第25話 行きたい場所

 ミナトが再び病室にやってきたのは、三日後のことだった。


 私は病室を抜け出して、ハルちゃんとミナトを二人きりにさせた。

 私がいたら邪魔で告白なんかできないだろうし、雰囲気作りは大事だ。


 一階にある受付の待機椅子に座って、二人の話が終わるまで暇を潰す。

 一時間くらい経つと、一階にミナトが降りてきた。


「今日はもう帰るよ。またね、ミルカ」

「あ、うん。また」


 ミナトはいつも通りに爽やかな笑みを浮かべて、私に手を振りながら病院から去っていった。

 ハルちゃんの話には一切触れられず、一言二言で会話が終わってしまう。


 告白がどうなったのか気になった私は、大急ぎで病室に戻った。

 扉を開けると、いつも通りのハルちゃんがベッドの上にいた。


「おかえりお姉ちゃん。どこ行ってたの?」

「えっと、ちょっと腹痛で。トイレにこもってた」

「ふーん……」


 ハルちゃんが訝しげに目を細める。

 絶対に嘘だとバレているだろうけど、わざわざそれを咎めたりはしてこなかった。


 私は椅子に座って、ソワソワと視線を病室の至る所に彷徨わせた。


 いつ告白のことを聞き出そうかタイミングを窺っていると、ハルちゃんからその話を切り出した。


「フラれちゃったよ」

「……そう、なんだ。残念だったね」

「まあ分かってたことだけどね。でもいざ告白するとなるとすごくドキドキしたし、ちょっと期待もしちゃった。だからフラれた瞬間は、滅茶苦茶ショックだった」

「……ごめん」

「どうしてお姉ちゃんが謝るの」

「だって、私が促したせいだよね。告白しようって」

「お姉ちゃんのせいじゃないよ。告白しようと決めたのは私自身だし、フラれたのも私。それに告白したこと自体は後悔してないよ。逆になんかスッキリした」


 ハルちゃんはふうと息を吐いて、朗らかな笑みを私に向けた。


「告白してよかったよ。お姉ちゃんのおかげ、ありがとうね」


 ハルちゃんは満足しているようだったけど、私は納得できなかった。頰を膨らませて、ミナトに


「こんなにも可愛い子をフるなんて、ミナトは見る目がないね。勿体ない。私がミナトだったら絶対そんなことしないのに」

「……お姉ちゃんってさ、引くほどシスコンだよね。どんだけ私のこと好きなの」

「それは宇宙一だよ。私の自慢の妹だからね」

「キモい」

「私はキモくていいの! ハルちゃんが可愛ければそれで!」


 半分ヤケになりながら言い放ち、私はハルちゃんの体に抱きついた。


 ハルちゃんは「離れて、鬱陶しい」と辛辣な言葉を放ってくるも、内心満更でもなさそうで、抱きつく私を無理やり引き剥がそうとはしてこなかった。


「ねえお姉ちゃん。この前やりたいことないか私に聞いてきたでしょ」


 体に抱きついたたままの私に向けて、ハルちゃんが言う。


「やりたいこと、見つかったの。聞いてくれる?」

「うん、言って」

「手芸やりたい。久々に。赤い毛糸と棒針編み買ってきて」


 おつかいを頼まれた私は、すぐに病室を出た。


 まず収容所に毛糸と棒針編みとやらが存在するのか分からなかったので、試しに雑貨屋の赤松さんのところへ行ってみた。


 ハルちゃんに頼まれた毛糸の色と棒針編みとやらの道具があるか赤松さんに尋ねてみると、ボロボロの棒と若干汚れている赤い毛糸をくれた。


 私は金無し一文無しなので、付け払いという形で赤松さんに頭を下げて譲ってもらった。

 赤松さん、神。


 急いで病院に帰って毛糸たちを渡すと、ハルちゃんは嬉しそうに笑ってくれた。


「頼んでおいてなんだけど、まさか売ってるなんて思わなかった。ありがとうお姉ちゃん」

「結構ボロそうだけど大丈夫? ちゃんと使える?」

「物自体は多分平気。ブランクあるからちゃんと作れるか分かんないけど、やってみる」

「何を作るの?」

「マフラー」


 ハルちゃんは私の首元に巻いた赤いマフラーを見つめながら、そう言った。


「そのマフラー、結構ボロボロでしょ。だから新しいの作ってあげる」

「私にくれるの?」

「うん」

「……いいの?」

「昔からいっぱい作ってあげたじゃん。待ってて、良いの作ってあげるから。あ、でもやっぱりブランクあるから過度な期待はしないでほしいかも」

