ep1-3

 チケットを二枚、門の横に佇んでいた受付で所望すると、手慣れたようにスタンプを押して代金と引き換えられました。


 ジャケットには機関車と思しき二両の青い電車が写ったフォト。ようやくこの場所の察しがついて、クリスカさんに手渡します。


「ありがとう」

「文化村というそうなのですが夜にやっているのがここしかなくて、お気に召すかどうか」


 チケットにはそう記載されています。その復唱でした。


「あなたが選んだのだもの。心配ないわ」


 旅先がここしかなかったとは言え、あの場から三十分とアクセスの良好さを選んだのが失敗でした。


 不安でいっぱいの私をクリスカさんは何気なく励ましますが、流線型の車両をすべて新幹線と思ってしまうくらい疎いので、何か聞かれても応えられませんごめんなさい。


 二人並んで正門を潜ると、宵闇に提灯のぼんやりとした灯りが鉄筋の屋内展示館やプレハブの工場、正面広場に静態保存されている鉄道車両達を淡い緋色に彩ります。


 塗装の隙間から漏れる赤茶けた錆、劣化を物語る展示の数々。来場客がいることにはいるのですが、閑散としていてどこか賑わいを失いつつある印象でした。


 まるで、誰もいないお屋敷みたいで、少し悲しい。


「さぁて、どこから回りましょうか……ねぇ光莉」

「あ、はい。えっと、私、初めてなのでパンフレット貰ってきます!」


 逃げ出すように走ろうとしたとき、クリスカさんは袖を引っ張って止めました。


「ストップストップ。その必要は微塵もないよ」

「はい?」

「最初は案内してもらってたどたどしくも必死なあなたの姿をディナーの一品に添えようと思ったけれど、考えが変わったわ」


 そんな恐ろしい野望を秘めていたんですね。ちょっと怖いですこの人——いえ吸血鬼。


「それだと私の目的に反する。だから私がガイドを務めて差し上げよう。喜びなさい」


 地元を案内してほしいと言っていたのを思い出し、そもそもこのチョイスがナンセンスだったことにハッとなって気が付きました。


 けれどクリスカさんは端からそんなことがなかったように、私の手を引き込んでいきます。


「まぁ、私の趣味に合う場所をたまたまでも当てたことは、褒めてつかわそう」

「え?」


 するとクリスカさんが口から炎でも吐き出すのではないかという勢いで、目につく車両の解説を始めたのです。


「この電車は特急型の礎を気づいた車両で、日本全国で活躍していたの。あっちは旧型客車と言って、電車が登場する前に機関車で牽引して走っていた列車。それで向こうは——」


 唖然と頷きだけを返します。その時思いました。


大丈夫に込められた意味と、ホームで歌っていた訳。あれは単に高速列車、つまりは新幹線を目の当たりにして、気分が高揚したいたんだと。


 しかし、一抹の不安が撫で下ろされてほっと安堵の息を溢しました。


 あの悪戯な笑みとは違う、無邪気な楽しそうな笑顔。


 暗くても良く輝く紅い瞳。靡いて頬に軽く触れる艶やかなブロンドヘア。私より少し背の低い前を行く背中。


 黄色くてとても明るいオーラに、眼を眇めてしまいます。けれどきっとこの方も私の血が欲しくて、こうしてるんだと詮索してしまいます。そして、その結末も——。


 提灯の数が奥に進むにつれてだんだんと少なくなっていき、コンクリートで舗装された薄暗い上り坂を上り切ると、芝生に静態保存された車両が展示されている広場に出ました。


 すると草の上で彼女は徐に寝転がり、空を仰ぎます。


「光莉もほら」

「寝転がるのですか?」

「えぇ。良い景色が見れるわよ」


 服が汚れるので、と断ろうとしますが、しばらく逡巡して促された通りにしました。


 藍黒の空を埋め尽くす名も知らぬ星々の煌き。どんな絵画よりも雄大で美しい光景に、茫然としてしまいました。


「ね?」

「は、はい!」


 都会では無駄な光が多すぎることを痛感させられます。宇宙に数多存在する無数の星々が、手の届かない場所で誰の為でもなく輝きを放ち続けています。


 きっと、そんな彼らに人間が理解し得る感情があったら、その一つくらい輝いている意味さえ掴めない星もあるでしょう。


 きっと、今の私に重なる星が一つくらいは。


「冬は空気が澄んでいるし、新月だから星がよく見える」

「星がお好きなんですか?」

「好きよ。月が無ければ燦然と輝くから」


 遠回しに月を貶めるような口ぶりでクリスカさんは言いました。


「ひと昔前までは星空で自分の現在地を確かめたりもしてたものよ」

「……現代人にはとても生きていける時代じゃないですね」

「今にも通ずるものはあるわ。全地球測位システム《GPS》だって人間が打ち上げた人工衛星の捕捉して、機械が場所を示してくれている。先人が積み重ねてきたことを機械が代替しているだけよ」


