二十五話 決意に届く声
消耗されるだけの過酷な運命をたどるしかない、変質の術式を覚醒させる山羊の眼。
山羊の獣人であるルティアは、しかし、
外の目には触れぬよう、町のみんなに守られたことで。
ルティアがフィルダーレンという故郷を見つめていると、足音が耳に届く。
振り向くと、プライデルから腕が伸びてきていた。「……っ!」あごをつかまれ、無理やり顔を動かされては山羊の眼を覗きこまれる。
「……覚醒、していない? なぜだ。幼いころに手足の骨を砕き、命の危機を感じさせる程度に痛めつけてやれば、魔眼を覚醒させられることなぞ知っているはず。そして涙……はっ、はは、はははは!!」
乱暴にルティアのあごから手を離し、プライデルは高笑いを山間に響かせながらゆっくりと歩きまわる。
「そうか、そうかそうか。なんと愚かな町だ。さらなる繁栄ではなく、こんな獣人一匹の命を優先するとはな。しかし、
いったいなんのことを言っている。
ルティアがプライデルを
「マリオン!」ルティアは、水の魔術に捕らわれた友人に目を向ける。「気が付いたんだね。大丈夫? 痛むところはない?」
「だい、じょうぶ。っていうか、あんた、なんでここに……!」
「おまえのためだ」嬉しそうにプライデルが口をはさんできた。「マリオン・トキナス。彼女はおまえを救うために、人質の交換としてやってきたのだ」
マリオンは蛇の眼を見開き、悔しそうにゆがめる。
彼女とは異なり、プライデルは「そうだ、そうだそうだ!」と機嫌よく
「ここには故郷があり、友人もいる。おそらくじゅうぶんだろう。私はなんと幸運なのか!」
マリオンが片眉をあげて、「なにひとりで盛り上がってんのよ、クソ野郎」とつぶやくと、彼女の顔が
口から泡を吐き出してもがく彼女を目にし、「やめて、やめてください!」とルティアは必死に訴える。こちらに笑顔を向けた
彼女がせき込むなかで、プライデルはふもとに顔を向ける。
「さて、
「わたし、おとなしく付いていきます。だからマリオンやみんなを解放してください。お願いします!」
ルティアは安心すると同時に、心が悲痛に
「マリオン……」
知り合えてまだ数週間だが、それでも大切な親友となってくれた少女にほほえみかける。
「お願い、町のみんなに伝えて。わたしは、ルティアはフィルダーレンの町に生まれることができて幸福だったって。みんなに守られてきたこれまでに感謝しているって、……イオに、ごめんねって、伝えてほしいの」
「もしかしてルティア……そう、知ってしまったのね」マリオンは哀しそうに顔を伏せた。
このまま故郷と別れる現実に心を痛めていると、「いいや、伝言は必要ない」プライデルがそういった。
その言葉の意味が理解できず、ルティアとマリオンが疑問の視線をぶつけると、彼は自身の左目に指をさす。
「魔眼の完全な移植。この条件を知っているかね? 本来、眼のちからと所有者は物理的にも魔力的にも非常に
急にいったい何の話だ。
戸惑うルティアとマリオンを無視してさらに話はつづく。
「では、どのようにすれば完全に移植できるのか。技術的であったり魔術的な方法もあるが、私が好むすばらしい精神的な方法がある。……絶望だよ」
彼は、マリオンにその蛇の瞳を向けた。
「『これ以上は、もうなにも
「……お、まえっ!!」
マリオンの怒りを無視し、プライデルは町へ杖を向ける。
「ルティア、といったか。ここにはおまえを想う町がある。そして命を賭してでも救いたい友人がいる。……申し分ないと、そう思わないかね?」
まさか。
「やめ、て」
「獣人の子どもを生かしたまま運ぶよりも、眼球を二つだけ運ぶほうが当然、楽だ。覚醒を見届けて術式を確認する必要もなければ、所有者が二人に増える。選択の余地はない」
「やめて、お願いします。やめてください!」
「マリオンの母君が宿した、天候を操る術式。それにこの『呪いを
プライデルは、目の届く場所で横たわる帝国兵の死体、そのひとつに杖を向ける。
黒い鎧のすぐ上に霧が発生したかと思えば、小さな雲となり、死体に雨を降らせる。すると、濡れた鎧から煙があがり、耳にしたくない音とともに、鼻を突く刺激臭があたりに広がった。
金属の鎧が、死体が、ヒトが、溶けていく。
顔面蒼白となったルティアとマリオンは、言葉を失って身動きひとつできない。
「これを町全体に降らせる」
プライデルが、黒い杖をフィルダーレンに向ける。
「ルティア。最後となる光景を、その山羊の眼に刻み込むがいい。溶けていくおまえの故郷、そしておまえの友の姿をな!」
直後、ルティアの全身を翡翠色の水が覆った。
指先ひとつ動かせぬ拘束に抗えず、口内に水が侵入し、無理やり両目を開かされる。
「……、……っ!」
プライデルが
「……て! ……がい、だから!!」
マリオンが必死に蛇の眼を輝かせるも、プライデルの拘束を打ち破ることができていない。ならば。
「やめ……! ……みん、なを、きずつけ……なら!」
ルティアは誓った。この現実を、この絶望を、この世界を。
「……ぜったいに……!!」
変えるのだと、心に決めた。すると。
「おま……えを、ゆる、さない……!!!」
──お………………い……をみ……る?
声が聞こえた。
「はっははは! 呪いの雨だ! 聞こえるか!? フィルダーレンのケモノども! 今からおまえらの骨まで溶かす、魔術の雨を降らせよう!」
──……えはいっ……なに……ている?
プライデルの喚きでも、マリオンの悲痛でも、町から届く混乱でもない、だれかの声。
「そらそら、逃げろ逃げろ! 家に飛び込め、地中に埋もれ、がれきに隠れろ! 無駄なあがきだがな!」
──おま………………なにをみ……る?
ルティアの脳内に響くのは、男性とも女性ともとれる、知らない声だ。
「いい、いいぞ! 怪我で動けぬ者を
──……えはいったい……をみている?
イオがいる。神殿から走ってきた彼女が怪我人を運ぼうとしている。
ガベルがいる。同じくここにきた彼が倒れる隊員に肩を貸している。
カーシュがいる。動けぬ身体を必死に動かし、古代魔道具をつかもうとしている。
ヘレナがいる。少しでも雨から護ろうと、カーシュに覆いかぶさる。
隊員が、職人が、みんなが誰かのために。
「竜の呪いを、その全身で受け止めろっ!!」
──おまえはいったいなにをみている?
誰かのために、伸ばされた手を視た。
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