-BEGINNING- プロローグ2

 ギルコは血に塗れたまま、錆び付いたビルに足を運んだ。

 そこは先程の歓楽街から少し離れたスラム街だった。ホームレスは当たり前の様に道を占拠して寝座っており、その中の何人かは死体であることが当たり前の場所だった。

 人の奇声か、はたまた怪異のうめき声か。もはやそこに区別など無い。真の意味での平等がスラム街にはあった。

 チカチカと不規則に点滅する蛍光灯には、大きな蜘蛛の巣が覆っていた。1匹の大きな蜘蛛は、光に誘われ、囚われた羽虫をクルクルと糸で絡めとっている。


「馬鹿なヤツ……」


 ギルコは鼻を鳴らし、哀れな羽虫の末路に一瞥して扉の前に立った。

 扉には『斑鳩いかるが診療所』と記載された立て札がある。

 ギルコが斑鳩診療所のインターホンを鳴らすと、それと同時に複数に設置された監視カメラがギルコに集中する。


『……バルク・モーガンは』


 インターホン越しの声はただ一言そう尋ねる。その音声はザラつき加工されていた。

 家主の異常なまでの警戒心に呆れながら、ギルコは言った。


「ちゃんと斬った。いいから開けてくれよ。毎回このやり取りするのもダルいんだ」


 電子ロックの開錠音が鳴り、錆びた音を立て遂に家主は顔をだした。

 病的なまでの白い肌に、後ろで束ねた青い髪。手足は枝葉の様に細く、必然的に身体に厚みは無い。胸という一部分を覗いて。細長い身体に、不釣り合いに飛び出したそれは、ある意味異質だった。

 身長は175cm程で、ギルコは少しばかり彼女を見上げていた。

 着用する白衣も『着ている』というより『食われている』という表現が適切なオーバーサイズで、そばかすが斑に付いた顔には大きなゴーグルが被さっていた。


「やるじゃんギルコ。氷雨の親分さんに連絡は?」


 怪しげな姿とは裏腹に、その声色は鈴の音の様に優しい少女のものだった。

 ギルコを見るや否や、彼女はゴーグルを外す。

 するとそこには、目の下に大きなクマを浮かべた、丸い瞳がぎらりと露になった。

 その目は白目の部分が黒く、瞳孔はマッドな質感を持った黄色であった。

 凡そ人間の瞳では無いそれは、答え合わせをする様に機械音を立てる。

 黄色い瞳孔は、時折カメラの様に倍率を変えてギルコの様子を伺っている。

 

「まだだ。シャラク、まずシャワー貸してくれ」


 ギルコが部屋の奥に進もうとした瞬間、力強くその体が引き寄せられる。

 次にギルコの目に写った光景は、斑鳩診療所の主、斑鳩シャラクの機械的に動く瞳だった。

 彼女は、ギルコの襟元を掴み顔をさらに寄せて言った。

 

「シャラクな。無理言うお前の願いを聞いて、その腕を改造してやったのはボクだぜ?敬意ってのは、金にならんが大事なんだぜ?そいつを欠けば、いざって時にその腕動かんくなるぜ 」


 シャラクの瞳は、ギルコの目の奥を焼き切るほどにフォーカスする。互いに目を逸らす様子は無い。

 数秒の後、負けた様にギルコは口火を切った。


「あぁ、分かってるよシャラク。後でメンテナンスも頼む」

 

「うむ、分かれば良しだ!ボクは親分さんに連絡を入れておこう」

 

「それと!今度から違法品の魔術を組み込むのは禁止な!まじで吐き気が酷かったぞ!!」

 

「ふむ、安価な魔術はやはり相性が悪いか。暁月コーポレーションが独占してるとは言え、金額に見合う質は確かか。……流石大企業、怪異と人間のパワーバランスを整えるだけある。あぁギルコ、実験ご苦労さま」

 

「テメェ確信犯だな。クソババァめ」

 

