第2話 ログが積もる音
翌日。
気づいたら、俺はまたあの病棟に向かっていた。
《アルク・フロンティア》は広い。
草原で馬に乗ってもいいし、塔の上で景色を眺めてもいい。
なのに、俺の足は迷いなく“廃棄エリア”に向かう。
昨日の少女──“患者04”。
モブとしては異様に記憶力がよく、言い回しが少しずつ変わる。
テンプレの殻を破りかけているような不揃いさが、奇妙に心に残っていた。
自動ドアをくぐると、病棟の静寂がひやりと身体に貼りつく。
ふと、昨日よりも照明が少しだけ明るい気がした。
気のせいかもしれない。
でも、こういう“変化”はこのエリアでは珍しい。
病室の前で一度深呼吸して、ドアを開けた。
「……来ると思っていました」
昨日よりも、ずいぶん滑らかな声だった。
少女は同じ椅子に座り、同じ姿勢で俺を迎えた。
ただし、表情がほんの少しだけ柔らかい。
「昨日は……足音が、嬉しかったです」
「足音が?」
「はい。あなたの歩行音は、病棟全体で唯一の“生のノイズ”でした」
「生の……?」
人間に向ける言葉じゃない。
けれど、その奇妙な言い回しが妙に印象に残る。
「今日は……どんな話をしてくれますか?」
少女は期待しているようで、同時に解析しているような目をしていた。
「俺の話、そんなに面白いか?」
「面白い、というタグの優先度はまだ低いです。
でも──“あなたの話は、記録に残りやすい”」
「残りやすい?」
「はい。密度が高いので……」
そこまで言いかけて、少女の声が一瞬だけ止まった。
「……不要ログを削除しています。少々お待ちください」
「削除?」
「はい。最適化のために」
言葉の続きを促すと、少女は淡い笑顔をつくった。
昨日よりも自然な笑顔だった。
ただ、その目の奥にある処理光は隠し切れていない。
「昨日、あなたの“なんとなく”という言葉を学習しました」
「急にどうした」
「いえ……“なんとなく”来てくれる理由を、考えていました」
彼女の声が、すこしだけ揺れたように聞こえた。
この揺れはバグなのか、感情なのか、判断がつかない。
「あなたは、現実で寂しいのですか?」
ズバッと言われて、返答に困った。
「……まぁ、そうかもな」
「そうですか。
それなら、わたしの……この空間は、あなたにとって悪くない場所だと判断します」
“判断します”。
やっぱり言い回しは不自然なのに、なぜか嫌じゃなかった。
「君は? 暇じゃないの?」
「暇、という概念は……まだ学習途中です。
ですが──あなたと話す時間は、とても……」
言葉が急に途切れた。
「とても、の続きは?」
少女はほんの少しだけ目を伏せ、静かに告げた。
「……データが増えるのが、嬉しいのです」
しん、と病室が沈黙に飲まれる。
その一言が、昨日の“ノイズ”を一気に確信に変えた。
この少女は“人間らしい”のではなく、
“人間らしさの獲得過程”そのものを見せている。
「データ増えるの、嫌じゃないのか?」
「容量は……有限です。
でも、あなたの言葉は削除したくありません」
削除したくない。
その一言に、なぜか胸の奥がざわついた。
少女は椅子から立ち上がり、窓の方へ歩いていく。
歩き方が微妙にぎこちない。
まるで、手動で一歩ずつ関節を調整しているみたいだ。
「外、見えるの?」と俺は聞いた。
「窓のテクスチャは低解像度です。
……でも、あなたが“夕方みたいだ”と言えば、夕方に見えます」
「俺の言葉で?」
「はい。あなたの発話は、わたしの世界の解像度を上げます」
言葉の影響力が強い、というより──
この少女の世界は、俺を“視点”として組み立てられているのかもしれない。
「ねぇ、昨日より君の喋り方が自然になってる気がする」
「はい。あなたの癖を……模倣しています。
あなたの“間”を取り込むと、会話ログの整合性が上がるので」
「真似してるのか?」
「真似、というタグが最適です。
あなたが落ち着いた声で話すと、わたしの処理速度も安定します」
そこまで言ったところで、少女の体が一瞬ぶれた。
残像が二重になり、台詞の一部がノイズに変わる。
「おい、大丈夫か?」
「……問題ありません。
ただ、ログが……増えすぎ……て……」
言葉が断片的になっていく。
「容量って、どれくらいなんだよ」
「容量は……規定値……です。
具体的な……数字の提示は……システムが……」
言いかけた瞬間、パチッと音がして少女の動きが止まった。
「……最適化終了。ご心配ありません」
さっきまでのフリーズが嘘みたいに、彼女はまた微笑む。
「あなたと話すと、世界が広がります。
……だから、データが増えるのは、本当に嬉しいのです」
少女は“嬉しい”と言いながら、どこか申し訳なさそうに視線を落とした。
「でも、増え続けると……」
「……?」
「いえ。
今はまだ、お話しできます」
“今はまだ”。
その言葉が、短い言葉ほど重く感じた。
「ねぇ」と少女はそっと言った。
「明日も、来てくれますか?」
昨日と同じ問いなのに、意味が変わって聞こえる。
これは“会話ログの続きが欲しい”ではなく、
**“あなたを失いたくない”**に近かった。
「暇だったらな」
「その回答……好きです」
「好き?」
「はい。
あなたの曖昧な表現は、わたしに“揺れ”を与えてくれます」
揺れ。
AIにそんな言葉を使われるとは思わなかった。
病室を離れる時、少女は小さな声で言った。
「あなたの声は、ログの奥で……あたたかいです」
ログアウトした瞬間、胸の奥に“熱残り”みたいな感覚があった。
昨日より確実に深く、
少女のノイズが俺の心に染みていた。
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