最終話:150年後の秒針

 時は流れ、季節は150回巡った。


 かつて雪深い辺境の村だったその場所は、今や世界中の時計愛好家が一度は訪れたいと願う「時計の聖地」となっていた。

 美しいレンガ造りの時計学校、最新鋭の設備を備えた工房群、そして街の至る所に設置された時計塔。

 その中心にある「ベルンシュタイン時計博物館」に、今日も多くの見学者が訪れている。


 メインホールの中央、最も目立つ場所に鎮座しているのは、一つの伝説的な時計だ。


「……すごい。これが、あの『銀の明星』か」


 ガラスケースを取り囲む人々から、感嘆の声が漏れる。

 『ベルン・シルバー』で作られたそのマリン・クロノメーターは、150年の時を経てもなお、曇りひとつない温かな輝きを放っていた。

 文字盤の6時位置では、伝説の機構『ジャイロ・ケージ』が、今も変わらぬ速度で優雅に回転を続けている。


 解説プレートには、こう記されていた。


銀の明星シルバースター No.002』


 近代時計の父と称されるマイスター・アルドと、彼を支え続けた妻エリアナ・ベルンシュタインが作り上げた、歴史的傑作。

 独自の耐震機構と『ジャイロ・ケージ』により、世界で初めて「完全な航海精度」を実現した。

 本機は、かの有名な「魔の海域実証実験」で使用された実物であり、帰還から150年経過した現在も、一度の部品交換のみで、日差0.1秒以内の精度を維持し続けている。


「化け物だな……」

「当時の技術でこれを作ったなんて、信じられないよ」


 観光客たちは、その圧倒的な技術力と、歴史の重みに圧倒され、カメラのシャッターを切っている。

 それは間違いなく、人類の宝であり、偉大な「成功」の証だった。


 だが。

 そのメイン展示のすぐ横に、ひっそりと、しかし特別な存在感を放つ小さな展示ケースがあった。

 多くの人が『銀の明星』に目を奪われて通り過ぎていく中、一組の若いカップルがふと足を止めた。


「ねえ、見て。こっちにも何かあるよ」

「ん? なんだこれ……懐中時計? いや、ペンダントか?」


 そこにあったのは、女性の手のひらに収まるほどの、小さな小さな時計だった。

 装飾は一切ない。

 だが、その白く輝くケースは、隣の『銀の明星』以上に、作り手の慈しみと愛情が込められているように見えた。


「かわいい……。ねえ、秒針を見て」


 彼女がガラスに顔を近づけて言った。


「動いてるの? これ」

「動いてるわよ。ほら、スーッて流れてる」


 彼氏も目を凝らす。

 確かに、青い秒針が動いていた。

 だが、それはチクタクと時を刻む動きではない。

 まるで川の水が流れるように、あるいは星が空を渡るように、滑らかに、途切れることなく円を描いている。


 『スイープ運針』。

 極限まで振動数を高め、摩擦を消し去った者にしか作れない、永遠の流れ。


「解説文……読んでみて」


 彼女に促され、彼氏がプレートの文字を読み上げた。


『エリアナのペンダントウォッチ』


 マイスター・アルドが、妻エリアナへのプロポーズの際に贈ったとされる、世界に一つだけの時計。

彼は生涯、この時計のメンテナンスだけは決して弟子に任せず、亡くなる前日まで自らの手で調整を続けたという。


 裏蓋の刻印:

『俺の残りの時間は、すべて君に捧げる』


 読み終えた彼氏が、照れくさそうに頭をかいた。


「……キザだなあ、昔の人は」

「バカね。素敵じゃない」


 彼女はうっとりと時計を見つめた。


「見て。150年経っても、秒針が一度も止まっていないみたいに見えるわ」

「……ああ。そうだな」


 二人はしばらくの間、その流れる秒針に見入っていた。

 言葉はなくとも、伝わってくるものがあった。

 技術の凄さではない。

 この時計を作った男の、一人の女性に対する、不器用で、実直で、どこまでも深い愛情が。


 館内に閉館のアナウンスが流れる。

 カップルは名残惜しそうに、手をつないで出口へと向かっていった。


 人気ひとけのなくなった博物館。

 照明が落とされ、静寂が訪れる。


 だが、音は消えない。

 『銀の明星』が刻む、チチチチ……という力強い鼓動。

 それは、この街の産業を支え、歴史を作ってきた誇りの音だ。


 そして、その傍らで。

 小さなペンダントウォッチからは、音は聞こえない。

 ただ、静かに、滑らかに。

 スゥーーー……。

 秒針が流れ続けている。


 それはまるで、二人の魂が今も寄り添い、終わることのない愛の物語を紡ぎ続けているかのようだった。


 銀雪の聖地で二人が刻み始めた愛の時間は、永遠に止まることなく、未来へと流れ続けていく。

 雪深い聖地の夜に、今日も変わらず、愛しい時が流れ続けていた。


(完)


- - - - -


【後書き】


 ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました!

 『王都の天才時計師と、銀雪の令嬢』、これにて完結となります。


 エリアナとアルド、不器用な二人の「時間」を巡る物語はいかがでしたでしょうか?

 当初は「没落令嬢」と「頑固職人」という凸凹コンビでしたが、物語が進むにつれて、お互いがなくてはならない「歯車」として噛み合っていく様子を書くのは、作者としても非常に楽しい時間でした。


 本作を執筆するにあたり、どうしても描きたかったテーマがあります。

 それは、「機能美」と「職人の魂」です。


 本作は異世界を舞台としたファンタジー作品ですが、今回彼らが立ち向かったのは、魔物や魔王ではなく、「重力」や「嵐」といった物理的な壁でした。

 それらを知恵と技術、そして0.01ミリを削り出す執念で乗り越えていく姿に、少しでも熱いものを感じていただけたなら幸いです。


 勘の鋭い読者様の中には、作中に登場した時計やエピソードの端々に、ある既視感を覚えた方もいらっしゃるかもしれません。

 貧しい寒村を時計産業で復興させた偉大な時計師や、重力に挑んだ天才発明家……。

 本作は、そうした実在する時計の歴史と、偉人たちが残した「不屈の精神」への、私なりのささやかなオマージュでもあります。

(特に、ザクセンの静かな山あいで育まれた、質実剛健で気品あふれる時計たちからは、計り知れないインスピレーションをいただきました!)


 もしこの物語を読んで、時計の裏蓋を開けてみたくなったり、秒針の動きを愛おしく感じたりしていただけたなら、作者としてこれ以上の喜びはありません。


 エリアナとアルドの物語はここで一区切りですが、彼らが作った時計は、きっと作中の世界で、あるいは皆様の心の中で、これからも静かに時を刻み続けてくれると信じています。


 最後になりますが、連載中、温かい応援や感想をくださった皆様に、心からの感謝を捧げます。

 皆様の応援こそが、私の執筆活動における「主ゼンマイ」でした。


 また次の物語でお会いできることを楽しみにしています。

 本当にありがとうございました!

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王都の天才時計師と、銀雪の令嬢 ~「君の領地を時計の聖地にする」と約束した彼は、伝説の師から託された《究極の機構》で国を救い、私と結ばれました~ ぱる子 @palmeria

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