幸福
@take_Gunners23
幸福
次の電柱まではあと10歩。和子は少し大股になる。最後の1歩がやや詰まる。次はあの歩道の割れ目まで6歩。今度は最後の1歩が大きすぎる。歩き慣れた帰路ではあるが、今日はどうやら調子が悪い。
歩数を数えてしまう癖は、ハードル競技を始めた中学生の頃から始まった。目に入ったものをハードルに見立て、決めた歩数通りに通過できるかを試す。何が楽しいのか自分でもよく分からないが、競技を辞めた今でもずっと続けている。
最後のレースは高校3年の全国インターハイ。名門大への推薦入学の話もあったが、断った。競技経験が最も役立ったのは今の会社の入社試験だ。ダメ元で受けたが、インターハイの出場経験が面接官に刺さり、何とか滑り込んだ。入社して5年が経つが、当時の面接官は宴席などで和子を「ハードラー橋本」と呼ぶ。それ自体は構わないが、近くにいた別の社員が「そうなんですか?」と反応するのが面倒だった。だから背が高いんですね。たいていはこう続く。
和子の身長は175センチ。この1ヶ月、自分より背の高い女性を見ていない気がする。背が高いのは幼稚園の頃からで、ハードルを始めたから伸びたわけではない。よく誤解されるが、面倒なので訂正もほとんどしない。背筋を伸ばしていると目立つので、いつからか猫背が癖となり、ヒールもほとんど履かない。「読売巨人軍」や「進撃の巨人」といった字面は、目に入るだけで憂鬱だった。
歩幅が合わない原因はよく分かっている。
今晩家に来る予定だった啓太郎が、当日になって急に「息子が熱を出したから行けない」と言い出した。妻が息子を連れて実家に帰るからと、1か月も前から決まっていた予定だった。和子は今日のためにベッドのシーツを洗い、どこを見られても恥ずかしくない程度に掃除を済ませていた。
「もし私も熱出してたらどうしてた?」
社内でそんな風に迫る女にはなりたくなかったが、一言言わないと気が済まなかった。啓太郎は眉をぴくりと動かして「4歳児が優先だよ」とだけ言った。和子は上目遣いで啓太郎を見つめて鼻で笑い、それ以上何も言わなかった。啓太郎は社内で和子が見上げられる数少ない男性だ。学生時代はサッカー部のゴールキーパーで、31歳になった今でも社内のフットサルで重宝されている。初めて手をつないだ時、その手の大きさと厚さに驚いた。1年前の異動で和子の部署にやってきて、しばらく後の飲み会で意気投合し、そのまま和子の自宅で関係を持った。既婚者だと知らなかった、と言えば嘘になる。左手の薬指に指輪こそはめていなかったものの、同じ部署にいれば何となくわかる。高校の頃片思いした先輩によく似ていたのがまずかった。アルコールも入っていたし、1度ぐらいなら構わないだろう、ときちんと確認を取らなかった。子どもがいることは後になって知った。
近くのコンビニで、缶チューハイ2本とカップ焼きそばを買う。もう空き缶やソースの臭いを気にする必要がない。レジに立っていたのが若い男性だったので、セルフレジを利用した。自宅は来客を待ち構えるように清潔なままでそこにあり、和子は靴をわざと乱暴に脱いだ。
こういう日に見るのは、イングランド・プレミアリーグの乱闘集だ。サッカーのルールは詳しく知らないが、大男たちが団子になって揉める様子を画面越しに見ていると、たいていのことはどうでも良くなってしまう。啓太郎が来なかった事実も忘れられる。
1本見終わり、他の動画を探していると、カップルユーチューバーらしき男女の動画が目に入った。見たことのないチャンネルだったが、サムネに映る女に見覚えがある。和子はアルコールに浸かった頭で思い出そうとする。
