3.報道部権限

「先生、盗難事件に心当たりは?」

「盗難事件ねえ」


 山添は顎を撫でて、また考え込んでいる。

 手紙の内容にも、『薔薇園の淑女』のカードの内容にも、盗難事件のことが書かれていた。鈴東亜梨須が犯人であるという記述は手紙にしかない上に、淑女のカードはそれが冤罪であると書かれている。ただ犯人についてはともかく、何かしら盗まれている――しかもそれが頻発しているともなれば、教師の知るところにはなっているはずだ。


「聞いた覚えがないけど」

「じゃあ、先生たちが気付いてないってこと? でも何か盗まれた生徒が何も言わないなんてことあります?」


 学園内のことだ。警察が知らずとも、教師が知るところは大きい。どれだけこっそりとやっていたとしても誰にも気付かれないなんてことはない。

 盗まれたのならば、なくなったものがある。被害にあった誰かがいる。痴漢騒動ほどの大事ではなくとも、あれがない、これがない、そういうものが積み重なれば違和感のうねりにはなる。

 それなのに、山添は知らないという。ならば盗難事件そのものが、そもそも存在していないということなのか。


「雨蔦重君が消しゴムを盗まれたとしましょう。君、先生に言う?」

「めんどくさいです。あと、消しゴムくらいなら盗まれたって思わないかも、僕。だって消しゴムってすぐ転がってくし、気付いたらなくなってますよね」

「そういう細かいものなら、盗まれても気付かないかもね」

「でもそれなら、『頻発』なんて書くんですかね。事を大きくしたいようにしか思えない」


 消しゴムひとつ、あるいは何だろう。小さなものならばキーホルダーだとか、そういうものだろうか。どこかで落としたかな、とか、そんな風に思えるもの。

 けれどその場合は誰も「盗まれた」とは言わず、『頻発』というものにはならない。だというのに手紙にも淑女のカードにも、その言葉があった。


「考えられる可能性は、実際には起きていないけど、鈴東亜梨須に目を向けさせたかった。あるいは実際に起きているけど、大したことじゃない。その犯人を鈴東亜梨須にして何の得があるのか知らないけど。真犯人から目を背けさせなきゃならない理由があるのかな」


 ぐるぐると思考を巡らせる。奏羽の頭で思いつけるものはそれくらいで、どう考えても面倒にしかならなさそうなそれに、ついついため息が出た。


「生贄に鈴東亜梨須が選ばれた理由は、痴漢騒動にあるのかも。ああ、めんどくさい。僕こんなの調べたくもないし、退学かかってなきゃこんなことしないのに」


 鈴東亜梨須は痴漢騒動の時に大事にしてしまっている。犯人をぼこぼこにして、その動画が拡散されて。被害者の女子生徒はそこまで大事になることを望んでいただろうか。撮影された動画がどこからのものか分からないが、さすがにこの大騒動が冤罪ということはないだろう。ともすれば被害者は、「あの子が被害者だ」と学外の人にも指を差される結果になっているかもしれない。

 そうなると、被害者の心を抉るのは大勢の人になる。一番悪いのは痴漢の犯人であることは間違いないが、鈴東亜梨須や動画を見て面白がった人間に罪がないかと言えば、奏羽はさすがに「ない」とは言えない。


「全部一穂のせい。一穂が悪い。今日は帰ったら絶対文句言ってやる」


 すべてはそう、一穂がイーゴのアカウントを炎上させたせいだ。銀嶺鏡学園の後援者であった角柳議員の失脚という結果を招く炎上が、この学園の運営母体にとって面白いことであるわけがない。

 しかも一穂は自分だけ安全圏にいる。西山寺男子の方がイーゴのアカウントが炎上していようが何だろうが、素知らぬ顔をしていることだろう。角柳議員が後援をしているわけではないし、些細なことで西山寺男子のブランド力が低下することもない。

 全国にも名が知れた、県下トップの男子校。歴史だって銀嶺鏡よりも長いあの学校は、そう簡単に揺るがない。

 一穂のせいだ。全部全部、一穂が悪い。また腹立たしさがぶり返してきて、山添の不愉快な臭いも意識してしまって気持ち悪くなり、奏羽は一度目を閉じた。

 この話をしていても、苛立つばかりだ。面倒で、面倒で、面倒くさくて、ぐるりと回って腹が立つ。だからもう話を変えることにした。変えると言っても完全に逸らすわけではないが、事件そのものを考えるよりはマシな方向にしたい。


「先生は、『薔薇園の淑女』ってどう思います? 会ったことあります?」

「会ったことはないなあ。噂くらいなら知ってるけど。どうかした?」

「退学間際の生徒を呼び出す淑女様に、大変光栄なことに呼び出されたんです」

「雨蔦重君が退学……となると、角柳議員の件だね」

「うえ、先生まで知ってるってつまり、先生たちの間でイーゴに僕が関わってるのバレてるってこと?」

「いや、僕はほら、報道部の顧問だし。雨蔦重君がイーゴに関わってるの知ってるし」

「……そういえば、そうだったっけ。僕、先生にそんな話したかな」


 山添が知っているのは、そういう理由だっただろうか。では、『薔薇園の淑女』はどこから知ったのか。まさか山添がバラしたのかと疑うが、彼は今「会ったことはない」と奏羽に言った。それが真実であるか嘘であるか、心を読む術はなく分かるはずもないが。

