第20話 友達

 私はミルフィーノの目前に手を差し伸べて、深々と頭を下げた。


「私は管理人さんと、友達になりたいです。もっとアナタのことが知りたいです。管理人とか、エボルシッカーだとかそんなの関係ないですし、どうでもいいです。というか今日非番なんですよね? だったら問題ないですよね。非番の時はこんなふうにお喋りしたり、遊んだりしましょう。だから、その、私と友達になってください!」


 早口で、途中で何度か噛みそうになりながらも言い終えると、私は差し伸べた手をさらに強くミルフィーノの前に突き出した。


「アナタは、馬鹿なんですか」

「はい、馬鹿です。こんな私でよければ、友達になってください」

「……どうしてそうなるのか、まったく理解できないのですが」

「……そう、ですよね。私なんかと友達になんかなりたくないですよね。急に変なこと言ってごめんなさい」

「そうは言ってません。ただ、突然のことで動揺しているというか……とにかく、顔を上げてください」


 言う通りに恐る恐る顔を上げてみる。

 すると目の前に、大粒の涙を両目から流すミルフィーノの姿が映り込んできた。


「え、どうして、泣いて……ってあ、あの大丈夫ですか!」


 慌ててミルフィーノを慰めようとして、そこではたと気付く。


 もしかしたらミルフィーノは、ずっと誰かに言って欲しかったのかもしれない。


 友達になろうという、その一言を。


 私にそれを言われて、彼女はきっと今、泣いているのだ。


「私と、本当に友達になってくれるんですか」


 不安げに尋ねてくるミルフィーノに対し、私は強く首肯して答えた。

 するとミルフィーノは、差し伸べた私の手を取ってくれた。


 その瞬間、私の目からも涙が溢れ出てくる。

 突然泣き出した私を見つめて、ミルフィーノは困惑気味に首を傾げた。


「どうして、アナタが泣いているんですか」

「まさか本当に友達になってくれるとは思わなくて……。でも、友達になれたのは嬉しくて。多分、両方で」

「……変な人」


 ミルフィーノはそう言うと、また涙を流し始めた。

 私もそれに吊られて、さっきよりも勢いを増して涙を流してしまう。


 二人で手を繋いだまま、埃まみれのボロアパート内で思う存分に泣き喚いた。

 泣いている間は、胸に溜まっていた辛い気持ちが洗い流されて、楽になれた。


「友達って、何するものなんですか」


 何十分か経って、どうにか泣き止んだ私達。

 泣き疲れて欠伸を漏らす私に、ミルフィーノが鼻声で尋ねてきた。


「何って、一緒に遊んだりとかお喋りしたりとか、じゃないですかね?」

「アナタもちゃんと分かってないんですか?」

「分かってないというか、友達としての在り方を改めて問われても難しいというか。とにかく気が合えば良いと思いますよ。友達同士なんて」

「私、アナタのことはあまり理解できませんし、気が合うとは思えないのですが……」

「こ、これから理解し合えばいいんですよ。色々話し合って、お互いのことを知っていけばきっと!」


 ミルフィーノが微妙な顔を作り上げる。私の言うことを信じていないみたいだ。


 どうにか友達らしいことをして、信用してもらわねば……。


「そ、そうだ。友達同士なのに敬語って変だと思うんです。だからもっと砕けた感じで話したいというか。だから、敬語は無しにしませんか?」

「私は構わないですけど」

「じゃあそうする、ね」

「……うん」


 敬語をやめただけなのに、なんだか恥ずかしくなって悶えてしまう。

 それはミルフィーノも同じみたいで、泣き腫らした目の周りと同じくらい耳が真っ赤になっていた。


「あと、愛称で呼んでいいかな」

「……友達同士は、愛称で呼び合うものなの?」

「その方が仲良しって感じがして良いと思うの。たとえばミルフィーノだから……ミルちゃんってどうかな」

「ミル、ちゃん」

「私もミルカだから、ミルちゃんって呼んでほしいな。ミルミル同士。ほら、なんだか絆が深まった感じしない?」

「ミルミル……」

「そう、ミルミル」