女は佐江だった。高校の陸上部の後輩だ。和子の心拍数が上がっていく。動画をタップすると、カメラを向いて並んで座る2人が「りくさえチャンネルです!」と朗らかな声で挨拶した。2人で住んでいる家なのか、家風のスタジオなのか判然としない。2人は茶色の革張りのL字ソファに腰掛け、前のローテーブルには缶ビールや缶チューハイ、そしてスナック菓子が雑然と置かれている。佐江は「今日は視聴者さんからの質問とか相談にこたえますね」とカメラ目線で言う。この朗らかな声にも聞き覚えがあった。横の男が缶ビールを開けると、白い泡が溢れてテーブルにこぼれる。佐江はそれを見て「何やってるの」と咎め、同時にその言葉が大きな字幕になる。怒っている彼女の顔がアップになり、怒っていることを視聴者に理解させるようなBGMが流れる。今時の過剰に丁寧な編集だと思った。再生回数は12万回とそれなりで、登録者数は45万人もいる。こんなに登録者がいるのになぜ今まで存在に気づかなかったのだろうか。
佐江は和子と同じハードラーだった。2人は周りからよく比べられた。ハードリングの技術は和子の方が勝っていると言われた。佐江はハードルによく足をひっかけていたが、走力を武器に和子に食らいついていた。1学年植だったこともあり、結局和子は佐江に一度も負けなかった。和子の引退後、佐江はインハイ入賞を狙えるとまで言われたが、地方大会でレース中に店頭し、全国の切符をつかめなかった。それを機に佐江は競技から離れたと聞いていた。
競技では負けなかったが、他を比べられると辛かった。身長は同じ175センチだったが、佐江は元々整った目鼻立ちで、和子と並ぶとショートケーキと大福、という具合で分が悪かった。佐江は大学時代モデルの仕事もしていたらしいが、別に驚きはなかった。あれこれ思い出しているうちに、画面に映る佐江に会ってみたくなった。あの頃は何かと意識する存在だった割に、卒業以来一度も顔を合わせていないのだ。
缶チューハイも2本目が空になりかけていた。動画の最後で佐江が告知をする。
「●月×日、▽△書店で私たちが出したスタイルブックのサイン会をします!まだ参加予約受け付け中です。みなさんとお会いできるのを楽しみにしています」
ちょうど1か月後で、場所もそれほど遠くない。和子はファンでもないのに妙に心が躍る。勢いで概要欄のURLから参加を申し込んだ。恥ずかしいので偽名で登録した。
そこから1ヶ月は、歩数の調子がすこぶる良かった。高校の後輩に会うだけなのに、最近味わっていなかった高揚感が常にあった。思えば大した理由も情熱もなく始まった啓太郎との関係が、もう半年も続いている。この間はずっと、他人の目線が気になり、道の真ん中を歩いてはいけないような気分だった。太陽は一層眩しく感じ、子供の声は頭の中で嫌な響き方をした。社内の人間に打ち明けることなど当然できず、数少ない友人たちも皆結婚生活や育児で手一杯に見えた。誰にも相談せず、たった1人で関係を終わらせる勇気も気力も和子にはなかった。相手の妻でも誰でもいいから、背後から頭をかち割って欲しいとまで思う夜もあった。そうでもされなければ止まることができないような気がした。
和子はどこか飢えを満たすように佐江の動画を片っ端から視聴した。チャンネルは4年前に始まっており、動画は全部で300本を超えている。カメラが回っているとはいえ、彼女らは部屋でも車中でも路上でも、とにかくよく話し、よく笑う。子どもの日記のように、取るに足らないことまで報告し合う。コメント欄の住民も、2人のことを良く理解していて、些細な変化も敏感に察知し指摘する。和子も動画を見続けているうち、2人と古くからの友人であるような錯覚に陥った。確かに佐江は知人なのだが、卒業してからの8年間を埋めていくように、急速に最近の彼女の言葉遣い、仕草、考え方を知っていく。それと同時に当時の佐江の走り方、汗の匂い、怒られている時の顔、いつも食べていたエビフィレオ、いろんなことを思い出す。あの頃のように、毎日一緒にいる気分になった。
動画を見すぎたせいか、当日の朝は緊張で家を出るのをためらってしまった。毎日一緒にいる、というのはあくまで気分の話で、実際に会っていた訳ではない。そもそも向こうは覚えていないかもしれない。
