第3話 -LASTING PEACE- 平穏とは賢者の魔法なのか
必然か、はたまた偶然か。
丁度空いているヒナギクの隣の席にギルコは腰を下ろす。
強烈なクラスメイトの視線は、未だ2人に浴びせられている。ギルコの耳に入る小声は、疑いや怒りであり、快い祝福とはかけ離れていた。
「ヒナギク、テメェ嫌われてんのか?」
「私は嫌ってないよ?アッチが喧嘩腰なだけ」
「それを嫌われてるって言うんだよ」
ギルコは思った。曲がりなりにも暁月の社長令嬢である彼女を嫌うこと、それは今後の人生に何かしらの不具合が生じるのでは無いかと。
「つーか、俺まで嫌われてね?」
「そりゃあ私、モテてますもの。ぽっと出のヤンキーが恋人宣言したら、男子たちから目の敵にされるんじゃない?少女漫画とかでもよくあるでしょ」
「……なるほどね。とんだ飛び火だぜ」
そうこうしているうちに授業は始まる。
授業中に時折視線は感じるものの、流石は憧れの魔術学園。皆一様に教師の話に耳を傾け、集中して授業に取り組んでいた。
ギルコは、その静けさに逆に違和感を覚えていた。スラム育ちには、常に喧騒が取り巻いており、静かな時間など無いのだ。
その空気感が嫌にむず痒く、授業が半刻過ぎた頃には彼の足はビートを刻み、視線はソワソワと窓の外を眺める。
だがそれも数分のことだった。
今まで魔術の原理などを習う機会の無かったギルコには、教師の口から聞こえる音は、異国の言語と大差無く、笛で操られる蛇の様に、気付けば眠りに落ちていた。
「ギルコくん、起きてよ」
「はっ……!」
半ば催眠状態にあったギルコをヒナギクの声が目覚めさせる。時刻は昼の12時を指しており、クラスメイトはぽつりぽつりと昼食の準備をしていた。
「未知の言語を流し込まれたんだが……これも魔術か」
「残念。ただの日本語。ギルコくんがアホなだけ」
「マジかよ。俺は運が良かったぜ。何年も学校に通ってたら馬鹿になっちまう」
「普通逆なんだけどな」
謎の結論に至るギルコの元に、漸く警戒心を解いた2人の女子生徒が声をかけた。
「ねぇねぇ物部さん!良かったらお昼は私たちと食べない?暁月さんと喋っててもつまらないでしょ?」
「ていうかよく恋人やってられるよね?苦労してんじゃないの?」
ニヤニヤと笑う女子生徒たちは、明らかにヒナギクに悪意を持っており、ギルコもまたその悪意には気付かない程鈍感ではなかった。
安全な場所には、安全なりに嫌なことがあるんだな、とギルコは思った。スラム街では喧嘩になるか、最悪殺し合いになる。
警戒心も持たずに喧嘩を売る2人の姿は、ギルコからすると滑稽であった。
「別にいいよギルコくん。私は優しく寛容な恋人だから。女の子とご飯食べてても怒りませんよー」
「え、いや、だがな……」
ギルコはヒナギクをちらりと見る。言葉とは裏腹に分かりやすく不満げな顔だ。
ギルコはなれない頭で考える。
ここがスラム街なら、依頼の邪魔という名目で顎に拳を突き立てれば住むことだが、ここは生憎暁月コーポレーションのお膝元だ。
大本命の宗像アスタが釣れるまでは、下手に騒ぎを大きくしたくない。それはヒナギク自身からも釘を刺されている。
かといって、依頼主のご機嫌を損ねすぎても支障をきたす。今回の様に大きな作戦であれば尚更だ。
小さな歪みが後に、おおきな亀裂となる事例はいくつもある。
だからこそギルコは恋人役に徹する。
「俺ねー、性悪女が好きなんだ。例えばだぜ?目の前には、面白くない性悪女。隣には面白い性悪女。だったらよ、面白い性悪女のが2倍でお得だろ?」
「……何よそれ。私たちが面白くないみたいじゃない」
女子のキツイ視線は、真っ直ぐにギルコの目に当てられる。
ギルコは一瞬たりとも逸らすことなく、その目を見つめ返した。
すると、突然ギルコはギザギザと尖った歯を見せつけ笑いかけた。
「例え話だぜ。例え話。んじゃ、そういうことで。行こうぜヒナギク」
そう言うとギルコは、ヒナギクの腕を掴みいそいそと教室を飛び出した。
ヒナギクは驚く声をあげつつ、先導に身を委ね廊下を共に走る。
「……何よ、性悪女って」
「だってお前性悪じゃん。でも面白い性悪って言ったろ?褒めてんだぜ」
「何それ〜!褒められた気がしないんだけど……まぁ、暴力を振るわなかっただけ良しとするか。偉いぞギルコくん!」
「そんなに野蛮じゃねぇよ!!」
2人はケラケラと笑いながら、廊下を駆け抜ける。窓に反射した西日は心地よい暖かさを注いでいた。
ギルコは思った。牙を向き出した怪異も、刃物を振り回す人間も居ない生温い今が、本や映像が偉そうに語る平和なのかと。
だが一方で、自分に笑顔を向けるこの女が、保たれている平穏に楔を打とうとしていることに改めて疑問を持たざるをえなかった。
物心ついた時には既に、ギルコに両親は居なかった。育ての親を大切に思う気持ちはあるものの、血の繋がりという観点で誰かを想うなど1度もない。