「ボクはまだ27だ。ガキンチョ」


 ギルコは背を向けながら中指を立て、シャワールームに向かった。

 降り注ぐ温水は、返り血と共にまだ肌寒い春の夜の孤独感を洗い流す。

 それでもギルコの右腕の震えは止まっていなかった。


「止まりやがれ。……ったく、無茶な使い方したからか?初めに比べたらだいぶ馴染んできたはずなんだが……」


 ギルコは震える右腕を見つめながら、感触を確かめる。手の甲に痛々しくはめ込まれた石は、樹木の根の様に皮膚の内側を侵食していた。

 それは、いずれ肉体の大部分をもこの石が支配してしまうのではないかという、恐ろしい末路を想起させる。


「何ナーバスになってんだか。フツヌシ・ブレヱドで依頼をこなす。そして金を得る。我ながら上手くいってるじゃねぇか」


 ギルコは自嘲気味に笑い、シャワールームから出る。水の滴る身体を、いつの間にか用意されていたタオルでガサツに拭いた。

 火照る身体のまま、シャラクの元へ向かうとそこには見た事の無い人間が1人居た。

 ギルコは上裸のまま、その姿をじっと観察する。

 依頼人だろうか。

 深く帽子を被り、厚手のパーカーを着込んでいる。髪は束ねているのだろうか。チラリと金色の毛髪が見え隠れするくらいで長さは分からない。

 だが、ショートパンツから見える艶のある肉付きの良い脚で、性別は女性と断定できた。


「ギルコ……お前はとんでもない厄介者に目をつけられちゃったなぁ」


 シャラクの口から出た言葉にギルコは動揺し、そして言い返した。

 

「ハァ?俺はそんなヘマ……」

 

「――したんだよ。お前は今世紀最大のヘマをしたんだ。あぁ、もう、クソッ……!失礼、ボクの口から彼女の正体を言うのは荷が重い。悪いね、お嬢さん。良ければ自分でこのバカに教えてやってくれないか?」


 シャラクは冷や汗と苦笑いを浮かべていた。流石のギルコも初めて見る彼女の焦る姿に、如何に目の前の人物が異質であるかを直感した。


「初めまして。物部ギルコくん。私は暁月あかつきコウオウの一人娘。暁月ヒナギク。今日は君に依頼があって尾行させてもらいました」


 暁月コウオウ。その名を露希で知らない者はいない。

 それは、街に溢れる怪異と渡り合うために魔術公式を生み出したその人であり、まさしく英雄と称される人物だった。

 彼は20年前に暁月コーポレーションを立ち上げ、人の想像力を魔術という形で顕現させ、その複雑かつ不可思議な力を公式に落とし込み、人々へ売り出した。

 高額かつ利益独占とはいえ、不均衡な露希をまとめあげた荒業は後にも先にも彼にしか出来ないだろう。

 だが一方で、日本から隔離され独立状況にあるこの都市を、極度の経済的格差社会に変貌させた悪魔でもあった。

 つまり、この救いの無いスラム街を生み出した張本人である。

 スラム街を拠点とするギルコ、シャラクにとって、暁月コーポレーションは忌避すべき対象であり、悪魔の側面が色濃く反映されている。


「確かに……これは、過去最悪のヘマだぜ」


 暁月の名を耳にして、ギルコはようやく事の重大さを理解した。

 まして目の前にいるは、悪魔の一人娘ときた。

 そんな女の頼み事など悪魔の契約となんら変わらない。

 ギルコの身体は火照るどころか、鳥肌が立っている。


「で、依頼ってのはどういうことですかね。暁月のお嬢様。我々はしがないスラム街の診療所。貴女様がお気に召す様な物は取り扱っていないですよ?むしろこんな場所はお身体に毒かと」


 へりくだりつつも皮肉を忘れないシャラクの胆力に、ギルコは思わず感服する。だが、実際は彼女の癖であり、この状況においては大企業の挑発でしかなかった。


「発展途上の地を見て回るのも力ある者の務めですから。……というのは方便で、私は単なるプライベートです。今は暁月ヒナギク。スラム街に惹かれた馬鹿な女と思って頂いて結構です。怖がらなくてもいいですよ、斑鳩先生」

 

「……なるほどね。つまり企業は関係していない個人の依頼者ってことか。おい、ギルコ。ボクはこの女嫌いだ。余計タチが悪いぞ。ウチが企業から依頼を受けつけない、人道に寄り添った良心的な何でも屋って知ってフッかけてきやがる。もう逃げ道1個潰されたぞ」


 シャラクは企業絡みで無いことを知ると、途端に態度を変える。ポケットから無造作に取り出したタバコを咥え、火をつけた。

 ヒラヒラと手を振り、煙を燻らせ、ギルコに呆れた様に尋ねる。


「だが、受けるかどうかは依頼次第だ。そもそも俺は受ける気は無いが」


 ギルコはそう言ってヒナギクを睨みつけた。当のヒナギクは笑みを崩さず、ギルコの威圧を歯牙にもかけていない。


「断れないはずです。だって、私見ちゃったんだもの。ギルコくんのお・て・て」


 ヒナギクはそう言うとスマホを見せつける。

 画面には、ギルコとモーガンの戦いの一部始終が映し出されていた。


「「…………」」


 ギルコ、シャラク共に無言で頭を抱えた。それはまるでアメリカのコメディドラマさながらのオーバーリアクションだった。

 彼らの脳内では、客席からの落胆の声が響いているだろう。


「これ、魔術じゃないですよね。昔、暁月社内の資料で見た事あるんですよ。確か改造超人……でしたっけ?人の想像力を抽出し顕現させる魔術開発と、肉体そのものを怪異に対抗できる様作り替える人体改造。人道的に反しているということで、魔術に軍杯が上がりましたが。その時の開発主任が確か……斑鳩シャラク先生でしたよね」


