第3話 幸せ

朝食を食べ終え、リオンとアビィは出かける支度をし、玄関に立つ。


「ママ、一緒に着いてきてくれないの?」


アビィは、不安そうにリンに尋ねる。


「ダメよ。あなたはもう、立派な大人になったのだから!自立しなさい!」

「でもぉ…⋯」

不安がるアビィの両肩に手を置き、リンは目線を合わせる。


「いい?これから先の人生、何が起こるかわからないわ。1人でも生きていく術を身につけなければいけないのよ。それに、今日はリオンちゃんも一緒なんだからきっと大丈夫よ。」


信頼する兄の名前を聞き、アビィは少しだけ前向きになった。


「ったく、しょうがないな。ほんとーに、お前は手のかかる妹だな。」


リオンはフンと鼻息を鳴らし、そっぽを向く。


「わーい!お兄ちゃんと一緒♪お兄ちゃん、だーいすきっ♪(だきっ)」

「ちょっ、おまっ!?急にくっつくな!鬱陶しい!」


そう言い放ちつつも、どこか満更でもなさそうなリオンであった。


「さて、丘の教会まで歩いていくには少し遠いわ。これ、往復分の馬車代よ。少し多めに持たせるけど、無駄遣いしないように気をつけなさいね!」

「「はぁい!!」」


出かける前に、二人の頬にそっと口づけをし、だんだん小さくなる背中を見送った。

やがて、その姿が見えなくなった後、リンはフラフラと倒れるようにリビングのソファに埋もれた。


「はぁ…⋯あの子達も、もう大人になったのね…⋯」


十五年間、たっぷりの愛情をかけて育ててきた我が子達の成長を喜ぶと共に、真実を知ってしまって怖がるかもしれないという不安、そして、今まで嘘を貫き続けてきたことへの罪悪感に押しつぶされた。


「あの子達、きっと悲しむでしょうね。私は、どんな接し方をすればいいのかしら?」


リンは、頬をペチンと叩き、気持ちを切り替える。


「えぇい!私ったら、何を暗いことを考えるんでしょう?明るい未来を考えればいいのよ!」


そしてリンは、二人の幸せな未来を想像する。

本当に愛する者と結ばれ、子宝にも恵まれ、そして、父として母としてたっぷりと愛情を注ぐ日々――


(あら?そういえば、あの子達って本当の兄妹では無かったのよね?仲も良いみたいだしワンチャン――)


ペシン!!

先程よりも強く、再び自分の頬を叩くリン。

そして、そのままソファの上でゴロゴロと転がった。


(ダメだわ、雑念が多すぎる――はっ!しまったわ!こんなことしている場合じゃないわ!急いで教会に電話を入れておかないとっ!)


リンは急いで立ち上がり、慌てて電話をかける。

この小さな町では滅多に見られないものであるが、兄のコネやらなんやらでどうにか入手することができた、小さな古びた受話器。

限定的ではあるが、重要な連絡をするには便利だと、ありがたみを感じるリンであった。


「お電話ありがとうございます。こちら、アルタナ聖教会、ナッツヒル支部でございます。」


受話器の奥から、可愛らしいシスターの声が聞こえてくる。


「はい。私はナッツヒル四番地に住む、リンと申します。」

「リン様ですね。ご用件をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「実は本日、私の息子と娘が成人いたしまして…⋯」