だからヒナギクの成そうとする親殺しへの執念に嫌悪など感じない。
同時に彼女にそこまで興じさせる親という存在、そして血縁とは如何なる楔なのか気になり始めていた。
「探したぞヒナギクッ!!」
悩めるギルコの思考を破ったのは、力の加減を考えない圧迫感を持った手と、ピシャリと唐竹を割らんとばかりの芯のある男の声だった。
手の主は、ギルコの手首をねじ切れんばかりに締め上げ、2人の間に割って入った。
だが男はヒナギクにしか興味が無いようで、目立つ青く長い髪は、うざったくギルコの眼前ではらりはらりとおどっている。
つまるところ、ギルコは完全に無視をされていた。
「君はどういう了見でこの僕という婚約者を差し置き、男を作ったッ!」
男の視線は攻撃的で鋭く、凛とした輝きを持ってヒナギクを見つめる。その勢いに、ヒナギクは若干たじろぎながらも問に答えた。
「御機嫌よう生徒会長。私、冒険したい歳頃でして勢いに任せてつい……」
「僕のことは『アスタ』と呼べと何度言ったら分かる。それに『勢いに任せてつい』だとっ!?ふざけているのか?僕に尽くす。暁月の女としての……君の仕事だぞ!今の君は異常だ!さぞかしコウオウ社長も嘆いておられるだろう」
宗像家の御曹司、そして学園の生徒会長である宗像アスタは、眉間に深い皺を寄せ、呆れた目つきでヒナギクを詰る。
ヒナギクは『コウオウ』の名を耳にすると、少しばかり口元を歪ませ、理路整然と言い返した。
「父の名を出せば私がどうにかなるとでも?お生憎様。私はこれが正常です。ギルコくんは生徒会長に無い魅力を持っている。恋をするには充分な理由ではないですか?」
「さては本気で僕を怒らせたいんだな?よく分かった。君が正常も異常も分からないほど狂ってしまったということがね。猿でも分かる様に……修正してやるっ!」
アスタは余った腕を振り上げヒナギクに平手打ちをかまそうとする。
ヒナギクはその姿を目を瞑ることなく見つめ続けた。
そして、勢いよく腕がしなりを上げた。
「俺ン事は無視かよ」
それを見逃す程この男は……物部ギルコは甘くなかった。
掴まれた腕をより力強く握り返し、勢いのまま地面に叩きつけ拘束する。その力はただの豪であり、合気道の様に怪我をさせないなどという気心は一切無い。
ただ暴力に暴力で返す至極真っ当な行動であった。
「ぐぁっ!?は、離せ……!!」
「テメェ、人の女に手ェ出しといて言えた口か?」
「そ、それこそどの口が言う!貴様が僕の彼女を奪ったんだな!!僕は宗像の人間だぞ!君なんて一瞬でどうとでも……」
「――立場の割には随分おしゃべりだな。もっと締めてもいいか?」
「痛ダダダダダッ!?わ、分かった!こうしよう!!決闘だ、決闘で平等に決めようっ!!」
決闘。アスタの口からその言葉が出ると、ギルコは待ってましたと言わんばかりに、にんまりと笑って拘束を解いた。
アスタはギルコを睨みつけながら辛そうに呼吸をしている。
「オッケー、宗像アスタ。その言葉に二言は無いな」
「フー……フー……!!舐めるなよ。僕も宗像の男、冷めるような真似はしない。僕の要求は勿論、暁月ヒナギクの返却……。貴様の要求は?」
「宗像タモツとの食事って所か?暁月コーポレーションで上に行きたきゃ、コネを作れってなぁ。合理的だろ?」
「フン!お父様に取り入ろうって輩か。宗像はそんなに甘くないぞ。……要求は要求だ。僕が負けることは無いだろうが呑んでやる。放課後、実技訓練場で待つ。そこで決着を決めよう」
更にアスタはギロリとヒナギクを見て、力強く言い放った。
「ヒナギク……その選択を絶対に後悔させてやる。選ぶ男を間違えたとな!僕が勝てば、君の身は掌の上。どうなろうと文句は言うなよ」
「分かっています。それが決闘ですので」
そう言うとアスタは、背を向け怒りのままに歩いて行った。
その姿が見えなくなると場の緊張感が切れたのか、周囲はまたざわめきを取り戻した。
「ひとまず作戦通りだなヒナギク。……ヒナギク?」
ヒナギクはへたりと力が抜けたようにその場へ座り込んだ。
ギルコはさっと駆け出し、彼女の肩を支える。
「……びっくりしたぁ!あんな剣幕で怒んなくてもいいじゃん!」
「挑発するって言ったのはお前だろーが。何ビビってんだよ」
「ビビってないです!腰が抜けただけです!!」
「それがビビってるって言うんだよ」
ギルコは強がるヒナギクをケラケラと笑う。
ヒナギクはそんな彼に頬を膨らませ抗議するも、より笑われる一方だった。
「でも作戦通りだ。後は任せたよ、ギルコくん」
「あいよ。依頼主様の仰せの通りに」
2人は立ち上がると決闘に向け、決意を新たにする。
親殺しの1歩目。
そのスタートを無事に切れるかどうか。それは数時間後には明白になる。
ギルコの目はギラリと鈍い光を放ち、標的を狙い済ましていた。
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