 ふと横を見ると紅い瞳はじっと星を捉えていました。独特の解釈に妙な納得を覚えると、藪から棒にクリスカさんが話題を振ってきました。


「星空を見たら、センチメンタルになるでしょう。あんなに悲しい顔をしていた理由、そろそろ教えてくれても良いんじゃない?」


 黙りこくる私。思わず目線を反らしました。


 深淵の闇、名前も知らない星が広がる空へ、未知なる空へ。しばらく胸の鼓動と感情の激動に整理をつけて、口を開こうとしました。


「わ、たし」


 その闇は不思議です。巨大な夜空を眺めていると、抑えていたはずの感情が漏れてしまいます。まるで降り注いだ一筋の流れ星が心に穴を穿つように。


 そして、頬に瞬いた生温かい流星は逃れられない引力で落ちていきます。顔の輪郭を縦に切り、ナチュラルメイクがその航跡を灰黒に染めて。


 それを目の当たりにして、クリスカさんはその後の言葉に詰まります。


 しばらくして決意を固めたのか瞬きを一つ。あくまで星空を意識しながら、綴ります。


「本当に嫌なら、言わなくていいの。私が勝手に始めたことだし、血を吐くような苦痛だったら、無理強いはしない。けれど、自由人な私でも良ければ、話を聞かせてほしい」


 ならば、話してあげましょう。


「——私、吸血鬼の方々に棄てられたんです。二年間、雇われては棄てられてを繰り返して、あなたと出会いました」


 感情が声音を揺さぶって、けれども淡々と語り始めていました。


「自分で言うのはちょっと恥ずかしいんですけど、給仕とかは誰にも負けない自信がありました。求められることを忠実にと、小さい頃から教わっていましたので」


 視界がぼやけて、焦点が定まらなくなっていました。綺麗な星空も模様を変えていて、そこで初めて、まだ知り合って間もない人の前で泣いているんだと気が付きます。


「使用人としては精一杯頑張っているつもりでした。多分、性格や仕事に不備はなかったと思います」


 思う、というのは実際に関わってきた吸血鬼の主様や他の使用人たちがどのように感じていたか、確かではなかったので曖昧にしました。


 クリスカさんは相槌を打って訝ります。


「ずっと棄てられ続けて、見かねた家族が実家の使用人として働かせるために連れ戻そうとあの列車に乗ったんです。そしたら、貴方が横に座ってきた」

「ふーん。さっきの虚無はそれ?」

「……はい」

「綺麗事を言って、貴方に奮起してもらおうとは思わないけど、諦めてしまうなんて少し勿体ないじゃない?」

「勿体ないですか。そうかも知れません」


 肯定はします。勿体ないと思います。けれど、持て余さなければならない理由もあります。


 それは不可逆的で、天は私に何かの恨みでもあったかのような、その訳をボロボロ落ちる涙の中で、吐露しました。


「私の血が、すべていけないんです。その、みんな不味いって吐き出すから」


 吸血鬼はその名の通り、血を糧にして生きる種族の方々です。そのため、安定した血の供給が不可欠となります。


 いつから始まったのか、正確な文献や記述などはなくその発端は定かではないですが、血の供給者を使用人として雇う文化が彼らの中には根付いています。古来より人間の生活に深く馴染んできたのも、こういった人間と吸血鬼の共存関係が成立していたおかげとも言えます。


 その使用人として、私は吸血鬼の主様のお屋敷に仕えてしました。けれど、身体に流れる血が恐ろしいほど不味いのです。


 だから、と続けようとしたとき、クリスカさんが口を挟みました。


「そんなに使用人がいいの?」


 固執する必要はないと言いたいのでしょう。弾くように続けました。


「私の家系は男女関係なく、代々使用人として吸血鬼の方々に仕えてきました。その血の品質と能力を買われて、今もかなり良い生活をさせていただいています」

「吸血鬼として、私達も誇り高いわね」

「けど、私はそんな家でも落ちこぼれで、いくらお世話が上手だからって血の味が良くなければいけないのです。吸血鬼の皆様だって人間と同じで、食事をするならよりおいしい物を、食べられる味の物を求めるでしょう?」