改めて息子と娘と口にすると、何故か胸がチクリと痛んでくる。


「まあ!それは、大変おめでとうございます!」

「はい、ありがとうございます。そのことについてなんですが、そちらの教会の方で『精霊の儀』を執り行って欲しいと存じますが、手配いただけますでしょうか?」

「『精霊の儀』ですか――あれ?もしかして、リン様のお宅のお子様達は、ネコ耳族の子でいらっしゃいますか?」

「あっ、はい。そうです。」

「まあ、大変!直ぐに司祭をお呼びしますので、しばらくお待ちください!」


『精霊の儀』という言葉を聞いた瞬間、シスターは何やら大あわての様子で電話口から離れてしまった。


――それもそのはず。

成人になり、名前を授かる特別な儀式、『精霊の儀』は、高位の聖職者のみに許された儀式である。



ややあって、電話の相手が変わった。

「はいはい、ただいま参りました。僕がこの教会の司祭のロイです。以後お見知り置きを。」


ややフランクな口調で電話に出たヒツジ耳族の司祭、ロイ。


「ロイ様。こちらこそよろしくお願いします――」

「ああ、僕に対してはそんな大袈裟な態度は取らなくて大丈夫ですよ。その方が、本心を打ち明けやすいですしねっ♪」

「はあ…⋯それではお言葉に甘えて。」


マイペースなロイに操られるリン。


「――さて、こちらからいくつか質問をさせて欲しい。まず、リンさん。あなたのお子さん達のことについて確認させていただきます。」

「はい、なんでしょうか?」


ロイは、いきなり核心へと切り込んでいく。


「紅のカタストロフ。」

「――ッ!」

「⋯⋯その反応、やはり、大当たりのようですね。」


ロイは、受話器越しのリンの小さな動揺の一つも見逃すことも無かった。


「あなたが育ててきた子ども達。やはり、『例の』ネコ耳族の子達だったのですね。」

「ええ、そうです。」


あっさりと言い当てられてしまい、驚きの表情を見せる。


「それで?その子達の名前を教えていただけますか?」

「知っての通り、私は本当の親では無いので名前なんて――」

「あなたは今、名前を付けてしまった事で子ども達に災いが降りかからないかを心配し、さらに、司祭であるこの僕に打ち明ける事を躊躇っている。そうですね?」

「どうして…⋯?」

初対面で、しかも顔も見えていないはずなのに、心の中の全てを見抜かれてしまった。

リンは、ロイの底知れなさにどこか小さな恐怖心を抱き始めた。


「なぁに、簡単な話ですよ♪十五年間も、自分の子どもでもないのに、たったひとりで育ててきた。愛着が湧かない訳無いでしょう?」

「確かに。」

「そして、伝承を信じ込んでいる辺り、リンさんの信仰心は深く、とても純粋な心を持っている。」

「――あの、一つ聞いてもいいですか?」

「どうぞ。」


リンは、ロイの口からポロッとこぼれた爆弾発言に対する疑問をぶつける。


「『伝承を信じ込んでいる』なんて口にしてしまうなんて、ロイさんは伝承を信じていないのですか?」

「うっ…⋯」


今まで一方的だったロイが、初めてほんの少しだけ狼狽えた。

受話器越しにて、ロイは辺りを見回したあと、小声で囁くように切り出した。


「――いいですか?ここだけの話、あの伝承の内容はほとんど偽物なのですよ…⋯」

「ええっ!?」


驚きのあまり、変な大声を出してしまうリン。


「あれは、親に家族愛を説くものであって、災いなど実在しないのですよ。」

「…⋯?と、言うと?」

「三歳になって名前を付ける、というものは単なる通過儀礼のようなものなのです。」

「へぇ…⋯?」


リンの中で、今まで信じ込んできた常識が音を立てて崩壊し始めた。


「僕たち、ケモ耳族の成長の特殊性はご存知ですよね?三歳頃から急激に初期人格が形成し始めるというものね。」

「ええ。それが、何か関係あるのかしら?」

「子どもはひと回り成長し、親の愛を受け止められるようになります。名前を付けること、すなわち、愛着を持つこと。すなわち、家族愛を確かめることなのですよ。」

「なるほど。では、不幸な子どもが十五歳まで名前を付けないというものはどう説明するのですか?」


いまいち信じられない様子で、更に疑問をぶつけていく。


「そっちは、僕たちケモ耳族が受ける加護が関係してきますね。」

リン「うーん…⋯?」


次々と新事実がポンポンと告げられ、頭がパンクしそうになるリンであった。


「僕たちケモ耳族は、精霊の加護によって、魔法や力などを得ることが出来ます。それすなわち、生きる力です。名前を刻むという事は、生きるという証。――まあ、名前は命と言ってもいいでしょう。」

「それなら、いつ名前を付けても同じじゃ――」

「リンさん。例えば、あなたが悪い子どもで、今から店の物を盗もうとしているとしましょう。」

「何よ、急に。」


突然、訳の分からない例え話を持ち出され、しかも悪者に仕立てられたリンは口を尖らせる。


「その店の店主はとても強く、リンさんは盗む事はできない。そこで、精霊が力を貸してくれたとしましょう。リンさんは、無事に盗みに成功しました。果たしてこれは、正しいことでしょうか?」

