第24話 後悔

「ハルちゃん、何かやりたいことってある?」


 病院生活を始めてから何週間か過ぎた頃。私はこんなことをハルちゃんに尋ねた。


 するとハルちゃんが、訝しげな目で私のことを見つめてくる。


「……急にどうしたの」

「ほら、ずっと病院の中でいるだけじゃ退屈でしょ。何か欲しいものとかやりたいこととかあったら、遠慮なくお姉ちゃんに言ってね。何でも私が叶えるから!」


 意気揚々と宣言する私に、ハルちゃんは冷たい声で告げてきた。


「じゃあお母さんとお父さんに会いたい。会わせて」


  私は固まった。それは、私達エボルシッカーがどう足掻いても達成できないことだったからだ。


 返答に困る私を見て、ハルちゃんは眉を下げた。


「嘘。ごめん。今のは無し。意地悪だった」


 ハルちゃんは私から目を逸らすと、両手で布団のシーツを握り締めた。

 その手はやっぱり、微かに震えている。


 私はその手を握りながら、ハルちゃんに頭を下げた。


「ごめんなさいハルちゃん。勢いで軽率なこと言っちゃったね。何でもできるわけないのに……。あはは、駄目だなあ私。馬鹿だやっぱり」

「うん、お姉ちゃんは馬鹿だよ。昔からね」

「う……」

「でもそういう空回りするところとか、不器用で空気読めないとことかも全部がお姉ちゃんって感じで、安心する。何年経っても昔のお姉ちゃんなんだなって。だからいいよそのままで。お姉ちゃんはお姉ちゃんで」

「ハルちゃん……」

「やりたいこととか別にないから。お姉ちゃんが一緒いてくれるだけで……それだけで、私は嬉しいよ」


 それが嘘であることは、丸分かりだった。

 でも無力な私は、それ以上何も言うことができなかった。


 お互い口を開かず、手を握り合いながら無言の時間を過ごしていると、突然病室の扉がノックされた。


 職員かなと思って扉の方を見やると、思わね人物が扉を開けて病室に入ってきた。


 タイトな白服を身に纏い、腰に物騒な刀を吊るした青髪の少年。ミナトだ。


「ミナト、どうして此処に?」

「今日は仕事で病院に用があったからさ。気になって来ちゃった」

「そうなんだ。わざわざありがとう」

「仕事の合間に来ただけだから気にしないで。というか俺の方こそ、家族二人きりのところを邪魔しちゃってごめんね」

「全然そんなことないよ。気にしないで」


 ミナトが来てくれたおかげで、重苦しかった病室の空気が弛緩した。

 思いもよらない助け舟だ。


「こ、こんにちは、ミナトさん」

「こんにちはハルカちゃん。体調はどう?」

「今は元気です」

「そっか、良かった」


 ミナトに爽やかな笑みを向けられたハルちゃんは、顔を紅潮させて目を逸らしてしまった。


 口をパクパクさせて布団のシーツを両手で撫で回したりと、様子が変になっていく。

 緊張してるのかな。ミナトとはかなり前からの付き合いだと聞いていたんだけど。


「そうそう、手ぶらでくるのもなんだったから。今日は二人に手土産を持ってきたよ。矢田食堂のゲテモノ丼。テイクアウトバージョン」


 ミナトはそう言って、二つのゲテモノ丼を私に手渡してきた。


「ミルカ好きだったでしょ、これ」

「いや別に好きってわけじゃ……まあでもありがとう」

「どういたしまして」


 受け取ったゲテモノ丼を病室の隅に置くと、私はもう一つあった客人用の椅子を持ってきてミナトに座ってもらった。


「あ、あのミナトさん。今日はいつぐらいまでいられるんですか?」

「うーん仕事の合間に来ただけだからね。この後も見回りとかあるし、そんなに長くはいられないんだ」

「そうなんですか……」

「暇な時とか、病院に用事がある時は出来るだけ此処に来るからさ。ハルカちゃんが嫌じゃなかったらだけど」

「そんな、嫌なわけないです。いつでも来てください!」

「あはは、うん。じゃあそうするよ」

「はいっ」


 ハルちゃんが顔を紅潮させたまま、弾んだ声をあげる。

 ミナトが病室に来てくれたことがよほど嬉しいみたいだ。


 私と話してる時はこんな声出してくれたことないので、ちょっと妬けてしまう。


 それから私は少し離れた距離で、ハルちゃんとミナトの会話を観察してみた。

 ミナトはいつも通り八方美人みたいな振る舞いで話していて、一方ハルちゃんは挙動不審で、顔を赤くしたままずっとモジモジしている。

 

