ep2-11
ここは夢の中。クリスカさんのちょっぴり激しい吸血で眠らされてしまった私の頭の中の世界。
アンティーク家具が犇めくノスタルジックなお屋敷の寝室。多分、行ったことのない私の想像の産物です。
真っ白なシーツを乱すクリスカさんの手から力が抜けて、眠るように安らかな表情に変化していきます。知らない使用人がハンカチで目尻を撫でて、私は茫然と立ち尽くして冷たい手を必死に握っていました。
「私を」
見捨てないで。言い募ろうとして唇が凍り付きました。
お願い。捨てないで。私も連れて行って。貴方が連れ出したのだから、連れて行ってください。先に逝かないで。私を、また一人にしないで。
「クリスカさん!」
「わぁっ吃驚した!?」
掛けられていた厚手の布団を天井に突き飛ばした私は、現在地がいたはずのレストランではなく私達に宛がわれた部屋であることに気がつきます。後ろで控えていたはずの記憶が途中からは断片的に残されていたからか、この光景に既視感を抱きつつも時計の針が確実に進んでいるからタイムリープはしていない。
つまりここは紛う事のない現実で、あそこで寝てしまった可能性が高い。それを裏打ちするようにフリルの配された純白のエプロンは脱がされていました。
「申し訳ありません! 私ったら寝てしまったみたいで!」
「ミイラかと思うくらいのお目覚めだったね。魘されてた?」
「……はい。クリスカさんが一人、天国へ旅立ってしまう……そんな夢を見ました」
アレが正夢にならないことを心の中で願いながら告げます。
「そ、そう。吸血鬼が死ぬ夢なんて珍しいわね。殆ど永遠に近い命だというのに」
「そうですよね。あっでも、それって血の盟約を交わさないといけないって習った気がしますよ。見込まれた眷属が吸血鬼の主様と永遠を誓うための儀式とかって」
なんでも眷属と結ぶと吸血鬼は一生に近い命を得るらしい、と使用人に憧れていた私が家の者から習った知識です。
少しだけ狼狽えたようにも見えたクリスカさん。まさか私の口から吸血鬼が死ぬなんて単語が出て驚いただけで、すぐに平静な心持ちに戻りました。
「熱でもあるのかな私。クリスカさんの前では失敗してしまうし、ましてこの服を着て寝るなんて」
「良い反応だったわ。主人の護衛についても申し分なしね」
「私を試されていたんですか?」
「まぁね」
顔が青ざめました。あのナイフが仮にクリスカさんに向いていたらと思うと、死んでしまう夢も単なる夢想ではなかったことです。
「それに私も急に血が欲しくなっちゃっただけだから、貴方は何も悪くないわよ」
「それより薫さんは?!」
「もう安心して良いわよ。死ぬ気はなくなったって言ってたから。でも光莉の手、大丈夫かしら」
「手?」
「でも首を切ろうとしたナイフをどうやって止めるつもりだったの? 怪我をしていなければいいのだけど」
「幸い、傷はありません。最悪、私の手を串刺しにされても別に問題ないかなと思いまして……」
吸血鬼がいるんですもの。その治癒能力を頼らないのは宝の持ち腐れです。けれど不服そうにクリスカさんは訝って、
「痛みで拉げた表情が見たくないから言ってるのよ。不問な訳がないじゃない。貴方は私の大切な友達なんだから」
「ごめんなさい……」
しゅんと俯いて余計な手出しをしたと反省します。
「でも些細な気遣いで一人救えたのだからめっけものね。勲章ものよ」
最後は頭を撫でて私を褒めてくれました。親の毛づくろいを受ける子ウサギのような恍惚な表情で受け入れて、動けなくなってしまいます。
このまま時が止まってしまえばいいのに。私の願いも虚しく、秒針はカチリ、カチリとリズムを鳴らして刻んでいたのでした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そんな事件が過ぎ去って、クリスカさんとの処女旅は四日の月日が経過しようとしていました。
部屋に置き土産、とどのつまり忘れ物がないかをすべからく確かめて、私達は四日間お世話になったホテルの一室を後にします。
あの夜以来、薫さんと顔を見合わせることはなく、クリスカさんの言葉に頼りっきりになっていました。何度か様子を見に行って曰く、生きていることと作家として再出発するべく原稿と戦っているそうです。