「ううん、ありがとう! 楽しみにしてる!」


 私が満面の笑みを浮かべて言うと、ハルちゃんは照れくさそうに苦笑いを浮かべた。


「だから、あんま期待しないでってば」


 それからハルちゃんは、熱心にマフラーを編み始めた。

 食事や排泄、睡眠時以外の起きているほとんどの時間をマフラー作りに費やすようになった。


 異形化の痛みに耐えられず寝込んでしまい、できない日もあったけれど、暇があれば私と話しながらマフラーを編んでいた。


 ハルちゃんのマフラーを編む手際は素人目でも分かる上手さで、まったくブランクを感じさせなかった。


 昔からハルちゃんには手芸の才能があり、夢を持っていた。

 自分の作った服を、世界中の人に着てもらうという夢だ。よく私に、希望に満ちた顔で語ってくれていたから覚えている。


 でも今のハルちゃんにとってその夢は、もう過去の話になってしまっている。


 自分の服を世界中の人に着てもらう夢は、着てもらい夢に変わってしまった。

 エボルシックという、理不尽な病気のせいで。


 夢も才能もない私ならいい。どちらもあるハルちゃんがどうして、エボルシックを患わなきゃいけないんだろうか。


 そんな私の疑問を完璧に解消してくれるような素晴らしい答えを、残酷な世の中は提示してくれない。

 ただ運がなかったからという、どうしようもない理由をくれるだけ。


 私はやり場のない怒りと悲しみを心の奥底に押し込めながら、マフラーを編み続けるハルちゃんのことを見守り続けた。


 そうした日々を過ごしているうちに、私はいつの間にか、収容所のみんなみたいに作り笑いが上手くなっていた。



        ※ ※ ※



 マフラーを編み始めてから、ハルちゃんの病状は明らかに悪化していった。

 手芸は思っていたより体力を使うのかもしれない。


 私が今すぐマフラーを編むのをやめるよう提案しても、ハルちゃんは素直に従ってくれなかった。

 どうしても、マフラーを完成させたいらしい。


「病気が進行してるのはいつものことじゃん。手芸は関係ないよ」


 口ではそう言っても体は正直者で、病状の悪化が顕著に酷くなっていった。


 異形化の際に起こる痛みが頻発するようになり、首から下のほとんどが変色を遂げて異形化してしまった。

 手に力が入らないのか、何度も棒針編みを落としたり指を怪我していた。


 それでもハルちゃんは平気そうな顔をして、マフラーを編み続けた。


 日に日に笑顔や口数が減っていくハルちゃんの姿を、私はただ見守り続けることに徹した。


 ハルちゃんのやりたいことを思う存分やらせて見守ることが、姉である私の役目だからだ。


 そして、苦しい日々を過ごすこと約二週間。

 ようやくマフラーが完成した。


「普通は一週間あれば出来るんだけどね。倍以上かかっちゃった」


 ハルちゃんがはにかんだ笑みを浮かべながら、完成したマフラーを掲げる。

 私は感極まって、涙ぐみながらハルちゃんの手を握った。


「すごい。すごいよハルちゃん! めちゃくちゃ綺麗にできてる! さすがハルちゃんだよ!」

「えへへ、そうかな。それは、よか……ゲホッ、ゲホ……ッ」

「ハルちゃんっ!」


 マフラーを地面に落として、ハルちゃんが呼吸もままならないくらいに激しく咳き込みだす。


 私が慌てて背中をさすろうとすると、ハルちゃんは震える手で私の二の腕を掴み、荒い息を繰り返しながら擦り寄ってきた。

 血色のない顔を歪めながら、私と見つめ合う。


「お姉ちゃん。もう一つ、お願い聞いてもらってもいいかな」

「なに?」

「第四地区にね、すごく綺麗な花がいっぱいの庭園があるんだって。そこの疾滅統括征異団しつめつとうかつせいいだんの隊長さんがお花好きで、町中に花を植えてるんだって、ミナトさんが教えてくれたの」


 にわかに信じがたかった。

 太陽の当たらない収容所で、本当に花なんかが咲いているのだろうか。


「私、第五地区の景色しか見たことないから、どんなのか見てみたい。だから、連れて行って欲しい」

「でも……」


 今のハルちゃんの体調は明らかに外出できる状態じゃない。

 それに病院の外は危険だ。

 

