サンライズ
ex-1
トワイライト――黄昏は鮮烈な青い星空に移ろい行く。
幾多の長いトンネルを抜けた列車は、『金沢』『富山』と過ぎていき、シャワーを浴び終わったところで新津駅に到着します。
ゆったりと心地よく減速する客車の車窓に、フォーマルなスーツ風のジャケットを羽織る薫さんと紫の着物をキッチリと着こなした美喜恵さんが目に入りました。
時刻は19時過ぎ。二年ぶりの再会に二人用スイート個室の窓越しから小さく手を振ってしまいます。
「久しぶり」
「寂しかったんじゃないクリスカ?」
「あのねぇ。もう一人じゃないのよ?」
肩を竦ませた
「ふふっ私以上に好いているんじゃない? ちょっとヤキモチ、妬いても良い?」
「勝手になさい。二人の部屋は三番と四番。あぁ、ディナーはもう済ませちゃったわよ。食堂車は行かない」
「えぇー冷たーい! なんてね」
「あっそ……くふふ。ケーキくらいなら入るわよ。行く?」
「行く行く!」と美喜恵さんは子供っぽい仕草で応じ、主様と声色を揃えて笑ってしました。
「二人揃うと、そそっかしいな」
「主様らしいです。旅先でも色んな人にあんな調子でお話されていて。つい二年前の出来事が嘘のよう」
朝日で輝く吸血姫の姿に魅せられたあの朝から今まで、主様はすっかり良くなっています。
しかしタイムリミット寸前の盟約の反動は多く、最初の一か月は血に慣れるまで屋敷を出ないようにと、掛かりつけのお医者様に言いつけられていました。
その間はお屋敷でお世話をしていたのですが、
「光莉! 旅に出るわよ!」
一週間ほどでじっとしていられなくなったのです。
「だめですよ主様。お医者様からも言われておりますでしょう。一か月はここで安静にと」
「私の体が大丈夫だと言ってるもの平気よ! それに光莉の血だもの。ずっと食べさせてもらってたから」
私や先輩使用人さんたちの制止も振り切って、旅に出る支度を始めていたのでした。
「一度決めたら、梃子でも曲がらないの」
「私も止めたんですが……ごめんなさい!」
時に主様の暴走を止めるのも使用人の仕事だと、両親は言っておりました。私は使用人長に深々と頭を下げて、許しを請います。
「あなたのせいじゃないわ。でもご主人様の体は心配よねぇ……」
そう仰ると先輩は口角を人差し指でなぞりながら訝ります。
「何かあったらすぐに血を吸っていただかないと危ないしぃ……ねぇー?」
何かを思いついたのでしょうか。細めた目と企み顔で私を一点に据えました。
「光莉ちゃん。行ってくれるわよね?」
「えっとぉ。やっぱりまだ旅行はぁ」
「行ってくれるわよね?」
圧に負け、私は無言で頷いていました。
波乱の出発から南は九州の枕崎から北は北海道の稚内まで、私たちは線路が続く限り旅を続けました。
そうして二年が経ち――
私は遠くを見つめるように、瞳を主様の背に向けていました。
「いくつになったんだ?」
「私ですか? 今年で21に」
「にしては、歳不相応に黄昏るじゃないか?」
薫さんだって二十代。そう言えるほど歳の差は離れていません。
けれど抱えているこの気持ちが顔に出ていたのなら、きっと読み取られたのだと思いました。
「この列車が、きっとそうさせてるのだと思います」
「札幌行きの寝台特急……私たちが出会ったのも、そんな列車だったな」
「あの時は上野発でしたね。薫さんの三択、忘れてないですよ」
「っ?! それはもう忘れてくれ……少し、酔いが回ったかな」
言うが先か薫さんの頬が真っ赤に染まって、そっぽを向きます。出会った頃の刺々しいような雰囲気はどこへやら。
「でも思い出しますね。主様との初めての旅。どんな人たちが私たちを迎えてくれるのか、どんな景色が待ってるのか、心が躍ってました」
「今は違うと、捉えて良いのかな?」
しまったと私は口を抑えますがすでに遅し。薫さんが赤面して、上手く流せると思っていたのに。
けれど口を突いて出た言葉は、もはや引っ込める余地がありません。
私は窓の外へ視線を移して、反射する自分の顔と焦点を突き合わせます。
「旅って、こんなに色のないものだったんでしょうか?」
抱いた気持ちをそのまま言葉に出すのは憚られ、私はぼそりと呟きます。
「なるほど。私のような人間にしか伝わらない詩的な言い回しだな……今度使わせてもらおう」
「そしたら原稿料いただきますね」
「はははっ冗談だ。んで、色がないというと旅に飽きてしまったって訳かい?」
「そんなことありません! 主様に仕えることはこの上ない幸せですし、何より恩返ししなきゃって、いつも心に誓っています」
それだけは断じてないと首を横に振ります。
だって主様は私を救ってくれたお人。その御恩は一生掛かっても返しきれないほど大きいです。
それ以前に主様と一緒にいるのは楽しいし、何より使用人の先輩や使用人長から任されたお仕事です。こんなに誇らしく、大義なことはありません。
でも……見ている景色の一つ一つに、ぼんやりと色が無くなっていくような、そんな気がしたのです。
「旅に、慣れてしまったんでしょうかね。見ている景色が、とても質素で灰色に見えるんです。多分、薫さんが今言った『飽きた』ってことになるんでしょうけど
見る景色、感じる空気に、私はどこか飽きが来ていたのかもしれません。
最初に訪れた時の感動もなければ、心が躍るような景色もない。一度見た、一度感じた景色や空気に感慨を感じない。
まるで世界が灰色になってしまった、と。
「ごめんなさい。弱音ですよね」
「その現象、通ずるものがある」
「え?」
人差し指を立てて、薫さんは閃いたと言うように継ぎます。
「まさしくスランプだ」
「スランプ?」
「今まで楽しい! 面白い! ってことがプツリと切れるように冷めてしまうことがね。私にもこれはウケる! って思う作品が終盤になってつまらなくなることがあるんだ」
「へぇ……スランプ」
説明してくれると薫さんは注いだ白ワインを一口、ゴクリと喉音を鳴らして呑み込みます。
「今の光莉を見ていると、どことなくそんな時の私に似ているんだ」
「そ、それじゃ。抜け出し方とかもわかりますか?」
「えっ?! い、いやぁ。私はその、別の作品を書いて発散するとか、あとはまぁ最近始めたサバゲ―したりって……うん。私にはあんまり効果的な対処法は分からない」
目に見えて狼狽したときから、そんな風だろうとは思っていました。
……人に求めてしまうのはきっと違うんだと、私は濡れた犬のように首を振って邪心を落とします。
「私にも、ワインいただけますか?」
「え? あぁ……プラスチックのカップでよければ。でもいいのかい? クリスカの世話は」
淡い朱色の仄暗い寝台個室に、トポトポと注がれるウェルカムドリンクの白ワイン。
普段は進んで飲む気質ではありません。まだお酒が美味しいものと気づけていないですし、何より主様のお世話や切符の手配がありますから。
でも今日は――このスランプを抜け出すための冒険をしてみたいと思いました。
「少し酔ったかも、しれません」
鼻へ近づけただけで、強烈なブドウの香りに酔ってしまいました。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
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