前に進みだした彼女の健闘を祈りながら煌びやかに輝くホテルのエントランスに辿り着くと、私達を見送るホテルマンたちの花道が伸びていました。
「盛大なお見送り……ですね」
ちょっと引きました。これが現代にも蔓延る吸血鬼の影響力。それを前にして、素直に出た感想がコレです。
特別扱いというのも、なんだか心苦しいような気がしていたのかも知れません。口には出せませんが、その花道をすかさず潜ってタクシーへと乗り込みました。
「あの見送りって毎回なんですか?」
「えぇそうよ。私も出来れば避けたいんだけどね。悪目立ちするし。避けようとしても彼らの心遣いというか、直感には勝てないのよね。どんな手使ってもこっちのチェックアウトの時間読んでくるから」
避けようがないとクリスカさん。言われてみれば出る直前から視線を向けられていた感覚もありました。
贔屓というのも良い事ばかりではない。思い知らされた気分です。
雪国の只中を行きと同じように何食わぬ顔で進む地元のタクシーは、ものの三十分程度で函館市内に入り、そのまま高速フェリーが発着する七重浜の函館港へと滑り込みます。
「次の目的地は何処に?」
「北陸かしらね。また夜行列車だけれど、飽きてない?」
「愚問です! もう慣れましたから!」
「頼もしい。でも、またシャワールームで叫ばないでよ?」
「あ、あれはクリスカさんがぁ!」
情けない声が港のロータリーについた車内で響きました。
押し固められた雪の大地に再びその足がついた矢先、遠巻きに聞こえるフェリーの汽笛が私達に挨拶をしてくれています。北の雄大な大地に接岸するその船は、まるで舞踏会へ連れて行ってくれる魔法の馬車のように、燦々と金色の輝きを放っていました。
「トンネルが通っても絶えずこの船はここと本州を結び続けている。不死鳥のように」
「詩的ですね」
「風情あるでしょう?」
「えぇ。溢れるくらいに」
月下の宵。クリスカさんに手を引かれて私はタラップを伝いフェリーへと乗り込んで、北海道を脱出したのでした。
出航から数十分。陸に挟まれた津軽海峡を往くフェリーの船上。デッキから望める底なしの大海原へ、私は耽る思いを垂らすように視線を伸ばしていました。
あのレストランで言い合った一幕。あの時の薫さんが正気であったかは差し置いて、私に掛けた言葉の真意はなんだったか。ずっと考え込んでいます。
「薫とのこと?」
「ふぇっ!?」
「いや、なんか悶々と海を眺めているから、きっと言い争いのことで悩んでるのかなって」
「わかっちゃいます?」
「図星だったのね。適当、というより当てずっぽうだったんだけど」
喧嘩別れの言葉通り、言い放ったことや我を忘れて感情的に責めてしまったことを謝れてない罪悪感と遣る瀬なさ、心残りが延々と私の中で回り続けていたのです。
それを感づいて、ついに直接私へ尋ねたのでした。誤魔化しようがなく、首肯します。
「酷い事したって自覚はあるんです。乗せられたというか、感情任せに酷い事を言ってしまったことを、謝りたかった」
「後味が悪いか……若気の至りって煩わしいようで、過ぎてみると懐かしくて美化されてしまうのよね」
「クリスカさんも、こういう時期が?」
「まぁ、そうかな。昔、好きな人がいたの」
「好きな人……すすすすす、好きな人!?」
「ちょっと声が大きいわよ」
顔を真っ赤にしながら、思わず大声で聞き返してしまいました。意外も意外、まさしく晴天の霹靂が如く言い放ったクリスカさんですが、そこには微塵も恥じらいもなく、むしろ哀愁すら漂っていて、表情も懐古に想い耽る微笑みが現れています。
「失恋したんだけどね。次の旅は件のその人に会いに一路日本海を伝って南へってところかしら」
「クリスカさんを射止めた方……ぜひお会いしてみたいです」
「……物凄くハードル上がるなぁ」
上げたのは私ではありませんよ多分。
「まぁ話を戻すんだけども」
「無理やりですね」
「意外と恥ずかしいのよもう。光莉の心配は杞憂よ。あらかじめ言っておくわ」
「杞憂?」
「まだ薫との糸は切れていないという事よ。まぁ離れていても秒速で伝えたい言葉や想いが伝播する現代だと、離れ離れってことの実感が薄いけれど」
