1-3 美少女登場。だが子供相手に本気になるな
「ピッ。退院おめでとうございます」
感情を抑えた合成音声。看護ボットは多関節のロボットハンドで俺の上着をめくりあげ、胸から心電センサーを引き剥がした。
ちなみに『ボット』というのはいわゆる自律型ロボットのことだ。飲食店の配膳とか、駅前でのチラシの配布など、面倒な仕事や力仕事を肩代わりしてくれる。今やすっかり身近な存在であり、ボットなくして社会は回らなくなってきているのだ。
接客用のボットは人間の姿に似せて作られることが多いが、この看護ボットは見栄えよりも機能重視型のようだ。白いスーツケースからロボットハンドが生えているような形状で、脚はなく車輪で移動する。ただ、上部から突き出した2つのカメラは、なんとなく顔に見えるような形状をしていた。
「いきなり退院とか言われても……俺、行く当てが無いんだけど……」
「ご安心ください。
お迎えのかたが、待合室でお待ちです」
受け答えしながら看護ボットは俺の腕から残りのチューブを引き抜き、てきぱきと機材を片付け始めている。用済みの患者には早く立ち退いて欲しいという、無言の圧力だ。
「ピッ。
ゴーグルと靴は、そのままご利用いただいて結構です。
不要になりましたら保安部にご返却ください」
「俺の私物は?」
「身につけられていた衣服はこちらです。
他には特にございませんでした」
ベッドサイドに腰掛け、看護ボットの背中についているカゴを見ると、見覚えのある迷彩柄のTシャツとボロボロのダメージジーンズが畳まれていた。
確かに俺が誘拐された当時に着ていたものだ。
さっそく院内着を脱ごうとしたが、月の低重力下ではなかなか難しい。
手足は軽くて動かし易いのだが、その反動で体が傾いてしまうと、なかなかバランスが取り戻せないのだ。
そのとき、床に白いスニーカーが並べられているのが目に入った。
病院が外出用に用意してくれたものだろう。電磁石が内蔵されているらしく、床にぴったりとくっついている。
なるほど。これを履けば足を地面に固定できるわけだ。
片足ずつ靴に足を突っ込むことで、ようやく2本の脚にジーンズを通すことができた。
「さて……と」
着替えを終えると、俺はとりあえず2メートルほど先にある病室の出口を目指すことにした。
しかし、靴底は磁力で地面に張り付いている。どうやって歩くのか?
足踏みしたり体を傾けたりして試行錯誤していると、突然、スニーカーの磁力が消失した。
「うわっ!」
脚がもつれ、俺の体は前方に投げ出される。
「痛っ!」
抗うこともできないまま、俺の頭頂部はドアに激突。
一瞬、どっちが上でどっちが下なのかもわからなくなり混乱したが、小さな重力によってゆっくりと落下すると、ようやく地面の向きを確認することができた。
まったく、歩くことすら難しいのか。
こんなところで生きていくなんて、正気の沙汰とは思えない。
「あははっ!」
俺が体勢を整えるためにもがいていると、視界の外から明るく屈託のない笑い声が響き渡った。
声の主を見上げると、ドアの脇に立っていたのは、鮮やかなオレンジ色の髪をした色白の女の子だった。ライムグリーンのジャンプスーツはユニフォームのようだったが、ラフに腕をまくり上げ、カラフルなアクセサリをチャラチャラとぶらさげている。真っ当な会社組織に属している者とも思えない姿だ。
だいたい、人が困っている時にそれを笑い飛ばすというのは、いかがなものか。容姿は……確かに美少女かもしれないが、人格は最低だ。
「誰だお前?」
俺はしたたかにぶつけた頭頂部をさすりながら、よろよろと立ち上がった。
「あたしはロニャ。ロニャ・エレント。総務部の職員。
あんたはレンマ・ミヤヅカだよね?