 馬鹿で察しの悪い私だけど、流石に理解した。

 これはあれだ、恋する乙女の顔だ。


「それじゃあそろそろ次の仕事だから、またねハルカちゃん。ミルカも」

「はいっ。また来てください」


 手を振って病室から出て行くミナトを、私とハルちゃんは手を振り返して見送った。


 扉が閉まってミナトの姿が見えなくなった後も、ハルちゃんは手を振り続けた。

 嬉しそうに頬を緩めて、ずっと顔を赤くしている。

 もうこれは完全に乙女の姿だ。


 妹の新たな一面を見た私は、感激のあまりニヤける口元を両手で塞いだ。


 今の私の目は、さぞキラキラとした輝きに満ちていることだろう。


 そんな私の視線に気付いたのか、ハルちゃんは手を振るのをやめて慌てふためきだした。

 恥ずかしそうに耳横の髪先を手で弄りながら、目を泳がせている。


 可愛らしい反応だ。


「ねえ、ハルちゃん」

「な、なに」

「もしかしてだけど、ミナトのこと、好き? 異性として」

「なっ」


 私の質問に、ハルちゃんはさらに顔を紅潮させた。

 ふむ、これは完全に黒だ。


「そうなんだ。ふーん」

「ま、まだ好きとか何も言ってないけど」

「違うの?」

「……ちがわ、ないけど」

「へぇ」


 ハルちゃんの可愛らしすぎる反応に、私は思わず「うへへ」と気持ち悪い声をあげてしまった。


 口角を上げ、恋する乙女の顔をニマニマと見つめてしまう。


「そっかあ。恋かあ。いいねそういうの。うんうん」

「何その変な顔と感想。気持ち悪いからやめて!」

「えー無理だよお。妹の恋だよお。お姉ちゃん嬉しすぎて、今顔と頭の中がとろけちゃってるんだよお」

「その言い方も気持ち悪い! あーもうこの話はなし!」

「えー、もっと恋の話しようよ! お姉ちゃんに聞かせてよー!」

「じゃあまずその顔やめて!」


 言われた通りにニヤケ面をやめようとするも、中々戻らなくて苦戦する。

 なんとか普通の顔に戻ると、改めて“恋バナ”というやつを始めた。


「ミナトのどういうところが好きになったの?」

「どうって言われても……。ミナトさんはかっこいいし、優しいし」

「イケメンだしね」


 少し意地悪なところもあるとはいえ、それさえも魅力的に感じるイケメンぶりだ。

 異性として好きになってしまうのも無理はない。


「それに私、ミナトさん以外の男の人と関わりとかなかったし、自然と好きになっちゃったというか」

「じゃあ明確に好きになったきっかけとかはないんだ」

「そうだけど、だめ?」

「そんなことないよ。恋は理屈じゃないもんねぇ」

「……なんかその言い方、恋愛経験豊富そうな人が言いそうなことなんだけど。お姉ちゃんって恋愛経験あるの?」

「私? ないよ」

「だよね」


 あっさりと肯定されたことに傷付きつつも、私は一番気になっていたことを尋ねてみる。


「それで、告白はしないの?」

「……しないよ」

「え、なんで」

「告白したって意味ないでしょ。ミナトさん困らせるだけだし、気まずくなる」

「なんで断られる前提なの。まだ告白してないから分からないじゃん」

「分かるよそのくらい。ミナトさんは私のこと恋愛対象として見てなんかいないよ。私まだ十二歳だよ? 幼いし可愛くないし、無理に決まってる」

「そんなことない。ハルちゃんは年齢より大人びて見えるし、めちゃくちゃ可愛いよ! 世界一可愛い! お姉ちゃんが保証する!」

「それはお姉ちゃんが超絶シスコンなだけでしょ! とにかく告白はしないから!」

「そんな……。いいの?」

「いいよ別に。それに告白に成功したって意味ないじゃん。どうせ私はもう……」


 ハルちゃんが目を伏せながら、口を閉ざす。

 

 私はじっとハルちゃんの目を見つめながら、彼女に問いかける。


「ハルちゃんは本当に、それでいいの?」

「だからいいって言ってるじゃん。お姉ちゃんしつこい」

「ごめん。でもお姉ちゃん、ハルちゃんには後悔して欲しくないんだ。ミナトに思いを伝えずにいて、それが少しでも引っかかるなら、伝えた方が良いと思う」


 私は握ったハルちゃんの手を引き寄せながら、切実な眼差しで訴えた。


「お姉ちゃんって、ずるいよね。そんな言い方されたら、私……。ほんとずるい」


 私のしつこい追及に機嫌を損ねてしまったのか、ハルちゃんは頬を膨らませてそっぽを向いてしまった。

 

 またやらかしてしまったなあと私が落ち込んでいると、ハルちゃんは視線を窓の方にやりながら、やがて口を開いた。


「次ミナトさんに会ったら、好きって伝えるよ」

「いいの?」

「うん。もう、できるだけ後悔はしたくないから」

「そっか」


 私が安堵の声を漏らすと、ハルちゃんはゆっくりとこちらに顔を向けた。


 私と手を握り合いながら、柔和に微笑んでくれる。


「やっぱりお姉ちゃんが一緒に居てくれて、良かったよ」


 それはさっきの言葉と違って、嘘とは思えなかった。


 ハルちゃんの心の中で、何か明確な変化が起こったのかもしれない。

 私はそれを確かめるように、ハルちゃんの手をぎゅっと握ってみた。


 手の震えは、マシになっていた。

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