「ふふ、変な名前」


 その時、“ミルちゃん”が朗らかに笑った。

 あんなに無愛想だった表情が嘘みたいに、屈託なく笑う彼女を見て、私は自分のことのように嬉しくなってしまう。


「それで、友達同士って他にはどんなことするものなの?」

「そうだなあ。せっかくだからミルちゃんも一緒に考えようよ。友達同士でしたいこと」

「いいけど。言っても笑わない?」

「笑わないよ。約束する」

「……じゃあ、やる」

「よし。じゃあまずは私から話すね」


 私は腕を組み、しばしの間考えた。


「やっぱり友達なら、一緒に勉強会とかしたいな。お互いの家に行って学校の試験対策したり、お菓子食べたり」

「お菓子食べるの? 勉強会なのに」

「休憩は必要だよ。そのためにお菓子は必須なの。ミルちゃんは何かしたいことある?」


 尋ねると、ミルちゃんは少しだけ気恥ずかしそうに話し出した。


「……一緒に公園に行って、ブランコしたい」

「いいねそれ! 私もブランコ好き!」

「あと、大きなショッピングモールに行っていろんな服を着せ合ったりしたい」

「うん、うん」

「あとあと、お泊まり会とかしてみたり、浴衣着て花火大会とか祭りに行ったり、映画館に行ってみたり……」


 段々と、早口になっていくミルちゃん。

 元からやりたいことを思い描いていたのか、かなりの量のアイデアが彼女の口から飛んできた。


「……こんなこと、できたらよかったな」


 一通りやりたいことを言い終えたミルちゃんは、諦念に満ちた声でそう言った。


「収容所じゃできないこともあるけど、少しくらいならやれることはあるよ。だって此処に、ミルちゃんの友達がいるんだしね」


 私が笑顔でそう言うと、ミルちゃんは苦笑しながら首を横に振った。


「ありがとう。でも、それはできない。私はもう、そんな幸せを受け取れない。受け取っちゃ駄目なんだよ」

「どうして? そんなことないよ」

「ううん。もういいの。もうこれ以上は、大丈夫。アナタと一時でも友達になれただけで、私は嬉しいの。ずっと夢だった友達が出来ただけで、充分。それだけで、私は報われた気がするの。これ以上の幸せは、もういらない」


 ミルちゃんが私の手を、ぎゅっと握り締めてくる。


「私が報われたように、アナタもどうか、短い余生で報われてほしい。アナタは私とは違うから、きっと……」

「……ミルちゃん?」

「家族のこと、大切にしてね。私みたいに逃げないで、ちゃんと向き合ってね」


  ミルちゃんは私の手を自分の胸に押し当てると、祈るように目を瞑りながら微笑んできた。


「さようなら」


 その言葉を最後に、ミルちゃんは瓦礫の山を降りてボロアパートから立ち去ってしまった。

 私が手を伸ばして「待って!」と叫んでも、一度も彼女は止まってくれなかった。


 一人取り残された私は、瓦礫の山に寝転んで収容所の天井を見上げた。

 泣き腫らした目を指で擦り上げながら、考え事に耽る。


 エボルシックのこととか、みんなのこととか、ハルちゃんのこととか。私自身の、こととか。


 とにかくたくさんのことを考えて、気持ちの整理をつけていった。

 時計がないから正確な時間は分からないけれど、体感では五時間くらいそうしていた気がする。


 気持ちの整理がつくと、私は体を起き上がらせて瓦礫の山を降りた。


 ミルちゃんには感謝しなきゃいけない。彼女のおかげで、また生きる希望が湧いていた。

 今度会った時、ちゃんと言葉にして伝えよう。

 そう思ってボロアパートから出ようとした、その時だった。


 ゴウン! と耳を傷めつけるような音が、町中に響き渡った。かなり近くからだ。


 音の正体に聴き覚えがあった私は、嫌な予感を覚えて走り出した。

 カビだらけの道を駆け抜けて行くと、視界の隅で“何か”を見つけて立ち止まる。


 数歩後ろへと戻って地面に倒れ伏すソレを見つめ、私は目を見開いた。





それは、ミルちゃんの死体だった。

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