上司からの命令で迎えに来たよ」
そう言うと、ロニャはくったくもなく笑った。
仕事で来たという割には、めちゃくちゃ楽しそうだ。
身の回りに起きていることの何もかもが、彼女にとっては面白くてしかたないという感じだ。
さっきの大笑いも俺を馬鹿にしたというより、エンタメとして楽しんでいる感覚に近いのかもしれない。
「ふ~ん」
ロニャは興味深そうに、俺を頭のてっぺんから足先までジロジロと観察している。
まるで研究者が珍しい標本を見つけた時のようだ。
「あんた日本人なんだって?」
「そうだが……悪いか?」
彼女の言葉に、俺は警戒した。
日本人に対して、いったいどんな印象を持っているのだろうか。
まぁ、良い印象ではないだろう。
芸能人のように美しい彼女からしたら、日本人が猿に見えたとしても不思議ではない。
ファナやアレシオも、鼻筋の通った欧米風の顔立ちをしているが、俺はボサボサ頭でアジア人特有の平たい顔。自分で言うのも何だが、しまりの無いすっとぼけた顔をしている。
しかし俺の懸念が見当はずれであったことはすぐに分かった。
「ここじゃけっこうレアキャラだよ~、日本人って」
「レア?
珍しいってことか?」
「そうそう。
月面基地って職員100人以上いるけど、日本人って他にいないし!」
「他にいない?」
「そ!」
「職員以外は?
ここに住んでる日本人はいないのか?」
「いないよ!
月面基地に住んでる地球人は、基地の職員だけだもん。
旅行とか取材とかで、たまーに日本人も来るかもだけど、すぐ帰っちゃうしね」
「じゃぁ、ここで日本人って俺だけってこと?」
「そゆこと!」
意外だった。
しかし確かに、そうなのかもしれない。多くの日本人が宇宙ステーションを行き来しているはずだが、月で活躍している日本人のニュースは見たことがない。
そもそも職員が100人程度しかいないということもあるだろうが、同胞に会えないとなると、ますます孤独感に苛まれそうだ。
「てゆうかさ~」
ロニャはまだ何か言いたそうに、俺の顔をジロジロと見ている。
「な……なんだよ」
「日本人って幼く見えるって聞くけど、マジなんだね!
あたしよか4つも年上とか、ウケる~っ」
とんでもなく失礼なことを言い放つと、ロニャはまたケラケラと笑った。
こいつには年上に対する配慮とか敬意ってものが、まったくないらしい。
「うっせーな!
さっさと案内しろよ!」
俺の不機嫌全開の返答にもロニャはたじろがない。
この世に怖いものなんて何もないって感じだ。
「しゃ~ないなぁ。
案内すっから、ついてきて!」
そう言い放つと彼女は踵を返し、つま先でトンと地面を蹴ると宙に舞った。無駄のない、軽やかな身のこなしだ。
俺は反射的に追いかけようとしたが足がもつれそうになり、転ばないように何とか踏ん張るのが精一杯だった。
「ちょっと待てよ!
まだ上手く歩けないんだ!
歩きかたを教えてくれ!」
俺が毒づくと、ロニャはくるりと身を翻して、呆れたような目で俺を見る。
「あれ~?
普通の人は、磁力ブーツぐらいすぐに使いこなしちゃうけどなぁ。
もしかしてちょっと鈍い系?」
「な……」
またもや笑われて俺はブチギレそうになったが、ゆっくりと深呼吸して怒りを抑えこんだ。
相手は子供だ。
子供相手に大人が本気になっちゃいけない。
怒りをぐっと堪える。
「あのさぁ。
そんなに力まんで、自然にやればいいんだって~。
ほらほら、こんな感じ~」
そう言うと、ロニャは軽やかな歩調で、病院の廊下をすいすいと進んでいった。
「くそっ!
自然に歩けないから苦労してるんじゃねぇか!」
俺はしかたなく歩くことを諦め、両足を揃えてジャンプした。
これなら体の左右のバランスが崩れにくい。
3メートルほど先に着地すると、また両足でジャンプ。
順調だ。
「あははっ、なにそれ!
ウサギ跳び?
だっさ~!」
廊下の端で振り返ったロニャが、俺の姿を見るやいなや、腹を抱えて笑い出した。
くそ~っ!
あいつ、いつか酷い目に遭わせてやる!
俺は心の中で復讐を誓いながら、病院の出口に向かって両足ジャンプを繰り返した。
=== 登場人物 ===
レンマ=宮塚練馬(みやづか・れんま)
22歳。男性。日本人。
生まれも育ちも秋葉原。高校中退の無職。人よりちょっとゲームが上手い。
ロニャ・エレント
18歳。女性。ドイツ人。
清掃課所属。楽観主義で行動派。社交的だがレンマに対してはなぜか意地悪。
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