それでもやはり、と食い下がりそうになりました。もはや戻る術などなく、いくらクリスカさんに弁じていても何も伝わらない。
理解しつつも煮え切らず、言葉だけが込み上げてきます。けれどそれを伝えるためだけに私が泳いで戻るとかは不可能で、船を差し戻すということも考えましたが一個人の願いの為だけに周りを巻き沿いにするのは尚更無茶な発想でした。
下唇を噛みながら、私は遠ざかる北の大地に目を向けます。あの雄大な大地に大切な何かを置き忘れた気分で。
「言いたいことがあるなら、叫んでみるといい」
「叫ぶ?」
「心を持つということは時に不思議でね。離れていても言葉が通じ合うことだってあるの。以心伝心という奴かな?」
まさか、とも思いましたが気晴らしには丁度良いかもしれないと、私は腹に息を溜め込みます。
「薫さぁぁぁん! 酷い事言ってしまってごめんなさぁぁぁい!」
「そう叫ばなくとも聞こえているぞ、光莉」
不思議です。手に取る様に薫さんの声が耳に残り、
「って、え?」
「さっきから見ていたぞ。クリスカも少し悪戯が過ぎるんじゃないか?」
「人の驚いた表情とか、愕然と立ち尽くす様を見るのが私の好物の一つよ。覚えておくといいわ」
「いつ……から?」
「階段のところでずっと出番を待っていた」
「じゃ、じゃあ、さっきまでクリスカさんに打ち明けてたことも全部」
「聞こえていた。それに関しては、何か悪いことをしたかな?」
顔全体が沸騰するように熱くなっていくのが分かりました。なんだかずる賢い。
「とっても悪いですよ。心配……したんですからね」
擦れた声で言い募ると気づけば視野が霞んで大粒の涙がこぼれていました。
「言い出すタイミングが分からなくて、ここに来るまでずっと黙ってたんだ」
「照れ隠しのつもりですか……でも良かった。また、顔を見ることが出来て。何も知らず、口任せに酷い事を言ってしまって、本当にごめんなさい」
「お互い様だ。私も君を蔑んだ。すまなかった」
言い尽くせない。ごめんなさいでは足りない気がしました。けれど言葉が、何を言えばいいのかが分からない。
ただじっと薫さんの瞳に視線を重ねます。彼女も私と同じで釈然としないまま別れるのが嫌だったのです。
人間の本心を完全理解する術は今の人類にはないけれど、行動で示される意味は感じ取れていて、不安が霧散していきました。
「もう死なない、どんな事があっても。それを君に誓いたくて、ここに来た」
「私なんかで、良いんですか?」
「当たり前だ。君が見つけてくれなければ、ここに影すら留めていないから」
「では、その誓いを確かに受け取ります」
硬い握手。その手は滑らかで大きく温かい。血脈の張り巡らされた生命の証明です。
「敬語は止してほしいかな。私達、奇しくも同い年な訳だし」
「同い年だったんですね」
てっきり年上かと。
「それから」
薫さんは顔を背けて言い淀み、一度咳払いをします。
「光莉とクリスカに恩返しがしたくて、しばらく旅に同行しようと思ってる。二人をモデルにして新作を書きたいんだ」
「わ、私達をモデルに?!」
「ダメかな?」
モデルだなんて光栄ですが荷が重い。困惑して思わず顔を窄めると、薫さんの表情が曇ります。
「やはりだめか」
「ダメと言うわけではないのですが……」
「ハッキリしちゃいなよ光莉。喜ばしいけど気恥ずかしさもあるんでしょう?」
「え、えぇまぁ」
「物は試しよ試し。私達をそのまま使うんじゃなくて、モデルになるだけだから、誰も気づかないって」
「そ、それならいいです」
快諾という表現が相応しくなのは百も承知ですが、その提案を呑みました。
「作家『黛キエル』先生の登場人物になれる日が来るなんて夢のよう」
「黛先生って、薫さんが?!」
「おい、その呼び方はあまり好きじゃないと言ったじゃないか」
「あら、つい口が滑ってしまったわ薫。でも打ち明けておかないと、光莉が辿り着けないわ」
「それは最もらしいが……」
頬を掻いて目を泳がせる薫を愕然と私は凝視していました。
後で由来とか、いろいろ聞いてサインを貰おう。秘かに画策して、私達は次なる旅の終着点へと馳せていきました。
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