 第六地区ほど荒れてはいないだろうけれど、行ったこともない未知の場所にハルちゃんを連れては行けない。


「お願い。どうしても見たいの。お姉ちゃんと、二人で」


 必死に。縋るように。憂いた目で、ハルちゃんが私の服を引っ張りながら懇願してくる。


 ハルちゃんは本気で、第四地区にある花畑を見に行きたいらしい。


 ハルちゃんにはやりたいことをやらせてあげたいし、私にできることがあるならしてあげたい。


 でも、もし万が一のことがあったらと考えると躊躇してしまう。

 迷う私に、ハルちゃんが「お願い、お願い」と何度も懇願してくる。


 その弱々しい声に負けて、私は決断した。


「分かった、行こう」


 私は服を引っ張るハルちゃんの手を握って微笑むと、さっそく行動に出た。


 病院の職員に事情を伏せて第四地区への行き方を尋ねてみる。

 第四地区は第五地区の東側と繋がっているらしく、此処から十分ほど真っ直ぐな道を歩けば辿り着けることを教えてもらった。


 消灯時間になると、私はハルちゃんを背負ってこっそりと病院から抜け出した。

 ほとんどの筋肉を動かせなくなっていたハルちゃんの体は想像以上に重たくて、気を抜くと転倒してしまいそうになる。


 ハルちゃんの足にある棘に気をつけながら両手で支えて、焦らずゆっくりと第四地区へと向かう。


 ハルちゃんは相当疲れているのか、私の肩に顔を伏せながら荒い吐息を繰り返していた。


「ねえ、お姉ちゃん、あと……どれくらいで着く?」

「もうすぐだよ。絶対に見せてあげるから、それまで寝てていいよ」

「ありがとう。でも……寝たくない」

「じゃあ、お話しする?」

「うん」

「何話そっか」

「……楽しい話がいい」

「分かった、任せて。お姉ちゃんの記憶からとっておきのお話を引き出してあげる」

「……うん、聞かせて。お姉ちゃんの声」


 嬉しいことを言われて、つい顔が緩んでしまう。

 いけない、いけない。話に集中しなきゃ。


「そーだなあ……。あ、この前毛糸を買いに行った時の話なんだけどね。毛糸を譲ってくれた赤松(あかまつ)さんが隣の店の人と喧嘩中らしくて、色々愚痴を聞かされたんだけど」

「うん」

「その喧嘩の内容が面白くてつい笑っちゃたんだけど、そしたら赤松さんの機嫌を損ねちゃったみたいでさ、めちゃくちゃ怒られたんだよ。もう、顔が真っ赤になるくらい怒っちゃてね。危うく毛糸を譲ってもらえなくなるところだったんだけど、どうにか交渉して譲ってもらったんだ。いやあ、あの時の私のコミュ力はすごかったと自分でも思うよ。妹への愛、お姉ちゃんパワーのおかげかなあなんてっ……あはは」

「うん……」

「それでね、赤松さんが喧嘩した肝心の内容なんだけど……」


 私が一方的に話して、ハルちゃんが時折相槌を打つ。

 そんな繰り返しをしているうちに、段々ハルちゃんの相槌が聞こえなくなっていった。


 私は不安になって、ハルちゃんの体を揺さぶった。


「ハルちゃん、起きてる? もうすぐ着くよ」

「……」

「ハルちゃん?」

「……うぁ」

「ハル――」

「うあぁぁぁぁぁぁぁ!」


 突然ハルちゃんが大声をあげて、背中の上で暴れ始めた。

 私を突き飛ばして地面に転がり落ち、その場を這いずり回る。


 突き飛ばされた勢いで前のめりに倒れた私は、すぐさま起き上がってハルちゃんの元に駆け寄った。


「ハルちゃん、ハルちゃん!」


 最初はいつもの異形化の痛みが来たのかと思ったけれど、ハルちゃんの顔を見て異変に気付いた。


 ハルちゃんの全身が赤黒色に濃く染まり、四肢があらぬ方向に折れ曲がり始める。

 体の内側を食い破るように大量の棘が出現して、小さかったハルちゃんの体が巨大になっていく。


 私はこの現象を知っている。だって、何度も目の前で見たことがあるから。


「そんな、ハルちゃん。やだ、やだよ。ハルちゃん……待って」


 私がハルちゃんの手を掴もうとした、その時だった。


 とてつもない風圧が発生し、私の体を軽々と吹き飛ばした。

 地面をゴロゴロと転がっていき、全身に強い痛みを味わって土まみれになる。


「うぅ、ぐ……」


 私は痛みに耐えながら体を起き上がらせると、ハルちゃんが倒れていた方向を見つめた。


 だけどそこにはもう、私の知っているハルちゃんの姿はなかった。

 代わりに、全身を棘で覆った赤黒い四足歩行のバケモノが立っていた。





 ハルちゃんが、末期症状へと至ったのだ。


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