二十五話 決意に届く声


 消耗されるだけの過酷な運命をたどるしかない、変質の術式を覚醒させる山羊の眼。

 山羊の獣人であるルティアは、しかし、魔眼まがんを覚醒することもなければ、強要されたこともなく、ただひとりの町人として生きてきた。

 外の目には触れぬよう、町のみんなに守られたことで。


 ルティアがフィルダーレンという故郷を見つめていると、足音が耳に届く。

 振り向くと、プライデルから腕が伸びてきていた。「……っ!」あごをつかまれ、無理やり顔を動かされては山羊の眼を覗きこまれる。


「……覚醒、していない? なぜだ。幼いころに手足の骨を砕き、命の危機を感じさせる程度に痛めつけてやれば、魔眼を覚醒させられることなぞ知っているはず。そして涙……はっ、はは、はははは!!」


 乱暴にルティアのあごから手を離し、プライデルは高笑いを山間に響かせながらゆっくりと歩きまわる。


「そうか、そうかそうか。なんと愚かな町だ。さらなる繁栄ではなく、こんな獣人一匹の命を優先するとはな。しかし、僥倖ぎょうこう! まさかきれいな状態の山羊の魔眼が手に入るとは……もはや帝国が大陸を支配する未来に、疑いの余地はいっさいない!」


 いったいなんのことを言っている。

 ルティアがプライデルをにらみつけていると、「ルティ……ア?」と、かすれた声が聞こえる。


「マリオン!」ルティアは、水の魔術に捕らわれた友人に目を向ける。「気が付いたんだね。大丈夫? 痛むところはない?」


「だい、じょうぶ。っていうか、あんた、なんでここに……!」


「おまえのためだ」嬉しそうにプライデルが口をはさんできた。「マリオン・トキナス。彼女はおまえを救うために、人質の交換としてやってきたのだ」


 マリオンは蛇の眼を見開き、悔しそうにゆがめる。

 彼女とは異なり、プライデルは「そうだ、そうだそうだ!」と機嫌よくわめきながら歩みを再開した。


「ここには故郷があり、友人もいる。おそらくじゅうぶんだろう。私はなんと幸運なのか!」


 マリオンが片眉をあげて、「なにひとりで盛り上がってんのよ、クソ野郎」とつぶやくと、彼女の顔が翡翠色ひすいいろの水に包まれた。

 口から泡を吐き出してもがく彼女を目にし、「やめて、やめてください!」とルティアは必死に訴える。こちらに笑顔を向けた決水竜けっすいりゅうの長は、満足そうに頷いてからマリオンの顔から水を取り払った。

 彼女がせき込むなかで、プライデルはふもとに顔を向ける。


「さて、辺境伯へんきょうはくの軍もまもなく到着することだろう。ここでの仕事をさっさと済まさなければいけない」


「わたし、おとなしく付いていきます。だからマリオンやみんなを解放してください。お願いします!」


 鷹揚おうように頷いたプライデルが手を挙げて、「全員、ここへ」と指示すると、隊員や職人たちを監視していた黒い鎧と深紅のローブがこちらに移動してきた。

 ルティアは安心すると同時に、心が悲痛にむしばまれる。このまま竜の地まで連行されるのだ。


「マリオン……」


 知り合えてまだ数週間だが、それでも大切な親友となってくれた少女にほほえみかける。


「お願い、町のみんなに伝えて。わたしは、ルティアはフィルダーレンの町に生まれることができて幸福だったって。みんなに守られてきたこれまでに感謝しているって、……イオに、ごめんねって、伝えてほしいの」


「もしかしてルティア……そう、知ってしまったのね」マリオンは哀しそうに顔を伏せた。


 このまま故郷と別れる現実に心を痛めていると、「いいや、伝言は必要ない」プライデルがそういった。

 その言葉の意味が理解できず、ルティアとマリオンが疑問の視線をぶつけると、彼は自身の左目に指をさす。


「魔眼の完全な移植。この条件を知っているかね? 本来、眼のちからと所有者は物理的にも魔力的にも非常に堅固けんごな繋がりがある。これを無理やり切り離してしまえば、魔眼の術式は損傷し、完全にはその力を引き継ぐことができないのだ」


