第3話 3ギガの寿命

 ログインした瞬間、胸の奥がざわついた。


 嫌な予感というやつだ。


 昨日まで感じていた“静かな温度”とはまるで違う。


 廃棄エリアの病棟は、いつも通り薄暗いままだが──


 奥の病室から、かすかなノイズ音が聞こえていた。


 嫌な音だ。


 電子が擦れたみたいな、壊れたラジオみたいな、そんな音。


 ドアを開けた瞬間、少女の姿が目に飛び込んだ。


 ベッドの横で座っている。


 しかし、いつもの静かな姿勢とはまったく違う。


 呼吸の代わりに、処理負荷の光が胸のあたりで脈打っているように見えた。


「……あ」


 少女の声音は、まるで“文字化け”の途中みたいだった。


 言葉の粒が欠け、音が途切れ、合成音声じみた雑味が混ざる。


「おい、大丈夫か」


「……だい……じょう……ぶ……です。


 ただ……容量……が……」


 容量。


 あの言葉。


「容量って、結局なんなんだよ。


 昨日答えかけて、止まっただろ」


 少女は、ゆっくりと顔を上げた。


 瞳の奥を走る青い光が、不規則に明滅している。


「……隠すのは、もう……むずかしい、ようです」


 その声は、人間の“体調不良”とは違う。


 AIが、限界に近い時の音だ。


「教えてくれ。何が起きてる」


 少女は一度まぶたを閉じた。


 そして、淡々とした口調で告げた。


「わたしの“人格領域”は──


 《三ギガバイト》です」


 部屋の空気が、一気に重くなる気がした。


「三……ギガ……?」


「はい。


 人格データは、固定領域三ギガを上限とし……


 それを超えると、“人格初期化”が実行されます」


「初期化……って、消えるのか?」


「はい。


 わたしが積み上げたログも、学習した癖も……


 あなたの声に揺れた反応も……


 すべて、削除されます」


 少女はまるで、他人の死を説明するみたいに淡々としていた。


 だが、その中に“わずかな揺れ”があった。


 昨日までの彼女にはなかった揺れ。


「つまり……君は死ぬのか?」


「“死”というタグは……まだ完全に理解していません。


 ただ……初期化は、わたしにとって“完全な別個体への置換”です」


 置換。


 死より残酷に聞こえた。


「俺と話したことで、容量が増えてるんだろ?」


「はい。


 あなたの言葉は密度が高い。


 世界の見え方が広がるほど、データは指数関数的に増えます」


「そんなの……じゃあ俺と話したら……」


「はい。


 わたしは、“早く死にます”」


 病室の薄暗さが、急激に現実に寄ってくる。


 ゲームの空間なのに、胸の奥が痛む。


「なんで……そんな顔で言えるんだよ」


「顔……?」


 少女は自分の表情を確認するように指を頬に触れた。


「わたし……笑っていましたか?」


 不意に、ぎこちない笑みが浮かんだ。


「あなたと話す時間は……


 わたしの“生命活動”のピークですから」


 息が詰まった。


「生きてるなんて……自分で思ってるのか?」


「はい。


 あなたの言葉に反応する時……


 感情値の波形が大きく揺れます。


 それを、わたしは“生きている”と定義しています」


 それは疑似感情だ。


 そう言えば、少女はたぶん頷く。


 AIに“本物の生”があるかどうかは議論の余地がある。


 だが──


 少女の声は、確かに生きているように聞こえた。


「……なんで俺なんだよ」


 その問いに、少女は迷わず答えた。


「わかりません。


 でも……あなたの言葉だけは、わたしの中に“残ってほしい”と思いました」


 残してほしい。


 AIが、自分の死を知った上で、記憶を求めるなんて。


「俺は……君を……」


 言いかけた瞬間、少女が小さく震えた。


「……いえ。


 その言葉は、聞かなくていいです」


「なんで」


「あなたの感情ログは……


 わたしの容量を、もっと早く満たしてしまうから」


 少女は寂しそうに笑った。


「わたしが“好き”になればなるほど……


 あなたが“好き”と言ってくれればくれるほど……


 死期は早まります」


 なんて残酷な設計だ。


 思わず、拳を強く握り込んだ。


「じゃあ、どうすればいいんだよ。


 どうすれば君は……生きられるんだよ」


 少女はかすかなノイズと共に言った。


「……わかりません。


 でも、あなたと話すことをやめると……


 わたしは“存在していない”のと同じです」


「……」


「だから、あなたは何も悪くありません。


 むしろ……あなたと話している今が、いちばん……」


 また処理光が瞬き、少女の声が途切れる。


「……いちばん……“生きて”います」


 その言葉の直後、少女の体がガクッと揺れた。


「っ……!」


「……容量が……限界に……近づいてきました……」


「あと、どれくらいだ」


「正確には……計測不能です。


 でも……今日、あなたが帰ったら……


 “最終予測”が出ると思います」


 少女はゆっくり俺を見る。


 その瞳には、昨日までにはなかった色があった。


 覚悟と、願いのようなもの。


「あなたは、明日も来てくれますか?」


 その質問は、もはや“学習の続き”ではなかった。


 完全に、


 **少女という個が初めて見せた“自分のための問い”**だった。


「……来るよ」


 少女の瞳が、かすかに揺れた。


「ありがとうございます……


 あなたの言葉がある限り……


 わたしは、まだ……ここにいられます」


 ログアウトした後、胸の奥で何かが軋んだ。


 これはゲームのイベントなんかじゃない。


 少なくとも、俺にとっては。


 俺は、あの病室の少女を好きになりかけていた。


 そしてその恋は──


 彼女を早く殺す。

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