『死ぬ』ということ
辛島ノアール
第一話 祖父の死
父方の祖父が亡くなってからかれこれ二十数年が立つ。私は祖父が亡くなる場に、つまり臨終の場に立ち会っていたのだが『去る者は日々に疎し』という諺もある通り、時間が経過する度に少しずつ記憶が薄れてきてしまっている。
という事なのでまだ記憶が完全になくならないうちに祖父の死の間際について大方覚えていることどもを書いておこうと思う。
祖父は平成十六年一月六日の、正月も終わりに近い早春に肺を病んで倒れた。自宅で具合が悪くなり、祖母がすかさず湘南ホスピタルという病院に連絡を入れ祖父を受診させてみると診断結果は『肺気胸』。すぐにそこから救急車に乗せられ茅ヶ崎徳州会病院の外科へ入院させられた。
医師の詳しい話ではどうやら、煙草の吸いすぎにより肺が損傷してつぶれたという事らしかった……。因みに祖父は元々酒が苦手な代わりに『ヘビースモーカー』だった。それに加えて元々彼は『喘息持ち』だった。
入院することにより『肺気胸』が一旦落ち着くまでの間彼は茅ヶ崎徳州会病院で過ごしたが、同じ年の二月七日に取り敢えず退院した。尚、肺気胸の治療は手遅れでほぼ不可能だった。
それから先は自宅での介護と訪問看護師と医師による往診、また体調が悪化すると再び救急病院(茅ヶ崎徳州会病院)への再入院と退院等を三度繰り返し、平成十六年の同じ年の五月十九日に再び湘南ホスピタルへ転院。そのまま亡くなるまでそこへ入院する事になった。
祖母は祖父を一人にしてはいけないと毎日病院へと見舞いに行った。面会時間の開始から終わりになるまで病院で頑張り無理がたたって体調を壊して一時寝込んでしまった事もある。それでも体調が回復するとまた元のように見舞いに出かけて周囲の者を心配させたこともしばしばだった……。
彼女は祖父が亡くなるときまで、また亡くなったあとになるまでも彼のことを慕っていた。古風で家庭的な性格の、上品で高貴な、教養ある女性であった。
祖父が最期を迎えるその日が来るまでの間にいろいろなことが目まぐるしく過ぎ去っていった……。
この間春を迎えて桜が咲いたと思ったら、気が付けばもう季節は木の葉が朱や黄色に色づいてくる肌寒い秋に変わっていた……。
平成十六年十月十二日、私は湘南ホスピタルまで歩いて祖父を見舞いに行った。
祖父はいつもより元気すぎるくらい体調が良くなっていて私を驚かせた。突然の体調の良い意味での変化に私は驚きを隠せなかった……。
しかしその反面良かったと安心することができた。
祖父は院内を自らの手で車椅子を操縦し、食事もデザートもすべて平らげ、何よりもこの嬉しそうな顔……。ニコニコ笑ってきちんと会話もこなし、本人が口にしたのは、
「お祖父ちゃん、こんなに元気になったから退院もう少しだ」
「そうしたらまた皆でお茶会でもいたしましょう!」
彼は満面の笑みを讃えて私に約束してくれた。私にとって、これが祖父との最後の会話になった……。
日付が変わり、平成十六年十月十三日になった。
早朝、祖母の家に湘南ホスピタルから電話があり、更に祖母から連絡を受けた母が祖母に付き添って慌ただしく出かけていった。
担当医と看護師の説明によると確か、明け方の四時過ぎ、祖父の容体が急変し、
「苦しい、苦しいよ……」
と不調を訴えたという。担当医が診察してみたところ今夜が山、という事である……。
母から連絡を受けた他の家族や近い親戚の方々は覚悟しておいてください、と電話で念を押された。
果たして事実、その様になった……。
夜八時頃、母から呼び出されて湘南ホスピタルに駆けつけた時、祖父は病室のベットの上で苦しそうに呻きながら最後まで頑張って生きようともがいていた。意識は朦朧とし、こちらが話しかけても返事ができる状態ではなかった。目もはっきり見えているのか見えていないのか分からない。
「ご家族親戚の皆様、手のひらや足の裏をさすったりもんだりして話しかけてあげてください」
看護師が気を利かせて教えてくれた。
私は側にいる家族や親戚と一緒になって祖父の手のひらや足の裏をさすったりもんだりして彼に話しかけた。
「お祖父ちゃん!」
するとどうだろう。私の声や他の皆の呼びかけに反応し、一時不安定だった呼吸がほんの僅かな間和らいだ……。
祖父は目をうっすら開けて孫達、自分の子供達、姪達や妻の顔をぐるりと見回してそっと静かに目を閉じ、軽く何度か頷いた……。
その場が一瞬安堵したのも束の間、また祖父の呼吸が乱れ苦しんだ後にあっという間に息を引き取ってしまった……。
辛島 〇〇(祖父の名)
平成十六年十月十三日、
午後八時五十三分、
湘南ホスピタルにて呼吸不全のため死去。
長かった様な、あっと言う間だった様なそんな心持ち……。
一番上の従姉妹は悲しみに耐えられず病室を飛び出してしまい、病院の外階段に座り込み、顔をくしゃくしゃにして泣き崩れてしまった……。二番目の従兄弟は何度も『じいちゃん』と呟きながら涙を流していた。弟も目が真っ赤になるまで泣いていた。
一方私は『悲しすぎて泣くことすらできなかった』。
祖父が亡くなりしばらく経ってから、祖母等により色々と昔語りを聞かせてもらった。祖父は若い頃から大変な家庭環境で育ち苦労の多かった人生を送って来たが最後には自分で幸せを掴み、穏やかな余生を送ったのではないか……。
お世話になりました……。
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