 急にいったい何の話だ。

 戸惑うルティアとマリオンを無視してさらに話はつづく。


「では、どのようにすれば完全に移植できるのか。技術的であったり魔術的な方法もあるが、私が好むすばらしい精神的な方法がある。……絶望だよ」


 彼は、マリオンにその蛇の瞳を向けた。


「『これ以上は、もうなにもたくない』。そんな絶望に沈んだ獣人は、魔眼との繋がりが極端に薄まる。後はそのまま摘出すればいいだけの話だ。マリオン? おまえの母君もそうだった。われわれが作ったおまえの死体、その偽物を目にしたことで、ずいぶんと簡単に絶望してくれたよ」


「……お、まえっ!!」


 マリオンの怒りを無視し、プライデルは町へ杖を向ける。


「ルティア、といったか。ここにはおまえを想う町がある。そして命を賭してでも救いたい友人がいる。……申し分ないと、そう思わないかね?」


 まさか。


「やめ、て」


「獣人の子どもを生かしたまま運ぶよりも、眼球を二つだけ運ぶほうが当然、楽だ。覚醒を見届けて術式を確認する必要もなければ、所有者が二人に増える。選択の余地はない」


「やめて、お願いします。やめてください!」


「マリオンの母君が宿した、天候を操る術式。それにこの『呪いをうたう翼竜』があれば、じつにすばらしい光景が生み出せるのだ」


 プライデルは、目の届く場所で横たわる帝国兵の死体、そのひとつに杖を向ける。

 黒い鎧のすぐ上に霧が発生したかと思えば、小さな雲となり、死体に雨を降らせる。すると、濡れた鎧から煙があがり、耳にしたくない音とともに、鼻を突く刺激臭があたりに広がった。

 金属の鎧が、死体が、ヒトが、溶けていく。

 顔面蒼白となったルティアとマリオンは、言葉を失って身動きひとつできない。


「これを町全体に降らせる」


 プライデルが、黒い杖をフィルダーレンに向ける。


「ルティア。最後となる光景を、その山羊の眼に刻み込むがいい。溶けていくおまえの故郷、そしておまえの友の姿をな!」


 直後、ルティアの全身を翡翠色の水が覆った。

 指先ひとつ動かせぬ拘束に抗えず、口内に水が侵入し、無理やり両目を開かされる。


「……、……っ!」


 プライデルがたのしそうに杖へ魔力を込めた。故郷に災厄やくさいを降り注がせるために。


「……て! ……がい、だから!!」


 マリオンが必死に蛇の眼を輝かせるも、プライデルの拘束を打ち破ることができていない。ならば。


「やめ……! ……みん、なを、きずつけ……なら!」


 ルティアは誓った。この現実を、この絶望を、この世界を。


「……ぜったいに……!!」


 変えるのだと、心に決めた。すると。


「おま……えを、ゆる、さない……!!!」


 ──お………………い……をみ……る?


 声が聞こえた。


「はっははは! 呪いの雨だ! 聞こえるか!? フィルダーレンのケモノども! 今からおまえらの骨まで溶かす、魔術の雨を降らせよう!」


 ──……えはいっ……なに……ている?


 プライデルの喚きでも、マリオンの悲痛でも、町から届く混乱でもない、だれかの声。


「そらそら、逃げろ逃げろ! 家に飛び込め、地中に埋もれ、がれきに隠れろ! 無駄なあがきだがな!」


 ──おま………………なにをみ……る?


 ルティアの脳内に響くのは、男性とも女性ともとれる、知らない声だ。


「いい、いいぞ! 怪我で動けぬ者をかばう姿! 肩を貸す姿! 町の奥から救助にきた姿! そのすべてがこの山羊の絶望となる!」


 ──……えはいったい……をみている?


 イオがいる。神殿から走ってきた彼女が怪我人を運ぼうとしている。

 ガベルがいる。同じくここにきた彼が倒れる隊員に肩を貸している。

 カーシュがいる。動けぬ身体を必死に動かし、古代魔道具をつかもうとしている。

 ヘレナがいる。少しでも雨から護ろうと、カーシュに覆いかぶさる。

 隊員が、職人が、みんなが誰かのために。


「竜の呪いを、その全身で受け止めろっ!!」


 ──おまえはいったいなにをみている?


 誰かのために、伸ばされた手を視た。


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