展開(二)

 翡翠や毛皮、黒曜石、茶取り引に始まり、一連の不正で捕らえられた朝臣、百余名。皆、獄に繋がれ、詮議を受けた。


 烏公が取り仕切る。証拠はあるので、皆、すぐに有罪が確定した。


 死罪、流罪、また国外追放、様々。蟄居にとどまる者も多かったが、いずれも罷免である。


 朝廷からごっそり廷臣が消えた。


 大内相一派がほぼ全滅状態となったので、良職に空席が沢山できた。


「そなたを大内相に任ず」


 事件解決の第一功労者として、烏玄明を新大内相にするとの王命が下った。


 司賓卿などの、朝廷にとどまった人々は、それが面白くない。


 今回の事件で、朝廷を追われた者は六割いたが、四割弱は残っていたのである。彼等は皆、大内相の派閥には属していなかったが、何れも烏公とは親しくなかった。


 烏公は孤立気味だった。


 その烏公が大内相になるというのだから。


「何とかせねば」


 司賓卿は、生き残った耶津にそう言った。


「今なら、朝廷に人は少ない。科挙で補填する前に、今のうちに兵を動かしたいが、どうだ?」


「扶余府は烏公の味方ゆえ、なかなか難儀でしょう」


 耶津には作戦がある。


 皆、烏玄明の大内相就任には反対だ。誰も烏公には従わないだろう。また、そんな人選をした烈万華王へも不満を持っているに違いない。


 このまま烏公諸共、王の権威も失墜してしまえばいい。そして、その時こそ、耶津が王に禅譲を迫る時だ。


 前大内相らに復職させてやると言って、手伝わせる。彼等を武装させ、私兵と併せて朝廷を占拠し、王に禅譲を迫るのだ。


「おい、耶津!朝廷に人のいない今しかないのだぞ。兵を動かすべきは今だ。扶余府とて、烈氏を追い出し、真の王をお迎えするためだと言えば、兵を出してくれようぞ。なんで烏公なんかに従うものかよ」


 司賓卿はそう言った。彼の願いは現王を放伐し、大氏一族から王を迎えることである。


 耶津はこれまで司賓卿に従ってきたが、もとより司賓卿の望み通りにする気などない。しかし、彼はこう言った。


「まあまあ。科挙までまだ時間がありますから、急ぐこともありません。烏公はすぐに襤褸が出るでしょう。そうなれば、そんな者を大内相に登用した王とて、責任を問われます。王は皆の意志で、玉座から引きずり下ろされるでしょう。兵数はあまり必要ない」


「しかし、仮にそうだとして、王を玉座から引きずり下ろしても、烏公が扶余府を頼り、そこの兵を率いてきたら何とする。せっかく真の王をお迎えしても、これでは無駄足だ」


「いいえ。扶余府が何でわが国と戦などするものですか。今は烏公と親しいかもしれない。しかし、烏公という一個人のために、わが国相手に戦などしませんよ。新しい王が立ったら立ったで、これまで通りの筈。内紛に手を貸すわけがない」


「なるほど」


 司賓卿は頷いた。


(馬鹿め。そろそろ邪魔だな。烏公を追い落とすには欠くことはできぬが、その後は、さっさと始末してやった方がよいな)


 耶津はそう思っていた。


 一方、心海の方も、まんまと朝廷に残ってしまった耶津を、いち早くどうにかしなくてはと思っていた。


 耶津は必ず何か仕掛けてくる筈だ。だから、その前に。


 心海は耶津を追い出すための策を練り、また、彼自身の野望のため、彼もまた、せっせと動き始めている。


 心海の成すべきことも、耶津と同じ。


 王を玉座から追うことである。


 ところで、今回の事件に関与した人間は、廷臣ばかりでなく、商人達も含まれるため、膨大な人数であった。よって、理那が当初予想していた通り、罪人達はろくに調べられもせずに一網打尽に捕らえられ、罰せられていた。


