第2話 名前

大量に並べられた朝食を食べる三人。

テーブルの周りには、三つの笑顔が咲いていた。


「ん〜♪やっぱり、ママの作るパンは美味しいね〜♪(もぐもぐ)」

「そう言ってもらえて嬉しいわ♪でもね、今日はアビィちゃんが朝食を作る日だったでしょ?寝坊しちゃダメよ。」

「ごめんなさい、ママ。」


しょんぼりと項垂れて反省するアビィ。


「――ったく、アビィはいつもだらしないんだからな。(がつがつ)」

「あら?そう言うリオンちゃんだって、一緒にお寝坊しちゃってたじゃない?」

「うぐっ…⋯」


リンの突き刺すような指摘に、思わず喉にパンを詰まらせそうになってしまうリオン。


「ほんと、あなた達兄妹揃って似た者同士よね〜」

「はぁ、アビィと一緒にされちゃたまらないぜ。」

「ひっどーい!」


リンは、楽しそうな二人を眺める。

しかし、その紫色の瞳の奥に寂しさが隠れていた。


(はぁ…⋯この子達が『本当に幸せな兄妹』だったら良かったのに…⋯)


リンはふと、そんなことを考えてしまう。



――そもそも、この二人は本当の兄妹では無い。

かつて、リンが治癒院から引き取った子供たちなのである。

壊滅した村の、たった二人の生き残り。

身元を確かめようにも、全てが焼き尽くされて手遅れだった。

治癒院で診断されて分かったことは、当時、二人とも生まれて間も無い赤ん坊だったこと。

そして、血の繋がりは一切ない、赤の他人であることのみである。

治癒院で少しの間育ててはいたのだが、やはり親としてずーっと面倒を見てくれる者を探していた。

そんな中、治癒院で働いていたリンの兄の紹介によって、二人は兄妹として、リンのもとで育てられることになったのである――



(本当に悲惨な出来事だったわ…⋯この子達も、本当のママとパパのもとで過ごしたかったでしょうね。)


二人の悲しい境遇を案じ、涙がぽろりと零れ落ちる。


「母さん、どうして泣いているんだ?」

「――えっ?あ、ああ。何でも無いのよ〜♪」

何事もなかったように振る舞い、作り笑いを仮面にして咄嗟に誤魔化してしまう。


(――言えないわ。この子たちには、まだ真実を伝えるには早すぎるわ…⋯)

「そうか、まあいいや。(むしゃむしゃ)」


どこか引っかかった様子を見せながらも、再びパンを頬張るリオン。

特に追及せずにいてくれたことに、ただただ感謝するだけのリンなのであった。

ふと、壁にかかった日めくりカレンダーを見ると、リンは大事なことを思い出した。


「まあっ!私としたことが、うっかり大事なことを忘れていたわ!」

「大事なことってなぁに?」

リンはポンと手を打つと、藤色のワンピースのポケットの中身ガサゴソと物色する。

そして、目当ての物を取り出すと、それをテーブルの上方向に向かって勢いよく打ち出した。


「お誕生日おめでとう♪リオンちゃん、アビィちゃん♪」


パァン!


クラッカーの音が食卓に鳴り響く。

アビィは少しだけ怯えた表情を見せ、リオンは無関心そうに、パンにかかりそうになっていた紙テープをぼーっと見ていた。


「――って、あら?思っていた反応とは違うわ?と、とにかく!あなた達はもう、十五歳の立派な成人になったのです!多分…⋯(ボソッ)」

「そうなんだ。イマイチ実感できないけど、ありがとう、母さん。」

「私たち、大人になったの?」


二人は、パンを持ったまま呆然としている。



――この世界におけるケモ耳族は、どの種族にも共通することがある。

それは、生まれてから十五年で成人と認められることである。

ケモ耳族は皆、三歳と十五歳の少し前を目安に大きな成長を遂げる。その後は、見た目があまり衰えないまま、人間より短い九十年ほどの天寿を生き続けるのである。

そして、ケモ耳族の子は皆、三歳になると同時に親から名を与えられる。

が、何らかの事情によって、三歳に名を与えられなかった子は、十五歳になるまで名を授かることが出来ないのである――


(この子達にも、『本当の名前』が与えられる日が来たのね…)


そう、リオンにアビィ。

それはただ、リンが呼びにくいからと『仮の名前』を付けているに過ぎなかった。

もし、本当の名前を十五歳になる前に付けてしまったのなら、大いなる災いが降り注ぐという伝承があるのである。


(私が仮の名前を付けてしまっても、天の女神様はこの子達を幸せにさせてくれたのね。感謝してもしきれないわ。)


仮とはいえ、名前を与えてしまったことによって、天罰がくだらないか内心ヒヤヒヤしながら十五年の月日を生きてきた。

だが、そんなリンの不安をよそに、リオンもアビィも元気に暮らしている。


「ねぇ、母さん。」

「――え?あら、何かしら、リオンちゃん?」

「僕たち、成人になったみたいだけど、何か特別な事でも起きるの?」


リオンにそう尋ねられ、リンは心の奥深くで葛藤する。

『真実』をどのように伝えるべきか、と。

迷った末に顔を上げ、二人の目を真剣に見て話す。


「いいかしら、二人とも?今日のうちに、近所の丘にある教会に行ってきなさい。そこで、あなた達の知りたい事がきっと分かるわ。そして――」


リンは、そっと立ち上がり、リオンとアビィの元に歩き、ギュッと二人の事を優しく抱きしめた。

「あなた達二人は、私のかけがえのない家族よ。絶対に、ぜーったいに!これだけは覚えておきなさいね。」


リオンとアビィは、抱きしめられながら少し沈黙する。

後ろから強く抱きしめる『母』の今の気持ちは、次々に零れ落ちる涙を見なくても伝わって来た。


「大袈裟だな、母さんは。そんなこと、今更言われたって大したことないよ。当たり前のことじゃん!」

「え?ママはママだよね?いきなりそんなこと言ってどうしたの?」

しかし、母の涙の『真実』に気づけない二人の純粋無垢の言葉が、リンの胸をさらに締め付けていく。

「⋯⋯そうね。」

(『当たり前』ね。もし、この子達が当たり前の日常を送れたら、どんなに素敵だったのかしら?)


ひたすらに溢れる感情を上手く吐き出せずに、上辺だけが独り歩きして口から零れてしまった。


「――さて、そういうことだから、ちゃっちゃと朝ごはん食べちゃいなさい。」

「はーい――って、あーっ!アビィ!その最後のパン、僕の食べかけだったんだぞ!返せ!」

アビィ「えへへ、お兄ちゃんの食べかけの美味しそうなパンゲット――ひゃっ!ほっぺひゃふにふにひひゃぁらめ〜♪」


相変わらず仲睦まじくお気楽な二人を見て、さっきまであんなに悩んでいたもう一人の自分はもうどこかに消え去っていた。

苦悩が消え去ったリンは、どんなことがあっても『子どもたち』を幸せにしてあげようと、改めて強く胸に誓ったのであった。

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