会場の書店は駅近くのオフィスビルの中に入っており、カフェと一体になった今風の店で、土曜の昼だとそれなりに混雑していた。「りくさえ」のファンと思われる若い女性も多く集まっていたが、同年代というよりは高校生や大学生らしき子ばかりだった。皆手にスタイルブックを持ち、そわそわしているように見えた。和子は場違いな気がして、急に恥ずかしくなった。恥ずかしい時に身長が高いのは辛い。その場から消えたい時に、その消えたい身体が大きいというのは滑稽である。ただ今日のために美容院に行って、メイクも丁寧にしてきた。スタイルブックも読み込んで、佐江の恋人、陸のことまで細かく予習してきたのだ。おそらく啓太郎のこと以上に理解しているつもりだ。彼の行動指針は「迷ったら楽しい方を選ぶ」。聞いてるこちらが恥ずかしくなるが、今は少し勇気づけられる。
雑誌コーナーをうろうろしているうちに時間になり、店内にアナウンスが流れる。近くの女の子たちはぱあっと明るい表情になり、集合場所に向かっていく。和子も立ち読みしていたファッション誌を閉じ、彼女たちにとついて行く。
会場の会議室には既に長い列ができていた。女の香水と化粧品の匂いが充満している。蛇行する列の先に、二人が座るのであろうピンクや赤の華やかな装飾が施された長机と椅子が見えた。机の前にはスタイルブックのポスターのイーゼルも置かれていた。少し出遅れた和子は列の中央あたりにいた。それでも和子の視界を遮るものは前にも後ろにもなかった。しばらくしてエプロンをかけた書店員らしき店員が登場し、あまり明朗とは言えない声で「りくさえチャンネルのお二人です」と呼び込んだ。前の扉から二人が登場すると、会場は割れんばかりの拍手と歓声が起きた。高校の後輩がこんなに多くの若者から支持されているという事実がうまく飲み込めない。
列は少しずつ動き出す。サインをもらって話せる時間はほんのわずかだ。何を話そうか。和子は今になって考える。佐江は自分のことを覚えているだろうか。急に来たことを気味悪がったりしないだろうか。よくない考えばかりが浮かんでくる。佐江と陸が見える位置まで列が進んだ。二人は一人一人の目を見て握手をし、祈りを込めるように丁寧にサインをし、ファンの話に耳を傾けていた。彼らの態度は不気味に見えるほど愛想が良く、綻びがなかった。まるで長年そうしてスポットライトを浴びてきた人間のように、状況に順応しているように見えた。高校の時は同じトラックで走っていたはずなのに、それも自分の記憶違いであったかのように思わされる。
前の人の対応を終え、佐江と陸がこちらを向く。
「あれ、もしかして和子さんですか?」
佐江の明るい声が響く。
「久しぶり」
和子はぎこちなく笑って応じる。
「え~、久しぶりですね!見てくれてるんですか?」
「そうなの。応援してるよ」
和子はそう言って本を開いて二人の前に差し出す。佐江は隣の陸に小声で「高校の部活の先輩」と説明する。それを聞いた陸は驚いた様子でこちらを向き、「ありがとうございます!」と動画で聞いたことのある声で言った。
佐江はうれしいなあ、と噛みしめるように呟きながら和子の本にペンを走らせる。和子の登場に驚きながらも、手つきは先ほどまでと同じで一切の狂いがなかった。佐江は和子に本を返し、「ラインて変わってないですか?」と聞いた。「変わってないよ、あの時のまま」と返すと、「また連絡します」と右手を差し出した。和子はその手を握り返し、「ありがとう、待ってる」と応じた。佐江の手はいろんな人の熱を吸収しているからか、とても温かった。
会場を後にしても気持ちは高ぶったままだった。佐江は覚えていてくれたし、気味悪がられもしなかった。過剰に身構えすぎていたのだ。これまで誰かを熱烈に追いかけたことのない人生だったが、会いたい人に会うということがこれほど心を晴れやかにするものだとは知らなかった。日常の些末な悩みは一時的に消え、彼らとの時間を思い返せば、他に何も思い出さずに済む。
