二十三話 神殿の箱


 ルティアは少しずつ、マリオンから竜の地での生活を話してもらえた。

 争いの多い国であればこそ、平穏を望んでいる者は少なくはない。痩せた土地をみんなでたがやし、育て、そして恵みを享受する。そんな生活を送る者たちのなかに、トキナス母娘おやこはいた。

 故郷の村では、彼女の母親が活躍していた。

 その蛇の眼には天候を操る術式が宿っており、月に三度ほどではあるものの、畑にきれいな雨を降らせることができたのだ。母の魔眼まがんによってうるおった土地で、村のみんなで作物を育てる。マリオンは助け合いの輪の中で育つことができた。


 ──私、お母さんの眼が好きなの。宿した術式も好きだし、組まれた魔術も好き、それが村に恵みを与えたのも当然。なにより、優しい藍色あいいろの瞳が好きなんだ。あの眼に見つめられながら、いっしょのお布団で眠るのが待ち遠しくて、私、ずいぶんと眠るのが好きな子どもだったみたい。


 そんな価値ある魔眼を、帝国が見逃すはずはなかった。

 ある日とつぜん、魔眼狩りが村に訪れた。おとなしく軍に入隊するのであれば、手荒な真似はしないと言われた。しかし、村の生命線であるマリオンの母が受け入れられるはずがない。平身低頭して見逃してほしいと願うも、村が消えれば拒否する理由はなくなるとして、焼き払われた。

 マリオンが竜の残り火という災厄やくさいの果実をよく知っているのは、そのときに『呪いをうたう翼竜』という古代魔道具を使用されたからなのだろう。


 命をした村の者たちの助けによって、トキナス母娘は獣人国じゅうじんこくを目指して逃走することができた。

 やがて娘の魔眼も覚醒し、なんとか追手を振り払いながらブロークレ山脈へとたどりつくも、途中で母親が捕らわれてしまった。

 不幸なことに、逃避行のさなかで娘であるマリオンも、その蛇の眼の価値を魔眼狩りに伝えてしまった。追跡は山脈を超えても続くことになる。

 以上が、彼女がルティアとイオに救われるまでの簡単な経緯であった。



 = = = = =  



 プライデルは彼自身の左目を、入れ墨に囲われた蛇の眼を見せつける。藍色の宝石のようなうつくしいそれは、ルティアの記憶にあるマリオンの母親のそれと同じ特徴をしていた。

 帝国魔術兵の顔に彫られた入れ墨は、移植された魔眼の機能を増強し、安定させるためのものと聞いている。つまり。


「おかあ、さん?」


 つぶやいて数秒だけ呆然とし、そして脳に理解を得たマリオンは、全身に憤怒ふんぬの魔力を爆発させた。

 イオが、カーシュが、ヘレナが、隊員や職人たちが制止する声も耳にせず、激昂げっこうの叫びをフィルダーレンの山間に響かせながら走りだす。


「──……ぁあああ!! ラサルハグ!!!」


 もはやそれは封魔術式ではなく、殺意の炎。

 炎をまとう十本の黒い鎖は駆けるマリオンに追従し、控えていた帝国魔術兵が放つ迎撃の魔術も打ち消しながら大きくしなり、そして決水竜けっすいりゅうの長へと怒りの一撃を振るった。

 プライデルは、「これは、なかなかどうして!」とたのしそうに杖を振るうと、地面から水の防壁が立ち昇る。黒い鎖は阻まれてしまうも、その防壁を切り裂く寸前までに深くまで届いている。

 手応えあり。マリオンは確信したように自身が操る鎖に飛び乗り、さらなる追撃を振るいながら高速で接近する。


 ルティアは、あるいはと目を見張った。

 プライデルは防ぐことができないと判じたのか、魔術の水を防御ではなく移動に使用する。彼は足元から水の波紋を広げ、その場から滑るように高速で移動しはじめた。避けられた黒い鎖は、後ろで油断していた帝国兵を数人だけ薙ぎ払った。

 マリオンの追撃はつづく。一本いっぽんが生きているように、獲物を絞め殺す蛇そのものとなった黒い鎖がプライデルを追い詰める。

 このままであれば届くはず。ルティアのなかで、マリオンを止める気持ちよりも応援する気持ちがうわ回ったその瞬間。


「戻れ! 罠だっ!」


 カーシュの叫びによって、ルティアは身を凍らせた。 

 同じく反応したマリオンも、危険を察したように足を止めて引き返そうとしたのだが、すでに深入りしすぎていた。

 プライデルの蛇の眼に、魔力が輝く。


「そら、食事だぞ。『アルバリ』」


 巨大な花のつぼみ。

 翡翠色ひすいいろの液体でつくられたそれが地面から生じた。まるで人の手につかまれる蝶のように、マリオンの身体が逃れようのない魔術の拘束に囲まれる。炎をまとう黒い鎖が突き刺すも、先ほどまでが嘘のように跳ね返された。

