二十四話 とある山間の町
ルティアは、フィルダーレンの神殿の巫女だ。
神殿には魔道具が
祭祀やお祭りに魔道具の
そのように説明されてきた。
ガベルからも、旧資料館の館員からも、町の大人のみんなからも、ずっと。
「………………──」
はたして、そうだったろうか。
ルティアの頭に古い記憶が次々と浮かび上がってくる。
神殿とされるこの建物は非常食や水、防寒具などが収められていた時期があったはずだ。いちど叔父に尋ねたときは、一時的なものだったと説明されたが本当だろうか。
あるいは“ここが神殿となるまで”ずっと、緊急時に備えた倉庫として使用されていたのではないか。急斜面に対して町に堀をつくったように。あの仕掛けを施した防壁のように。かつてあった竜の地からの侵攻を想定した防備のひとつだったのではないか。
確実にいえることは、ここに魔道具なんてものは存在しないことである。あるのは、父であるクレイストンから、娘のルティアに
神殿の大広間。
最奥の
そこへふたたび外から、あるいは空の上から響くような男の声が届いた。
「聞こえているかね? 神殿とやらに避難している、フィルダーレンの諸君」
大広間の全員が、入口のほうへ顔を向けた。
「取引しよう。こちらが差しだすものは、きみたちの大切な町民であるマリオン・トキナス。そして町からわれわれが退去することだ。侵攻を止め、竜の地へとすぐに帰還しよう」
マリオンが助かる。これ以上、町が破壊されることがなくなる。この大広間の住民や、壁の近くにいる者たちが救われる。
そのために、求められるものとは。
「われわれ帝国が要求するものはひとつ、いや一人だけだ。……山羊の眼の少女。彼女と交換だ」
ルティアは、驚きはしなかった。
初対面のときのマリオン、魔眼狩りたち、カーシュ。彼らのルティアに対する反応は異常だった。みな、この眼を見つめていた。
そしてプライデルは、もともと
理解した。これまでの生活はやはり、すべてこの山羊の眼のせいだったのだ。
「……だめ、ルティア」歩きだすルティアの腕を、イオが力強くつかむ。「行ってはだめ。ここにいて。あたしから離れないで」
「ずっと、そうだったよね」静寂の大広間に、ルティアの声はよく響く。「イオは、ずっとわたしのそばに居てくれた。山に出るときは必ずいっしょだった。わたしを守ってくれるため。もちろんそれもあったと思う。……でも、もっと重要な理由があったんだよね」
振り返るルティアは、イオと視線をぶつける。彼女の猫の瞳は、この言葉にひるんで揺れていた。
「監視だったんだ。わたしが山を通って町からでないように。大回りして新市街へと向かわないように、ずっと監視してたんだ」
イオは答えない。しかし、ルティアの腕をつかむその手の力が、少しばかり弱まった。
彼女から視線を動かし、周囲の町の人々を見まわす。彼らもまた、顔を伏せるばかりであった。
「わたしがこの区画から出ちゃいけなかったのは、山羊の獣人がここにいると町の外に知られちゃいけなかったからなんだ。町の人以外が区画に出入り禁止だったのもそのため。だから防衛軍が来たとき、イオはわたしを山へ連れ出した。軍の警備もカーシュさん、コスローくん、ヘレナさんの三人だけ許されたのは、可能なかぎりわたしの存在を隠すためだったんだ」
この声が大広間に響くだけで、返事はなにもない。
ルティアもまた、これ以上は尋ねることをしない。問いただしたところで、正直な回答が得られるとは思えない。
ならば、いま必要な行動はひとつだけ。
「イオ、今までありがとう」
ルティアは神殿の外に向かう。
イオがふたたび手に力を込めるも、この足を止めるには至らない。打ちひしがれた者が
つぎにガベルが立ちふさがる。
周囲の大人たちも、ゆっくりとこちらに近づいてくる。だがルティアにしてみれば、彼らには自分を止める力を感じなかった。
「わたしは行くよ。無理やりにでも、噛みついてでも、みんなの命のために」
「ルティア。ぼくたちと話をしてくれないか」眼鏡の奥に見えるガベルの目は、悲痛の色だけに染まっている。
「マリオンは水の魔術に捕らわれた。人質にするため命までは奪われていないと思うけれど、それでも急がないといけない。壁の近くにいるみんなだって、今どうなっているのかわからない。はやく治療しなければいけない人も少なくないはず。それに──」
ルティアはその山羊の眼を、叔父のヒトの眼に向ける。