 他の教師が知らないのなら、まだ救いはある。これで教師全員が奏羽がイーゴに関わっていると知っていたら、最低最悪の事態だ。一穂をばんばんとノートで叩いても収まらない。


「あっ、何その疑いの眼差し! 雨蔦重君、イーゴのアカウント名僕に相談したのもすっかり忘れてるでしょ!」

「あ」


 イーゴのアカウントを作る時、名前に迷った。候補はいくつかあって、どれにするかを。

 察して欲しい人がいる。これが雨蔦重奏羽と染井一穂であると、明言をするわけではない。けれどこのアカウント名であるとか、叫びであるとか、そういうもので察してくれればと願って、その人がかつて口にしたものからアカウント名を作ろうとした。

 別にこれで会いたいとか、そういうわけでもない。生きているよということを、変わっていないよということを、いつか会いに行くよということを、伝えられればそれで良い。


「そういえば……?」


 この部室で、山添にも相談したのだったか。姉に相談した記憶はあって、姉はそこで「彼氏にも聞いてみる」と言っていたような気がする。顔も名前も知らない姉の彼氏が何と言っていたのか、それもすっかり奏羽は忘れ去ってしまっている。けれど山添に相談したのかどうか、それが思い出せない。

 目で見たものはそうそう忘れない自信があるが、聞いたものは抜けてしまう。面倒だと感じたものや、どうでも良いと思ったものは尚更。


「いや、そう……でしたっけ?」

「めんどくさいから頭のどっかやったでしょ。相談のってあげたのにさー。はいはい、君にとって僕なんてそんなもんですよねー」


 拗ねたように山添が言うということは、やはり奏羽は彼にここで相談したのだろう。そもそもここ以外で彼に相談するような場所もない。


「そういえば、痴漢騒動の時は都先生がすごい怒ってたよ」

「へえ、あの先生怒るんですか。いっつも笑ってて胡散臭いイメージしかなかったです」

「胡散臭いなんて言うの、雨蔦重君くらいだと思うけどなあ」


 女生徒に人気のある若い男性教師。奏羽の都に対する認識はそれだ。どこかの誰かが都に告白したとか、しないとか、そういう噂話も絶えない。それを聞くたびに「良い大人なんだから線を引けば良いのに」と奏羽は思うのだ。

 所詮は憧れでしかない感情だ。きちんとした大人が、未成年を相手にするわけがない。むしろ未成年を相手にこれ幸いとする大人なんて、子供を食い物にして消費する化け物みたいな存在だ。


「……僕、本当に生徒のことを考えてる先生って、どういう人か知ってますから。その点から考えれば山添先生の方が僕の理想の先生に近いです」


 思ったところを正直に述べれば、目の前で山添が固まってあんぐりと口を開けていた。積み上がった菓子の山から適当に選んで詰め込んでも、かなりの量が入りそうなほどに。


「何ですかその反応」

「銀嶺鏡学園の王子様の突然のデレをどう処理して良いか僕は今すごい迷ってるんだけど、ここで万歳三唱したら君は絶対『うわ、鬱陶しい』って言うよね?」

「めんどくさいから無視します」

「あ、そっちなの」


 やはり山添は、二次元に毒されすぎだ。デレだとか、王子様だとか、そういうものを題材にしたものに影響されすぎている。現実はそんなものじゃなくて、もっと複雑なのに。

 奏羽のこの姿は、女生徒の人気とかそういうためではない。男になりたいわけではないし自分が女であるという自覚はある。そして、重苦しい理由があるわけでもない。これはただ置いていかれないための措置であって、『僕』という一人称に付随しているものというだけのこと。

 いつだって、前を走る背中がある。手を伸ばせば届く距離にあるようで、それがその実足を緩めて笑って振り返って待っているだけなのだと分かっている。

 群れに馴染めない冬の鳥は、共に飛べない。あたたかな場所も知らないまま。それでも同じ方向を向いて同じように羽ばたいているふりをして、自分だけの場所を探している。


「調べたい?」

「調べないと僕は退学の危機なんです。『薔薇園の淑女』様に、謎を解けって言われたんだから。僕ここで銀嶺鏡を退学になりたくないし、お姉ちゃんとの約束もあるし。本当の犯人は誰かっていうの解かないと、取引不成立になって退学になるかもしれないから」

