよりはありそうな犯人の設定を考える。あまりいい案が思いつかない。日曜の夜に路上で刺される、という事実しかわからないのが辛い。
覚悟を決めて電話を開く。実際に一一〇番などしたことがない。ためらいが生じる。
しかし、意を決して画面を三度タップする。
コール音が鳴った後、男性の声がした。
「警察です。事件ですか、事故ですか」
「じ、事件です」
声の震えを抑えるよう努める。
「いつですか」
「…今週の日曜日の夜です」
「次の日曜日ですか?」
「はい」
一瞬間がある。
「何か怪しいものを見たり聞いたりしましたか」
「はい。布平駅の前を歩いていたときに、私の友人を殺そうと話している声を聞きました」
「話していた人の顔を見ましたか?」
「すみません。周りにたくさんの人がいたので、振り返っても誰が話していたかはわかりませんでした」
「そうですか…」
再び間がある。
唾を飲み込む。音が聞こえてしまったかもしれない。
「…どこで実行するかなどは言っていましたか?」
「と、友達の家の近くです。西布平の辺りだと思います」
「…わかりました。では、日曜日の夜は巡回を強化します」
「ありがとうございます」
無意識にお辞儀する。
「あなたのお名前とご住所を教えていただけますか」
「あ、夏樹遥香です。住所は布平…」
~
スマホを耳から離し、ふーっと息を吐く。
これで、大丈夫だろうか…。
六月十六日(月)
颯太の沈んだ顔を前にする。
もう三度目だ。
「立花が、死んだ」
知ってる。
「昨日の夜、家の近くの道で死んでるのが見つかった」
もう知ってるから。
「警察によると、昨日の夜、駅からの帰り道に、」
「刃物で刺された、でしょ」
「えっ」
颯太が目を見開く。
「な、なんで…」
「朝、警察の人から電話がきた」
「え?」
視線を机に落とす。
「立花蓮さんが亡くなりました、って」
「そうか…」
音で颯太が背もたれに体を預けたのがわかる。
「…でも、なんで遥香のところにだけいったんだ? 俺は山上から聞いたのに」
私は少し考えてから、口を開いた。
「私、言ったんだよね。警察に」
「何を?」
「立花くんが日曜に殺されるって」
「は?」
颯太が身を乗り出してきたのがわかる。
「聞いたんだよね。立花くんを殺そうって話してる人」
「な、なんだよそれ…」
「警察の人、言ってたのに。夜間の巡回を強化するって」
「…」
私はふーっと息を吐く。
「意味なかった」
背もたれに身を委ねる。
「そう…だったのか」
颯太も体を戻す。お互い沈黙する。
「ねえ、颯太は知ってる?」
「ん?」
「立花くんを殺した人」
「え…知るわけないだろ…」
なぜか自分の口角が一瞬上がった。真顔になってから颯太の方を見る。
「そりゃそうだよね」
おかしな質問をしたことを自覚する。立花くんと初対面の彼が、私以上に立花くんのことを知っているわけがない。
私は今、あまり冷静ではない。朝に電話がかかって来てから収まらない、胸のむかつきのせいだ。警察の無能さに対してだけではない。むしろ警察を過信し、最低限の情報しか話さなかった自分に対してだ。そして、それだけではない…。
「遥香…?」
「…ん?」
颯太に呼ばれ声だけで返事する。
「遥香、怒ってる?」
「うん。自分の情けなさに…」
はっとして顔を上げる。なぜだか自分でもはっきりしない。
颯太は少し驚いた顔をしたが、またすぐに暗い顔に戻った。
「…悲しい…よな」
「…うん」
三度目にもなれば、ショックに少しは慣れるかと思っていたが、実際それほど変わらない。それでも最初よりいくらか辛さが軽減されているのは、まだチャンスがあるからだろう。
でも、それは私だけだ。颯太はもう立花くんには会えない。
「…あれ」
どうなのだろうか。私が立花くんを救えば、颯太やみんなもこれから先、立花くんと一緒に過ごしていける。そのとき私の横いる颯太は、今目の前にいる颯太なのだろうか。それは『颯太』であって、颯太じゃない何者かなのではないか。というか、なら今目の前で落ち込んでいる『颯太』も、私が中高生活を共にしてきた颯太とは違う存在なのではないか…。
「遥香?」
「あ、え?」
『颯太』に呼ばれてはっとする。
「さっきよりも顔色悪くなったから…大丈夫かなって。まあ仕方ないか…。」
「…心配してくれてありがとう」
颯太が小さく頷く。
変わらない。私が長年過ごして知ってきた、優しい颯太と。
ふっと一息つく。もう収まってきているが、鳥肌が立っていたことに気づく。
今一度小さく頭を振ってモヤを晴らす。きっとこんなことは、いち人間の考えるべきことではないのだろう。傍観者もいくつも掟を破ると言っていた。深く考えるのはやめよう。今は傍観者の助けを素直に受け入れ、ただ立花くんを救うことだけを考えよう。人の身のみでは決して成しえないことを。
「颯太」
「ん?」
彼と目が合う。自然とポケットの中のお守りを握った。
「またね」
目をつむる。そして願う。
もう一度!