 とりあえず、廷臣百余名を処罰したが、耶津のように漏れている者も必ずいるはずで、烏公はまだまだ調査する必要があると思っていた。それは、耶津を捕らえたい心海も同じである。


 烏公が大内相に就任して、最初に行ったことは、事件の追跡調査の命を下すことであった。


 人手不足な上、烏公に反感を抱く者も少なくなかったから、結果を先に述べてしまえば、調査の成果はあまりなかったのではあるが、それでも人々は戦々恐々としていた。前大内相と親しかった人々がである。


 李公もそのうちの一人であった。


 李公は隠居の身だし、事件とは無関係だ。しかし、前大内相の派閥に属していたのだし、何より左相とは親しかったのだ。


 そして、これも理那が予想した通り、捕らえられて流罪が確定した左相のもとから、度々助けを求める使者がやってきていたのである。


 使者は何度も、白昼堂々とやってきた。往来の沢山の人々に見られたに違いなく、李公は焦っていた。


 勿論、李公は冷たくあしらって、左相を相手にはしなかった。しかし、こうも頻繁に使者に往来されては。よほど親しく交わっているのだと、人々に思われたに違いない。


 新たに調査するというので、変な疑いを持たれて、捕らえられたりするのではないかと李公は不安でたまらなかった。


「冤罪はよくあること。いや、あの高心海のことだ。恨みにまかせて、どさくさに私に罪を擦り付ける気かもしれぬ」


 何とかしなくてはと思った。






 さて。朝廷内に黄伯景なる若者がいる。


 彼の祖は漢族らしいのだが、あまりよい家柄ではなかった。ただ、代々朝臣として宮仕えしてきた家ではあり、貴族には違いない。


 彼は大変才能があり、また人望もあったことから、彼の周りには常に人が集まっていた。彼を師のように仰ぎ、慕う人々で溢れていたのである。


 努力の人でもある。家柄には決して負けなかった。そして、彼はその能力が認められ、早くから出世していた。


 そして、大農卿にまでなったのである。


 黄大農卿は、前大内相一派を嫌っていたが、温厚な性格のため、言い争うようなことは一度もなかった。また、他のどの派閥とも争いになったことはなく、誰とでも上手に付き合うことができた。


 彼を慕って集まる人々で、派閥のようなものを形成していたが、他の派閥からも睨まれることなく、今日まで生き残っている。


 そんな黄大農卿であるから、たとえ前大内相の一派に属する人間であっても、好意的に接してくる相手に対しては、慇懃に頭を下げる。誘われれば飲みにも行く。


 かの左相も、普段は人当たりのよい、面倒見のよい人であるから、黄大農卿にも、しばしば色々声をかけていた。結婚の世話まで買って出たほどで、黄大農卿もそれを受けたのである。


 そう、実は先日、左相が理那に持ってきた縁談の相手は、この黄大農卿であったのだ。


 左相は派閥など関係なく、本当に良い男だと思ったから、理那の相手にと選んだのであった。


 縁談の相手としては申し分なかった。それは理那も認める。問題は、婿殿ではなくて、仲人だ。仲人が左相だったから、引き受けるべきでない縁談だったのである。


 あの時、理那は左相に断りに行ったが、うまく断われなかった。だが、耶津があらぬことを言ったために、うやむやになったのだ。そして、間もなく左相が捕らえられたので、なおうやむやなままなのである。