 掠れた声で私は呟きました。


 吸血鬼にも使用人にも、家柄や血筋による序列や文化が当然存在します。私の家は得てして血の味に定評があり、吸血鬼でも社会的影響力の強い家へ仕えることの多い血筋でした。特に私の母は吸血鬼の始祖に最も近い『アルタリィ家』の使用人として現在も家には帰ってきません。


 そしてその娘である私にも大きな期待の眼差しが浴びせられました。だから私はこの血と、家の名が嫌いになったのです。


 いくら主人の身の回りの世話が完璧でも、食事である以上味の悪い奴に意味はなく、居場所はない。当然の摂理です。例え話ですが、不味い料理屋が軒を置き続けたことなんてただの一度もないのですから。


「血も伴わないといけないんですから、いくら使用人として出来が良くたって、皆さん血を求めてますから」

「そっか。これから実家に帰って、吸血鬼とは一切関わらないように暮らすんだ」

「……他に当てもありませんし、今のご時世、人間でも使用人を雇っているところなんてないでしょうから」


 吸血鬼の皆様から願い下げでしょう。そうでなければ、点々とした中で一人くらいは手を差し伸べてくれたはずです。


 しばらく沈黙が流れて、クリスカさんは問います。


「誰も恨まなかったの?」

「恨むなんて、とんでもない。立場が違いますから」

「でも、それだけ捨てられ続けたら、吸血鬼の事を恨むのは当然ではなくって?」

「すべて、私が悪いんです。期待に応えられないダメな娘だから」


 棄てられる痛みは知っています。だからこれ以上、その槍が突き刺さり続けるのならば、いっそ離れて静かに人間としての長い余生を全うしたい。


 悪い噂はすぐに回ります。現に七見家の長女は、と囁かれていたのを私は耳にしました。


 私の父も、その噂を耳にしているはずです。だから私は家族の皆から嫌われてしまったのかもしれません。少なくとも、かつての主様から直接小言を言われていた父は、きっとそうなのでしょう。


 一家に泥を塗り続ける地獄から抜け出せるなら、実家でひっそり培った技術を存分に振舞えるなら、それでいい。甘んじてその運命を受け入れたい。


 いや、もう選択肢なんてないのかもしれません。これしか道は。


 袖で目元を拭って、立ち上がった私は、静かに別れを告げようとしていました。この短い旅で見えたのは己の惨めさだけでした。クリスカさんはきっとこんな話を聞くために付いてきたわけじゃないし、続ける意味などもうどこにもありません。


 自己解釈で勝手に決めつけて、背中を向けました。一度立ち止まって、さよならを発そうとしたとき、彼女が引き留めました。


「待って」

「……もう旅は終わりました。クリスカさんの要望とは離れてしまいましたけど、こんな無様な私に用はないでしょう?」

「私の旅をあなたが勝手に決めるのは許さない」

「……どうしてですか」


 強張る金鈴の声音。クリスカさんの方へ振り向くと、その表情は明らかに不快感を示し、私の意思なんて無視するようです。


「逆に問うわ。なぜ終わりなのか」

「終わりです。私の事はすべて話しましたし、戻らないといけませんから」

「戻らないといけないから? それがあなたの意思なの?」

「その、意思というか」


 今までの話、聞いてました? そう問い詰めたいところですが、間髪入れずにクリスカさんから追及を受けます。


「あなたの意思なら、引き留めはしないわ。けど、仕方ない、全て自分が背負っていれば、何も問題なんて起きないと思っているなら、今なら考え直せる。それにこの旅自体は私が嗾けたこと、あなたが勝手に終わらせるなんて許さない。次の目的地まであなたを連れて行く」

「……強引ですね」

「でないと、貴方の本音が知れない気がするから」


 放っておいてほしいですが、抗ってもしがみついて話さない気配をそれとなく察したので、もう止めません。


 結局、私の実家に辿り着いた時点で、門前払いを受けるだけでしょうから。嫌な気分になるのは自明です。


「じゃあ、私行きますから」


 あとは何も語る口を持ちません。それでもついてくるというのなら、私にはどうしようもできないことです。


 クリスカさんも立ち上がって、その後ろを少し離れたところで追ってきます。まるで、餌をおねだりする野良猫のように、その相貌は一転して和やかで、とても不愉快でした。


 二人で文化村を後にして、一路新たなお屋敷へ旅立った私でしたが、運命の悪戯は逆転どころか天地を入れ替えたような予想だにしない場所へ連れて行ったのです。

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