帰り道の電柱も、道路のひび割れも、横断歩道も、全て想定通りの歩数だ。今なら本物のハードルだって軽々と飛び越えられそうだった。家に帰り、早速佐江と陸のサイン本を玄関の靴箱の上に飾った。家を出る時、家から帰ったときに目に入るようにしておきたかった。
夜は湯につかりながら「りくさえチャンネル」の過去の動画を見返した。今日会った二人が画面の中に収まっているのは不思議な気分だった。特に好きな2人がたき火をしながら語り合う動画を見ていると、ラインの通知が届く。見慣れないアイコン。佐江からだった。「今日はありがとうございました」「良かったらご飯に行きませんか?」
和子は驚いて態勢を崩し、湯がゆらゆら波打つ。まさか本当に連絡が来るとは思っていなかった。しかもこんなに早く。スマホの画面を閉じて、湯を両手ですくい顔にかける。しばらく考えて返事を打つ。
「こちらこそありがとう。久しぶりに会えて良かった!ご飯ぜひ行こう」
数十秒後、佐江から「来週の金曜日どうですか?」と返事が来る。
彼女は本当に行く気なのだ。
「仕事終わりでよければ空いてるよ」
「良かった!お店こちらで探しておきますね」
文面から見えたのは、あの頃と変わらない佐江だ。まるで部活帰りにファミレスへ誘うようだった。和子は握手の手触りを思い出す。
佐江が選んだ店は、●●駅の個室の居酒屋だった。ユーチューバーだからてっきり高級店を選んでくると身構えていたが、別に普段和子が行くような店と変わりはなかった。
集合時間の15分前に店の前に着いてしまった。中で待つか外で待つかで迷う。街中で顔を指されるような人とご飯へ行くのは初めてで、正しい所作が分からない。あの頃は1歩でも前を走っているだけで良かったから簡単だった。
結局外で待っていると、集合時間の5分前に和子さん、と後ろから声をかけられた。佐江だった。目線が同じ高さの女性と話すのは久しぶりだった。彼女は変装用のマスクも眼鏡もしていなかった。和子はそんな佐江を隠すように店へ入る。2人ともビールを頼んで乾杯をし、なんだかおかしくて顔を見合わせて吹き出した。このようにお酒を酌み交わす日が来ることを当時は想像していなかった。動画を見てサイン会に行ったことを伝えると佐江は喜んだ。案外身近に視聴者は多くないらしかった。
「よりによって和子さんが見てくれていたのは意外です」
佐江は笑いながら言った。
「何それ、どういう意味?」
「和子さんて、私たちみたいな動画なんて見ない人だと思ってましたから。あの頃の和子さんって、なんかこう、ストイックだったから」
「別にそんなことないよ。そんなことない」
あの頃の話を急に持ち出され、恥ずかしかった。そこからしばらく、当時の思い出話になった。片方が覚えていることを、もう片方が覚えていないというようなやりとりが続いた。
お互い3杯目の酒を注文した頃、和子は「何で誘ってくれたの?」と尋ねた。佐江は少し赤くなった顔でこちらを見つめたまま、黙ってしまった。まずいことを聞いた、と咄嗟に思った。
「先輩にしか話せないこともあるんですよ」
そう言って佐江が話し始めたのは、陸の浮気話だった。登録者が伸び始め、他のユーチューバーにも認知されるようになった。「りくさえチャンネル」はコラボ動画も積極的に出すチャンネルで、そのコラボで知り合った女性ユーチューバーと陸が関係を持ってしまっているらしい。佐江は確かな証拠を持っているようだが、陸本人を問い詰めることはできていないという。
「私たち、カップルチャンネルなんですよ。陸もそうだし、相手の女もどういう神経してるんだろうって」
これは動画内で語っていたことだが、ユーチューブを始めたいと言い出したのは陸の方だ。付き合うきっかけも、駅前にいた佐江を陸がナンパしたことだ。迷ったら楽しい方を選ぶ。彼の行動指針が別の意味合いを持って反響する。
