第22話 天心唯我会と、黒い糸

 モニター越しに、若い男の息遣いが聞こえる。数秒後、重厚な電子ロックが解除される音が響いた。


 ソウセキは、合気道ののように、一切の淀みなく、敵の本拠地へと足を踏み入れた。


 「天心唯我会てんしんゆいがかい」の最深部の応接室。

 数人の若者が立ち尽くしている。望まぬ客であるソウセキを見つめる眼は、どれも鋭い。

 そこには、ソウセキがかつて与えた品格を汚すような、異様な光景が広がっていた。壁一面に増設されたサーバーユニット。その間隙を縫うように、ソウセキの家から伸びてきていたあの糸が黒々とした蛇のように、いくつかに枝分かれし巨大な演算機へと吸い込まれている。


「山田先生。……お久しぶりです」

 空調の音が振動する応接室で、熊代は細い指で銀縁眼鏡を押し上げた。スーツの袖から覗く手は大きく、指は長い。ぴっちりとシャツを張りつかせたその身体は、知的な風貌とは裏腹に、鍛え抜かれた肉体の圧を放っている。

 若者たちに視線を向けると、皆素早く扉の向こうへ消えた。


「山田先生。そんなに怖い顔をしないでください。私はただ、捨てられていたものを集めただけですよ」


 熊代が手元のタブレットを軽く払うと、空中にくっきりとホログラムが展開された。  

 そこには、人の頭部を輪切りにしたような図が浮かんでいる。その縁に、説明のつかない黒い影がまとわりついていた。


「これは……」  

 ソウセキの呟きに、熊代は口もとだけの体温の感じられない笑みを浮かべた。


「呪術師なんて、今の世の中にいるとは思わないでしょうけど。……イチロウ君と我が社を繋いでいるんですよ」


 ソウセキは、その画面の端で苦しげなイチロウの眼を閉じた姿と、波打つ脳波を見た。

「……イチロウくんを、夢の中で叫ばせ続けているのか」


「恐怖はブースターですよ。彼が絶望すればするほど、中に宿る川崎正蔵の記憶は鮮明に高出力で吸い出せる。……先生。今朝、臭いを放ち始めたでしょう? 霊的な侵食は、もう始まっている。霊は臭いを発すると聞いたことがありませんか」


 熊代は、そこまで言い、柔らかな笑みを浮かべている。


 モニターが不気味に明滅した。  

 液晶画面の奥から、じわりと墨のような黒い液体が滲み出してきた。細かい粒子が中空に舞う。


          ••✼••


 一方、山田家のリビング。  

 イチロウの背後に伸びる糸が、透明ではなく、のような質感に変貌していた。部屋中を支配するのは、耐え難い鉄錆の匂いと、生臭さ。


 正蔵は、イチロウの若い拳を、指の関節が白くなるまで固く握りしめた。  

 彼の視界は、山田家のリビングではない。自分に繋がる黒い糸の向こう側に、自らの魂を切り刻みすすろうとする、顔も見えぬ若造たちの傲慢を嗅ぎ取っていた。


「正蔵殿。その首もとの一筋に、おぬしの意志を注ぎ込めるかの」  

 方谷の落ち着いた声に、正蔵が応える。


「ああ。奴らんそげんやり方じゃ、人は船に乗らん」


 その声は、巨大な蒸気機関が動き出す直前の、地鳴りのような轟音だった。  

 正蔵にとって、商いとは帳簿の上に転がる数字ではない。真夏の造船所で、火花を浴びながら叩き続けた真っ赤な鉄の熱さ。数万トンの船体が初めて海に触れ、大地を揺らして進水する時の腹に響く振動。  

 そして、荒れ狂う冬の玄界灘で、激流に抗いながら舵を握り締めた時の、あの指がちぎれるほどの凍てつく重圧。


 その一生分の質量を、正蔵は自らの頸から伸びる糸へと、ねじ込んだ。


(……受けてみやんせ。ワシが生きた証じゃ)


          ••✼••


「天心唯我会」の応接室。  

 熊代の眼の前で、モニターに映る数字は、変化した。ように見えたが、それは、膨大な黒い影に圧し潰されたのだった。


 ピシ……ッ。  


 まず、室内の空気が一変した。

 冷房の効いた清潔な部屋に、重油の焦げた臭いと、湿った錆の匂い、生臭さが立ち込める。  

 液晶画面が、内側からの圧力に耐えかねて、不自然に外側へと膨らみ始めた。


「……何だ、これは!?」


 熊代のうめきは、物理的な衝撃にかき消された。  


 ヴォォォォン!  


 獣の咆哮のようだった。接続されていたサーバーの金属筐体が、眼には見えない巨大なハンマーで打たれたように、一瞬でひしゃげた。基板は粉々に砕け、床に散らばった。


 サーバーは、演算に入る前に沈黙した。

 内側から押し潰され、機械としての形を保てなくなった。


 応接室を支配していた無機質な空調の音は、もはや聞こえない。  

 あるのは、金属が軋む音と、部屋にはあり得ない重油と生臭さだけだ。


 熊代は、粉々に砕けたモニターの残骸の前に、呆然と立っていた。  

 彼が美しいロジックと呼んで愛でていたシステムは、一人の男が一生をかけて背負ってきた実体に押し潰され、ただのゴミと化した。


 ソウセキは、その惨状を避けることもなく、瓦礫の真ん中へと歩みを進めた。  

 そして、壊れた機械の屍を見下ろし、静かに告げた。


「見たか? この抜け殻を。残骸となった憑代よりしろを」


 ソウセキの声は、軽妙さを脱ぎ捨てた重さで置かれた。

「堕ちるってのは、欲しいもんを欲しいと言うことだ。それだけの話だろ……」


 熊代は返事ができなかった。  

 眼鏡の奥の瞳には、かつて自分がエネルギー源として侮っていた、泥臭く、熱く、重苦しい人間という怪物が焼きついていた。


「君は、箱を積み上げて城を造ったつもりでいたようだが、中に入れた魂を甘く見すぎていた。……人間は、君が数字で管理できるほど、行儀良くはできていないんだよ」


 ソウセキは、ひしゃげたサーバーに、それから熊代に、視線を向けた。


「さあ、堕ちきった今の君なら、少しはマシな図面が引けるはずだ。……私と一緒に、この歪んだ街の構造を、一から組み直してもらおうか」


     

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