第29話 いつか、その時まで

 疾滅統括征異団しつめつとうかつせいいだん第六部隊基地の二階にある一室にて。


 私はいつも着ている高校の制服を脱ぎ捨てて、異形化した脇腹をまじまじと見つめた。


 エボルシックの症状がステージ2に到達した私の体は、以前よりも増して異形化の部分が進行している。

 青白く変色して硬くなった皮膚の面積は、遂に腹部全体を覆い尽くしていた。

 いよいよ背中や腰にまで侵蝕を始めていて、変色した皮膚は指で触れてもあまり感覚が伝わってこない。


 私はあと何年生きれるのだろうか。

 異形化の進行具合から見るに、あと二、三年で末期症状に至ってもおかしくなさそうだ。


 まあ、寿命が短いのは分かり切っていたことだし、一年だろうが数ヶ月だろうが変わらない。

 最後まで精一杯生き続けるだけだ。


 私は異形化部分から目を逸らすと、ヒナツキさんに渡された新しい服を取り出した。

 第六部隊の制服である、タイトな白服だ。


「これ、どうやって着るんだろ……」


 構造が特殊すぎるせいで、着るのにかなり苦戦した。

 時間をかけてどうにか着用することはできたけど、これで着方が合っているのか分からない。

 まあ着れたしなんでもいっか。


 着替えを終えた私は体を捻り、いろんな角度から自分の姿を見つめた。


「意外と似合ってる? いや、そんなことないか」


 なんだか、服に着せられている感が否めない。

 これに関しては私に威厳や風格がないせいだろう。


 服自体は悪くない。ちゃんと採寸してもらったからサイズは合っているし、着心地も通気性が良くて全然暑苦しくない。

 分厚い服なのに伸縮性にも長けていて、足や腕を振り回してみても問題なく動かせる。


 収容所で売られている服はほとんどが薄汚れていたり穴が空いていたりするのだけど、この服はそういった欠陥がどこにも見当たらない。


 一体どんな材質で出来ているんだろうか。不思議で仕方ない。


 収容所では、たまにこういった素晴らしい物を作る職人がいたりする。

 クソみたいな収容所の生活を少しでも快適にしてくれる職人達には、感謝してもしきれない。


 高校の制服以外で久々にまともな服を着れた私は、嬉しさのあまり自分の姿をしばらく眺め続けた。

 いろんなポーズを取ってニヤニヤしていると、不意に部屋の扉が何者かにノックされる。


 「入るわよ」という甲高い声が聞こえてきて、私は慌ててニヤケ面をやめた。

 入室の許可を待たずして扉を開け放ち、一人の少女が部屋の中へとやってくる。


 やってきたのは、キクリだった。


 キクリは洗面所の壁にもたれかかると、腕組みながら隊服を着た私をじっくりと一瞥してきた。


「ど、どう、かな」

「あんまり似合ってないわね」

「……うう、だよね」

「まあでも、これから似合う奴になればいいわよ」


 キクリはそう言うと、朗らかに笑った。


 ミルちゃんを手に掛けたあの日から、私とキクリはとても仲が良くなった。

 隠していた事情を話してわだかまりが解けたことで、今ではすっかり気の許せる間柄になっている。


「アタシの手伝いは必要なかったみたいね。不器用なアンタのことだから、隊服の着方が分からなくて困ってるだろうと思ったんだけど」

「心配してくれてありがとう。キクちゃん」

「べ、別に心配してたわけじゃ……ていうかキクちゃんって呼ぶな!」


 恥ずかしそうに顔を赤らめて、叫ぶキクリ。

 どうやらまだ愛称で呼ぶのは許してくれないみたいだ。


「アタシは先に居間で待ってるから。アンタもさっさと準備を終わらせて来なさいよ」

「うん、分かった」


 キクリが退室した後、私はもう一度隊服を着た自分をじっくりと観察してみた。


 ……うん、やっぱり似合ってない。


 ため息をつきながら、諸々の準備を整える。

 その最中に、再び誰かに扉をノックされた。


 「どうぞ」と言って入室を許可すると、ゆっくりと扉を開けてミナトがやってきた。


 まさかミナトまで、私がちゃんと隊服を着れるか心配して来たんじゃないよね? 

 私って、そんなに不器用な子だと思われているんだろうか。


 まあ実際着るのに苦労したから否定はできないんだけど……。


「着心地はどうかな」

「快適だよ。サイズもピッタリ。見た目はその、どうかな。似合ってる?」

「うーん、どうだろ。あはは」


 ミナトは私の隊服姿を一瞥すると、気まずそうに苦笑いを浮かべた。

 やっぱり誰がどう見ても全然似合ってないみたいで、なんだかちょっと泣きそうになる。


「それよりさ、ミルカに一つ聞きたいことがあるんだけどいいかな」

「何?」

「どうして第六部隊に入ろうと思ったんだい?」


 どうやらミナトは、私の隊服姿を見に来たわけじゃなく、それを尋ねるために洗面所にやってきたみたいだ。


 別にいつでも話せる機会はあるのに、よほど気になっていたのかもしれない。


「色々あるけど、ほとんどはみんなと同じ理由だよ。適正があったから」

「躊躇いなく、誰かを殺せること?」


 私は頷いた。


「あとは収容所のみんながバケモノになった時、誰も殺さないで済むようにしてあげたいって、そう思ったの。ハルちゃんにしてあげたように、他の人にもしてあげられたらなって。私の力でそれができるなら、やってみたい」