「みんなを騙してるんですよ、私たちは」
和子の頭の中では、この数週間に見た動画が高速で再生されていた。その奥で、啓太郎がちらついた。
「何で私にそんなこと話すの?」
「誰にも話せないんですよ。どうせみんな面白がるだけです。カップルユーチューバーの浮気話ってめっちゃ面白いでしょ」
佐江はそう言って背もたれに背中を預ける。「サイン会の時に思ったんです。もうここまで来ちゃったら降りられないって。こんなに応援してくれる人がいるなら、騙し続けなきゃいけないかもって」
「でもそんなんじゃどんどん辛くなるだけでしょ」
ハードルに何度足を引っかけても、強引に和子に食らいついてきた佐江だ。忍耐強いのは知っていた。自分ならすぐにでも動画投稿を辞めるだろうと思ったが、ここでも啓太郎がちらついた。簡単に決断できるように感じるのは、他人事だからだ。惰性の心地よさを和子は知っている。
「私、大学ではマックでバイトしてたんですよ。だから人前ではどんな時も笑顔でいれるんです」佐江はそう言って笑う。動画を見て何でも知った気になっていたが、その笑顔の奥にあるものにはたどり着けそうになかった。
「私は佐江のチャンネル嫌いじゃない。いや、むしろ好き。でもそれ聞いたら続けて欲しいなんて言えない」
「私も自分ではもう止められないんですよ。和子さん、暴露系の人とかに情報売ってもらっていいですよ。そうしたらもう辞められるんで」佐江は冗談めかして言う。
「そんなことできない」和子がそう言うと、佐江は少し困ったように笑い、グラスに口を付けた。
和子は迷った末、最後まで啓太郎の話はしなかった。店を出て、佐江と横並びで駅まで歩く。
「和子さんってやっぱおっきいですよね」と佐江が言うので、和子は「いやいや佐江と同じ身長だから」と言った。
「陸の相手、背の低い子なんですよ。小動物みたいで目がくりくりで。なんかこう、あれですよね」
「身長は変えられないからねえ」和子はそう言って佐江の背中をさする。
「あの頃はこれが武器でしたから」佐江が返し、あ、そうだと何かを思い出して話し出す。
「家までの帰り道に、アーチ形の車止めがあるんです。夜、周りに誰もいなかったたらそれをハードルみたいに飛び越えてるんですよ。これがね、日によって足の運びとかジャンプした感触とかが全然違って、ミスってこけたこともあるんです。あの頃と同じで、調子とか気分によって変わるんです」
佐江はハードルを飛び越える仕草を再現してみせた。和子はぷっと笑い出す。「私も次の電柱まで予想した歩数通りに通過できるかとか、よくやるよ」と打ち明ける。先輩もなんですか!と佐江はこちらを向く。なんだかジャージ姿で2人で並んで歩いているような気分になった。隣に佐江がいれば、他人の視線を過剰に気にする後ろ暗さを紛らわせることができた。ケーキと大福の組み合わせも案外悪くない。そう思って和子は佐江と別れた。
帰りの電車内で、スマホが短く震えた。「今晩ちょっとだけ行ってもいい?今飲み終わったとこで」啓太郎からのラインだった。彼はいつも急だ。和子はラインを見つめたまま長いため息をつく。
駅に着いて、自宅に向かって歩き始める。少し酔っているが、今日の自分には自信がある。あの電柱、ポール、道路のひび、マンホール。全て予想通りに通過できれば、啓太郎とは終わりにしよう。和子は立ち止まって目を閉じる。隣のレーンには佐江がいる。普段は朗らかな彼女の、張り詰めた息づかいが伝わってくる。彼女は今、何を考えているのだろう。レースが終わるまで言葉は交わせないから、わからない。観客席が固唾を飲んで号砲を待っているのを感じ取る。ゆっくりと目を開いて、1歩目を踏み出す。
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