「それなら雨蔦重君」


 ずいっと机を挟んだ向こう側から、山添が身を乗り出すようにして笑った。


「――報道部権限、使ってみる?」

「何ですかそれ」

「ふふん、何を隠そうこの報道部は、銀嶺鏡設立当初から存在する秘密の部活なのだよ!」

「先生、アニメ見過ぎてとうとうおかしくなったんですか?」

「なってません! あのね、銀嶺鏡学園はある程度の自由を認めてるけど、何もかも全部赦される治外法権とかじゃないわけ。日本っていう法治国家にあるんだから当然だけど」

「そうですね」

「ただ生徒の犯罪行為に教師がしゃしゃり出ると面倒なことになる場合もあるし、生徒が生徒を取り締まるために報道部って作られたんだよね」


 治安維持組織、とか、そんな御大層な名前でもない。確かにこうして所属している、ホームページにもパンフレットにもない部活。所属したことのある人間が、脈々と繋いできた、そう言われれば納得はできる。

 ただ、そんなものが現実あるというのがどうにも腑に落ちないだけで。けれど銀嶺鏡学園で噂になる『薔薇園の淑女』も実在を確認してしまったのだから、報道部もまた『薔薇園の淑女』に近い何かなのかもしれない。


「雨蔦重君のお姉さんも在籍してたでしょ?」

「そうですけど。そんなのお姉ちゃんから聞いたことないです」

「何も起きなきゃそれまでの部活だもの。平和なら良いの、報道部がただお菓子食べてるだけの部活なら大いに結構!」


 何事もなければ、何もしない。何事かあれば、権限を使う。そういうものだと、山添は言いたいのだろう。


「だから報道部は色々権限があるわけ。生徒は知らないけど、先生は知ってる。おっけー?」

「理解はしました」

「というわけだから……あれ、どこいった。ここじゃないっけ。あっちだっけ」


 パイプ椅子から立ち上がって、山添は部室内の棚にある引き出しをあちらこちら開けている。ごそごそと何かを探しては引き出しを閉めて、それを繰り返しているものだから、どうにも落ち着かない。


「先生、何してるんです」

「報道部バッジどっかいったなって。まあいっか、今度までに探しておこうね」


 そんなものまであるのかと、気が重くなる。面倒なことにどんどん巻き込まれているというか、深みへと引きずり込まれていると言うべきか。

 姉はどこまで知っていたのだろう。「何もしない部活だから」と言っていた彼女は、この権限について知っていたのか。在籍中に何もなかったから、本当に何も知らないのか。

 けれど姉に聞こうとは、思えなかった。返答がどちらであっても、意味がない。


「報道部は、問題が起きたらそれを調べる権限があるわけ。ただ、生徒には秘密だから上手くやってね?」

「それのどこが権限なんですか」

「先生たちは君が事件を調べるのを止めないし、職員室にある資料とかも見られるよってところかな。というわけで、頑張ろうね?」


 頑張りたくはない。面倒なことはしたくない。けれどここで拒絶すれば、もっと面倒なことになるのは目に見えている。

 勤勉な面倒くさがり。笑うような一穂の声が脳内に響いた。


「……めんどくさ」

「退学ー」

「先生までそれで脅さないでくれます? 分かりましたから」


 退学になるつもりはない。イーゴのアカウントの炎上だって、穏便に終わらせたい。あのアカウントを失ってしまうわけにはいかないのだ。あれは、本当に大切だから。


「ねえ、先生。報道部権限ってどこまでなんですか。学園の外は?」

「外?」

「僕一人じゃ無理ですし、面倒です。こんなことになったなら、責任を一穂にも負わせないと腹の虫がおさまりません」


 一穂ならば、言えばきっと協力してくれるだろう。彼が面白いと思えば、という条件はあるものの、きっと一穂は奏羽の持ちかけるものを拒絶しない。


「雨蔦重君の幼馴染だっけ。西山寺男子の」

「です」

「信用できる?」

「お姉ちゃんにも信用されてます。調べたこと、べらべら喋ったりはしないし、外面は良いから大丈夫です」

「じゃ、良いってことにしよっかな。その一穂君? が問題起こしたら間違いなく雨蔦重君は退学だと思うけど、それで良い? 報道部ってほら、諸刃の刃みたいなとこはあるしさあ」


 報道部権限というものは、一生徒では本来預かり切れないものを預かるものだろう。知ってはならないことを知り、罪を暴く。

 ならぬことは、ならぬこと。何があろうと、罪は罪。僕は決して、どんな理由であってもそれを認めない――。かつてこの言葉を口にした時、その人は笑顔だった。笑顔だったけれど、決してそれは楽しいとか嬉しいとか、それで笑っているわけではなかった。

 どこか痛々しい笑顔だったように、奏羽は思っている。一穂があの笑顔をどう思ったのかを、聞いたことはない。彼はどうやって、あの笑顔を受け止めただろう。


「一穂はそんなことしません」

「そっか」


 一穂は、絶対にしない。面白半分に誰かを傷付けるようなこともしない。イーゴの炎上だって、それが最善だったからした。それを奏羽も分かっている。


「なら良いよ。でも、重々気を付けてね? ほら、僕だって怒られるし! 顧問だから!」

「……先生は大人なんだから自分で責任負ってくださいね」


 山添の責任まで、奏羽はひっかぶることはできない。山添は教師で、大人なのだから。そういう意味を込めて拒絶したのに、目の前で山添は情けなくへにゃりと肩を落とす。


「やだぁ」


 良い大人の返答がそれで、本当に良いのだろうか。

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