 かつて暁月に身を置き、敗北した人間として、彼女は慎ましく生活をしていたつもりだった。

 被検体と称して、行き倒れているギルコに改造超人の技術を組み込み、人並みに仕事を与えているだけなのだ。

 ギルコ自身も非人道的な改造を望んで受け入れた。

 コンペで負けた腹いせなんて考えたことも無い。

 だから暁月コーポレーションに逆らおうなんて毛程も思っていない。

 言い訳がましい言葉の数々が、シャラクの脳裏を駆け抜ける。

 つまるところシャラクに最早勝ちの目は無かった。


「流石次期社長。よく調べていることで。……ハァ、こんなことで過去に追いつかれるとは」


「私、こう見えて悪い女なんですよね。もしも……もしもの話ですよ?私の依頼を断るようなことがあれば、斑鳩先生を企業クーデターの首謀者として通報してしまうかもしれません」


 シャラクに対するヒナギクの態度に、ギルコは思わず端を発した。

 

「……テメェ、さっき個人の依頼って言ったじゃねぇか。嘘つきは良くないぜ」


「私を嘘つきにしないでくださいな」


 ヒナギクの笑みは崩れない。その笑顔とは裏腹に彼女の言葉は真意であり、事実、彼女の持つ暁月という権力は、容易に死への片道切符を切れることは想像に容易かった。


「おいバカガキ。何か言うことは?」


 シャラクのギルコへの問は事実上の降伏勧告だった。

 

「……撮ってるこの女が悪ィだろ」


「怒らないからもう一度チャンスをやる。言うべきことは?」


「……悪ィ」


 ギルコはボソリとそう言うと、しなる細腕が鞭の様にその頬をぶっ叩いた。

 言うまでもなくそれは、シャラクの拳だった。


「ほんとお前はボクの人生をめちゃくちゃにしやがって!!周りをちゃんと確認しろとあれほど言っただろうが!」

 

「怒らないって言ったじゃん!!ていうか、あんな気配の無い路地裏で誰か居るなんて思わねーもん!!」


 2人はまるで反抗期の息子と母親による親子喧嘩の様に、喚きながら取っ組み合い始める。

 ヒナギクもその様子には思わず吹き出し、口元に手を当てながら見つめていた。




 

「――で、受けるしか選択の無い依頼ってのはなんでしょうか、ヒナギク嬢。なるべくウチのギルコの手に余る物だとありがたいのですが」


 数分の激闘の後、ギルコの背に座りながらシャラクは尋ねた。

 ギルコは、頬を腫らしながらも不服気に下敷きに甘んじていた。


「担当直入に言います。ギルコくん。君には暁月コウオウの暗殺に協力してもらいます」


 2人は言葉を失った。失うしかなった。

 それは、親殺しという過去から現代に至るまでの禁忌に言葉を失ったのではない。

 この異法都市露希における最大の権力者を殺すという、天地がひっくり返っても不可能な事象を提示されたからであった。


「……さ、流石にご冗談でしょう?」


 シャラクは、手に持つタバコが、吸わずに灰に染まることさえ忘れてヒナギクに尋ねる。

 

「いえ、本気です。私は父を殺します」


「強いて聞こうか。理由は?」


「今の父の経営では、いずれ暁月コーポレーションは、何かを皮切りに独裁者として弾圧されてしまう。利益を落としてでも、人々の最低限の生活の保証のため魔術の独占販売を辞め、なおかつ価格設定の見直し、この不安定な街を救いたいんです。すなわち、暁月コーポレーションをコウオウの手から解放しなければなりません。権威が生きている、その事実だけで彼の元に集う人間は後を絶つことは無いはず。故に、失脚では無く死んでもらう必要があると私は思っています」


「自分の父親でも?」


「自分の父親だからです」


「……はっはっはっ!!流石は一人娘。ボクに経営は分からないけど、その歳でこのどうしようもない街の未来を考えているわけだ。けどね、ヒナギク嬢。流石に相手が悪すぎる。もっと頭のネジの緩い代替品を見つけてくれたまえ。まぁ、暁月の名を聞けば、緩んだネジもガチガチに締まるだろうが」