 収容所にはたくさんの知り合いがいる。


 その人達もいつかエボルシックの末期症状へと至り、バケモノとなって周囲の人間を襲うようになる。

 最悪の場合、襲った人を殺してしまうかもしれない。


 そんな悲劇は誰にも起こしてほしくない。人を殺すのは、私達だけで充分なのだ。


「善意でこんな仕事をやるなんて、君は優しいんだね」

「優しくなんかないよ。善意でもない。自分のためだよ。私はあの世でハルちゃんに会って、精一杯生きてきたよって胸張って言えるものが欲しいだけ。まあ殺しなんて、誇れることじゃないかもだけど」


 以前の私はこの仕事のことを、疾滅統括征異団しつめつとうかつせいいだんのことを何も理解できていなかった。


 けれど、今は違う。


 彼らが収容所にとって必要な存在であり、誰かがやらなくちゃいけない大事な汚れ仕事であることを、身を以て理解している。


 だから私は、この仕事を選んだ。


「ねえ、今度は私がミナトに質問していいかな」

「構わないよ」

「ミナトが私を基地に連れて来てくれたのって、だったからなんだよね?」

「……驚いた。気付かれててたんだね」


 いつも冷静で余裕のあるミナトが、この時は面食らったような表情を浮かべていた。

 彼のそんな表情を見たのは初めてのことで、少し嬉しい。


「いつから気付いてたんだい」

「ずっと違和感はあったんだけど、確信したのは最近だよ。ヒナツキさんと話してて、そうなんだろうなって。思い返せば、色々と不審な点も多かったし」


 ミルちゃんを含めた管理人達が、誰も無職の私を処理しなかったこと。

 仕事探しの協力にみんながやけに塩対応だったこと。

 ヒナツキさんがミナトの見回りに私をよく同行させたこと。


 当時は単なる人助けだと言っていたけど、見ず知らずの私を基地に住まわせるのはおかしな話だ。


 収容所では私以外にも困っている人達がたくさんいる。

 第六部隊のみんなは優しい人達だけど、善意だけで他人に優しくするほど聖人でもない。


 何か裏があって、私を基地に住まわせた。

 いくら鈍感な私でもそのくらいは分かる。


「流石にバレバレだったか」


 ミナトは後ろ髪を掻きながら、困ったように笑った。


「でも、どうして私なんかを? こんな如何にもポンコツそうな奴よりも、もっとこの仕事に向いてるエボルシッカーがいたよね?」

「そんなことないよ。少なくとも俺が出会ってきたエボルシッカーの中で、君が一番この仕事に向いてると俺は思った」

「どうして、そう思ったの?」 

「似た者同士だからだよ。俺とミルカが」


 ミナトはそう言うと、自分の顔を指差した。


「この仕事を長く続けてるとさ、人の顔を見るだけで分かってくるようになったんだよ。その人が俺と同じで人を躊躇いなく殺せる奴か、そうじゃないか」

「顔を見ただけで分かるものなの?」

「分かるよ。実際にミルカは、俺の見立て通り躊躇いなく殺しができる奴だった」

「……」

「初めて君と出会って目が合った時、すぐに気づいたよ。君は俺と同じだって。根拠なんてない、ただの直感だけど」


 恐ろしい直感だ。

 私もいつか、そういうのが身に付いていくんだろうか。


「第六部隊は最近、一人戦力を失ったばっかりでさ。とにかく人手が欲しかったんだ。だから君を拾った」

「そう、なんだ」

「今まで黙っててごめん。君を騙して利用した、そう取られても仕方ないと思う。本当に、ごめん」


 ミナトは後ろめたそうに表情を暗くさせると、私に深々と頭を下げた。


「謝らないでよ。ミナトは何も悪いことしてないじゃん。あの時ミナトが私を拾ってくれなかったら野垂れ死んでただろうし。それに、第六部隊に入ったのは私の意思だよ。ミナトの意思は関係ない」

「……本当にこんな仕事でいいの? これから何十、何百人もの人をただ殺し続けるんだよ」

「もうこの服着ちゃったんだから、今更何言われても遅いよ。それに全然大丈夫! だって私は、躊躇いなく人を殺せる異常者だからね」


 胸の前でガッツポーズしながら私がそう言うと、ミナトは少し嬉しそうに口元を緩めた。


「君は強いね。そういう強さがあるから、人を殺せるのかもしれない。君も、俺も」


 ミナトは末期症状へと至った家族を、自らの手で殺した。

 私も末期症状へと至った大切な妹を、この手で殺した。


 私達は家族を殺して、それをきっかけに殺しの仕事を始めた異常者で、似た者同士なのだ。


「よし、準備できた」


 隊服の襟を折り曲げて新しいマフラーを首に巻くと、私は隣にいるミナトと向き合いながら微笑んだ。


 ミナトはそんな私を見て、いつものヘラヘラとした笑みを浮かべる。


「それじゃ、行こうかミルカ」

「うん」


 ミナトと共に部屋を出て一階のリビングへと降りると、そこには私と同じ白い隊服を着たみんなが待っていた。


 真中まなかヒナツキ。

 一宮いちみやキクリ。

 獅子島ししじまコウヘイ。

 そして、卯月うづきミナト。


 みんな、平気で人を殺すことのできる異常者達で、似た者同士。

 私はそんな彼らへ向けて勢いよく頭を下げると、気合いのこもった声で告げた。


「今日から此処で働かせてもらうことになりました。改めてみなさん、よろしくお願いします!」


 私の名前は柊木ひいらぎミルカ、十五歳。

 エボルシックというバケモノになる病気を発症し、人殺しの仕事を始めた異常者だ。


 疾滅統括征異団しつめつとうかつせいいだん第六部隊の隊員として働き始めた私は、末期症状へと至りバケモノとなった同胞を殺し続ける。





 いつか私自身がバケモノとなって死ぬ、その日まで。





      






      第一章 決命編 完


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