「もちろん、大いに間違ったことだわ。」

「正解。これは、物を盗もうとする行動理念の根底の、精神の未熟さと不幸な境遇が、突発的な力を暴走させることによって起こした『災い』です。」

「あっ!それってつまり――」

「お察しの通り、僕たちケモ耳族は、十五歳を節目として、心身ともに最後の成長を遂げる。もうお分かりでしょう?」

「なんてことなのかしら。まさか、あの伝承にそんな意味があったなんて…⋯」


リンの中の過去の常識など、もうどこにも残っていなかった。


「さて、これでリンさんの不安は解消されたことだし、本題に移りましょう。あなたは、愛する者に何と名前を付けましたか?」

「リオンとアビィ――男の子がリオン、女の子がアビィです。」

「リオンくんにアビィちゃんね。――よし、これで儀式が楽に進められる。」

「あれ?まさか、その為だけにこんな重大な事実を教えてくれたのですか?」

「そうですよ?」

「なんか、拍子抜けしてしまったわ。」

「――とにかく、精霊の儀はこの僕にお任せください。必ず、リオンくんとアビィちゃんに祝福を与える事を約束しましょう。それでは、僕はこの辺で――」

「待ってくださいっ!」

「どうしましたか?」


咄嗟にロイを引き止め、リンはずっと葛藤していたことを打ち明ける。


「あの子達が真実を知る。すなわち、私は本当の親では無い事を知るわ。本当の親は、とても不幸な目に遭ってしまった。酷く悲しむでしょうね⋯⋯」

「…⋯」

「その時、私はどう接したらいいのでしょう?本当に得るべきであった幸せを、得ることが出来なかった、あの子たちに――」

「はぁ。」


ロイは、リンの悩み事を聞き、完全に呆れた様子でため息を漏らした。


「あのねぇ、はっきりと言わせて貰うよ?」

「はい。」


「――本当に、あなたは馬鹿ですね。」


「…⋯はぁ!?」


見知らぬ相手に、突然馬鹿にされ怒らぬ者など居るはずもない。

リンも例外なく、腹の底からふつふつと煮えくり返ってくる。


「ああ、あなたは大馬鹿者だ!この十五年間、一体何をしてきたんだ!?」

「何よ、知ったかぶって!会ったことないくせに、私の何が分かるって言うのよ!!」


完全に怒り心頭のリン。

そんなリンに、ロイはあえて厳しい口調で諭す。


「あなたこそ、リオンくんとアビィちゃんの事を何も分かってないでしょう!赤の他人であるはずのあなたが、毎日毎日、母として愛情を与え続けた!素敵な名前だって与えてくれた!」

「…⋯」

「大人になるまで、赤の他人を大切な家族として育てて来た。そんな事が普通の奴にできるって言うのか?」

「それは――」

「あんたは今、その幸せを疑っているんだっ!もし二人の事を本当に想っているのなら、幸せを選び取る権利を奪ってやるなよ!」

「――ッ!」

「勝手に幸せの定義を押し付けて、自分の保身に走ろうとして、結局自爆する。そんな生き方、烏滸がましいにも程があるだろう!?」


ロイの説教の圧と、その考えの深さに、自分の惨めさが強く感じられた。


「――こほん、幸せの形は人それぞれ。幸せの受け止め方、感じ方もまた人それぞれ。二人があなたに見せる笑顔こそが、何よりの答えでしょう?」

「うぅ⋯⋯ぐすっ、ありがとう。そんな言葉をかけてくれて、私の目を覚まさせてくれて…⋯」

「なぁに、迷える子羊を導くのが僕の役目ですからね。」


ロイは、自信たっぷりに答える。


「ロイさん、あなたに相談出来て、本当に良かったわ。どうか、二人を、リオンちゃんとアビィちゃんを、お願いいたします。」

「ええ、お任せください。他に悩み事はありませんか?」

「おかげさまで何も。」

「良かった。それでは、僕は儀式の準備があるのでこの辺で。」

ガチャリと、電話が切れてしまった。

受話器を置くリンの顔に、もはや先程までの迷いなどない。


(さぁて♪あの子達が帰って来るまでに、パーティーの準備でもしちゃおうかしらね♪)


鼻歌交じりの軽い足取りで、リンはソファから立ち上がるのであった。

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