第10話
おもむろにテレビのスクリーンに目を向けると、出演していたアーティストの姿に、優の目は釘付けになった。そのアーティストは顔や姿は見せずに、影絵の中で歌っていたのだ。影絵に映るシルエット、その体躯から女性のように見える。肩にかかる髪を1つにまとめ、アコースティックギターを弾きながら熱唱していた。
「あ、この人、最近めっちゃ人気だよね!」
梨花が、海老の天麩羅を頬張りながら声を上げた。
「名前や顔は全部非公開で、ネットの上だけで活動してきたんだって。でも、歌声だけで紅白に出るくらいになったんだって、すごくない?」
「顔を出して有名になると、マスコミに追いかけられたりとか、色々大変そうだものね……。でも、声だけで勝負するなんて、凄く格好良いと思う」
真由美も、感心したように呟く。その影絵で素性を隠して歌うその姿に、優は感慨に耽っていた。
(顔も、素性も明かさずに……歌声だけで、こんなにも認めて貰えるのか)
影絵の中で熱唱するその姿は、どこか眩しく見えた。優もまた、顔や姿、性別すらも明かさずに、歌声だけで活動を始めている。それでも、歌声だけでも。これほどまでに世間から認められ、その歌声を広く届けることが、可能なのだ。その影絵は優にとっての可能性であり、これから進む道の、終着駅にも見えた。
やがて、テレビの中のカウントダウンがゼロを指し、新年が訪れた。
「あけましておめでとう!」
「よし、早速行こうぜ、初詣!」
慎二の掛け声で、四人は再びコートやダウンジャケットを羽織り、深夜の街へと繰り出した。しんと静まり返った住宅街。吐く息は白く、夜の冷気は耳の先端をきりきりと痛めつける。やがて神社へと続く道は、同じように初詣へ向かう人々で賑わい始めた。
新年を迎えたばかりの境内は、一年に一度、この数時間にしか現れない熱気で包まれていた。四人は賽銭を投げ入れ、列に並んで順番に手を合わせる。優は、強く目を閉じ、心の中で願った。
(――紅白に出ていた、あの影絵のアーティストのように。僕も、歌を通じて何者かになれますように)
初詣から帰宅しても、四人はまだまだ眠る気にはなれない。非日常の高揚感が、夜更かしの眠気に勝っていた。リビングに集まり、トランプで大富豪をしたり、慎二が引っ張り出してきたゲーム機で対戦したりして、明け方近くまで無邪気に遊び続けた。
しかし、東の空が白み始める頃には、さすがに限界が訪れる。いつの間にか四人は、照明がついたままの静かなリビングで、思い思いの場所に転がり、眠ってしまった。
ふと、優は目を覚ました。フローリングの上で仰向けに寝ていたからか、背中が痛む。
リビングの隅で、慎二が毛布をかぶって寝ている。その慎二の元へ、同じく目を覚ましたらしい真由美が、静かに近づいていくのが見えた。真由美は、横になったままの慎二の隣にそっと座り込むと、ためらいながら手を伸ばす。やがて意を決したかのように、毛布ごと慎二を抱きしめた。
「……マ、マユミ……?」
驚いて目を覚ました慎二が、掠れた声を出す。だが、真由美は構わなかった。
慎二の顔を覗き込むと、そのまま唇を重ねた。時が止まった様に、二人は動かない。
やがて恐る恐る、慎二は手を真由美の背中に回し、優しく抱きしめ返した。
優は、息を殺した。目が覚めていることを知られてはいけない。
やがて唇が離れると、真由美が小さな、しかし芯の通った声で言った。
「……この次は……慎二からお願いね。私からばかりじゃあ、嫌だよ」
「うん……いつもごめんな、情けない奴で。でも……マユミのこと、大好きだから」
慎二も、はっきりとそう答えた。優は、見てはいけないものを見てしまった気まずさと、二人の間に流れる甘く切ない空気に、寝たふりを続けるしかなかった。
翌朝は、夜更かしの眠気と、どこか気まずい空気がリビングに漂っていた。昨夜仕込んでおいた雑煮と焼いた餅で、遅めの朝食を摂った。慎二と真由美の間には、ぎこちない空気が流れている。互いに目を合わせようとしない。
食事が終わると、梨花がわざとらしく大きなあくびをして、伸びをした。
「あーぁ、夜更かししちゃって眠くてしんどい!私、もう帰るよ。家で二度寝したいもん。……ね、ユウ君もそうでしょ?」
その言葉に、優は梨花の意図を理解した。慎二と真由美を、二人きりにさせてやろうという配慮だ。
「うん、僕も……そろそろ帰ろうかな」
優も梨花に同意し、二人は足早に慎二の家を出た。
「……じゃあ、シンジ、マユミ、またね!」
玄関先で手を振る慎二と真由美に送られ、二人は家路につく。新年の冷たい空気は火照った頬に心地良く、気怠い眠気を覚ましてくれた。しばらく黙って歩いていたが、不意に梨花が、悪戯っぽく笑いながら優に話しかけた。
「……マユミとシンジがキスしてるとこ、ユウ君も見てた?」
優は心臓が飛び上がりそうになるのを、必死で抑えた。
「……え、あ、いや……」
「あはは、やっぱり!分かりやすいなぁ、ユウ君。私も見ちゃった」
梨花はあっけらかんと笑う。
「二人ともさ、ずっと奥手だったから。マユミも勇気出したよね。これを機会に、色々進むと良いんだけどなぁ」
優も「……そうだね」と曖昧に返事をしながら、内心では戸惑っていた。
恋愛というものが、正直よくわからないのだ。
誰かを好きになって、あんな風に触れ合いたいと思う感情。自分は、そうした感情を持てたことがない。慎二と真由美が関係を深めていくことにも、どこか現実味を感じられない。梨花は優の内心に気づくはずもなく、二人のこれまでが如何にもどかしかったか、楽しそうに話し続けている。
「――いや本当にさぁ、何でそこでくっつかないの!? 行けっ、シンジ! そこだ、勇気出せー! って、何度も思ったよ!」
優は相槌を打っていたが、段々と梨花の話す内容が頭に入らなくなってくる。梨花との間に、透明な壁を感じ始めていた。
こういう高校生らしい恋愛や青春は、この中途半端な体を持つ自分にとっては、遠い世界の出来事なのではないか。暖かい年末年始を共に過ごした友人たち。しかし、彼らが生きる「日常」の中には、自分はやはり、加われないのではないか。
スニーカーの下からじわじわと侵蝕してくる、底冷えの寒さのような。冷たい孤独感が、優に広がり始めていた。
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