「代わりはいません。悔しいですが、父ほど魔術を上手く使える存在はいない。魔術では絶対に勝ち目が無いのです。だからこそ、斑鳩先生の改造超人の技術と、ギルコくんが必要なのです」


「残念ながら我々はまだ生きたい。いくら君が素晴らしい未来を語っても、ボクもギルコも命あっての物種なんだ」


「……断るとどうなるか分かっていますか?」


「あぁ、逃げも隠れもしない。命があるなら捕まる方がマシだ。だが、捕まるのはボクだけだ。ギルコは無理いって被検体やってもらってるからね。どちらかというと被害者だ。さ、早いところさっさと通報してくれ」

 

 シャラクは怒りにも呆れにも捉えられる物言いで、煙草を吸い、両手を前に差し出した。

 一方でギルコは、ただひたすらにヒナギクの答えが気に食わなかった。

 直感でしかないが彼女は本心を隠している。社会の未来のためではなく、もっと私的かつ個人的な怒りを持っているのでは無いだろうか。

 故にギルコは問いかけたのだ。


「テメェ、親父が気に食わねーだけだろ」


 ヒナギクはギルコのその言葉に呆気に取られた。それは彼の純粋さから来るものだろうか。はたまた駆け引きをする方便なのだろうか。

 どちらにせよ、ヒナギクの笑みを崩すには充分すぎる一撃に違いは無い。

 現に彼女の嘘くさく上がった口角は、真逆の方角を向いていた。


「……なんでそう思うの?」


 あまりにも分かりやすくヒナギクの声色は下がっていた。


「ウソくせぇテメェの言葉で、唯一ホンモノだったのは……親父を殺したいという意思だけだった。俺ァ、シンプルなのが好きだ。企業だろうが、未来だろうが、命かかってようが、そいつが救われんなら手を差し出す価値はあると思ってる。俺がこの意地悪クソババァに救われた様にな」


「……バカギルコ。お前がそう言ったら、被害者って立場が無くなっちゃうでしょーが。……んで、ヒナギク嬢。実際の所どーなの」


 ヒナギクは口元震わせる。喉元まで突き上げた本心は、音より先に涙として溢れ出した。

 彼女は驚き、引き攣りつつも袖で涙を拭い、答えた。


「父は……コウオウは、母さんを怪異に変貌させました」


 ギルコは驚き訪ね返した。


「そんなことが出来るのか!?」


「理論上は可能だよ。事実、20年前に起きた大戦……人怪決戦の引き金を弾いた犯人『手振てふりザクロ』は伝説の怪異『ビダハビット』の脳を移植し、短時間だがその力を完全に使いこなしていた」


「そんな馬鹿なことをする人間がいるのか!?」


「いたんだよ。それに比べたら、今の怪異も人間も……当時を生きる人間からしたら可愛い者かもしれんね。で、大戦の行方は資料通り、手振ザクロの肉体が、ビダハビットの力に耐えきれず崩壊したことで決した。……まぁ、実際のところ裏で何があったかは分からない。ただ、事後処理として、露希を国家の枠組みから外した日本の方針決定と、その後の暁月コーポレーションの介入は驚く程早かった。まるで、最初から予定調和だったみたいにね」


 シャラクは詳細を求める意味を込めて、ヒナギクを見つめる。ヒナギクは、分からないと首を横に振った。


「私にもコウオウの真意は分からない。けれど、母さんを殺し怪異へと変えた事実はこの目がはっきりと認識しています。……えぇ、ギルコくんの言葉を借りるならそうなんでしょうね」


 ヒナギクは息を吸い込み、心を落ち着かせた上で言い放つ。


「私は父が気に食わない。だから殺します」


 その言葉に嘘偽りは無かった。そして彼女は言葉を続ける。


「物部ギルコくんに改めてお願いします。暁月コウオウの暗殺に手を貸してください」


 ギルコもまた意志を固めていた。つまり、続く言葉は驚く程に素直な自殺宣言である。


「その依頼……承諾したぜ」


 ギルコが応えると同時に、壁掛け時計の針は深夜12時を指し示した。

 新たなる運命へのファンファーレの如く、内蔵された鐘の音が鳴り響く。

 事実、今この場で定められたヒナギクの願いとギルコの意志により、異法都市露希は変化を遂げることとなる。

 1ヶ月後の丁度今この時、彼らはそれを知るのだった。

 

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