展開(一)

 心海の調査は順調に進んでいた。あと少しという所まできている。


 彼は襤褸屋敷の中で興奮していた。


 任官したのに、相変わらずの住まいである。禄も出ているのに、全く金がなかった。


(大望のためだ)


 そんな貧乏屋敷に珍客があった。


 外から呼びかける声に、心海は心底驚いて、伸び上がる。


 彼の家を訪ねる者なんて、宇成以外にいるわけがない。だが、外の声は明らかに、宇成とは違っていた。


「はい」


 返事をして戸を開けると、門の所には、何と耶津が立っていた。


 我が目を疑った。心海は目を擦ってみたが、やはり耶津である。


「こ、これはこれは……」


「邪魔をするな、心海」


「いえ、どうぞ」


と言って、あっと気付く。


「い、いや、貴方にお入り頂いても、大丈夫かな……ひどい襤褸家なのですが……」


「構わん」


 耶津がそう言うので、そうですかと、改めて心海は招き入れる。


 門をくぐって、家の戸口まで進んできた耶津は、さすがにきょろきょろ見回した。


 家の中に入ると、耶津は、


「聞きしに勝る凄さだな」


と呟く。


 自分で、こんなむさ苦しい所でも構わないと言ったくせに、想像を遥かに超える汚さだったか、思わず出た言葉のようだ。口元が斜めにつり上がっている。嘲笑しているのではなかろう、明らかに引きつっているのだ。


「驚かれたでしょう?こんな暮らしぶりは、ご覧になったことはないでしょうから」


 自嘲をやや紛らせて、心海は言う。しかし、耶津は、心海の予想とかけ離れた返答をした。


「貴様、禄をどうした?」


「は?」


「まさか、全部飲み食い遊びに使っているのか?」


「……」


 思いがけない言葉に、一瞬目が点になったが、すぐに心海はぶっと吹き出して、冗談を飛ばした。


「まあ、そんなようなところです」


 耶津も皮肉めいた笑顔になる。多分、冗談を言われて、笑っているだけなのだと思うが。裏がありそうな顔になるのは、この人ならではだ。


「で?こんな襤褸屋敷に、貴方のような方が、いったい何のご用です?」


 心海は、擦り切れた敷物に耶津を座らせると、白湯を運んできて差し出す。


「すみません。茶なんぞございませんで」


 くっと耶津は笑い、


「いや」


と、顎をさすった。


「茶なら、うちに沢山あった。飲みきれなくて、さっき捨ててしまった。持ってきてやるのだったな」


「はい。次こそは是非、下さい」


 笑顔で言ってしまうところが、心海である。本当は誇り高いくせに、簡単に誇りを捨ててしまったように装い、屈辱を冗談で被せてしまう。


 そんな心海を、嘲笑ってみせるしかない耶津。


「茶と言えば、大内相の茶畑のことは、とうに調べたのだろうな?」


 耶津は白湯には手を付けず、そう切り出した。


 心海は白湯を口に含んでいたが、ごくりと飲み込むと、


「ええ」


と、隠しもせずに頷く。


 今回の不正の調査対象の一つに、その大内相の茶畑も含まれている。


 それなら、調査していることを隠すべきであろうに、心海はしゃあしゃあと答えるのだ。


 耶津は声を出して笑ってしまった。


「心海」


「どうせ貴方には、私のやっていることなど、全てお見通しでしょう?」


「まあな」


「だから、取り引きにいらしたんですね?」


「まあな」


 耶津も隠さない。どうせこの千里眼には、司賓卿と内通していることさえ、見抜かれているのだろう。


「で、どんな取り引きですか?」


「応じてくれるのか?」


「それは、内容次第ですよ」


「ふうん。内容によっては、応じてくれるのか」


「はい。私は清廉潔白な堅物ではありませんから。多少腐ったものでも、体に良ければ、食べます」


「ふうん?」


 そこで、耶津は腕を組んだ。


「大内相は現行を重んじている。右相は、基本的に大内相と同じだが、ただ、高麗と結び、軍事を強化したいと思っている。大内相とは良好だ。婿の大農卿は、大内相を追い出し、改革を目指しているが、貿易によって国力を上げようという平和主義者。司賓卿は周辺に散らばった大氏と結託して、いずれ、司賓卿が内から、大氏が外から、この定安国を討ち、王を放伐しようと考えている。定安を乗っ取って、もとの大氏の渤海国を再建しようという魂胆だな」


 司賓卿の話の所で、心海の表情が変わった。


「よくご存知ですね」


「何が?」


「司賓卿のことですよ」


「まあ、あの方は野心をおくびにも出さないからな。皆、気づいてはいないだろう。だが、あの方が危険だということは、そなたなら気づいているだろう?あの一派の痴夢に気づいているのは、きっとそなたと私くらいだろうが。で、烏公はどうなのだ?そして、そなたは?」