 受けるのか、断るのか。正式にはまだ返事をしていない。黄大農卿はやきもきしているのではあるまいか。


「きちんと返事をしなくてはなあ」


 李公は勿論、結婚を進めるつもりでいる。


 左相が流罪になったのだから、左相はもう仲人はできない。左相が仲人でないなら、この縁談を進めても、問題ない筈である。


 それに、李公としては、心海にしてやられそうな今、黄大農卿ほどの男を頼りにしたく。彼なら、心海が何を仕掛けてきても、十分守ってくれるだろう。それだけの力がある。


 その日、李公は自ら黄大農卿宅を訪ね、縁談を進めたい旨伝えた。


「左相があのようなことになって。それで、この縁談は消えてしまったかと」


 大農卿はそう答えたが、


「左相のこと、それはそれとして。貴公と我が家との間には、まだこの縁談は続いていると、考えて頂きたい」


と李公は言った。


「わかりました」


 大農卿は前向きに考えてくれたのである。


 同じ頃、当の理那は出掛けていた。父が縁談を進めていることも、大農卿に会いに行ったことも知らない。


 理那はある一軒の屋敷の前にいた。


 貴族の屋敷である。瓦葺きの門があり、周囲は塀で囲われている。


 ただ、大邸宅ではない。豪奢な造りとは程遠く、簡素でこじんまりとしていた。下級官吏の家によくある造りである。


 一応は貴族の邸宅だが、高官でない人の家のようだ。


 理那は門から中をそっと覗く。


 庭には誰も出ていないが、建物の中には明らかに人の気配がある。それも何人もの。


 この家の家族や使用人がいるのであろう。


 理那はこそこそと戸口から退いて、ふうっと溜め息をついた。


 ふと、門の屋根瓦が汚れていることに気付く。


 (土埃が舞ったのね。まだ移ったばかりだから、ここまで手が回らないのだわ)


 事実、中の人々は引っ越してきたばかりと見えて、庭にはまだ家具が幾つか出ていた。


 理那は門の瓦を一枚、そっと手で払う。


 そうしていると、耶津に初めて会った時のことを思い出す。


 耶津に初めて会った時。理那は綿の衣を着て、雑巾を手にしていた。


 門の瓦を、濡らした雑巾でせっせと研いていた。すると、瑠璃の瓦のように美しく輝き、理那は夢中になって雑巾を擦っていたのだ。


 そんな、瓦をぴかぴかにしている女を見て、通りかかった耶津は、下女と見間違えたらしい。何やら話しかけられたが、明らかに貴族に対する話し方ではなく、下女に対するそれであった。


 理那もわざわざ訂正したりせずに、低姿勢で挨拶したものだから、しばらく耶津は彼女を下女だと思い込んでいたようである。


 そういう思い出もまた、耶津に対面する時の気まずさの理由の一つでもあった。


 笑い話のような話だが、理那はやはり、笑えない心境だった。


 瓦をもう一枚、払ったところで手を止めた。門中をまた覗く。


 庭には相変わらず誰もいない。


 門中に足を踏み入れようか、いや、勇気が出ない。やはり帰ろう。


 まごついていた時、ふと背後から呼びかけられて、ぎょっとした。


 「もし。こちらにご用ですか?」


 若い男の声である。


 反射的に振り返り、互いにびっくりした。


 「あっ?貴女は……」


 (この男は、宇成?)


 まずいと理那は思った。


 「こちらにご用ですか?」


 宇成がまた訊いてきた。


 宇成は彼女のことをよく覚えている。一度道端ですれ違っただけだが、忘れるわけもない。憂わしげで、とても美しい人だったのだから。


 それで、あっと思い出す。


 そういえば、以前見かけたのも、心海の家の近くだった。


 「もしや、貴女は高先生のお知り合いですか?」


 理那に負けぬ豪華な衣を身にまとう身分になっても、なお宇成は心海を先生と呼んでいた。


 「い、いいえ」


 以前、心海を尾行した時に、この宇成のことも知った。この者に関わると、まずい。


 「失礼ですが、以前も高先生のお住まいの近くでお見かけしました。こちらは新しい先生のお宅。やはり、ご用があるとしか思えませんが」


 「いいえ、ただ通りがかっただけですわ。失礼します」


 理那は軽く会釈すると、足早に立ち去る。


 宇成は追いかけはしなかったが、首を傾げた。


 (おかしいな。前も確かに先生のあばら屋の前で見かけたのに。先生の新居にまで来て。いったい誰なんだろう?)


 宇成は首を傾げつつ、屋敷の中に入って行く。

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