 捕まってしまう。が、その直前に黒い鎖がカーシュの長剣にまきつき、それをルティアたちのほうへと投げ飛ばした。


「……生意気な娘だな。せめてもの抵抗か」プライデルの表情に初めて喜悦きえつ以外の色が宿る。


「みんな、私のことはいいから神殿へ逃げ──っ!!」マリオンの全身が翡翠色の液体に包まれた。


 イオが帝国兵が接近するまえに走りだし、マリオンが命懸けで確保してくれたカーシュの長剣を拾い上げる。

 猫の少女は、魔術に捕らわれた蛇の眼の友人に悲愴ひそうな表情を浮かべるも、しかしカーシュのもとへと引き返すことができた。

 マリオンは、それでいいと、水中でほほえんだ。


「無駄なあがきだ」苛立たしそうにプライデルは声をあげる。「その剣、聖者の樹梯はしだてはごく限られた者にしか使用することができない。決水竜に対処したことで、魔力が尽きてしまったそこの男では無用むよう長物ちょうぶつ。無駄なあがきはよしてもらおう」


 ルティアは思い出した。そうだ、魔道具だ。


「イオっ! 神殿の魔道具だよ!」ルティアは力のかぎり叫ぶ。「マリオンを、みんなを助けるにはあの魔道具を使うしかない!」


 ただし、魔道具を保護している防壁術式を破るにはルティアでは不可能だ。

 一点物の魔道具を扱え、そして長いあいだ整備されていなかった魔道具を使用するには、イオの協力が必要となる。


「……わかった!」とらわれの少女へ視線を投げかけたイオが、ふたたび走りだした。「マリオン、待ってて! すぐに戻ってくるから!」


 途中でヘレナにカーシュの長剣を渡したイオとともに、ルティアは必死に神殿に向かって駆けだす。

 大切な友人を救うことに夢中となった二人の背中に、町の職人たちが叫ぶ声は、なにひとつ届きはしなかった。



 = = = = =  



 神殿までたどりついたルティアとイオに、入口の前で立っていた数人の住人たちは目を丸くした。

 そのうちの一人、ガベルが怒声をあげる。


「ルティア、イオ! いったいどこに行ってたんだ! 姿が見えなくて捜しまわったんだぞ!」


 叔父の表情は、ルティアがこれまで目にしたなかでも比べようがないほど恐ろしい。

 しかし、すでに防壁が崩壊してしまったこと。隊員や職人で戦える者はもうほとんどおらず、マリオンが敵の長に捕まってしまったことを訴えた。


「マリオンが……」


 絶句する叔父の横をルティアはすり抜けて、町の避難民を収容してもなお余裕のある大広間に駆けこんだ。

 町の人々を避けながら、イオとともに奥へ向かって走る。


「待て、ふたりとも。いったいなにをするつもりだ!」大広間まで追いかけてきたガベルが声をあげる。


 振り返ったルティアは、「神殿の魔道具だよ!」と応じる。


「わたしたちに残された対抗手段は、もうこれしかない! 止めたって無駄だからね。わたしが邪魔する間に、イオが取りだしちゃうから!」


 口を開いて呆けたのは、ガベルだけではない。周囲の町人たちも同様だった。

 ルティアと同じ年ごろか、それよりも若い子どもたちは困惑、あるいは町の切り札に期待するまなざしを向けてくるのだが、それ以外の人々は唖然あぜんとするばかりだ。

 彼らの様子に眉をひそめるも、ルティアはかまわず奥へと向かう。

 浅い階段をのぼったときには、すでにイオが遠距離用の一点物魔道具を構えていた。


「や、やめなさい! イオ!」ガベルがこちらへ急いで向かってきた。「そんなことをすれば、中身が破れ──!!」


 大広間の全体に、イオが放つ魔道具の閃光と轟音が乱反射する。

 あの壁龕へきがんのふちに二度だけ放たれた攻撃によって、ルティアが生まれてからずっと眺めていた白い光が消失した。

 予想外にあっけなく魔道具の封印が解かれた。イオも首をひねって当惑している。


「と、とにかく魔道具を点検しよう!」


 これまでずっと触れることができなかった、切り出した木材そのままの箱。

 それを壁龕の台からおろそうとルティアが近づくと、箱は、イオが放った魔道具の衝撃で動いていた。

 いっしゅん頭に浮かんだ想像を振り払う。ありえない。そんなはずはない。だが、しかし。


「…………どういう、ことなの?」


 箱を持ち上げた瞬間、ルティアの脳内は真っ白に染まった。

 軽い。

 ありえぬほどに、軽い。


「ルティア、どうしたの?」イオも近寄ってきた。「はやくふたを開けて! その大きさの箱なら武具の魔道具ではなく、白亜の国なんかで使われてる術式補助の魔道具だと思う。整備する必要のない種類なら、ヘレナさんや魔眼隊員にすぐ使ってもらえるよ!」


 震える両手で、ルティアはゆっくりとふたを外した。隣に立ったイオといっしょに覗きこみ、そのままふたりとも沈黙する。

 箱の中にあったのは薄い封筒がひとつだけだった。封筒の表面には、このような言葉が書かれてある。


『お父さんがもっとも大切に想う愛する娘。ルティアへ』


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