 さすがに心海とて、真顔にならざるを得ない。


「烏公は……とても真面目な方です。今の政治を改め、軍事を強化しようとお考えです。不正は国を弱める。だから、不正している者は追放されてしかるべき」


「で?追放したら、烏公はどうなさるんだ?」


 話すべきなのか。いや、何故話す必要がある。心海はそう思う。しかし、烏玄明に疚しいことはないのではある。


 耶津は心海の心を読んだらしく、こう言った。


「扶余府と手を組みたいと思っている」


「えっ?」


 驚き、心海は顔を上げた。


「軍事を強化しなければ、契丹にやられる。女真、宋とも手を結ばねば。そうだろう?」


「……はい」


「だったら、大内相を追うべきではないな。そなたが調べたこと、全てなかったことにするべきだ」


 心海の眼がすぐさまきっとなった。だが、それも一瞬。彼は笑顔になる。


「取り引きとは、それですか?では、見返りに何を頂けるのでしょうか?」


「大臣の椅子だよ。烏公を宰相にする。烏公は改革なさりたいのだろう?宰相になれば、できるではないか。我々はその下でお仕えしよう。我々は味方だ。どうだ?」


 大内相一派の不正に目をつぶり、なかったことにすれば、大内相一派は烏玄明を宰相にするというのだ。


「どうだ?こちらにつかぬか?不正を見逃してくれたら、朝廷に置いてくれたら、何でも言うことを聞く。我々を従え、好きなように改革すればいい。好きなだけ軍事を強化すればいい」


「お言葉ですが、不正している者をそのまま朝廷に留めておいたら、改革は成功しませんよ。改革しようとしても、邪魔される。法を定めても、実行しないでしょう、貴方方では」


 すると、耶津は声を上げて笑った。


「確かにな!」


 しばらく笑っている。心海は珍しく、笑いもしない。


 それから、初めて白湯に口をつけた耶津は、ごくりと飲み込みざま、眉をひそめた。


「国難の時だぞ、今は。大内相一派を全て追い出したら、朝廷に人がいなくなる。その隙に外敵に攻め込まれないとも限らない。政に空白を作ってはならないのだよ。国あって初めて改革だ。国なくして、改革もへったくれもない」


 そのために、契丹に攻め込まれないために、扶余府の武力を借りるのではないか。心海は密かにそう思った。


 大内相一派を全て追い出し、新しい官吏を登用する。確かに、人材が不足して、しばらく政治空白状態になるかもしれない。


 しかし、一人で百人分働けるという自信が、心海にはある。抜けた官吏百人分は、自分一人でやり遂げてみせる。


 それでも、契丹には狙われるかもしれない。


 だから、扶余府と手を結んでおいた。扶余府の軍事力を頼りながら、こちらも軍事を強化する。


 そして、改革を成し、軍事を強化し、今より遥かに強い国となる。宋や女真とも結び、敵に対抗する。


 しかし。


 それでも、司賓卿や大農卿などの、考えの違う人々は残る。現王・烈万華の下では、心海の、そして烏玄明の目指す国作りは完全にはできまい。


 だから、烏玄明はある程度で妥協するのだろう。しかし、心海は。


(本来は王を放伐し、新しい王朝を作るべきなのだ。だが、今の世情、国内で兵を動かしている場合ではない。それこそ、内紛の隙をついて、契丹に攻め込まれる。だから、ある程度の所まで改革が進んだら、現王には烏公に禅譲して頂く)


 心海は耶津の前も忘れて、興奮していた。奇しくも、彼の目指すものが耶津と同じとも知らずに。


 耶津も現王では駄目だと思っていた。新しい王の下、政治を一新しようと考えていたのだ。


 しかし、耶津は自分が王になるつもりでいた。そこだけが、心海との違いである。


「どうだ?取り引きに応じてくれるか?」


 改めてそう訊かれて。心海も慌てて現に戻る。


「そうですねえ」


 首をひねってから、にんまり笑った。


「それはよいかもしれません」


 にたにた。


 くっと耶津も口の端を引き上げた。


「そうか」


 それから、他愛もない話を二つ三つして、耶津は帰って行った。


 帰り道、耶津は仏頂面で思案する。


(駄目かもしれぬな。心海めは、味方すると見せかけてこちらを油断させ、大内相を追うつもりかもしれぬ。あやつなら、平気でやりかねない。すぐにも大内相とは手を切らねば)


 耶津個人の不正の証拠はどこをどう探しても出てこない筈である。しかし、念には念を入れ。


 耶津は大内相を切り捨てる決意をした。






 三日後。


 残念ながら、心海よりも耶津の方が、一足早かった。


 大内相のもとに潜り込ませた宇成が、見事に任務を遂行しきった時、すでに耶津は大内相を切り落としてしまっていたのである。


 宇成から証拠を手に入れた心海は、すぐに烏玄明に会った。


 烏公は武力行使に出る。朝廷の兵を動かして、都じゅうを兵で埋め尽くして行く。


 兵は次々に貴族達の屋敷に踏み込んで行った。そして、貴族達を一網打尽に捕らえてしまう。


 捕らえられた貴族達、それに、下級官吏までをも合わせた数は、百人を超えた。無論、その中には、大内相、また左相もいたのである。


 しかし、昔耶津の姿はなかった。


(おかしい。こんなはずでは)


 心海は焦った。しかし、どう調べても、何を見ても、耶津の名が挙がってこない。耶津が不正に関与していない筈がないのに──。


(いや、どこかに何かあるはず。見落としているのだ)


 心海は目を皿のようにする。


 しかし、耶津は先回りして、全ての証拠を揉み消していたのだ。


(してやられたか!)


 心海は歯軋りしたが、しかし、必ずどこかに、耶津が消し去れなかった何かがあるに違いないと信じた。

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