「──この眼について、あいつらならきっと詳しく教えてくれるはずだから」
「ルティア……っ!」
「わたし、この町が大好きだよ。イオとの時間も、叔父さんの料理も、町のみんなの優しさも、大好き。みんなの笑顔の下に何かを感じていたけれど、それでも、本当に幸せな時間を過ごせた町だった」
なんとか姪は、最期になる笑顔を叔父に向ける。
「……ガベル叔父さん。みんな。マリオンのこと、お願いね」
ルティアは駆けだした。伸ばされた力なき腕を振り払い、哀しい顔で止めようとする町の人を避け、引き留める声を背中に聞きながら、帝国兵のもとへと全力で走った。
もう目にすることができなくなるだろう、神殿区画の町並みを、その瞳に刻み込みながら。
= = = = =
カーシュやヘレナを含む隊員たちと職人たちは、帝国兵によって数か所に集められていた。崩壊した防壁のがれき近く、魔道具を奪われた状態で数人の兵士に囲まれている。
そんな彼らの奥、区画から外となる新市街の跡地。先ほどと同じ場所でプライデルは待っていた。
「おぉ! やはりおまえだったか! 遠目に見て、さてはと思っていたがな!」
神殿に戻るようにと、それ以上進んではいけないと、町を守ろうとしてくれた人々の声に包まれる。
緊張と不安、そして恐怖。身体を震わせる感情に負けず、ルティアはプライデルのもとへ歩いていく。
生まれて初めて、神殿区画から外にでることができた。
この事実に対する喜びなんて欠片もなく、水の魔術に拘束されて宙に浮いている、気絶した様子のマリオンを心配するばかりである。彼女の手足が
「どうして?」陽が傾いてきた荒野のなかで、ルティアは
だが、この質問に彼は眉をひそめる。
彼のそばに従う黒い鎧も、深紅のローブも、不可解そうに顔を見合わせた。
するとプライデルが「あぁ、そういうことか」と納得しては口を動かす。
「私も耳にしたことがある。歴史上、一部の村や町ではおまえのような者を監禁し、外の情報に触れぬよういびつな教育が施し、それがふつうであると刷り込むのだとな」
なんの話だ。ルティアが首をひねってみせると、プライデルは確信した表情となってうれしそうにふところへ手を入れる。
彼が取りだしたものは、リメディ。ルティアの良く知る、フィルダーレンの特産品である果物だ。
「……まったく、
聞きたまえ。そう宣う男は芝居がかった動きでリメディを掲げる。
「山羊の眼が必ず覚醒させる唯一の術式、『変質』だ! おまえの覚醒した魔眼には黄金どころか、国を
山羊の眼の術式。変質。
ルティアがこれまで聞いたことのない情報を、プライデルは叫ぶ。
「これまでおまえは何を変えてきた! この果実を見るに、呪われた土地の浄化は確実。魔道具職人の町であれば、魔物素材の改善もあるな。資金として宝石の生成も考えられる。なるほど、
意味が分からない。
ルティアが知っているのは、工房の人々が必死に勉強し、試行錯誤を重ね、努力の結晶たる魔道具をつくってきた背中のみだ。
「苦痛の毎日だったろう? 頭痛に眠れぬ夜、味を感じぬ食事、身体を動かすたびに痛みがうずき、血の涙が流れなかった日は、数えるほどもなかったはずだ!」
朝寝坊して叱られたことがある。ガベルの食事は味わい深くて大好きだ。イオと二人で駆けまわった山はどこまでもまぶしかった。
「私の顔が見えるか? 視力はいったいどれだけ落ちた? その欠落した視界では、本を読むことすら困難だろうよ」
書店のゴンスおじいさんは、いろんな本を
「山羊の獣人は短命だ。みながみな、魔眼の術式と強いられる
いつか酒に酔ったガベルが、意地の悪い笑顔でルティアに恋愛事情を尋ねてきた。怒って無視すると、彼はゆっくり慎重に考えなさいとだけつづけた。
「安心しろ。われわれ帝国は、そのような非効率な使い方はしない。おまえの寿命を延ばし、獣人としての尊厳を与え、長く大切に使ってやる! 竜の地が、おまえの山羊の眼を守ってやろう!!」
ルティアはゆっくりと振り返る。
これまでずっと、ニーフルティア・エンズを守ってくれていた、フィルダーレンという山間の町を見つめる。
魔眼を消耗させる世間から隠し、山羊の獣人ではなく、ひとりの仲間としてともに生きてくれた故郷は、しかし、視界にゆがむ。
山羊の眼からは心を震わせる熱が流れでて、ほおを静かに伝い、止まってくれないからだ。
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