まぶしい。
また白い世界だ。
「犯人はわかったか?」
「まだ…です」
「そうか」
どこからともなく声が響いててくるのにも、もう慣れた。
「それでも前回よりは奮闘したようだな」
「え、そうでしたか?」
ねぎらうような言葉がかけられたのは初めてだ。
「少しは運命を変えられる兆しが見えたかもしれない」
「本当ですか」
思わず顔を上げる。自然と気持ちが昂ぶってくる。
「無論、本当に未来を変えるには、今の君の力では遠く及ばない」
傍観者の次の一言に、すぐさま心が冷やされる。
「そうですよね…」
立花くんの私生活が少しずつわかってはきたものの、犯人特定の糸口がわからないと言う点では、前ここに来たときから何も変わっていない。
「だが、この問題は人間一人で抱えるには、あまりにも難しい」
「…はい」
そんなことわかっている。だからこそ今、私を少しでも前向きにするような言葉をかけてくれたのか。実際、一人で過去へ戻って立花くんを救うために努力し、結果救うことができない、と言うのを繰り返すのはかなり辛い。
「お気遣いありがとうございます…」
「立花蓮を救ったあとも、その気持ちを忘れるなよ」
遠くから聞こえる声が、少し穏やかになった気がする。
「はい…」
もし私の精神的負担が限界に達したらどうなるのだろうか。そのときは立花くんを救うことを諦め、彼なしの世界で生きて行くことにするのだろうか…。
「さて、次はどうする」
「…えっと」
嫌な考えを振り払い、腕を組んで考える。
立花くんは兼サーもバイトもしていない。西布平で一人暮らし。結衣によると昔から変わらず優しい性格で、人の恨みを買うとは思えない。
「はあ」
思わずため息が漏れる。いよいよ彼を殺す犯人の動機がわからない。
「目立った進展はなしか」
他人事のように軽く言う傍観者に、気分を逆撫でされて視線を上げる。
「傍観者…さんは、犯人が誰だか知っているんですか?」
「当然だ」
にわかに鼓動が早くなる。
「誰ですか」
「教えるわけないだろう」
「なんで」
思わず一歩踏み出すも、返事はない。
「教えてください!」
真っ白な世界では不思議と私の声は響かない。自分の鼓動と、荒い息遣いだけがはっきりと聞こえる。
~
しばらく時間が経っても、何も聞こえてこない。一人で過去に戻ろうと思ったが、いくら念じても白色に変化はない。焦燥が募ってくる。
「…ごめんなさい、無茶を言ってしまって。もう一度、私を過去に送ってください」
世界が一瞬揺らいだ気がした。風が吹いたわけではない。そもそもここに空気があるのかも定かではない。でも、確かに『流れ』を感じた。
だがそれは本当に一瞬で、相変わらず返事はない。
私はしゃがんで膝を抱える。どうしよう。立花くんを助けるどころか、このままではこんなところで、ずっと一人きりだ…。
目頭が熱くなってくるのを感じる。立花くんでなくとも、颯太でも結衣でも、山上くんでもいいから会いたい。もう、溜まった涙が目からこぼれ落ちる…。
「人間は不幸ばかりに目を向ける」
はっとして顔を上げる。まぶしい白が目に飛び込んでくる。
「身の周りに溢れている幸福には目もくれない」
呆気にとられながら聴く。
「だが、それが人間の原動力になる。際限のない祈りが、願いが、人をどこまでも突き動かす。どこまでも狂わせる」
聴きながら気づく。これは私のことだ。
「その祈りが、誰かの願いを否定していることに気づかない。その幸福が、誰かを不幸にしていることにも気づけない」
声が聴こえなくなる。再び耳が痛くなるほどの静寂が訪れる。
私は、ゆっくりと立ち上がる。
「それでも、私は立花くんを助けたい」
白い世界のなるべく遠くまで声を届けるつもりで叫ぶ。
「死ぬほど我儘(わがまま)なのはわかってる! でも、立花くんの死で悲しむ人がたくさんいるから! 結衣も、山上くんも、颯太だって、辛い思いをするから!」
「立花蓮が生きれば、少なくとも君は幸福か」
意外と近くから声が返ってくる。そちらを振り向くも、一面の白が広がるだけだ。
「私だけじゃない。みんなそう」
「なぜそう言い切れる」
「え?」
意外な問いかけに言い淀む。
「本当に蓮を取り巻く全員が幸福になるのか?」
声の出所が私の周りをぐるぐると回る。傍観者の言いたいことがよくわからない。
「あ…犯人だけはちがうか…」
「不十分だ」
私のつぶやきを、傍観者が一蹴する。
「な、何が言いたいの…?」
白い世界がまた一瞬、揺れた気がした。
「ならヒントを出そう。蓮を殺す犯人にも繋がることだ」
「えっ」
突然の言葉に息を呑む。
「既に充分与えた」
「え?」
思わずまた聞き返す。
「後は人間の頭でよく考えろ」
「ちょ、」
傍観者を問いただそうとしたとき、ふいに周囲の白色が強くなった。
「ま、まだ送ってとは言ってない!」
「少し前に言ったじゃないか」
「それは!」
あまりのまぶしさに目を開けていられなくなる。
「武運を祈る」
それだけが耳に届いた。
六月二日(月)
「待って!」
はっとして、伸ばしていた腕を元に戻す。
「き、急にどうした?」
颯太が驚いた顔で、私を見つめている。
「…虫が飛んでてさ」
ふーっと息を吐いてから、今一度目を開ける。
「で、サークルはどうするの?」
「あ、ああ。空手サークルには入らないことにしたんだよ…」
お決まりのセリフを喋りながら、傍観者の言った内容を思い返す。
立花くんが生き続けることで不幸になる人がいる。それは一人とは限らないのかもしれない…。
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